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夏のよく晴れた日の昼下がり。
人々は涼を求めて次々とやって来る。
そこはとある町の小さな図書館。
――彼女が愛してやまないこの世界に、自分の居場所はあるのだろうか――
そんな葛藤を抱きながら、青年は今日も彼女のいるこの城へと足を向けた。
******
ピッ ピッ ……
静寂の漂う中、バーコードの読み取り音だけが鳴り響いている。
仕事をこなしながら、その貸し出しカウンターの中で、司書の天羽佑香はそわそわとしだしていた。
(もうそろそろかな……)
いつも通りならば、今日は彼が本を借りにやって来る日なのである。
彼は毎週金曜日、ぷらりとやって来ては決まって絵本のコーナーへ立ち寄って、数冊の本を借りていく。
年の頃は二十代半ば。
体格はすらりとしていて、身長も百八十センチはあるだろう。
すっとした端正な顔立ちに、漆黒の短髪が印象的だった。
ガ―――……
自動ドアの開く音がした。
目をやった佑香の胸が『どきん』と高鳴った。
(来た!)
隣の返却カウンターに本を置く音が聞こえた後、軽く会釈をしながら自分の目の前を背の高い男性が通り過ぎて行った。
慌てて会釈を返すと、佑香はちらちらと彼の動向を目で追った。
彼はいつものように、脇目も振らず真っ直ぐに絵本コーナーへと歩を進める。
そして数冊の絵本を手に取ると、近くのソファにストンと腰掛けた。
じっくりと絵本に目を通して行く。
それは本を読むというより、絵本そのものを鑑賞しているように見える。
しばらくすると、彼は数冊の本を持って貸し出しカウンターの方へとやってきた。
無言のまま静かに本を置くと、貸し出しカードを佑香へと差し出す。
佑香は自分の心臓がバクバクと鳴るのを感じながら、そのカードを受け取った。
――中山創也――
それが彼の名前だった。
佑香は平静を装いながら、ピッ、ピッ、とバーコードを読み取っていく。
「○月○日までにご返却くださいね」
そう言って彼にカードと絵本を差し出した。
「はい、ありがとうございます」
彼はそれらを受け取りながらにこりと微笑んだ。
少し低めの男らしくて優しい声。
「じゃあ、さようなら」
「はい、さようなら」
たったこれだけの会話でも、佑香は緊張で胸がいっぱいになった。
もしかしたら声が少し上擦っていたかも……
それにしても、どうしていつも絵本ばかりを借りていくのだろう。
自分の子供にでも読んでやるのだろうか。
じゃあ、もう結婚しているのかな……
いらぬ詮索と思いながら、ついそんな事を考えてしまう自分がいた。
*****
初めて彼に出会ったのは三ヶ月ほど前の事だ。
返却された本を棚に戻そうとカートを押していた時、突然声を掛けられた。
「あの、すみません。良かったらその本、もう借りてもいいですか?」
「あ、はい、どうぞ……」
そう言って顔を上げた途端、佑香は彼の笑顔に釘付けとなった。
早い話が、それは一目惚れというものだった。
「それと僕、本を借りるのは今日が初めてで……貸し出しカードを作って頂きたいんですけど」
佑香は、はっと我に返ると、慌てて返答した。
「は、はい、かしこまりました。じゃあ、こちらに記入をお願いします」
すると彼は少し困ったような顔をした。
「申し訳ないんですが、今手を傷めていて……僕の代わりに記入して頂いてもいいですか?」
「あ、そうなんですね。分かりました、もちろんいいですよ」
それを聞いて、彼はほっとした表情を浮かべた。
「ありがとうございます。電話番号は口頭で言いますから、あとはこれで」
彼は身分証明の為の保険証を差し出してきた。
そんな感じで彼の個人情報はすんなり聞き出せた訳だが、メモったりすればそれは犯罪である。
真面目な佑香は、私情は挟まずあくまで仕事に徹した。
記憶力に自信は無いが、少なくとも名前と年齢、大体の住所は暗記できた。
それから彼は、毎週金曜日に佑香のいる図書館へと足を運ぶようになった。
佑香にとっても、金曜日は特別な日となった。
しかしその日以来、彼とはこれと言った会話を交わすこともなく、そのまま数ヶ月が過ぎて行ったのである。