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依頼 3

早く向こうに行ってくれないだろうかという思いが顔に出ていたのか、父さんが母さんの肩を軽く叩いて言った。


「仕事もあるし、そろそろお暇しようか」

「あ、そうね。私達がいたらお邪魔だし。じゃあ、ごゆっくりね」

「ありがとうございます」


 水藤さんがもう一度お辞儀をしたのを潮に、父さん達は去って行った。


 二人の後ろ姿が完全に見えなくなると、水藤さんは椅子に座り直して言う。


「お父様の方は何度かお見掛けしてたけど、お母様は初めてお顔を拝見したわ。優しそうなご両親ね。わざわざ改めてご挨拶して下さったところを見ると、ちゃんとした方達みたいだし」

「お客さんあっての商売ですから、礼儀はきちんとしておこうっていう方針みたいです」


 水藤さんは父さん達を「ちゃんとしている」と言ってくれたが、先程のやり取りを見る限り、水藤さんも躾のいい人のようだった。


 お母上に粗忽者だと叱られていたというのは、只の謙遜なのかも知れない。

 

 水藤さんは牛乳をたっぷり入れた珈琲を麦藁で掻き混ぜてから一口飲むと、満足そうな溜め息を漏らしてから訊いてくる。


「ところで、取材って何を話せばいいの?」

「じゃあ、言霊使いになろうと思ったきっかけは何ですか?」


 俺は開いた手帖に目を落としてそう尋ねた。効率良く取材が進められるように、思い付く限りの質問を事前に書き留めておいたのだ。


 以前にも一度やったことがあるので、大体の要領はわかっている。

 

 質問の下には答えを書き込めるよう、頁半分程の余白を設けてあって、俺はその余白の上に鉛筆を置いた。


 そのまま水藤さんの答えを待っていると、水藤さんは少し困ったような顔で答えを口にする。


「期待外れで悪いけど、きっかけは特にないのよ。私の父も言霊使いでね、物心付いた時から巫女として言霊の使い方を習ってたの。私の家はお社の管理をしているから、跡継ぎが神様がくれた力を使えないと格好が付かないでしょ? 兄がいるから私がお社を継ぐことはないけど、兄に万一のことがないとも限らないし、それで父は私にも言霊の使い方を教えたんでしょうね。自分の意志で始めた訳じゃなかったけど、私は運良くそれなりに言霊の才能があるみたいだったし、たまに嫌になることはあっても、投げ出すことはなかったわ。『言霊は使い方さえ間違えなければ、人の助けになる力だ』って言い聞かされてたから、そういう力ならちゃんと身に付けておいた方がいいと思ったし」

「なるほど、参考になります」


 俺は手帖に素早く鉛筆を走らせながらそう言った。


 水藤さんの話は昨日の武の話に通じるものがあって、やっぱり能力がある人はその力をどう使うか、真摯に考える必要があるのだなと改めて思う。


 決して望んでそう生まれた訳でもないのに、たまたま持って生まれた力のせいで、力を持たない人にはない苦労や悲しみを味わうこともあるのだろう。


 だが、力を持っているからこそ感じられる幸せもあるのかも知れない。


 そうであって欲しかった。


 俺が次の質問を口にしようとした時、思いがけなく水藤さんが問いかけてくる。


「ねえ、あなたはどうして小説家になろうと思ったの? あんまり流行ってないお店だったら副業に何かしようって思うのもわかるけど、ここはそうじゃないでしょ?」


 水藤さんが多少なりとも俺に関心を持ってくれているとわかって、俺は少し嬉しくなって答えた。


「そうですね、お金は二の次です。見ての通りウチは喫茶店ですから、子供の頃なかなか遊びに連れて行ってもらえなかったんですよ。父方の祖父母は俺が物心付く前に亡くなってますし、母の実家は少し遠いですから、なかなか俺の面倒を見てもらう訳には行かなくて。週末は学校が休みでしたけど、そういう時は書き入れ時ですから、大概店を開けていて……平日は平日で、基本的に休み無しで営業してますしね。で、両親が俺を不憫に思って、いろんな本を買ってくれたんです。本の中だったら、いつでもどこでもどんな所にだって、あっという間に行けるからって。それがきっかけで本が好きになって、その内自分でも書いてみたいと思うようになって、今小説家をしてるんです」

 

 いずれ『白姫』を継いだ後も、細々とでも書き続けて行けたらいいとは思っていた。


 一から物語を作り上げていくというのは本当に大変な作業で、思うように書けない時には本気で筆を折りたくなったりもするが、それでもやっぱり書くことが好きだから、どうしても離れられない。


 もし作家を続けられなくなったとしても、趣味で死ぬまで書いているだろう。

 

 そこまで思えるものに出会わせてくれるきっかけをくれたのは父さん達で、俺をこの世に送り出してくれただけでなく、それ以上のものをたくさんもらった身としては、本当に頭が上がらなかった。


「なかなか面と向かっては言えませんけど、両親には本当に感謝してるんですよ」

「やっぱり、いいご両親なのね」


 そう言って淡く微笑む水藤さんは、とても綺麗だった。


「あの、水藤さんも本が好きみたいですけど、何かきっかけがあったんですか?」


 明らかに取材とは関係ない質問だったが、水藤さんのことをもっと知りたかったし、いろいろな話をしてみたかった。


 仮にも取材という名目で相手をしてもらっているので、気を悪くしてしまうかとも思ったが、水藤さんは特に不愉快そうな面持ちになるでもなく答える。


「私の実家は自然と田畑しかないような山奥にあったから、本を読むのは貴重な娯楽の一つだったのよ。まあ、村には本屋さんなんてなかったから、本を手に入れるのも楽じゃなかったけど。その点、こっちはお店がたくさんあっていいわね。活動写真とか寄席とか、本以外の娯楽もいろいろとあるし、美味しい物もたくさんあるし」

「俺は生まれも育ちもここですから、逆に自然がいっぱいの故郷にちょっと憧れてるんですよ。お互い無い物ねだりな感じですね」


 俺はそう言って少し笑ってから、ふと浮かんだ疑問を口にしてみた。


「そう言えば、実家がお社っていうことでしたけど、場合によっては言霊を使えない人が跡継ぎだったりすることもあるんですよね? 言霊って誰でも使える訳じゃないんでしょう?」

「そうね。言霊は言葉を発することで発動する力だから、言葉が話せる人間なら誰でも使える可能性自体はあるって言われてるけど、やっぱり才能の有無はあるし、いくら修行しても駄目な人もいるわ。そういう時には大概余所から養子をもらうみたいだけど、言霊使いは元々それ程数が多くない上に減る一方だから、なかなかそれも難しくなってきてるみたい」


 言霊使いの数がそれ程多くないことは知っていたが、数が減り続けているというのは初耳で、俺は少し驚いた。


「冤罪で裁かれる人を出さないためにも、世の中に必要な仕事なのに、増えるどころか減り続けてるなんて……」

「あなたの言う通りだけど、言霊を使えない人にとってはやっぱり言霊使いって信用ならないし、気味が悪いものなのよ。露骨に迫害されることはあまりないけど、誰がやったかわからないような嫌がらせをされるなんて、そう珍しいことでもないし。流石に宗教関係の人はそんな目にはあまり遭わないみたいだけど、畏れ敬われるのと迫害されるのは紙一重だから、決して周りに馴染んでる訳じゃないのよね。言霊使いは高給取りでもないし、わざわざ嫌な思いをしてまで言霊使いになる利点がないの。国は危機感を覚えたみたいで言霊使いを増やすために学校を作ったけど、やる気があっても才能がないとどうにもならないところもあるし、そもそも人自体が集まってないみたい。結局言霊使いがもたらしてくれる利益だけ都合良く受け取って、言霊使いを受け入れようとしない社会を変えないとどうしようもない訳だけど、人の心を変えるなんてできないし、多分言霊使いはいつかいなくなるんでしょうね」


 非常に冷静かつ、説得力のある意見だ。


 この人はただ綺麗なばかりでなく、聡明なのだろう。


 俺がすっかり感心していると、俺の背後から女性の控えめな声が掛かった。


「すみません、『水藤言霊店』の水藤さんはこちらでしょうか?」


 落ち着いた、知らない女性の声。


 きっとある程度の教育を受けている人なのだろう。


 話し方が武のそれに似ていた。

 

 振り返ると、そこにいたのは二十前後の女性。


 特に化粧はしていないが、知的な雰囲気を漂わせた美人だった。


 体調が優れないのか、ひどく顔色が悪いせいでせっかくの美貌に翳りがあるが、それでもこれだけ綺麗なら、化粧をして体調がいい時なら水藤さんに引けを取らないかも知れない。


 毛先が落ちないように纏めた黒髪を飾るのは、黒い小縁レースの髪飾り。


 身に纏っている黒い䙱(ワンピース)の袖口や長い裾も、黒い小縁で優美に彩られている。


 黒い靴下に覆われた華奢な足には、やや踵の高い黒い靴を履いていた。


 細い腕には、いかにも女性物らしいしなやかな線を描く黒革の鞄。


 決して派手な装いではないが、身に着けている物はどれもなかなか上等なそれのようだった。

 

 その女性の後ろには、連れらしい若い男性の姿がある。


 年は女性と同じか少し上くらいだろう。


 女性程ではないにしろ、この人もあまり顔色が良くなかった。


 顔立ちは整っているが、どこか冷たそうで近寄り難い。


 この男性もそれなりの教育を受けているようで、女性と同じ知的な印象を受けた。


 耳が隠れるくらいの長さの黒髪。


 白い襯衣シャツ、裾に小縁レースをあしらった灰色の胴衣ベスト、胴衣と同じ灰色の洋袴ズボンを身に着け、茶色の革靴を履いている。


 この男性の服と靴も質が良さそうだった。

 

 夫婦、もしくは恋人同士なのだろうが、二人の間にある空気に甘さは全くない。


 お互いにそれどころではないのだろうと、二人の顔色の悪さから何となくそう思っていると、水藤さんが席を立って言った。


「水藤は私です」


 女性は強張っていた表情をいくらか和らげて、水藤さんに歩み寄った。


「ああ、良かった。突然ごめんなさい。広告を見てお家を尋ねたら、こちらだと伺ったので。実は急ぎのお仕事をお願いしたいんです」


 何と、いずれ見せてもらいたいと思っていた水藤さんの仕事の様子を、思いの外早く見せてもらえることになりそうだ。


 俺は見知らぬ女性に感謝しながら、水藤さんの正面の席を女性に譲った。


 女性は軽く会釈して、俺が座っていた椅子に腰を下ろし、その隣に男性が座る。


 俺が水藤さんの隣の席に移ると、水藤さんは再び椅子に腰を落ち着けて、改まった口調で切り出した。


「仕事の依頼ということですけど、お返事をする前にまずお話を聞かせてもらえます? ご依頼の内容によっては、ご希望に添えないこともありますから」

「あ、そうですよね。重ね重ねごめんなさい。私ったら、気が急いてしまって……」


 女性が少し決まり悪そうに言うと、水藤さんは軽く首を横に振った。


「いいんです。こういう商売の人間に仕事を頼みに来る人は、大抵何かしらの厄介事や困り事があるものですし。それより大丈夫ですか? お二人共、随分顔色が悪いですけど」

「お気になさらないで下さい。私の方は只の寝不足ですから」

「珈琲でも頼みますか? ここ、両親の店ですから、ご馳走しますよ」


 俺の申し出に、男性は無言を貫き、女性は軽く頭を振った。


「お気持ちだけ頂いておきます。今は何も喉を通らなくて……ごめんなさい」

「何か、余程のことがあったみたいですね」


 水藤さんの言葉に、女性は小さく頷くと、低い声で言った。


「実は……妹が亡くなったんです」







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