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 ギルモア王国の首都ナバルの中心に、木立に囲まれた大きな白壁の屋敷があった。人々から親しみをこめて[白の(やかた)]と呼ばれるそこは、代々ギルモア王家が使用している屋敷である。

 小さく貧しい国だけに [白の館]のつくりもつましいもので、住まう者も贅沢を嫌うおとなしい人々であった。

 ところが、常になごやかで平穏な空気の漂うそこは、現在ただならぬ雰囲気に包まれていた。

 つとめて動揺を表わさぬよう家臣の兵士たちも言動を控えているものの、緊張の浮かぶ眼の色だけは隠しようもない。


「一体どちらへ行ってしまわれたものか……」

「まったく、輿入れは明後日だというものを……」


 顔を見交わすたびに、ため息が洩れる。


「わが国の行く末は――」

「ああ。一刻も早く捜し出さねば」


 兵士たちは頷き、励まし合い、疲れた体に鞭打って危急の仕事を再開する。

 その様子を見つめ、王妃リリアヌは重い息を吐いた。色白の顔が、心労に蒼褪めている。

 リリアヌの心配は、今朝から姿の見えない一人娘の行方ばかりではなかった。

 十二になったばかりの娘が、ひとりで遠くへ行けるはずもない。家出ならば、簡単に見つかって連れ戻されるであろう。

 だが、その後すぐに、娘は北の隣国ウージュランへ嫁がねばならないのだ。

 豊沃なウージュラン国と血縁を結べば、ギルモアはもう二度と飢えることはないだろう。

 それでも、娘はまだ成人も迎えていない少女であった。嫁ぐには幼すぎる。

 夫であるアル・シール国王は、娘の発見に懸賞金を賭けることを考えはじめているようだ。

 娘の身は心配だ。だが嫁がせたくはない。しかしギルモアの現状は、親子の愛情など問題にならぬほど差し迫っている。

 妻として母として王妃として、リリアヌの心は苦悩に引き裂かれていた。


――アウレリア……!


 堪りかねた王妃は聖堂に駆け込み、六芒星(ヘクサグラム)の描かれた聖布の前にひれ伏した。

 滝のごとく涙が溢れ出る。

 リリアヌは泣きながら、何を望むのかも分からぬまま、ただひたすら神に祈り続けた。


 昼の刻の鐘が鳴っても、王女の行方は分からなかった。

 誘拐ということも考えられ、内密に警察も働きはじめる。

 [白の館]で働くありとあらゆる人々が駆り出され、もう一度館内とその周辺の捜索が行なわれた。


「おや……?」


 騒ぎが洩れ聞こえたのか、[白の館]を囲む木立を歩いていた男が、ふと足を止めた。

 男は、近くの農夫のような格好をしている。

 衛兵がいないことを幸い、男は農夫とは思えぬ素早さで、[白の館]の目と鼻の先までやってきた。こっそりと生け垣に身をひそめる。

 捜索に集中する兵士たちが、その側を駆け抜けた。


「そっちはどうだ。姫さまはいたか?」

「だめだ、こっちにも見当らない!」

「急げ、日が暮れるぞ!」


 焦りを含んだ会話が、声高に飛びかう。

 男の頬に、かすかな笑みが刻まれた。世の中の裏を生きる五感が、[白の館]の異変を正確に嗅ぎ当てていた。


「こいつは――金のにおいがするぞ」


 ぺろり、と唇をなめ、ひとりごちる。


「イスファ様に御報告しなきゃなるまい」


 男は一人ほくそ笑むと、再び音もなく木立の中へ戻っていった。


   *


「あーん、もう!」


 ナバル市の東、ネバホ山に続くゆるやかな丘陵地帯を歩いていたリアは、声を荒げて被っていた薄布(ショール)を取った。あざやかな、蜂蜜のごとく黄金色の髪が背中をすべり落ちる。

 美しい少女である。子供から大人へと変貌していく最中の輝くような生命力に溢れた美しさであった。

 母譲りの白い顔を真っ赤にして、リアは汗をぬぐった。


「もういや。暑いったら……!」


 背中に担いだ小さな袋の中へ、乱暴に薄布(ショール)を投げ入れる。

 白い肌が物語るようにほとんど戸外に出たことのなかったリアは、この灼けつくような太陽と息もつかせぬ熱気に、ほとほと手を焼いていた。


――大丈夫、なんとか行けるわ。


 そんな子供の甘さを、ギルモアの気候は許さなかった。

 容赦なく、太陽はじりじりと彼女の頭上から灼熱の陽射しを注ぐ。


――暑い……。


 悪態もいつしか止み、堪りかねたリアは、逃げるように木立の中へ入り込んだ。

 木々は、背は高くないものの競うように枝葉を水平に広げ、涼しげな陰を作っている。

 ほう、とリアは息をつき、額の汗を拭いた。

 深緑の景色に囲まれているだけで、すうっと全身の熱が引いていくようだ。


「いい気持ち……」


 つぶやいて、リアは辺りを見回した。

 一体ここは何処なのだろう。

 気付かないうちに、道を逸れてしまったらしい。だが、焦って道を探せば探すほど木々が深くなり、日の光から遠ざかっていく。


「どうしよう……」


 半泣きになって、リアは呟いた。かすかに震える自分の声にさらに不安が倍加する。

 リアは肩を抱き締め、その場に立ちすくんだ。

 父が、母がここにいてくれれば――。


――あたし、家出したんだわ。


 今さらながらその事実のもつ恐ろしさに、リアは気が付いた。

 もう帰れないのだ。あの暖かくて安全な、甘い束縛の中に。


――ここにいるのは、あたし一人……。


 誰も自分を助けてはくれないのだ、自分以外には。

 リアの眼に涙が浮かんだ。

 そのとき、どこからか突然、木々のざわめく音が鳴り響いた。


「だ、誰っ?!」


 叫んで、リアは周囲を見渡した。震えつつも足元から木の枝を拾い上げ、両手に握り締める。

 遠くで、獣の鳴き声が聞こえる。


――ひょう……?!


 狩り好きの父が、以前この近くで大型の肉食獣を見かけたと言っていたのを思い出す。

 両膝が、がくがくと震えた。

 再び木々がさざなる。ごく近い――頭上だ。

 リアは、枝を手放すと、頭を抱えてしゃがみこんだ。


「いやあああぁっ!!」


 梢を裂く音を立て、何かが降ってくる。

 しかし、いくら待っても、リアには何の衝撃も訪れなかった。

 ゆっくりと瞼を開ける。

 はらはらと真新しい木の葉が舞い散る中、リアの膝に一本の羽根が落ちてきた。

 羽根はわずかに青白く、なぜかひんやりと冷たい。


――……鳥?


 不思議に思って空を見上げ、リアは息を飲んだ。

 木漏れ日の輝く木々の合間に、両手大ほどの仔猫が、蒼白の大きな翼を広げて浮かんでいた。

 仔猫は、翼をはばたかせると、かたわらの木の枝に舞い下りる。

 それは、リアが見たこともない生きものだった。

 不思議な輝きを帯びた毛足の長い身体、青の瞳に虹色の虹彩をもつ双眸。そして、背中から生えた一対の翼。

 普通の生き物とは到底思えないそれは、だが、リアは何よりも美しいと感じた。


「え……あー、あのぅ……」


 言いかけて、リアは口ごもる。

 なにを尋ねてよいか分からなかったし、それにこんなきれいな生き物に、あなたは誰ですか、などと聞くのは愚問のような気がしたからだ。

 ところが、当の仔猫がリアにその質問を発する。


《――君は誰さ?》


 かわいらしい少年の声は、リアの頭の中で聞こえた。

 リアは悲鳴をあげた。

 仔猫が渋面を作る。


《さっきから、きゃーきゃーうるさい子供だなあ》


 苛立たしげに、尻尾を一振りした。


《寝ているところを邪魔されたと思ったら、今度はこれ? 少しは礼儀を学んだらどう?》

「あ……ごめんなさい」


 リアは、赤くなった。


「あたしは、リア。お邪魔をしてしまったのなら謝るわ。歩いていたら、この森で迷ってしまったの」

《知ってるよ。だいたい視てたからね》

「あの……あなた、天使(エレル)なの?」


 その問いに、仔猫はきょとんとした顔になる。そして弾けるように笑いだした。


《あはは……天使とはね。いやあ、人間ってやっぱ妙な生き物だよ》


 笑いを含んだ虹色の眼が、驚くリアを見る。


《僕は、妖魔だよ》

「妖魔?」

《そう。僕は人間の敵。魔力を持ってて、人間を食べちゃうの》


 仔猫は、桃色の舌でぺろりと口の周りを舐めた。かわいらしい容貌に似合わぬ、尖った牙が白く光る。


《正確には、精気を吸い取るんだけどね》

「あなた……あたしを食べるの?」


 仔猫が、どうしようかな、という顔でリアを見た。無邪気に尋ねる。


《食べても、いい?》


 リアは、一瞬黙った。恐る恐る言い出す。


「あの、ちょっとくらいだったら……」

《は???》

「だって、精気を吸い取るっていうから、ちょっとだったら大丈夫かと思って。そうしたら、あたしもここを出るくらいできるし、あなたも満足かなって……」


 妖魔の仔猫は、しばらく真面目な顔を作っていたが、たまりかねたように爆笑する。

 死ぬほど笑う仔猫、というものを、リアは実にこのとき初めて眼にした。

 うつむいて肩を震わせ、のけぞって枝から落ちるほど仔猫は笑い転げる。

 リアは驚きや恐怖を忘れ、思わずむっとした。


「あたし、真剣に言ったのよ?」


 ごめんごめん、と仔猫は謝るが、笑顔は消えない。

 だがそこにはもう、さっきまであった不機嫌な様子は残っていなかった。


《あー、おかしかった》


 仔猫は、ようやく笑いをおさめると、木の枝から少女を見下ろした。


《冗談だよ、冗談。君を食べる気なんて最初からないよ。うるさかったから見物に来ただけさ》


 君より美味しそうな人間は山ほどいるからね、とにこやかに付け足す。

 リアは胸を撫で下ろしたが、少々機嫌を損ねた。


「あなたってひどいわね。他人ひとが困っているのに、見物だなんて」

《――いいよ。笑わせてくれた御礼に、送ってあげよう》

「え?」

『嫌なら僕は帰るけど?』


 仔猫が、ばさ、と翼を広げる。リアは慌てて、その後脚の先を掴んだ。

 悪戯な瞳が、彼女を見る。


《送ってほしい?》

「も、もちろん!」

《じゃ、どこがいい?》


 リアはしばらく考えた。

 家出少女だと見破っていた妖魔は、家という返答がくるものと予想していたが、


「ネバホ山」


 リアは、迷いもなく答えた。


――やれやれ。


 仔猫は肩をすくめ、翼を体内に収納した。大きな翼が、白い毛の中に音もなく吸い込まれていく。また大声を出しそうになり、リアは両手で口に蓋をした。


《じゃ、しっかり僕に掴まってて》


 声をかけると、妖魔は一気に魔力を高めた。

 リアが仔猫の体に腕を回した。途端、地面が消失する。

 歯止めのきかない悲鳴が炸裂した。


「きゃああああぁっ!!」

《お願いだから、耳元で叫ばないでよ》


 困惑した仔猫の一声を残し、二人の姿はそこから跡形もなく消え失せた。


 リアと妖魔の消えた森から、六公里ミールほど離れた街道。

 二人が消えた瞬間とほぼ時を同じくして、その中空に突如、二つの影が現われた。リアたちだ。

 大きく辺りが揺らいだかと思うと、リアの靴の先に固いものが当たる。


《はい、到着》


 すずやかな少年の声が、耳元で言う。リアは眼を開けた。

 足元は、茶色の土の大地だ。ゆっくりと踏みしめる。

 辺りを見渡すと、右に見慣れたナバルの市街地が遠くたたずみ、目の前には雄大なネバホ山がそびえ立っていた。

 森にいた時は時間が分からなかったが、空はまだ青い。だが、大きく西へ傾いた太陽は白く凝り、夕暮れを予感させた。

 同じく地面に立った妖魔が、ちっと舌打ちをした。


《魔力がうまく統御できないな。(れつ)()と離れているせいか……》


 腹立たしげにひとりごちる。リアを見上げ、


《ごめん、ちょっと失敗。ネバホ山まで、また移動する?》

「ここは?」

《たぶんふもとの村。今度はちゃんと行けると思うけど》


 リアは首を横に振った。荷物を背負い直し、


「ううん、ここでいいの。あとは歩くから」

《ネバホ山まで? 辿り着く前に夜になっちゃうよ》


 冷静な言葉に、リアは妖魔を振り返った。大きな茶色の眼が、不安に揺れている。


「でも――行かなくちゃ」


 自分に言い聞かせるように呟き、リアはネバホ山に向かって歩きだした。

 ぐら、と足元が揺れる。

 妖魔の魔力で一気に場所を移動したために、まだ平衡感覚が戻らないらしい。

 よろめくリアを、仔猫が体で支えた。


《まったく、もう。世話のやける》

「ご……ごめんなさい」


 仔猫はふん、と鼻を鳴らすと、嫌そうな態度を崩さずに言った。


《ネバホ山までっていう約束だったんだから、僕も付き合うよ》

「――いいの?」

《ただし、明日登るっていう条件だけどね》


 リアの顔に、ゆっくりと微笑が広がった。小さな薔薇が咲きほころぶようだった。

 仔猫が、ちょっと照れる。


「うん。分かったわ」

《じゃ、行こうか》

「その前に――」


 リアが、仔猫の顔を覗き込んだ。


「あなた、なんて名前?」

《――名前なんて、ないよ》


 不機嫌をぶり返した様子で、仔猫が言った。


「じゃあ、あなたを呼べないわ。あなたは、なんて呼ばれていたの?」


 その問いに、仔猫はしばし黙る。やがて困ったような照れたような顔で、


《九曜》


と言った。リアは微笑んだ。


「それじゃあ、九曜。よろしくね」

《よろしく、リア》




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