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 ナバルの黄金と称されるロブ湖のほとりには、ギルモア最大の宿場が集う街があった。だが、九年前に起きた史上最大の天変地異[大災厄(クライシス)]の被害が尾を引いているのか、何軒かは人手がつかぬまま放置され、とどまる人も減ったそこにはすさんだ空気が漂っていた。


「この辺りも前とはすっかり変わっちまってね」


 宿屋を営む街の住人が言う。


「ロブ湖も昔はナバルの黄金なんて言われて、キリキア地方一帯のどでかい胃袋を支えていたもんだが、今じゃ黄金どころか、鉄くず同然さ。あの[大災厄(クライシス)]の竜巻に乗って、砂漠の砂と一緒に変な毒が入りこんじまってね。

 ……すごかったよ。やっと風がおさまったかと思ったら、一面に魚っていう魚がみんな白い腹をみせて浮かんでいるじゃあないか。街の者が総出で片付けたが、その臭さったらなかったね。

 一月ひとつきくらいかなあ。長いことかかって、やっと魚を始末して、新しい魚を放したのさ。ところが、それがまたすぐに死んじまってね。その()()の人によると、入り込んだ毒は大体なくなってはいるんだが、今度は死んだ生きものがその後に妙なガスを出すんだとさ。それがよくないってことで、また一からやり直しよ。

 やっと何とか魚が育つようになったが、それでも前の十分の一にもなっちゃいねえ。まあ……あの[大災厄(クライシス)]で被害のなかったところなんてないだろうが、それにしても酷い目に合ったもんさ。

 まあこれも、神様の思召おぼしめしってところなんだろうがね」


 [翠湖亭]の亭主は八の字髭を揺らして、客を相手に一気にまくしたてると、大袈裟な嘆息をついた。

 カラン…と鈴を鳴らして、誰かが店に入ってくる。

 亭主は帳場から立ち上がると、すばやく客となるかどうか観察した。


「宿を頼む」


 客はよく透る声で、癖のない統一言語アリンガムを話した。

 まだ成人したての少年だが、ちょっと派手めなところを除けば、まあまあの身形みなりだ。人懐こそうな顔つきだが、どこか鋭さを秘めている。年の割に世間に揉まれているのだろう。


――ふん。客も少ないことだし、まあいいか。


 四人目の子供を宿した妻を思い、亭主は髭の先を撫でつつ言った。


「一泊素泊まりで四十アルム。前払いで頼むよ」

「ああ。じゃあ、二日頼むよ。それから――」


 少年は肩の荷物を外すと、そこから何やら白いものを取り出した。


「こいつも、いいかな?」


 髭を撫でつける、亭主の手の動きが止まった。

 見たこともない毛の長いそれは、一匹の仔猫だった。


「……にゃあ」


 小さく鳴いて、虹色の瞳が不機嫌そうに彼を見上げる。

 亭主はなぜかぞっとするものを感じ、慌てたように一歩退いた。


「どこから拾って来たんだい、こんな猫!」

「拾ったんじゃない、俺の連れだ」

「連れ? 連れだって?!」


 三白眼の眼をむいて、亭主が声を張り上げた。


「冗談じゃない。猫なんか、うちに泊められないよ。帰っとくれ!」

「別に無料タダで泊まろうってわけじゃない。ちゃんと二人分の料金は払う」


 それを聞いて、亭主の耳がぴくりと動く。だが、一階にいる他の客たちの視線を感じるや、勿体ぶった咳払いをして、首を横に振った。


「そういうわけにはいかないよ。だめなものは、だめだ。さあ、さっさと出ていってくれ!」


 有無を言わさず、少年たちを店の外へ放り出す。


「……あーあ。ここもだめか」


 これで通算六回目の宿泊拒否にあったディーンは、ぱんぱんと土埃をたたいて落とし、荷物を持った。仔猫がそれに潜る。


《もういい加減あきらめたら? 僕は野宿で構わないから、ディーンだけ泊まりなよ》

「俺はあきらめが悪いの。泊めてくれないところがあるなら、絶対泊めてくれるところもあるはずだ」

《ただの意地って気がするけど。それに、もうそろそろ宿場町のはずれだよ。このままナバルを通り過ぎる気?》


 ディーンはそれには答えず、荷を背負い直すと、いいから黙ってろ、と九曜を叱った。


「ふーんだ」


 九曜は少し頬をふくらませ、荷物の中で行儀悪く寝そべった。


――あーあ。退屈。こんなんじゃ、ついてこなきゃよかったなあ……。


 ぼんやり考えながら、首飾り(ペンダント)のなくなった胸元の毛をなめる。


――あんなもの最初からくれなきゃよかったのに。ディーンの馬鹿。あんなやつ助けるんじゃなかった。ううん、助けても、さっさとどこかへ行っちゃえばよかったんだ。あんな面倒な事件に巻き込まれたのも僕がこんなところにいるのも、みんなみーんなあいつのせいだ。


「……ディーンの馬鹿」


 呟いて九曜は、長い毛足の中に鼻先を突っ込んだ。

 ふいに、周りが大きく揺れる。


――また〝猫〟の出番かな。


 などと思って、袋の隙間から外の景色を覗いた。

 目の前で、知らない男がディーンと話している。


――うっひゃぁ。


 九曜は、眼を丸くした。

 男は四十前後で、身長が高く、宿の亭主とは思えない立派な体格の持ち主であった。

 西方の血が濃いのか、薄い褐色の肌で、形のいい頭と眉はきれいに剃りあげられている。胸の前で軽く組まれた両腕は、着ている服が破けそうなほど筋肉が盛りあがり、いかにも怖そうだ。


――ディーンなんか、ひとたまりもないだろうなあ。


 名付け親の少年が簡単に叩きのめされる様子を思い描き、九曜は意地の悪い笑みを洩らした。

 ディーンは、物怖じひとつしない様子で、その筋肉男と宿泊の交渉をしている。


「じゃあ、素泊まりで一日三十アルムが三日……九十アルムだな?」

「ああ。他に連れは?」


 ディーンは、肩に負った荷をちらりと見た。よっこらしょ、と九曜が荷袋の中で重い腰を上げる。が、


「いや。一人だ」


 あっさりとディーンが答えた。


――あやや?


 九曜は拍子抜けした。


「そうか。部屋はこっちだ」


 亭主に案内され、少年は宿の二階へ上がっていく。その背中の荷物の中で揺られながら、九曜はだんだんとおもしろくない気分になってきた。


――ディーンのやつ、さっきはあんなこと言ってたくせに、やっぱり自分一人で泊まる気なんだ。嘘つき……!


「食事は、下の台所で自由に作ってもらって構わない。客は、あと古なじみの男が二人いるだけだ。せまい宿屋だ。すぐに顔を合わせるだろう」


 [青しぎ亭]の亭主が振り向いて、針のような眼でディーンを見下ろした。


「俺は、あんたのここでの生活に干渉はしない。だが、責任がある。他の客の迷惑になるようなことをするのなら、それなりの覚悟はしてもらいたい」

「覚えておこう」


 ディーンの返事に軽く頷き、亭主は大股に廊下を去っていった。左足が悪いのか、わずかにひきずっている。


――軍人あがりか……。


 筋骨逞しいその背中を見ながら、ディーンは口中で呟いた。

 隠そうとしても隠しきれぬ血の匂いが、男の全身から漂っていた。


――他人のことが言えた義理じゃないが……喧嘩は売らないほうが賢明だな。


 この先どうしたものかと思案しつつ、ディーンは部屋の扉をくぐった。

 素っ気ない石造りの部屋は小さく暗く、もう何年も使っていないようだった。窓に下ろされた木戸の隙間から、かすかに乾いた風と日の光が差し込んでくる。

 ディーンは寝台(ベッド)に荷物を置くと、もうもうと立つ埃に咳き込みつつ木戸を開けた。


「うわ。ひっでーな、これは」


 ぶつくさ言う彼の後ろで、九曜が荷物の袋から出てくる。

 薄汚れた室内を一瞥して、


《ふーん。こんなところで寝泊りする気?》

「しょうがねぇだろ。他に俺たちを泊めてくれるところがないんだからさ」

《ディーンを、でしょ》


 頭に直接聞こえる声の責めるような響きに、ディーンは慌てて弁解した。


「おいおい、誤解するなよ。何も俺一人で泊まろうって訳じゃないぜ。そんな気があったら、とっくの昔にそうしてるさ。だけどこのままナバルを通り過ぎる訳にはいかないし、隣の客や亭主に顔をなじませた後でおまえのことを持ち出したほうが、おさまりがつくと思ってさ……」

《爪の先まで軍人気質に染まってる相手に、それが通用すると思うの?》


 冷静な問いかけは、質問ではなく、明らかな非難だった。

 痛いところを突かれたディーンは、苦い顔で腕を組む。


「なんとかするさ。同じ人間なんだ。話したら分かってくれるかもしれない」

《同じ人間、ねぇ……。だから余計に厄介な気がするけど》


 いつになく刺々しさをあらわにする連れに、ディーンも少し苛立った。


「やってもみないで、おまえはどうしていつもあきらめるんだよ?」

《じゃあ、頑張れば? 僕はどこか他に適当な寝場所を探すから》

「何も出ていけって言ってるんじゃない。少しの間隠れていてくれれば、その間に話をつけておくって言ってるだけだ」

《同じことじゃない。僕がどこにいるかの違いだけでさ。結局断られてディーンごと追い出されるより、最初から別々に泊まったほうがいいと思っただけなんだけどね。それにこんな汚いところに隠れるなんて、僕はごめんだし》

「おまえ……俺といるのが嫌なのかよ?」


 その問いに、ふと、仔猫の顔に奇妙な表情が浮かんだ。

 迷いや惑いなど一切表わしたことのなかった顔に、今初めて複雑なかげりが落ちている。


《――どうだっていいだけさ》


 九曜はそう言うと、一番風通しのよい場所を選んで、ごろん、と丸くなった。

 その背中にディーンは何かを言いかけたが、ち、と舌打ちをして部屋を出ていく。

 一時間ホラ後、街を一回りしてきたディーンは、連れのための毛布を持って戻った。機嫌を改めて、部屋にいる相棒に呼びかける。


「九曜?」


 だが、薄汚れた狭い室内のどこにも白い仔猫の姿はなかった。

 彼は消えてしまっていた。何も言わず何も持たず、まるで最初からいなかったかのように、自然に。

 開け放された窓から吹き抜けた風が、残された白い毛をひとつ、巻きあげてさらっていった。


   *


 シ・セル山の頑強な岩肌を刳りぬいてできた、巨大な風穴ふうけつ

 自然の妙技と見えるその内部は複雑にうろが組み合わさり、迷宮となって住人たちを外界から隔絶していた。

 迷宮の中央、住人たちが大広間と呼ぶ最も大きな洞で、彼らは〝仕事〟から戻ってきた仲間を出迎えるために集まった。

 岩の高台に据えられた椅子には、高い洞の天井を突かんばかりの大きな男が、どっしりと構えている。

 歳の頃は四十過ぎ。くせの強い黒髪が、豊かな顎髭と一体になって蔓草つるくさのように褐色の太い首筋にかかり、額には色褪せた赤い布を巻いていた。

 男は脇に控える侏儒が注いだ酒杯を手に、髭面をほころばせる。だが、その眠たげな眼に笑いはなかった。


「よく帰ってきたな、弟よ」


 酒杯を掲げ、男は明らかに意気消沈した相手を見下ろした。


「どうやら首尾は上々といかなかったようだが……訳を聞かせてもらおうか」


 低い男の声が、雷鳴のように洞窟に響く。

 右手に包帯を巻いた相手の男は、一段と蒼褪めてうなだれた。様子からすると、椅子に座る男よりも若いようだが、そうは見えない。顔面は蒼白、眼は充血し、ざんばらに濡れ乱れた頭髪は、なぜか老人のごとく白く色を変じていた。

 根城の洞窟を出ていった時とは別人のような男の変わりように、椅子に座る男は、奇妙な眼差しを向けた。その隣に立つ、別の男へ問う。


「何があった?」

「実は御頭――」


 別の男が言いかけた途端、白髪の男が狂人のごとく叫んだ。


「悪魔だっ!! あいつは……あいつは悪魔だったんだぁっ!!」


 頭をかきむしり、わめきちらす。


「落ち着け、イスファ! 誰か奴を止めろ!」


 椅子の男の命令に、すぐさま何名かが飛び出して、男を押さえる。イスファと呼ばれた男は、まさに悪魔にとり憑かれたように暴れたが、四、五名の屈強な男にのしかかられるようにして自由を奪われた。

 はずみで、イスファの右手の包帯がほどける。椅子の男は、太い眉をしかめた。

 釘を刺されたように丸くえぐられた傷からは、まだ血が流れており、相当の苦痛を強いられているはずだ。だが、それすらも振り回してイスファは暴れていた。

 両脇を抱えられ、引きずられるようにして彼は大広間から出ていく。その叫び声は、姿が消えてもなお、しばらく洞窟内に反響していた。

 椅子の男は訳が解らないといった顔で頭を振り、先程の男にあらためて問いただす。


「ナスル、一体何があった?」

「はい。実は――」


 兄貴分のイスファと組んでシ・セル山を通る旅人の荷を略取していた男は、岩陰から眼にした出来事を自分の御頭へ語った。

 旅慣れた風の若い旅人。その荷物から現われた、見たこともない白い生き物――そして、難なく撃退されてしまったことも。

 最後のくだりは自尊心のために多少脚色したものの、それでも不名誉であることに変わりはなかった。


「それで、イスファの()()は何だ?」

「それが俺たちにも……。イスファの兄貴は一人残って、あのクソいまいましい若造を叩きのめそうとしたんじゃねぇかと」

「ところが、返り討ちにあったと?」

「はい。俺たちが助けに戻ったときには、もう若造も白い化物も消えておりまして、兄貴がこう……頭を真っ白にして座っておりました」

「ほう……」

「その姿はあの通り兄貴とは思えませんで、声をかけるのにもためらったぐらいです。それで、いくら声をかけても反応がないんで、ちょっとこう肩を揺すってみたんです。そしたら――」


 ふいに、ナスルは言葉をとぎらせた。

 侏儒に酒を注がせていた男が、顎をしゃくってみせる。


「どうした、続けろ」

「へ……へい。その……冷たかったんです」

「なに?」


 男の黒い眼が、きらりと光った。


「どういうことだ?」

「氷みたいに冷たかったんです。兄貴の髪も服も手も足も、まるで頭から水に……いえ氷の中に飛び込んだみたいで、よぉっく見ると兄貴の周りがじっとりと濡れていて、そこだけ妙にひんやりしているんです」


 ナスルは一気にまくしたてると、思い出したように両肩を震わせた。


「そのうち兄貴が俺たちに気が付いたんです。そうしたら寒い寒いって言いはじめて、俺たちは自分の服を脱いで兄貴に着せました。ところが兄貴は何枚着せても寒い寒いって言い続けて、俺たちすっかり恐くなっちまって、仕事を切り上げて兄貴を連れて帰ってきたってわけでございます」


 ナスルは興奮して声を張り上げていたが、最後だけ落ち着きを取り戻し、彼なりの敬語で締めくくった。

 椅子の男は、ふうむと唸ると、顎髭に手をあてて黙り込む。

 戸惑うナスルに、脇に控える山賊団の参謀役と名高いアブドゥルが、身振りで去ってよいと告げた。


「……どう思う、アブドゥル?」


 御頭の問いに、アブドゥルは薮睨みの眼を入り口へ向け、薄い頭をつるりとひとなでした。


「ナスルは頭は足りませんが、嘘をつくような男じゃありません。それは、イスファの様子を見ても解ることです」

「……ふぅむ」

「まあ、奴がカモに反撃されて果敢に応戦したっていうのは、でたらめでしょうがね。そんなに度胸のある男じゃない。さっさとトンズラしたはいいが、血を見るのが好きなイスファ一人が残り、後の処分が心配になった二、三の連中と、全部終わったところで様子を見に戻ったっていうところが真相でしょう。これでイスファが死んでいたら、最後まで戦いぬいたと言うのでしょうが……」


 男は、ちら、と小柄な参謀をめ、音を立てて酒杯を肘掛に打ち付けた。


「問題は何が起こったかじゃねえ。その結果どうなったか、だ」


 彼の激しい気性をよく知るアブドゥルは、声もなくうなだれた。

 シ・セル山一帯を縄張りにする山賊[赤い風]党の首領の眼が、黒い炎と燃え立つ。


「この[赤雷(せきらい)]のスカーリの名に賭けて、奴らに弟を襲ったことを後悔させてやる。それが例え――悪魔シェタンであろうと」


 強靭な手の中で、硝子ガラスの酒杯が音をたてて割れる。

 その皮膚には、一滴の血も滲んでいなかった。




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