物語は事実よりも奇なり
その日、俺は軽い残業を終えて、帰宅する途中であった。
駅まで行く途中、雨が降り出したんで、雨宿りするためにコンビニに立ち寄ったんだ。
今週はずっと晴れって言ってたのにさ。あの美人気象予報士に裏切られた気持ちでいっぱいだったよ。
それでビニール傘を買うか、止むのを待つか悩みに悩んで、結局俺は週刊誌を立ち読みすることにした。
週間ナロウの丁度半分を読み終えても、まだ止まない雨が降る外をガラス越しに見たその時、俺の目に飛び込んできたのは、全力疾走する若い女だった。
そして次の瞬間マンホールで滑ったのか、豪快に転んだんだ。
パンツ丸見えでさ、一瞬ラッキーなんて思ったけど、様子がどうもおかしかった。
彼女のあとから、全身黒づくめの男たちが四人。そして、すっ転んだ彼女を取り囲んだ。
ずぶ濡れの女を取り囲む四人の黒服……この構図がどうもおかしいと、俺の第六感が警鐘を鳴らしていた。
俺は週間ナロウを棚に戻して、傘もささずに、コンビニを出る。今は気にしている場合ではない。
気がつけば黒服の男は、懐から黒い鉄の特殊警棒を握っている。
俺は男を後ろから突き飛ばした。不意を突かれて、ガードレールの外に転がる黒服の一人。
「ーーー」
何語か判らないイントネーションの言語で、黒服たちは俺に罵声を浴びせる。
俺は女の手を掴んで、全速力で逃げようと試みた。
途中、黒服が出した特殊警棒の一撃が俺の首をかすめる。間一髪でかわしたが、首に鈍い痛みが走った。
もしも避け切れなかったら……俺の喉は潰れていた。本気で俺を殺す気だ。
「走るぞ」
女に言うと彼女は頷く。
捕まったら殺される。俺は女を連れて走った。走って、走って、走りまくった。兎に角、逃げて、逃げて、逃げまくった。
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何時間走ったのか、今ははたして深夜なのだろうか? とっくに撒いたはずなのに、恐怖で走る足を止められなかった。
そしてたどり着いたコインランドリー。俺たちはやっと一息ついた。乾かそうにも着替えがない。
「ありがとう。助かった。あなた名前は?」
「俺の名前はKとでも呼んでくれ。きみ、どうしてあんな奴等に追われていたの?」
ホットコーヒーを啜りながら、女は口を開く。
「あら。イニシャルしか教えてくれないの? まあいいわ。こんなこと言っても、信じてもらえないんだろうけど……」
俺は息を飲んで女の次の言葉を待った。
「私の名はHとでも呼んで。あなたの真似よ。私は今から三百年後の未来から来たアンドロイド。世界の終末を防ぐために来たの」
雨は未だ降り止まない。
雨音はこんなにも五月蠅いのに、彼女の声は明瞭で、聞き間違えではないようだった。
絶句する俺。真実なのかもしれない。しかしこれを信じてしまったら、俺のこれまでの常識や諸々が崩壊してしまう。
「そして彼等は世界の敵」
この女、Hは、可愛らしい顔をして、残念な頭の持ち主だ……それが二十一世紀を生きる俺の見解だった。
「この時代に頼れる者は誰もいないの。お願い。力を貸して」
悪いけど……と俺が言いかけたその時、Hは床に倒れた。直ぐに抱き起こす俺。額に手を当てると凄い熱だ。
救急車を……だが長い間、雨に曝されたケータイ電話は、うんともすんとも言わない。
俺は彼女を抱えたまま、近くの休める場所を探した。
>>>
「すまない。ケータイが壊れてさ、こんな場所でしかきみを休ませてあげられなかったんだ」
ラブホテルのベッドに横たわる下着姿のH。服はハンガーに掛けて乾かしている。急に倒れるんだもんな。
「ケータイ? 貸してみて。直してあげる」
Hは『自分のせいだから』と付け加えると、俺の手から動かなくなったケータイを奪う。
そして、彼女の手が七色に光ると共に、ケータイのディスプレイが発光する。
「はい、お終い。それが壊れる前の時間に戻したの」
「本当に今ので直したのかよ」
彼女は俺のケータイのカメラ機能で、自分を撮って、俺に見せた。液晶には下着姿のH。
「ねっ? 直ってるでしょ?」
彼女は微笑んだ。アンドロイドってのは、信じてやらない。何故なら、彼女はこんな良い顔で笑うから。
「ケータイって、三百年も前からあったんだね」
そう言って不思議そうな顔するから、Hの時代にもあるのか? って聞くと、彼女は自分の携帯を出した。俺のと、そう対して変わらない。
「最初は指輪の形になったり、体内に埋め込む形になったんだけど、結局需要がなかったんだと思う」
またどんな端末にもメールが送れるそうなので、俺は自分のメアドをHに教えた。
それから俺と彼女は、ずっとそれぞれの時代のこと、自分の価値観のこと、家族のこと……兎に角なんでも語りあった。
気がつけば眠っていた。
ケータイのアラームで目を覚ます、夢うつつの俺。彼女は既にいない。枕元には俺のケータイ電話。メール受信フォルダ、未読一件。
『やはり貴方を巻込むわけにはいかない。 K、貴方と話せて楽しかったよ』
>>>
そして俺は退屈な日常に戻った。
Hのことは忘れない。忘れたくない。そう思っていたのに、平穏という緩やかなさざ波が、どんどんと砂の城を壊していく。いつか彼女の顔も、名前も、出会ったことさえも、無かったことになってしまいそうで、怖かった。
そんなある日、その日も雨だった。
『お願い直ぐにきて。あのラブホテルで待ってる』
Hからのメール。
俺は仕事中にも関わらず、会社を飛び出した。きっとこれは緊急事態だ。
『H、直ぐ行くよ。まってて』
あの時より、早かっただろうか? そうか俺は……未来を守りたい。世界を守りたいんだ。
疲れても走った。転んでも立ち上がった。
走馬灯のように繋がれる記憶と記憶。
やがてホテルが見えてきて、ホテルの前で俺を待つ彼女が見えてきて、俺は息を切らしながら、彼女の直ぐそばに駆け寄り、大声で言った。
「俺も世界を救う」
「思い出したのね勇者K。貴方の記憶は封印されていたの」
喜びに涙を流すH。いや勇者KのパートナーアンドロイドH。
「ごめんね、この時代で幸せそうに暮らすあなたには言えなかった。ごめんね。ごめんね」
彼女は俺の前でおいおいと泣きわめく。本当にすまなかった。
そう彼女は、黒服たちの罠にかかり、この時代にほっぽり出された俺を探しに、時空を超えてきたのだ。
つまり世界を救いに来たのだ。
>>>
……ってことなんだ。
なあ、判ってくれたか?
アケミ、これは浮気じゃないんだ。
だから、この首にあるアザだってさっき言っただろ? 首に黒服の特殊警棒がかすったって。これはキスマークなんかじゃあーりーまーせーん。
ラブホで下着姿の女の写真?
仕方ないだろ。倒れた彼女を休ませる場所無かったんだから。壊れたケータイ直ったか試しに、一枚撮っただけ。
服? 乾かしてたんだって。
メール? そ、そりゃさ……
『お願い直ぐにきて。あのラブホテルで待ってる』
『H、直ぐ行くよ。まってて』
つったら、疑うのも当然だけど、他に説明のしようがないだろ?
なあ……浮気じゃないって。
俺は勇者Kなの。ゆーうーしゃーけーい。
って言うかさ、人のケータイ勝手に見るなよな。