天野さんの鬼ごっこ
『逃げるわよ!』
妖精さんの声に、私ははじかれるように走り出した。相手が校舎から来たので、逃げる先は体育館か柔道場しかない。
『今はどのクラスも体育館も柔道場も使ってないけれど、柔道場は鍵がかかっているわ。体育館の方に行くわよ』
妖精さんの声に従い、私は体育館に逃げ込む。しかし、中に入り込んだ所で、袋小路である事に気が付いた。
焦って従ってしまったけれど、これは大ピンチなのでは?!
「どうしよう。これじゃあ逃げられない」
『忘れてない? 私は体育館の妖精よ。体育館の中なら私の意のままよ』
「おおおっ! び、美……中年戦士!!」
性別を偽るのはアレなので、急遽言葉を変える。中年が美なのかは分からないけれど、とりあえず中身がカッコイイので美でいいということにしよう。
私達が奥に進むと、ドシンドシンと足音を立てて、ティラノザウルスもどきも入って来た。相手はまるで袋の中のネズミをいたぶっているように感じる。たぶん、ティラノザウルスもどきが全力で走って追い詰めようとしていないからだ。
『行くわよ。連続、百裂バレーアタック!!』
妖精さんが叫んだ瞬間、道具入れがパンと開き、中からボールが入ったカートが出てくる。そして、ボールが浮き上がり、ティラノザウルスもどきの方へ飛んだ。
ボス。
ボス。
ボス……コロコロ—―コツ。
『しまったわ。私、球技は得意じゃなかった』
確かにバレーボールは飛んだ。飛んだけれど、命中力が微妙な上に、力も弱い。
しかも中途半端に空気が入っていないボールもある。ティラノザウルスもどきも、フンと鼻息をはくだけで、よけようともしていない。
「ちょ。普通、もっと威力とか上げられるものじゃないんですか?! もしくは、ボール籠をそのまま走らせてぶつけるとか」
『はっ?!』
「はっ?! じゃないです!! おっちょこちょい属性とか、この場面では止めて下さい」
私はあまりの怖さに妖精さんに向かって怒鳴った。おっちょこちょいをこの場でやられても全然癒されない。むしろ、イラッとする。
『仕方がないじゃない。私は生前、弱小柔道部員だったんだもの。そんな私に運動神経とか求めるのが間違っているわ』
「開き直らないで下さい。逃げましょう!! ティラノザウルスは、大きい分、小回りは効かないし、足も速くない生き物なんです」
『そうなの?』
「はい。映画のティラノザウルス像は嘘っぱちなんです。だから絶対逃げきれます」
ティラノザウルスは体が大きいので、その体を支えるのは大変なのだ。もしも映画のようなスピードを出せば足の骨が砕けると言われている。
狩りの時は体の小さい子供と協力して行ったのではないかという説も出ているぐらいだ。
私と妖精さんの足で本当に逃げ切れるかは分からないけれど、逃げ切れると思って逃げなければ絶望で体が動かなくなってしまいそうだ。
『そうだわ。そのイメージ、絶対忘れないで。怪異は人間のイメージに存在を左右されるものなの。遅くて鈍いと思っていれば、絶対逃げられるわ』
「分かりました」
私はティラノザウルスは足が遅いと念じながら突進してきたティラノザウルスを横に避ける。すると軽々と、ティラノザウルスの大きな口を避ける事ができた。しかし妖精さんの動きは遅く、寸前で避けるのでひやひやする。
「妖精さん。頑張って!! 妖精さんは、柔道部に所属してたんですよね。だったら、応援を力に変えられるはずです。頑張って!!」
ふと、ティラノザウルスもどきに私の妄想力が効くのならば、妖精さんにも効くのではないかと、妖精さんの元々の持っている情報に無理のない設定を付け加え念じる。
応援されると強くなるというのは、よくある話だ。もちろん本人の持っている力しか出ないのだけれど、80%の力を100%出しきれるようになる。
『うぉぉぉぉぉ!! 何だか、燃えてきたわ!! 思い出したわ。柔道は一人の戦いだけど、応援によって団結力を出して、団体戦に望むの!! 私は負けない!!』
きゅるるるる。
そんな音を立てて、ボールたちが一斉にティラノザウルスもどきへと飛んだ。威力は、やはり上がっているわけではないけれど、数が多いために鬱陶しそうにソレは首を振る。
その隙に、私と妖精さんは再び体育館から外へ飛び出した。
「そうだ。確か自分の家の中には、招かない霊は入れないはずです。ちょっと遠いですが、私の家まで持久走できますか?」
できなくてもするしかないのだけど。
私は、柳田君の言葉を思い出して妖精さんに伝えた。
しかし彼は首を横に振った。
『私が囮になるから、逃げなさい』
「えっ?」
『私は地縛霊だから、渡り廊下までしか行けないの』
校舎の手前で妖精さんは足を止めた。
『憧れてたのよね。誰かを守って死ぬの。かっこよくない?』
映画のワンシーンのように、彼はほほ笑んだ。……その悟ったような顔に、彼は本気なのだと気が付く。
もしもあのティラノザウルスもどきに食べられたら、もう妖精さんは妖精さんでなくなるだろう。例え後から助け出せたとしても、もうそれは違う何かに変質してしまっている気がする。
『ありがとう。素敵な最期にしてくれて』
「ふ、ふざけないで!! そんな、重いもの背負えるか!!」
私は諦めた顔のおじさんに、怒鳴った。私の怒鳴り声に、妖精さんは目を見開く。
「後悔して、未練があるから、死に切れてないんでしょ?! それなのに、諦めないでよ。諦める理由を私にしないで!! 私はそんなもの背負いたくないし、背負わないわ!!」
きっとここでおじさんが死ねば、彼の最期は何よりもカッコイイものとなるだろう。でも人間止めてもこの世にとどまったなら、そんなカッコイイ死なんて狙っている場合じゃない。なんとしても生き延びて、未練を果たす方法を考えるべきだ。
「ティラノザウルスもどき。こんなしょぼくれた中年より、ピチピチ現役女子高生の方が美味しそうでしょ? ゲテモノ専門じゃないなら、ちゃんとご馳走狙いにきて!!」
私は体育館からのっそりと出て来たティラノザウルスもどきに叫ぶ。ソレはぎょろりと黄色い目を私の方へ向けた。
ティラノザウルスもどきが私の方に狙いを定めたという空気を感じた瞬間、私は上履きのまま渡り廊下から外れて中庭を走りだす。生死をかけた追いかけっこが始まった。




