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第108話 返事をきかせてくれないか―1



「……っは……!」



 あまりの身体の重さに、エッドは鉛が溜まった沼にでも放り込まれたのかと錯覚した。


「エッド――」


 待ちわびた声。

 錆びついた窓枠のように動きの悪い瞼を、やっとのことで押し上げる。


「エッド! 気がついたの!?」

「メリ……エ……っぐ!」


 驚愕に満ちた想い人の顔を認識する頃には、全身が痛みに悲鳴を上げていた。


 ひとりであれば、虫のように地面をのたうちまわっていただろう。しかし依然として頭の下には柔らかい肌の感触があり、視界の半分には見たくてたまらなかった美しい顔が映っている――あまり無様を晒すわけにはいかない。


「エッド!? 信じられない……奇跡だよ! “魔力渡し”、上手くいったんだ!」

「ア……レイア……」


 エッドの足元に屈み込んでいる“宝石犬鬼”の少女は、歓喜に目を潤ませている。

 その隣にいる師――そして友である闇術師の手が、自分の肩に置かれていることをエッドはやっと認識した。


「ログ……」

「……。“上手くいった”感覚は、ありませんでしたが……?」

「や……めろ。魔力……もう、使うな……」


 エッドの忠告に、友は紅い目を非難するように細める。


「人のことを言えた身ですか……。それに正規の手順と設備なしで行う“魔力渡し”など、微々たるものにしかならないことは分かっています」

「な、ら……」


 エッドの擦り切れた服に皺が寄るほど強く握りこんでいるログレスの手は、かすかに震えている。やっとこちらが聞き取れる程度の声が降ってきた。


「末期の言葉を交わす手助けになることも……迷惑だと?」

「……すま、ん……」


 エッドは弱々しく笑った――おそらく友はもう、自分の状態を正確に把握している。その上で、枯渇しかけている己の魔力を分けてくれたのだろう。


 だとしたら、一秒とて無駄にするわけにはいかない。


「メル……」

「はい、エッド。聞こえています」

「彼、は……ジリオは、いったよ……。天界、に……」

「!」


 覗き込んでいる聖術師の顔が驚くと同時に、翠玉の瞳が煌めく。


「ありがとう……」


 誰かが近くの灯りを点け直してくれたらしい。不安定に揺れるエッドの視界の中で、星空を背にした彼女の顔はやけに鮮明に映った。


「ありがとうございます、エッドっ……!」

「ほかの……ひとたちに、も……会って……」

「――エッド」


 語りたいことは山ほどあったが、メリエールのその声にエッドはすべてを呑み込んだ。



「……いかないで、ください……」



 頼りない、子供のような声。

 しかし今回ばかりは、安請け合いも強がりもできない。


「メル……」


 うなだれている彼女の絹のような髪を指先で――魔力が足りないからだろう、義手は持ち上げることすら不可能だった――すくい、エッドは弱々しく微笑んだ。

 相変わらず、ぴりぴりとした聖気が亡者の指を刺す。


 先ほどとは打って変わり、萎れた声がエッドの耳に届いた。


「エッド……。あんた、助からないの? こんなにがんばったのに」

「……。さすがに……君の、師匠も……誰にも、“魔力重枯渇(これ)”は、どうしようも、ない……。気に、するな」


 魔物まじりの少女の双眸が、カッと金色に光る。小麦色の眉を限界まで吊り上げ、アレイアは前のめりになって言った。


「気にするなだって!? するよ、そんなの! ログレス、あたしの魔力も――っ!」


 腕輪を打ち鳴らして伸びてきた弟子の手を掴んだのは、彼女の師だ。


「許可しかねます」

「なんで!」

「……貴女はまだ、“魔力渡し”の管理法を学んでいません。亡者の魔力に引き込まれる可能性が高い」

「そんなの、やってみなきゃ――!」

「少なくとも」


 大きな声ではなかった。しかし師の紅い瞳が静かに燃えているのを見、アレイアは押し込み続けていた手をぴたりと止める。


「荒野にある魔力をすべて足しても……この男を救うことは、もう不可能です」


 ぎりと歯を食いしばる音を、亡者の鋭敏な耳だけが捉える。

 その後に、脅すような低い声が続いた。



「……それとも、僕に――友ばかりか、弟子まで見送れと言うのですか?」

「っ!」



 その言葉に、アレイアは悔しそうに頭をふった。三つ編みが力なく下がるのを見、エッドはいつものようにその小麦色の頭をぽんぽんと撫でてやりたい衝動に駆られる。

 しかし今やその距離は、超えてきた海よりも遠くに感じた。


「ぐ、うぁ……っ!」

「エッド! そんな……!」


 黙っていると、身体を巡る痛みだけを意識してしまう。

 

 けれどこの痛みは――自分が最後に抗っているという証なのだ。

 この灰色の身体を巡る血はないが、たしかにまだ魂が――命がある。


「はぁっ……!」


 最後の最後にその姿かたちをはっきりと感じ、エッドは心の底から安堵した。


 同時に――その輝きがついに消え失せようとしていることにも、気付かざるを得ない。

 

「アレ、イア……。きいて、るか」

「!」


 掠れた声で呼ぶと、同じく耳の良い少女はぱっと顔を上げる。土埃にまみれた服を握り、こちらを見つめた。


「うん。聞こえてるよ、エッド」

「君の……さみしがり、な……お師匠さま、を……たのんだ、ぞ……」


 大粒の涙をこぼす少女を見上げ、エッドはこれが自分の“遺言”となるのだろうかとぼんやり考えた。


「うん……。うん、わかった……わかったよっ……!」

「それ、から……。もっと、自信を、もて……。君は、いい術師、だ……」

「……っ!」


 もちろん推敲している時間などなかった――しかし仲間たちの顔を見れば、伝えたい言葉が勝手に喉を駆け上がってくる。


「ログ……」


 泣きじゃくる弟子のとなりでこちらを見下ろす友に、エッドはかすむ目を向ける。


「“ひとり”に、なるなよ……。いつも……だれかと、いろ……」

「……っ、貴方以外に、どこにそんな“物好き”がいると――!」


 肩の上で強く握られた拳。その上に、横から小さな褐色の手が重ねられる。


「ここにいるよ、大丈夫。絶対、あんたをひとりにしないから」

「……」


 骨ばった手の震えが徐々に収まっていくのを感じ、エッドは静かな笑みを浮かべた。


「はは……たのも、しいな……」


 あとは、最後の願いを乞うだけだ。


「……メル」

「いやです」


 その願いを口にする前に頑とした声が落ち、エッドは重い瞼を瞬かせた。


「“必ず戻る”――あなたは、たしかに約束を果たしたわ」


 広大な夜空を背に、どの星よりも明るい翠玉の光が自分を見下ろしている。



「でも……こんな物語の結末、私はいやです」



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