先輩は雇用主
★仇志乃世音
仇志乃家三男。モラトリアムに揺れる、少年以上青年未満。
ちょい悪ヤンチャな言動とは裏腹に、頭の回転が速く、物事の本質を見抜く鑑識眼を持つ。気が短く、結果を急ぐあまりデリカシーに欠けるのが難点。口は悪いが根は照れ屋な熱血漢で、意外と真面目。情に脆い部分もある。
高校生として普通の生活を送りながら、家業の《呪詛返し》を請け負う。
18歳。高校二年生(諸事情により留年中)。183㎝。66㎏。
基本、他人には興味がないが、親しい仲間内では悪ノリ全開。特技は料理。
1.
頬杖を突いて、ぼんやり黒板を眺めていたら、膝に置いたスマホが、震えた。
確認すると、先輩からのラインだ。
ぶっきらぼうな文面で一言だけ、こう書いてある。
今すぐ出てこい。昇降口で待ってる。
わたしは、はぁと溜息を吐いた。
嬉しさが半分、困ったのが半分。少なからぬ呆れも、オマケに足しておこう。
というのも、現在の時刻、午前十一時五分。四時間目の真っ最中である。
思いっ切り授業中である。因みに英語である。
先輩に呼ばれたから行ってきます、なんて理由で離席が通るはずもない。しばし頭を絞ってみたけれど、説得力のある言い訳も思い付かない。わたしは要領が悪いのだ。
すこぶる気は進まなかった。
でも、この際だ。仕方ないか。
「あぁあああ痛い! おなかが! 急に! 痛い痛い!」
わたしは大仰な仕草で、お腹を押さえて、声を張り上げた。
静かな教室で起こった突然の出来事に、クラスメイト達の視線が一斉集中する。あ、痛い。これマジに痛いわ。みんなの視線がね。どう見てもドン引きです本当にありがとうございました。
「か、カノウさん!? だいじょぶデスカ?」
教壇に立つ外国人講師が、ギョッとして青い眼を見開いた。
うぅん、英語では、なんて言うんだっけ。アイ、ハブ、ペイン、インマイ、ストマック……ん、ワンズか? なんか抜けてるかな?
あーもういいや。
「痛い痛いー! あーーー死ぬーーー! 死んじゃうーーー」
「死ヌ!? あなた死ヌ!? ホンマデッカ!?」
「そーなんですー死にそうですーだから早退します! グッバイ!」
苦悶の表情を作りながら、手早く荷物を纏めて、鞄を持つ。後が面倒だろうな、と思うと、割と本気で胃が痛くなった。
教室を飛び出したところで、上階から、別の先生の怒鳴り声が聞こえた。
「こら待て仇志乃! 授業中だぞ! 何処行くんだ!」
「すんませーん、婆ちゃんが死んだもんで」
「九人目だぞ!?」
ドッと笑い声が上がる。一つ上の階、二年生のクラスだ。あっけらかんと不謹慎な事情を述べる声には、まるで緊迫感がない。考えることは同じか。
でも九回目ってあんた。ちと殺しすぎじゃないかね。
「お前ん家には、婆さんが何人いるんだ!?」
「悪ぃけど、家庭の事情ってやつだぜ、センセ。とりま早退すんわ!」
「ちょっ、話はまだ終わってない! 仇志乃!」
内申に響くぞ……という脅しを背に受け流して、仇志乃と呼ばれた男子生徒が、階段を二段飛ばして降りてきた。
「お、早かったな」
わたしと目が合い、ニカッと笑う。
くっきりした二重の垂れ目は、母性本能をキュンとくすぐる甘さを放つ、完璧な反則ギミック。対して、キリッとした眉は男性的で、確固たる意志の強さと、若い情熱を秘めた王道路線。そこに、スポーツマン風の爽やかさをブレンドして。
仕上げに、ややニヒルなスパイスを加えれば、世音先輩の完成だ。
校則違反の茶髪のウルフは、毛先が無造作に跳ねて、セットなんだか寝癖なんだか、イマイチわからん。しかも襟足だけ、ひょこっと尻尾みたいに長い。ボタンを二つ外したシャツに、ゆるゆるのネクタイが辛うじて、ぶら下がっている。
柄が悪いったらないのだが、そこはイケメン補正。如何に着崩れても、不思議と下品には見えない。絵にすらなってしまうのが、なんとも癪である。
うちの学校には、なんとまぁ、とんでもない美少年がいる。
思えば初めて逢ったとき、わたしはそう嘆息し、仰天したものだった。
なにせわたしは、地味で眼鏡で、クラスでも目立たない日陰女子だ。普通の男子にさえ縁がない。それが、フツメンを飛び越えて、一気に最上級のイケメンと知り合いになるなんて。
夢じゃないかしらって、浮かれてたっけ。
実は今でも、ちょっとね。
「う、うん。どうしたの?」
ヤンチャ坊主みたいな笑顔に、思わず胸がときめいた。
これがスイートランデブーなら、どんなに青春ドラマだろうか。
でも知ってる。
先輩は、つと真面目な表情になって、事務的な口調で、こう言うのだ。
「行くぜ瑠衣。仕事だ」
†
中古のゼファー400が、国道を北へ飛ばす。
暖冬とはいえ、三月の中旬だ。単車のリアシートで浴びる風は、ヒリヒリと乾燥して冷たい。先輩の運転は、相変わらず荒かった。眼を瞑り、その腰に腕を回してしがみつくわたしは、寒さと速度に、硬く縮こまっていた。
大きすぎるヘルメットが、コンコン鬱陶しく眼鏡を叩く。
「もう、授業中に呼び出したりして! 絶対、生活指導とか食らうよ!」
「うるせー減給すっぞ」
「放課後じゃ駄目だったの?」
「駄目。緊急だから、すぐ来いって。兄貴の判断」
直接《仕事》を請けたのは長男の紫音さんらしいが、彼は、施術を弟の世音先輩に代行させることも多い。今回もそのクチなのか。
「緊急って《呪詛返し》にそんなのあるの?」
「たまーにな。けど、今回はたぶん《調伏》だ」
「九回目ってどういうこと? 聞いてないけど?」
「いや、あれ、ほとんどは普通にサボリ」
風の音に掻き消されないよう、わたし達の会話は半ば絶叫になっていた。
世音先輩に出逢ったのは、去年の七月のこと。
とある呪詛関係の事件に巻き込まれ、わけもわからず命を狙われた、わたし。
もう死ぬんじゃないかってときに、颯爽と目の前に現れて、ピンチを救ってくれたのが、世音先輩だった。
先輩は、仇志乃流という特殊な流派を受け継ぐ血筋で、自身も呪術師。故あって先述の呪詛事件を追っている途中で、わたしを助けるハメになったらしい。
呪詛なんて非科学的で物騒なものが、そう巷にポンポン溢れてて堪るか。
諸君は、そう考えるだろうか。
わたしが、かつてそうだったように。
実は、人を呪うのに、なにも本格的な儀式を行う必要はない。
アイツが憎い。ソイツが目障りだ。
彼が羨ましい。彼女が妬ましい。
いっそ、どいつもこいつも。死んだらいいのに。
誰にでも身に覚えがあるだろう、漠然とした悪意。そういった負の感情が、そもそも呪詛の種なのだ。
そういった悪意が凝固まり、長く胸にわだかまっていると、本人も知らないうちに邪念を帯び、呪詛として、不特定多数に発信されてしまう。
大抵の症状は、極めて軽い。たとえば持ち物をなくすとか、机に足の小指をぶつけるとか、テストに遅刻するとか、その程度の影響だ。別に呪われるまでもなく、まま起こりうることだから、単に不運として片付けられるのが普通だろう。
わたしだって、想像もしていなかった。
己の不運が、まさか、呪詛のせいだったなんてね。
なんの因果か、この叶瑠衣。
それら周囲の呪詛を引き寄せ、取り込んで、己が被るという形で《昇華》する、特異体質なのだそうだ。
先輩に指摘されるまで、まったく知らなかった。おそらく血筋との話だが、迷惑極まりない御先祖様である。だってこれは、わたしの意思では、どうすることもできない。完全に生まれつきの体質。拒否権も、選択権すら、ないのだから。
先輩や紫音さんも、初めて会った、と珍しがっていたっけ。
まぁ、現在は、先輩の都合してくれた御守りのおかげで、だいぶマシになった。呪詛られるまでもなくデフォで鈍臭いのは、仕方がないとして。
話を戻そう。
忌まわしき呪いの事件に遭遇したわたしが、どうなったかというと、だ。
端的に言えば、先輩のおかげで、無事に元の日常へ戻ることができた。
悲しい思いをした人も多かったが、あの呪いは、もう終わったのだ。ガチで死にかけた本人でさえ、こうして今は、たまに回想するくらい。元気に学校に通って、女子高生をやっている。解決と述べて差し支えないだろう。
ただその日常は、以前の平凡とは、ほんのちょっとだけ、違っていたけれど。
事件の際、わたしに解呪料として請求されたのは(本人、あくまでお布施と言い張ってますが)、なななんと、キッチリ百万円。それも即金が原則だと、キッパリ申し渡された。
後でわかったことだが、これは先輩の主義で、金持ちにも貧乏人にも、同じ条件で仕事を請け負っているようだ。意地悪をされたわけではない。たぶんね。
当然、後者のわたしは、さて困った。百万円なんて、高校生の身分では、逆立ちしたって用意できっこない。ハッキリ言って無理だ。
とはいえ、こちとら命が懸かっている。
なんとかならないか、と交渉した結果、ひとまず貯金を叩いて七万円を支払い、残りはローンで返済、ということで手を打ってくれた。
ところで、どうやって金策するつもりだ?
その場で問われ、わたしは、アルバイトを探してコツコツと、と答えた。
すると、どういうわけか。先輩は、こんな提案を持ち出したのだった。
なら助手として、俺の仕事を手伝え。
なんのことはない。要は、百万円分の無料奉仕を要求してきたのである。
わたしは、呪術なんて、やったこともない。ずぶの素人だった。時給千円というのも、高いのか安いのか。まるで相場の判別が付かない。オマケに大の怖がりで、勤務中は絶叫マシーンと化すこと受け合いである。どう考えても向いてない。
何故なのか。それでも先輩は、わたしを指名した。
そして、わたしは、その話を飲んだ。
斯くして、わたし達の間に雇用契約が成立。
同じ高校の一年と二年で、従業員と雇用主。という奇妙なコンビが生まれた。
先輩は、思っていたより、ドライな上司ではなかった。
プロの呪術師として、それなりに業界では名が通っているらしが、彼は同時に、一人の男子高校生でもある。仕事がないときは、勉強や部活、ゲーム、漫画、話題の動画など、歳相応な話題で盛り上がることもあった。
何度か家を訪れるうち、彼の兄弟達とも仲良くなった。今では、特に用事がなくても遊びに行く。もちろんプライベートだから、時給は発生しないけれど、かといって邪険に扱われるでもない。夕方には、みんなで食卓を囲んだりもする。
少し変だが、何処にでもいる、普通の先輩後輩である。
わたし達の関係は、結局そういうことで、それ以上でも、以下でもない。
……と、思っていた。
つい最近まで。
排気音と共に、景色がグングン後ろに流れてゆく。
わたしの三つ編みを弄んで、身体に叩き付ける風は、ひどく冷たい。
その中で、先輩の背中だけが、広くて、硬くて、暖かかった。
先日、先輩のお兄さんに、告白された。
このお兄さん――華音さんがまた、先輩に負けず劣らずのイケメンで、優しくて気が利いて、ちょっと格好付けで繊細だけど、とっても素敵な男性だ。意地汚い話をすれば、結構お金も持っている。
そんな華音さんが、わたしみたいな地味子を選んでくれたという奇跡。
本当にビックリした。乙女ゲームさながらの展開に、腰が抜けるかと思った。
不満なんてない。あるはずがない。
だけど、バカなわたしは。
彼の気持ちに応えることが、できなかった。
だって、わたし……他に好きな人がいる。
あのとき、そう理解してしまったから。
あの日から、先輩のことが気になって、仕方がなかった。
彼のことが知りたい。
ある程度なら、今までの付き合いで把握している。たとえば、好きな食べ物や、音楽。集めている漫画。クリアしたゲーム。ファッションの系統。成績。女の子のタイプ。意外に料理が上手かったり、字が綺麗だったりすること。
……足りない。
全然、足りない。
もっと知りたい。
わたしが傍にいないときは、なにをしているのか。
こうして二人きりでいるとき、なにを考えているのか。
わたしのことを、どう……思っているのか。
信号待ちで、不意に先輩が小首を傾げた。
「てゆーか、思ったんだけど」
「なに?」
「なんか、こーしてるとさ」
先輩の襟足が、パタパタと風に遊ばれて、徒にわたしの頬を掠める。
「デートみたいじゃね?」
子供みたいな笑顔で振り向いて、先輩は、くくっと笑った。
無神経な単語に、わたしの胸はキュンと鳴く。
まったくもう。人の気も知らないで。
……バカ。
口の中で呟いて、わたしは、先輩の腰に回した腕へと、力を込めた。
時速七十キロの恋人ごっこは、市街地を抜け、やがて去年出来たばかりの自動車専用路道を、山の方へと分け入っていった。