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彼の一連の動作をぼんやりと眺めていた佑香は、店の扉が閉まる音と共にはっと我に返った。
「あ、ちょっと……!」
自分の荷物をかき集めるようにして抱えると、慌てて彼の後を追いかけた。
急いで店を出て彼を探す。
彼はもう随分と先の方にいた。
「ま、待って下さい! 中山さん!」
声をかけるが、彼は振り返りもせず足早に前を歩いていく。
必死に走って、佑香はようやく彼の腕に追い縋った。
「あの……っ、私まだ、お返事を聞かせてもらっていません……!」
彼は思わず立ち止まった。
静かに振り返って佑香の方を見る。
その顔は、信じられないと言ったような表情をしていた。
「私を好きだって言ってくれて、本当に嬉しかった。でも、まだ付き合って頂けるかどうかのお返事を頂いていませんよね?」
「天羽さ……え、何を言って……」
彼にとって、佑香の台詞は全くの予想外だったらしい。
しばらくの間、驚きで固まってしまっていた。
「でも……だって、そんなすぐに答えを出してしまっていいんですか? さっきの僕の話、ちゃんと聞いてくれていましたよね」
「はい、もちろん。ようやく、あなたがつらそうな顔をしていた原因が分かりました」
ずっと気になっていた、たまに見せる彼のあの表情。
知らなかったとはいえ、自分のしてきた事はひどく彼を苦しめていたに違いない。
「私があなたにそんな顔をさせていたんですね。何も考えずに、あなたを追い込むような事ばかりしていたから」
「違う……それは違います。天羽さんのせいではなくて――」
「私、勉強します『ディスレクシア』の事。私が出来る事は何でもサポートします」
その言葉に対して、彼は寂しく冷めた表情をした。
そして、意味深な言葉を口にする。
「そうか、やっぱりあなたも……僕に対する見方が変わりましたよね」
「えっ……?」
「あ、いえ……嬉しいですよ。あなたにそう言ってもらえるのは嬉しいです。でも……」
彼はまた例の表情をして見せた。
「僕だって、自分の事なのにそれを受け入れるまでには何年もかかったんです。いや、それはこの先もずっと葛藤していかなくてはいけない事であって……僕と付き合うというのは、そんな簡単な事じゃないんです。だから――」
彼は声を振り絞るようしてに言った。
「ただ僕を哀れんでいるのなら、どうかやめて下さい」
「そ、そんな、違います! 哀れんでるとかじゃ……」
「だって……あなたは自分がしてきた事に対しての罪滅ぼしをしようとしているのでしょう? だからそれは『同情』であって……『愛情』とは、違いますよ」
その言葉に、佑香は愕然とした。
「……何それ……」
自分でもよく分からない、怒りのような感情がフツフツと込み上げてくる。
『キッ』と彼の顔を睨み付けると、自分から掴んでいた彼の腕を乱暴に振り離した。
「え……あ、天羽さん……?」
訳が分からずに固まってしまっている彼に向かって、佑香は声を荒らげた。
「何ですかそれ! どうしてそんな事を言うんですか! 私はボランティア精神でこんな事言ってるんじゃありません! ただ好きな人の傍にいたいだけなのに……っ! それなのにその言葉は、私に対して失礼極まりないです!!」
そう一気に捲し立てて、はあはあと息を切らしている。
初めて見るそんな佑香に、彼は目をぱちくりさせて驚きを隠せずにいた。
「あ、あの、天羽さん……怒ってるんですか?」
「怒ってます! 当たり前じゃないですか! 私の事を好きだって言っておきながら、その好きな人を信用できないなんて! 何それっ、そんな……そんなの……っ」
佑香の目からボロボロと大粒の涙がこぼれ出す。
彼はそんな佑香をどうするでもなく、ただ茫然と眺めていた。
「どうしてですか……? どうしてそんなに泣くんですか」
ようやく彼から出てきた言葉は、そんなものだった。
「そんなの……悔しいからに決まってます! 悔しくて、悲しくて……どうしようもないから――」
興奮しすぎて、酸欠で頭がぼんやりする。
何だか足下もおぼつかなくなっていた。




