~12~
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二人は道すがらも佑香のコートを探してみたが、何処にも見当たらないようだった。
そして結局、先ほどの喫茶店まで戻って来てしまった。
カラン カラン カラン
軽快な鈴の音がするとともに、マスターがひょいと顔を出した。
「やあ、やっぱり戻ってこられましたね。これでしょう?」
そう言って笑顔で二人を迎えると、佑香のコートを差し出してくれた。
「あ、やっぱり! ここにあったんですね。ありがとうございます」
「私の目の前で落とされていったんですけど、きっとお二人で戻ってこられるだろうと思って預かっていました」
「そ、そうなんですね。すみません……」
佑香はおずおずと両手を差し出して、マスターからコートを受け取った。
「それとこれ」
次に、マスターは彼に向かって手を差し出した。
その手には小銭が握られていた。
「ダメですよ。おつりはちゃんと受け取って下さい」
「はあ、すみません、ありがとうございます。せっかく出して頂いたコーヒーに口も付けずだったもので……本当に申し訳ありませんでした」
「本当ですよ。せっかく戻られたんです。今入れ直しますから、ちゃんと飲んでいって下さい。どうぞごゆっくり、お二人仲良くね」
二人は顔を見合わせると、クスリと笑った。
どうやら初対面のマスターにまで心配をかけてしまっていたようだ。
その言葉に甘えて、二人はまた席に着いた。
再び香ばしい良い香りが店いっぱいに広がる。
そうやって入れ直してもらった温かいコーヒーは絶品だった。
「あ……美味しい」
「本当だ。こんなに美味しいコーヒーを飲みそびれる所でした」
「素敵なお店ですね、ここ。コーヒーもマスターも、私大好きになりました」
「僕もです。また来ましょう、二人で」
「はい、二人で」
二人は顔を見合わせて嬉しそうに笑った。
「他に何か頼みますか?」
そう言ってメニューに手を触れると、彼は何かに気づいたようだった。
「このメニュー、点字が打ってある」
「え?」
彼は店内を見回した。
さして広くもない店内の通路や座席には、車椅子一つが充分に通れるほどのスペースが設けてある。
床にも段差がなく、障害物になるような余計な物は一切置かれていない。
完全なバリアフリーになっていた。
「気づかれましたか。ここはそういう喫茶店です」
マスターが声をかけてきた。
「以前は普通の作りだったんですけど、いつの間にかそういう人達のたまり場になってね。彼らの居心地の良いよう全面バリアフリーに改装したんですよ」
彼はマスターの顔を窺うように見て言った。
「マスター、僕の事は分かっていらっしゃるんですよね」
「ええ……すみません、少し話が聞こえてしまいました」
「いえ、いいんです。僕は普段この事を隠そうとはしていないので」
「え?」……佑香の中で疑問が浮かんだ。
「じゃあ、どうして? 私には話そうとしてくれなかったんですか?」
「それは――」
彼は少し口ごもった。
「相手が天羽さんだから……好きな人だったからです。本当の事を言ったら敬遠されるんじゃないかと思うと、それが怖くて……あなたにはどうしても言い出せなかったんです」
「……なんだ。じゃあ、私と同じだったんですね」
ほっとしたような佑香の言葉に、彼は少し驚いたように顔をあげた。
「私も、時々あなたがつらそうな顔をするのが気になって仕方がなかったけれど……どうしても聞けませんでした。あなたに嫌われる事が、とても怖かったから」
「そうか、どちらかが口を開いていれば、もっと早く楽になれたのに」
「本当、お互いさまだったんですね」
そんな事を言い合いながら、二人はクスクスと笑った。
あんなに思い悩んでいたのに、お互いの葛藤が無くなった事で、今となっては笑い話にしてしまえる。
「ここも昼間は賑やかな事が多いんですよ。よろしかったら今度覗いてみて下さい。まあ、二人で静かに過ごしたいなら、この時間帯をお勧めしますけどね」
「ありがとうございます。今度は是非お昼にも来てみようと思います」
「ええ、是非……あっと、そうだ!」
マスターは突然思い出したと言わんばかりに、慌ててエプロンのポケットの中に手を入れた。
「すみません、渡しそびれる所でした。これはテーブルの下に落とされていましたよ。大事なものなんでしょう?」
「あ!」
そう言ったマスターの手にあったのは、またしても佑香の手紙だった。
佑香は顔を赤くしながら手紙を受け取った。
「私ったらまた同じドジをして……もう恥ずかしいです」
「だけど、天羽さんのドジのおかげで、僕達は今こうしていられるんですよね」
「そ、そう言ってもらえると、少しは救われますけど……あ」
彼は佑香の手から手紙をスッと抜き取った。
「ちなみにこれは僕のものです。だからこの忘れ物をしたのは僕って事になりますね。大事な手紙を置いて帰るなんて、僕もドジだなあ」
そう言って、手紙をしまおうとしたその手が、ふと止まった。
彼は少し考えてから、もう一度佑香へと手紙を差し出してきた。




