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第51話 老木の願いごと―1



 セプトールの声を合図にぬっと現れたのは、擦りきれたネズミ色の胴衣をまとった老人であった。


「……?」


 首筋が妙な気配に粟立つのを感じ、エッドは眉をひそめる。

 まるで階段を軋ませて上がってきたのは、この男ひとりではないかのような――


「おおう、少年。この老いぼれは、時間を間違えたかね? 歓談の席に呼ばれた覚えはないんじゃが」

「いいんだ、ボジルさん。さあ、どうぞ掛けて。あなたの好物の、キマイラ揚げを頼んでいます」

「ふうむ……。そういうことなら」


 隣の席から椅子を引き寄せ、ボジル老は静かに腰を下ろした。


 枯れ木がそのまま足を持ったかのような印象の男で、邪悪な気配はしない。

 若者たちの顔をゆっくりと見回し、黒スグリのような瞳をしぱしぱと瞬かせる。しかし相変わらず奇妙な別の視線を感じているエッドは、警戒を解かずに老人を見つめた。


「この人は、魔法術師のボジルさん。流しの術師だからあまり町に長く滞在しないんだけど、兄貴たちに会ってほしくて少し引き止めてたんだ」

「いや、わしこそ少年には楽しませてもろうたよ。こんな老いぼれの冒険譚を熱心に聴いてくれるもんじゃから、ついつい日が経ってしもうた」


 ボジルはまるで孫を見るような眼差しをセプトールに向け、胴衣と同じ色の豊かなヒゲを撫でた。


「魔法術師……。そうか」


 老人の正体を耳にしたエッドは、やっと先ほどから感じている視線の持ち主を知る――魔法術師は、契約を結んだ精霊を連れていることが多いのだ。


「それに、いやはや。こんなに奇妙奇天烈な一団にお目にかかるとは思わぬて。長生きしてみるもんじゃのう。少年よ……一座とはいかぬが、物見小屋ならすぐにはじめられるんじゃないかね?」


 驚きと好奇心、そしてわずかな警戒に老人の目が細くなる。

 その主たる対象が自分であることを感じ、エッドは不敵に笑んだ。


「――いい考えだ。ちょうど、旅費のあてになるものがないか考えてたからな」

「ふぉっふぉ! すまん、すまん。怖い顔をするでない、“黄昏を往くもの”よ」


 枝のような指先を擦りあわせ、ボジルはエッドに笑いかける。

 今度は試すような笑みではなく、たんに若者たちを愛でる老人のそれに見えた。


「わしは見たとおり、ただの流れ者じゃ。国も家族も持たず、ただ知識という果実を求めて彷徨う渡り鳥よ。主らの事情を、深く詮索したりはせぬ」

「……そうしてくれると助かる」

「ボジルさん。あの高級宿での話をしてくれるかい?」


 老人の好物らしい一皿が到着したのを合図に、セプトールはそう促した。

 湯気をあげる捻れた黒い肉塊はなかなかの迫力だったが、それを豪快に引き裂きながらボジルはうなずく。


「うむ。あの勇者の青年――ラインベロじゃったかな、えらく気取った名前の――に、街頭で声をかけられたんじゃよ。呪いで苦しんでいる仲間がいるから、診てもらえないだろうかとな」

「あ、あいつ!」


 むっとした顔で言葉を挟もうとしたアレイアを手で制し、エッドは小さく頭をふった。気まぐれ者が多い魔法術師の語りを遮るのは、得策ではない。


「案内された豪華な部屋にひとり座っておったのは、美しい聖術師ホーリアンじゃった。ぬう……ふん? おお、それは。いい子じゃから、可愛い牙をしまっておくれ」

「なんだ?」


 宙を見つめて独り言をはじめた術師に面食らったエッドだったが、すぐに記憶に同じ光景があることを思い出す。


「……精霊と話しているのでしょう。ニータも、時折そういうことがありましたね」


 壁と一体になりながら呟いたのは、異なる分野に身を置く術師であった。


「そうだったな。相変わらず、さっぱり視えないけど」

「あんたたち視えないの? あたしには、ぼんやりと視えるよ。でもなんだか……こっちを警戒してるみたい」


 不安そうに言ったアレイアに、老人は揚げ物を口に放り込みながら笑んだ。


「これは失敬。精霊というのは魔法術師にとって切り札でもあるし、皆恥ずかしがり屋での。そんな“イズ”が教えてくれたのじゃが……お主ら、妖精を連れておるのか?」

「ああ。ポロク――散歩から戻ってきてるなら、出てきてくれ」


 きょろきょろと辺りを見回したエッドに、頭上から涼やかな声が降ってくる。


『どこを見てるんですの。ここに居ましてよ』

「うわ! いつの間に」


 赤毛の上に遠慮なく腰をおろしている妖精は、威厳を見せつけるように長い足を組み替えて言った。


『そこのおチビさんが、熱心に呼びかけるものですから。潮風は羽根に良くありませんし、わたくしもお食事に参加させていただいてもよろしくて?』

「おお、おお……! もちろんですとも、“木陰の賢者”どの。お会いできて、光栄の至りですじゃ」


 感激しながらそう言った老人は、階下に向かって意外なほどしっかりとした声を響かせる。


「マダム! 至急、砂糖水を一杯用意してくれんか。蜂蜜漬けの果物に、あれば刻みれんげのケーキも」

「はいはい。甘いものも大概にしないと長生きできないわよぉ、おじいちゃん」


 くすくすと可笑しそうに言った女店主は、注文を実行しに店の奥へと消える。

 向き直ったボジルの顔はまるで少年のように輝いており、エッドを驚かせた。


「そんなに珍しいのか、ポロクって」

「花から生まれ落ちた生粋の“妖精”は、今ではもう稀少なのじゃよ。さらにこのお方は、人間には決して歩めぬ時を渡る存在……。ありがたや、ありがたや」

「そうか。ありがたや、ポロクさま」

『よく分かってないのに指を組むのは止めなさいな、気持ち悪い』


 鬱陶しそうに手をふり、ポロクはテーブルへと舞い降りる。

 緑色の淡い光は薄暗い店内では目立つように思えたが、注文を運んできた店主には視えていないようだった。


「風と光の導きに、感謝を……」


 砂糖水を妖精の前に供物のごとくそっと置き、老人はもう一度感謝の印を宙に切ってささやく。


「これほどのお方が同行されておるんじゃ。お主たちの旅に大義があろうことは、疑いようもなくなった。もう一度、わしが知りうる全てを語ろうぞ」

「ああ、頼む」

 

 指を軋ませて解くと、ボジルは顔を揃えた奇妙な一団を見回して語りはじめた。


「――部屋におった聖術師は、たしかに呪われておった。精霊を敬う傾向にある彼女らじゃが、イズを視てもぼんやりとしているだけ。この地方に見合った服を着ておったが、生来の気質とは合わんのじゃろう。聖気が萎えておったわ」


 老人の報告に、エッドは眉を吊り上げる。すかさず補足を挟んだのはセプトールだ。


「この暑さだ、ずっとディナスの分厚い胴衣ってわけにはいかないよ。着替えは例の女中がやってたから、ご心配なく」

「服なんかで、彼女の聖気に影響が出たりするのか?」

「そりゃ出るよ!」


 ずいっと身を乗り出したのは、若き闇術師である。


「術師にとっても乙女にとっても、身に着ける服は大事! 好きな服なら魔力の流れが良くなるし、嫌いなら本来の力が出せなかったりするんだから」

「こだわりがあるんだな。……それでも、その暑苦しい胴衣はどうかと思うが」

「……あとで店を物色してきます」


 エッドの指摘に観念したように答えた友は、何杯目とも分からぬ水をコップに注いだ。

 若者たちのお喋りが途切れたのを見たボジルが、ふたたびヒゲを揺らす。


「いいかの? それでわしの所見では、彼女の健康は問題なさそうじゃった。身体のほうは、の。……縛られておるのは、精神じゃな?」

「そうなんだ。とある珍しい契約書で、服従を誓ってる」

「ふうむ」


 そのくぐもった声に、エッドの心はざわついた。

 揚げ物を骨ごと噛み砕き、細い喉に押し通したあと老人は続ける。


「あれは良くない……非常に良くないのう。無理矢理署名させられたのならともかく、みずからきちんと忠誠を誓っておるとはの。優れた術師のようじゃが、もはやあの娘さんから契約書の力を破るのは不可能じゃろうて」

「やっぱ、そうだよね……」


 褐色の肩を落としたアレイアが、残念そうに呟く。

 その姿をあまり目に入れないようにしながら、エッドは疑問を挟んだ。


「けど、契約書の主はその勇者なんだ。今さら、なんで貴方に診てほしいなんて」

「おお、やはりか。違う者の仕業であるように語っておったが、あのやけに冷たいまなこはもしやと疑っておったよ。なるほど、であれば……」


 苦々しげに目の横のシワを増やし、老人は考えにふけりながら言葉を紡いだ。


「あの手の契約書というのは、“ある程度効く”のがちょうど良いんじゃよ。嫌がる相手に、署名をもって服従を強いる――そうして自我を保ったまま、その者の能力を貪りとるのじゃ。しかし、あの娘は……」

「なんだ?」


 言い淀んだボジルだったが、集まる視線に耐え難くなったのか観念して続けた。



「ううむ。わしの推測であるし、信じ難いが……」

「彼女は――みずから、そう仕向けたのでしょう」



 老術師に変わって意見を披露したのは、注いだばかりの水を早々と飲み干したログレスだった。



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