006 僕、オオカミになっても知らないから。
『やまむら』に到着した僕たちはお店の前に立った。暖簾はまだ出ていなかったが、入り口の引き戸の扉の鍵は開いていた。中に入ると照明がついており、準備の途中で人が消えたかのように、まな板の上に包丁や食材が置かれたままだった。
静まり返った店内に二人で入り込む。何だかおかしな気分だ。カウンターの中に入り込んで二人でお寿司作りをした。奈菜さんは桶から酢飯を取って握り、ネタをのせる。
「奈菜さん、上手い!まるでプロの職人さんみたいだ」
「ふふっ。そんなことを言われると調子にのっちゃうじゃない」
「僕にも教えてくれないかな」
「うーん、いいよ。米粒がつかないように手に軽く水を付けて」
僕は奈菜さんの指示に従った。
「次は右手の人差し指で酢飯を軽くとって、左手の平にのせて形を整える。そう、そんな感じだけど、左手をもう少し閉じで、箱を作る感じで・・・」
横に並ぶ奈菜さんの白い手がスッと伸びてきて、僕の左手を握った。透き通るようなきれいな手に思わず見惚れる。
「そう、そう。良い感じだね。ネタをのせて右指の人差し指と中指で軽く押す感じなんだけど」
奈菜さんの長い指がマグロの大トロをつまんで僕の左手のシャリの上にのせてくれる。そのまま二本の指を僕の手の上に揃える。
「そう、私の指ごと、ネタを潰さないように軽く握ってみて」
僕は奈菜さんの指を包み込むように握った。寿司作りとはいえ、女の子の手を握るなんて初めての体験だ。奈菜さんの体が直ぐ横にある。ドキッとする距離だ。僕がこんな美しい女性と共同作業をするなんて、思いもよらなかった。
楽しい。お寿司作りがこんなに楽しいなんて。ネタはタップリとある。僕たちは調子に乗って寿司を作り続けた。四、五人用の大きな寿司桶がいっぱいになっていく。
「奈菜さん。作り過ぎじゃない」
「ふふっ。そうだね」
「二人じゃ食べきれないかも」
「だねぇ」
二人で厨房で顔を見合わせて笑いあった。
「食べよっか」
「うん。僕、お茶を入れるよ」
僕たちは大きな寿司桶とお茶を持って、店内の個室に入った。障子戸を開くと渋谷の街が見える。夏休みのお昼時。人っ子一人いない。二人っきりの空間で、一貫、二千円の寿司ネタを堪能する。
「おっ、美味しい。どれもこれも美味しい」
「これっ。学くんが握ったのだね」
奈菜さんは僕が握った形の悪いお寿司を口に入れた。
「ふふっ。美味しい」
満面の笑みを向けてくれる。
「こっちは最後の方に握ったやつだね。うん、上達している」
そう言って、奈菜さんは次々にお寿司を小さな口に入れる。モゴモゴ動くあごを見つめてしまう。女の子が楽しそうに食事する姿はちょっぴりエロい。
「絶品だね。学くんって上達するのが早いね」
ほのぼのとした会話。この時間がいつまでも続けばいいのに。僕はお寿司と一緒に幸せを噛み締めた。二人で四、五人分食べるとさすがにお腹が一杯になってくる。
「食べちゃったね」
「うん。美味しかった」
「これからどうしょっか」
「制服を汚しちゃったし、汗もかいたからシャワーが浴びたい」
「えっ」
僕は思わず、奈菜さんのアイスクリームのシミのついた制服の胸の所を見つめてしまう。制服を押し上げる胸のふくらみを意識せずにはいられない。
「恥ずかしいからあんまり見ないでよ」
奈菜さんが頬を膨らまして顔を赤らめた。可愛い。可愛すぎる。
「ご、ごめん・・・」
顔が熱い。きっと奈菜さんが見た僕の顔は真っ赤だ。思わずうつむく。
「このビルってホテルがあったよね。ちょっと部屋を借りて休もうか」
「えっ」
奈菜さん!大胆過ぎませんか。二人っきりですよ!僕、オオカミになっても知らないから。