依頼 4
女性は軽く頭を下げた。
「ご挨拶が遅れました。私、加賀白妙と申します。こちらは許嫁の臥雲壮さんです」
紹介された臥雲さんは改めて自己紹介するでも、頭を下げるでもなく、ただ黙って胡乱げな眼差しを水藤さんに向けていた。
当の水藤さんは特に気にした風もなく、加賀さんに頭を下げ返して言う。
「改めまして、水藤雅です。こちらは氷上玲さん。助手みたいなものです」
俺は水藤さんの咄嗟の機転に感謝した。
只の物書きを取材で同行させるとなるといい顔をされないだろうが、助手ということなら怪しまれることなく、堂々と付いていくことができる。
俺は水藤さんに倣って頭を下げた。
「どうも、氷上です。水藤さんのお仕事に同行するのはこれが初めてなので、いろいろ不慣れなところもありますが、よろしくお願いします」
とりあえずこう言っておけば、二人の目の前で水藤さんにあれこれ初歩的な質問をしたり、備忘録を付けたりしていても不審に思われることはないだろう。
一通りの自己紹介が済んだところで、水藤さんが切り出した。
「それじゃあ、ご依頼の内容を詳しく聞かせて頂けます?」
「ええ。実は昨日、と言うか日付が変わっていたから、もう今日ですね。夜中に奇妙なことが起こったんです」
「奇妙なこと、ですか?」
訝しげに問いかける水藤さんに、加賀さんが浅く頷きながら言う。
「はい。私には紫苑と真紅という二人の妹がいるのですが、夜中の二時頃に紫苑が急に悲鳴を上げたんです。何事かと思って様子を見に行くと、紫苑が『男の人が部屋の外にいた』と言うので、父が住み込みの御者さんを連れて近くの派出所まで警察の方を呼びに行くことになりました。こういう時電話があれば便利ですけど、我が家にはありませんので」
このご時世、家に電話があるのは相当裕福な家だけだ。
住み込みの御者さんがいるということは、家に馬車がある訳で、経済的にかなり余裕がある家なのは間違いないが、電話がないというのは少し意外だった。
何か理由でもあるのだろうか。
俺がそんな疑問を抱いていると、加賀さんは続けた。
「父達が行ってしまうと家の中には女だけになりますから、正直なところとても不安だったのですが、父を一人で行かせるのも心配でしたし、御者さんが一緒なら万一襲われても命までは取られないだろうと思って、二人で行ってもらいました。戸締まりをきちんとしておくようにという父の言い付けで、私は恐る恐る家中の鍵を確かめていたのですが、少しして今度は真紅の『やめて! 助けて!』という声が聞こえてきたんです。私はすぐに真紅の部屋に駆け付けましたが、その時には真紅は部屋にはおらず、庭で亡くなっていました。窓が開いていて、窓の真下にあの子はいましたから、きっと窓から落ちたのだと思います」
水出し珈琲を堪能しながら白妙さんの話に耳を傾けていた水藤さんが、麦藁から唇を離して言った。
「それは確かに妙な話ですね。最初に襲われそうになったのは紫苑さんなのに、亡くなったのは真紅さんだなんて」
俺も同感だった。
これで亡くなったのが紫苑さんならまだわかるが、真紅さんが亡くなったのはどういう訳なのだろう。
まるで探偵小説さながらの奇っ怪さだ。
俺は考えられる可能性を思い付くまま並べてみた。
「犯人はたまたま紫苑さんの部屋から侵入しようとしただけで、必ずしも紫苑さんを狙っていた訳ではないのかも知れませんよ。誰でも良かったのかも知れませんし、もしかしたら紫苑さんと真紅さんの部屋を間違えたのかも」
「赤の他人が興味本位で引っ掻き回すな。真紅さんは事故だったんだ」
臥雲さんの憎しみすら感じさせるような眼差しが俺を強く射抜いた。
顔立ちが整っているだけに結構迫力があるが、この辺はあまり上品とは言えない住人が多いので、幸か不幸か怖そうな人にはある程度慣れている。
俺は臥雲さんに眼差しを投げ返すと、問い掛けた。
「どうして事故だと思うんですか? 状況が状況だけに、事故と言うには不自然な気がしますけど」
「俺の見解じゃない。警察がそう言ってたんだそうだ」
臥雲さんの答えに、俺は少なからず驚いた。
それは水藤さんも同じだったようで、加賀さんに視線を向けると意外そうに問いかける。
「本当に?」
「はい……どうにも腑に落ちないのですけど」
加賀さんはひどく不本意そうな様子で、歯切れ悪くそう答えた。
実の妹の不審な死を事故で片付けられて、そう簡単に納得できる筈もないだろう。
俺は言った。
「何でまた……不審者が紫苑さんの部屋に忍び込もうとした日に、時間を置かずに真紅さんが窓から落ちたんですよ? 同一犯かどうかは置いておくとしても、何らかの繋がりがあると考えた方がすっきりすると思うんですが」
「私達家族もそう考えて、きちんと捜査してくれるように警察の方に何度もお願いしました。でも家中の扉や窓を調べてもらっても、外からこじ開けた形跡は見付かりませんでしたし、妹の体にも他殺を裏付ける傷などは特に見受けられないということで、事故として処理すると……」
元警察の人間ということでいろいろと思うところがあるのか、水藤さんはどこか申し訳無さそうな面持ちで加賀さんに言った。
「……担当の警官が仕事を面倒がった可能性は否定できませんけど、ある程度仕方がないところもあるんです。ここはこの国で一番大きな都市だから、犯罪も多いし、変死体が出ることだってそう珍しくはありませんから。本当なら全部の死体をきちんと解剖して犯罪性がないか、その人の死に言霊が関係してないかを調べるべきですけど、人や予算に限りがある以上、全部を調べることはできません。明らかに他殺だと判断できないと、なかなか事件として扱うのは難しいんですよ」
水藤さんは一度言葉を切ってから続けた。
「そしてそういう時に、私みたいな人間にお声が掛かったりする訳です。加賀さんは、真紅さんが言霊に殺されたと思っているんですか?」
「確証はありませんが、そう思っています。あの子は落ちるまで何度も叫んでいました。明らかに只の転落事故ではありませんし、意識があったんです。意識がある時に誰かに窓から突き落とされそうになったら、誰でも必死で抵抗するでしょう? ましてやあの子は十四で、小さな子供ではありませんでした。本気で抵抗されたら、男の人の力でも突き落とすのは一苦労でしょうし、多少なりとも部屋が荒れている筈です。でもあの子の部屋は掛け布団がほんの少し乱れていただけで、綺麗なままでした。一見すると辻褄が合いませんけど、言霊で意に反して飛び降りさせられたなら、説明が付きます」
印象通り、加賀さんは頭のいい人なのだろう。
合理的な説明だったが、少し引っ掛かることがあって、俺は問いを口にした。