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その日は朝から雨が降っていた。
今日は金曜日だけれど、彼は来るだろうか。
雨はますますひどくなって来る。
(今日は無理かも。こんな日に本を借りたりしたら持って帰るのも大変だし)
雨の日の本は、湿気を吸っているせいか、いつもよりもひんやりと重く感じる。
佑香はそんな本を、ひとつひとつ棚に戻し並べていた。
今手に持っているのは、先日入ってきた新書である。
(この絵本好きだなあ、絵と文章がすごくマッチしてて。中山さんはどう思うかな)
今まで借りていた本から、彼の好みはなんとなく分かっているつもりだった。
この絵本はきっと彼も気に入ってくれるのではないかと、そんな事を考えていた。
「こんにちは、今日はカウンターじゃないんですね」
「えっ……あ、きゃっ!」
突然後ろから声を掛けられ、佑香は思わず驚いて本を床に落としてしまった。
「あ、すみません! 僕が突然声を掛けたりしたから」
その声の主を見て、佑香は更に驚いた。
声を掛けてきたのは、彼だった。
てっきり今日はもう来ないと思っていたのに……
「い、いえ! 大丈夫です、すみません!」
二人は慌てて本を拾おうと同時にしゃがみ込んで『ごつん!』とお互いの頭をぶつけてしまった。
「いたた……す、すみません、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です……こちらこそごめんなさい」
二人はくらくらとしながらまた謝りあった。
「ご迷惑をお掛けしました。私、普段から本当にドジで……」
「あはは、じゃあ僕と一緒だ」
「そうなんですか?」
「はい、今みたいによく頭をぶつけたりとかね」
なるほど、この長身ならそれは有り得る。
彼はまだ床に置かれたままになっている絵本に目を落とした。
「あれ、この本……」
「あ、これ。先日入ったばかりの新書なんですよ。私のおススメなんです」
「え?」
彼は妙な反応をした。
自分は何か変な事を言ってしまったのだろうか。
佑香は少し不安になった。
「おススメ……ですか。どのあたりが良かったですか」
彼は急にそんな質問をぶつけてきた。
佑香は訳が分からなかったが、正直な感想を彼に伝えようと思った。
「ええと、もちろん素敵なお話なんですけど、文章とイラストがしっかりリンクしてる所が……イラストだけでもストーリーがちゃんと理解できるような、そんな感じがしました」
「イラストだけでも、内容が伝わったって事?」
「ええ。低年齢向けでもないから文字数もそれなりに多いのに。それに、イラストも温かくて優しいパステル調で、すごく素敵ですよね」
そう言いながら、佑香は彼に向かって笑いかけていた。
ふと見ると、彼の顔が真っ赤になっている。
「あの、どうかしたんですか? もしかして私何か変な事を言いましたか?」
「いや、全然そんな事はないんです。むしろ……その、ありがとう」
「は……?」
全く話が読めない佑香に、彼は絵本の作者名の『絵』の方を指差した。
佑香は促されるままにその名前を読み上げた。
「『なかやま……そうや』って……え、えええ!?」
「良かった、名前覚えていてくれたんですね。この絵本のイラスト、僕が描かせて頂いたものなんです」
彼は顔を赤らめたまま、照れ笑いをしていた。
佑香は心底驚いていた。
自分が心惹かれたイラストを描いた本人が、今まさに目の前にいる。
しかも、それは自分が淡い恋心を抱いている相手だった。
「そ、そうだったんですね。ひらがな表記だったから気づかなかった……」
「いえ、生の感想を聞けて本当に良かったです。こんなに褒めてもらえると思ってなかったから、すごく嬉しかった。正直内心ドキドキでしたよ」
「でも、本当の感想ですから」
それを聞いた彼の顔が更に赤くなった。
(あ、可愛い……耳まで真っ赤)
男の人に言う言葉では無いかもしれないけれど、それが正直な感想だった。
佑香の中で、彼のプロフィールが追加された。
職業:イラストレーター
性格:照れ屋さん
「あの、天羽さん?」
突然苗字を呼ばれて、佑香は驚いた。
「え、どうして私の名前……あ、名札? でも振り仮名も無いのによく読めましたね、この苗字。読める人って少ないんですよ」
「いえ、名札を読んだ訳ではなくて……前にそう呼ばれていたのを聞いたから」
「そ、そうなんですか」
いつから自分の名前を覚えてくれていたのだろう。
気になって仕方がなかったが、何となく聞く事ができなかった。
「良かったらこの本、もらって頂けませんか? あ、当然これじゃなくて! 僕の家にあるのを持って来るので、それを」
「え? あ、あの……」
突然の申し出に佑香は困惑した。
こんな夢みたいな事があっていいのだろうか。
「あ……もちろん、ご迷惑なら断って頂いても結構ですから」
「め、め、迷惑だなんて! とんでもない! う、嬉しいです、本当に!」
佑香は慌ててその申し出を受け入れた。
「本当ですか? 良かった。じゃあ、来週また来ますので、その時に」
彼は嬉しそうに笑った後、あっと我に返ったようにこう言った。
「すみません! お仕事の邪魔をしてしまいました」
「い、いえ! 私も夢中になっちゃって」
確かにこんな所を見つかったら、大目玉を食らってしまう。
佑香は慌てて持ち場に戻った。
彼は何度も詫びた後で、いつものように数冊の絵本を借りると、本を庇うようにして雨の中を帰って行った。
よく考えると、彼の肩は少し濡れていたように思う。
しまった、ハンカチくらい差し出すんだったと、佑香は密かに後悔した。




