柳田君の欲望
12月までの日記を読んでいると、自然と涙がこぼれ落ちた。
つらかった気持ちが胸の中に戻ってくる。……恋して、楽しかったことばかりではなかった。むしろ、付き合ってからの方が嫌な事を考える事が増えた気もする。
柳田君と両想いだからこそ、それが壊れるのが怖くなった。
「メリーさん……私、酷い奴だね」
柳田君は、私がいじめられていた事も、香織ちゃんとの仲がおかしくなってしまっていた事も知っていた。知っていて受け止めてくれていたのに、私だけが忘れる事で逃げ出してしまった。
メリー【そうかしら】
メリー【柳田も、十分人でなしよ】
メリー【だって天野が苦しんでいる事知っているのに、思い出させようとしているでしょ】
メリー【アイツの行動は理にかなってる。人道として間違ってもいない。でもただの善人じゃないわ】
「理にかなっていて、間違っていないなら、善意じゃないの?」
メリーさんは柳田君を嫌っているしなぁ。その所為で私の味方になっている気もする。
メリー【そもそも、善と悪なんて表裏一体。絶対の善と絶対の悪は存在しないと私は思っているわ】
メリー【まあ、この議論を突き詰めるのは面倒だから置いておくとして、柳田の方は分かりやすいわ】
メリー【アイツの行動の原動力は、人道とか、善行じゃないわ。全て自分の為の欲望よ】
「よ、欲望?!」
予想外の言葉に、私はギョッとする。えええ。柳田君が欲望……何だろう、私の中のイメージと繋がらない。だって、苛められている私に上手に手を差し伸べられるクールな男だよ? ちょっと天然なところが可愛いと女子からの人気は今も高い。
花子さんが恐竜姿をしていた理由もここだ。花子さんが私を欲しがったのも。……女子に中学から恋心を引きずらせるような高嶺の花。それが柳田君だ。
メリー【そうよ。所詮男なんて下半身野郎ばかり】
メリー【汚らわしい】
「ちょ、待って。なんだか、私怨が入っていない?」
女尊男卑になっている。
いや、私も昔はそうだったしなぁ。男の子に恐竜オタクである事をいじられてから、柳田君の件があるまでは男の子は苦手だった。全部の男子が、私のオタク趣味を貶したわけではないのに。
自分を守る為に嫌な事があれば、どうしてもカテゴリーで区別しがちだけど、そこに感情論が入ってくると差別になる。
メリー【失礼】
メリー【そうね。私怨はあるわ。でも柳田が、純粋無垢で聖人君子だと思ったら大間違い】
メリー【ベッド下、ヨシ!】
「いや、そこ、ヨシしちゃ駄目なとこ」
ベッド下は、心の聖域。侵してはいけない。
メリー【分かってるじゃない。アイツも所詮、男なの】
メリー【そしてね、アイツがムキになって、ひたすら天野の記憶を取り戻そうとしていたのは、天野と共に居る未来を生きたいからよ】
メリー【決して天野の幸せを願ってとか、他人の為の感情じゃないわ。自分がしたいからしてるの】
メリー【人はね。誰かの為に動けたら美しいけれど、自分の為だから必死になれるのよ】
メリー【柳田は、醜いと貴方が拒絶した『天野』が好きなのよ】
メリーさんの言葉に、私は胸の奥がギュッとなった。
そうだ。恋は苦しくて、甘くて苦い。善でも悪でもない。ただ、ただ。大好きで。
だから些細な事でも幸せを感じるのだ。ただ好きな人に好かれているだけで、泣きそうなぐらい幸せなのだ。
「メリーさん……私、思い出した」
恋の感情が思い出せた瞬間、日記で読んだ知識が記憶へと変わっていく。
「4月7日。私、歩道橋から落ちたんだね」
最後に見た記憶は、自分でも色んな感情を持て余し泣きそうな顔をした香織ちゃん。その彼女の顔が驚愕に変わって、私の視界がただ青空をうつす。
そうだ。あの日同じ高校を受験した香織ちゃんとちゃんと向き合おうとした。
私はとにかく謝りたくて、謝った。それに対して、香織ちゃんは偽善者と罵った後に、彼女も謝った。それは心の底からの謝罪だった。自分が可哀想だからと思っての謝罪ではなかったと思う。これからの学校生活が不安だからでもなくて——ただ、謝りたかった。そんな謝罪。私と同じだ。
あの持て余した顔は、私が毎日鏡で見ていたもの。
そして歩道橋の階段から足を踏み外した香織ちゃんを助けようと手を伸ばした私は、代わりに自分が落ちたのだ。




