~13~
「ねえ、天羽さん。やっぱりこれ、全部読んでもらえませんか」
「ええー……結局読むんですか? えっと、全部?」
「はい。他の人に読んでもらうとか、ツールを使って音声出力するとか、確かに簡単な方法はありましたけど……でも、そういうのは嫌だったから。できれば、そうしてもらいたいんです」
彼が真剣に自分の手紙を読もうとしてくれていた事に、佑香は改めて嬉しいと思った。
「他の誰かに読まれるのも嫌だったし、感情のない機械音で聞くのも嫌だった。だから、何とか自力で読もうとしたんですけど……その、ね」
「う、すみません……びっしり長々と書いてしまって」
バツが悪そうな彼と、がっくりとうなだれる佑香。
彼の挫折の原因が、この長すぎた文章だという事は明明白白だった。
「それに、やっぱりあなたの声で僕の中に留めておきたいんです。一度聞いたら、僕は忘れないから」
「でも、また緊張して読み間違えちゃうかもしれませんよ?」
「それもいいじゃないですか。そういう可愛い所も、全部そのまま僕の中に残したいんです。何ていうか……『恋文』というより『声文』かな。僕だけの特権です」
「それ、なんだかずるいです。私も欲しいです、中山さんからの『声文』」
その言葉に、彼は少し何かを考えるような素振りをした。
「そういえば、僕の気持ちは話の流れでしか伝えていませんでしたね。じゃあ、目を瞑って聞いてもらってもいいですか?」
「え……あ、はい」
彼はちらりと店のカウンターへ目をやった。
いつの間にか、マスターの姿がカウンターから消えている。
自分達に気を使っての事だろうと、彼は心中で感謝した。
「言っておきますけど、僕のは短いですよ?」
「……そんなの、分かってます……」
意地悪だなぁ……そう思いながら、佑香は彼に言われるまま素直に目を閉じた。
胸をドキドキとさせながら、その瞬間を待つ。
やがて、囁くような彼の声が佑香の耳に聞こえてきた。
「あなたが好きです。ずっと僕の傍にいてください――佑香さん」
その言葉に心が舞い上がる。
初めて名字ではなく、名前で自分を呼んでくれた。
目を閉じているせいか、彼の声はとても近くに感じられた。
(……え?)
一瞬、唇に何か柔らかいものが触れた気がして、佑香は閉じていた目を開いた。
すぐ目の前に赤くなった彼の顔がある。
「すみません。やっぱりずるいですね、僕は」
少し驚きはしたけれど、ちっとも嫌じゃない。
佑香はにっこり笑って彼に答えを返した。
「……いいえ、嬉しいです。私も……あなたが大好きです。創也さん」
その言葉に、彼は顔をほころばせると、もう一度優しく唇を重ねてきた。
お互いの気持ちは、しっかりと相手に伝わっている。
もう、この手紙は必要ないのではないかと佑香は思った。
「この手紙……まだ読まなくちゃいけませんか?」
「はい、読んでください。途中までは読んでいるので、続きが気になっているんです。やっぱり文才ありますよ、佑香さん」
「そんな事はないと思いますけど。やっぱり恥ずかしいなあ……」
「あ」
突然そんな声を出して、彼は何かを思い出したようだった。
「そうだった。実は僕、お世話になってる出版社さんから絵本を出さないかってオファーがきてるんです。丸々一冊、僕だけの絵本です」
「わあ、本当ですか? すごいじゃありませんか!」
佑香は身を乗り出して、自分の事のように無邪気に喜んだ。
彼はしばらくその様子を満足そうに見ていたが、少し勿体ぶるように話を切り出した。
「そこでなんですけど……佑香さん、僕の代わりに文章を書いてみませんか?」
「え……? わ、私がですか?」
「ええ、是非。本当はイラストだけの絵本に挑戦してみようかと思っていたんですけれど……佑香さんの手紙を読んで、せっかくなら一緒にやってみたいなって思うようになって」
「でも、私なんかがそんな……」
戸惑う佑香の顔を覗き込むと、彼はこう念を押した。
「あれ? 佑香さん、確か僕をサポートしてくれるって言ってませんでしたっけ。早速ですけど、僕をサポートしてください。ね?」
そう言っていたずらっぽく笑う彼に、佑香はもう観念するしかなかった。
「もう……やっぱり何かずるいです、創也さんって」
その言葉とは裏腹に、佑香の顔は嬉しくて仕方がないといった表情をしていた。
*****
やがて、佑香は彼への手紙を声に出して読み始めた。
彼女の澄んだ声が、寂れた喫茶店の静かな空間に優しく響き渡る。
一言一句聞き逃さぬようにと、彼は目を閉じてその声に耳を傾けた。
彼女の自分への淡い想いを。
彼女のその優しい声を。
彼女の全てを、自分の脳裏へしっかりと焼き付ける為に。
彼だけの――彼女からの『声文』を。
~終~




