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始まり 2

 俺は気を取り直すと、日傘を開いて歩き始めた彼女の少し後ろを付いて行く。


 結婚もしていない男女が肩を並べて歩くのはあまり感心されることではないので、これくらい距離を置いた方がいいだろう。


 まともに話をするのはこれが初めてで、どうにも緊張するが、顔を付き合わせていないだけいくらか気楽なところもあって、平静を装うのはそれ程難しくなかった。


「申し遅れまして、俺は氷上玲ひがみれいと言います。ご存知の通り、『白姫』の給仕です」


 俺がいつも通りの声でそう言うと、彼女が白い日傘を揺らして俺を振り返った。


水藤雅みずふじみずふじみやびよ。職業は言霊使い」


 世界中のあちこちに言霊信仰があり、言霊使いがいるそうだが、この煌燿こうよう国も例外ではなかった。


 言霊とは言葉に宿る不可思議な力であり、それを使う言霊使いは言葉を発することによって人を操ったり、物質の在り方を変えたりすることができるのだという。


 本来誰でも言霊の力を使うことができると言うが、それなりの修練が必要となるため、実際に言霊を使えるのはごく一部の人々だけだった。

 

 今まで水藤さんと会話らしい会話をしたことはなかったが、以前店の中で連れ相手に言霊を披露しているのを見掛けていたので、彼女が言霊使いであることは知っている。


 言霊使いはその能力から警察や宗教関係の仕事をしていることが多いが、水藤さんの場合はどうなのだろう。


 数日おきの昼に店に来ていながら、制服姿だったことが一度もないことからして、少なくとも警察関係ではなさそうだが。


「警察の方、ではないですよね? お社や寺院の方ですか?」

「どちらでもない、って言うと嘘になるかも知れないわね」


 水藤さんは顔を前に戻して続ける。


「警察には少し前まで勤めてたし、実家はお社だし。でもお社は兄が継いでるから、私は至って個人的に言霊を売って生計を立ててるのよ」


 中には水藤さんのように、どこの組織にも属さずに言霊を売る言霊使いもいるそうだが、一度は警察という組織に身を置きながら、そこを離れた理由は何だろう。


 水藤さんくらいの年なら、結婚退職という線も十分有り得るけれども、只の顔見知り程度であれこれ詮索してはこの先親しくなるきっかけを失いかねないし、今訊くべきことは他にあった。


「個人でお仕事をされているということは、お仕事に関することは全部、水藤さんの一存で決められるんですよね?」

「そう、だけど、それがどうかしたの?」


 訝しげに問い返してきた水藤さんに、俺は改まって切り出した。


「実は、あなたに一つお願いがあるんです。取材させて頂けませんか?」


 思ってもみない申し出だったのだろう。 


 振り返った水藤さんが、まじまじと俺を見て訊いてくる。


「……あなた、実は記者か何かなの?」

「文章を書く仕事ではありますが、ちょっと違いますね。俺、こう見えても小説家なんですよ。筆名は樋に上に零って書いて、『樋上零ひがみれい』です」

 

 小説家と言っても大して売れている訳でもないので、きっと水藤さんにはピンと来ないだろう。


 作家になってまだ数年しか経っていないから、作品自体が少ないし、そもそも水藤さんは本を読まない人かも知れなかった。

 

 きっと白けた反応が返ってくるだろうと思っていたが、意外なことに水藤さんは声を弾ませて言う。


「凄い! あなたの本、読んだことあるわ!」

「え? 本当ですか!?」


 驚いて訊き返すと、水藤さんは小さく頷いた。


「ええ、多分間違いないと思うけど……何て題名だったかしら? 活動弁士が出てくるあれ」


 活動弁士とは、無声の活動写真の内容を解説する話芸者のことだ。


 活動写真の魅力を活かすも殺すも活動弁士次第と言われ、人々は「活動写真を見に行く」ことより、「活動弁士の語りを聞きに行く」ことを楽しみにしている程だった。


 売れっ子活動弁士ともなれば、主演俳優以上の高給取りであると言う。


 俺の作品で、活動弁士が出て来るものと言えば一つしかなかった。


「『活動弁士、和泉一心いずみいっしん』ですね」

「そうそう! それ! 活動写真は好きでちょくちょく見に行くけど、あんまり身近な仕事じゃないから、活動弁士の仕事の裏側がいろいろわかって楽しかったわ。主人公の弁士が工夫と努力を重ねてどんどん成長して、前座だけじゃなくて本編を語らせてもらえるようになっていくところが爽快だったし、人気が出てくるにつれて複雑になってくる女性との恋愛模様も面白かったし……私には話芸の才能なんてないけど、そういう才能があってたくさんの人を楽しませることの喜びとか誇らしさとか、もっと上手くなりたいっていうひたむきな気持ちとか、そういうものがとてもよく伝わってきて、本当に最後まで飽きずに読めたの。最近読んだ中で、あなたの本が一番面白かったわ」


 作家としてはやはり自分が書いた作品を「面白い」と言ってもらえることが一番嬉しいが、憧れの女性がこんなに言葉を尽くして俺の作品の良さを語ってくれるなんて、感動し過ぎて泣きそうだ。


 慌てて水藤さんから顔を背けた俺が、涙がこぼれ落ちないように瞬きの回数を増やしていると、水藤さんが続ける。


「まさか、あの本を書いた人がこんな近くにいたなんて思わなかったわ。小説家に直に会って、本の感想を言ったのなんて初めてよ」


 どうにか涙を零さずに済んでもまだ目の赤さが残っている気がして、俺は水藤さんに顔を向けることができずに俯いた。


 まだ気持ちが少し昂ぶっていて、声が震えてしまわないように気を付けて言う。


「……俺も、家族や友達以外の人からこんな風に感想をもらったのは初めてです。有名どころならともかく、俺みたいな無名同然の作家の本を読んでるなんて、きっと読書家なんですね」

「本が好きなのは確かにあなたの言う通りだけど、作家が有名か無名かなんて、私にとってはどうでもいいことよ。題名を見て、何となく面白そうだと思ったから、私はあなたの本を手に取ったの。そうしたら本当に面白かったから、これは当たりだなって思えて嬉しかったわ。読んだことのない作家の本を読む時には勿論外れを引くこともあるけど、外れを引くのが嫌だから有名どころしか読まないなんて、そんなのつまらないもの。どんなに有名な作家だって、凡作や駄作を書くことはあるし、逆に無名な作家でも面白い本を書いてる人はいるんだから、作家の名前に拘って面白い本と出会う機会を狭めるなんて勿体無いでしょ? あなただって今はまだ知ってる人が少ないかも知れないけど、これから凄く有名な作家になるかも知れないんだし」

「この先売れっ子作家になれるかどうかはわかりませんが、あの本は結構評判が良くて、続編を書かせてもらえることになったんですよ」


 やっと顔を上げた俺が少しだけ誇らしい気持ちでそう言うと、水藤さんがぱっと顔を輝かせた。


「まあ! じゃあ、続きが読めるのね! 楽しみだわ!」






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