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母に恋人  作者: 玉城毬
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父と母と私

 私は母子家庭で育った。

 未婚で、シングルマザーとなった母。

 私が産まれる前に死んだ父の話、母によくせがんだし、たくさん聞かせてもらった。


 父の立花仁美と母の野村美桜子は同じ職場で、35歳と30歳の頃交際が始まったらしい。

 二人とも適齢期過ぎて、仕事にやりがいを感じていたそう。

 とある休日、海辺で偶然出くわし、世間話程度のつもりだったが、予想以上に意気投合し、長い時間一緒に過ごした。

 恋人になったが、職場では同僚としてふるまっていた。

 父の家が厄介だったため、結婚せずその関係を続けていた。

 父が40歳の時、不幸にも急病で帰らぬ人となってしまった。

 交際を公にしていなかったため、母は臨終にも葬儀にも立ち会わなかった。

 父の死から一月経った頃、母は懐妊したことに気づいた。

 母は自分で産み育てる決意をし、早期に退職して母の実家に身を寄せた。

 母が35歳の時、私が産まれた。

 私の名前「藍」は、父が好きな色だったことから、母が付けてくれた。

 母の両親と4人で暮らしていたが、二人とも高齢だったため、私の小学校入学前に二人とも他界した。

 

 そんな感じで、母と子の二人きりの生活を長く続けてきた。

 母は私を生きがいとして、懸命に働いて育ててくれた。

 私は奨学金を利用して進学し、就職した。

 母に支えられ、自分でもがんばり、希望した進路を選択できてきたことは大変誇らしく、感謝でいっぱいだ。

 だが、就職三年目で仕事や大人社会に慣れてきた25歳の頃から、自我・自立の心が芽生えてきた。

「お母さんも急に働けなくなるかもしれないから、藍もお仕事がんばってね」

「奨学金の返済があるから、ローンは組まない方がいいわ」

「誰かいい感じの人、いないの?」

「結婚するなら家事もできるようにならないとね」

 毎日ではなかったけど、なにかと「私のため」に言ってくる母の存在が、うるさく感じるようになってきた。

 今までは、生きるために必死に身を寄せ合ってきた。

 かけがえのない母を誇りに思えていたし、私もそれに恥じたくないとがんばってきた。

 だけど、社会人生活に慣れてきた今は、母と二人きりの生活が息苦しくなり、自分を責める日が続いた。

 ある日、友達に相談してみた。

「え、今更?

 全然普通だよ!

 二人とも、いい大人だし」

 は~~、と私は安堵の息をついた。

「ずっと悩んでたの……。

 私のためにいろいろしてきてくれたし、私が働くようになって今度はお母さんが還暦だから、逆に私が支えていかなきゃなのかなぁって……」

「まぁ、それができるなら理想的だよね。

 心配なのは、後悔しないかってこと。

 お母さんと藍の人生は、別だからさ」

「ーー」

 確かに、考えたことなかったかもしれない。

 誰かのために生きるのが当然で、自分のために生きていいなんて……。

 急に、視界が開けた。

 どんな境遇でも、人生は有限で、それぞれ違うものだ。

「相談してよかった!!

 今日は本当にありがとっ」

 その日からの私は、自立への計画を着々と進め、一ヶ月後、家を出た。

 全面的な賛成は得られなかったけど、がんばりなさいと、最終的には送り出してくれた。

 面と向かって言えない気持ちを手紙に託し、後日送った。

 産んで、育ててくれたこと、本当に感謝している。

 社会人になったのをきっかけに、密接な親子関係を改めて、自分の人生を生きてみたいし、母の人生も豊かにしてほしいと思う。 

 これからも続く私達の関係を、ゆるく長く続けていくために。

 一人暮らしが始まって一ヶ月、母からの返事が届いた。

「思っていることをしっかりと伝えてくれてありがとう。

 お母さんも藍のことを生きがいにして、しすぎて、自分で生きていくのを忘れていたよ。

 藍のこれからを祝福して。

 そして、お母さんも自立した熟年女性を目指して!

 追伸 人生 山あり 谷あり」

 いわゆる親離れ子離れの始まり、私達はいい感じで始まれた気がした。

 25歳の自立。

 そして、早くも10年。

 手探りで始めた一人暮らしがスタンダードになり、仕事に、趣味に、友人に、自由な社会人生活を送っていた。

 異性交際の時期もあったが、それほどは続かなかった。

 母とはあれから、たまに通い合う文通相手となった。

 いがみ合う母子分離ではなかったけど、お互いにちょっと気が強いのか直接は話さず、文で交流していた。

 古典的なコミュニケーションが、いい距離感だったのかもしれない。

 35歳、一人のお正月。

 希少な年賀状のなかに、母からのものも入っていた。

 そういえば、去年は手紙書なかったな……。

 母もきっと、熱中するなにかが見つかったのだろう。

 そう思って楽しみに手に取った年賀状は、写真つきだった。

 そこには4人の家族が写っていた。

 住所と、田中和男、翔太、伊央、そして私の母である、野村美桜子。

「転居しました 遊びに来てね」

 その一言が添えられていた。

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