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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
平成呪術師日常風景
8/46

Coma.の憂鬱 4

4.






 其処に立っていたのは、一ヶ月は引き籠もるはずの張本人。

 華音さん、だった。

 手にはスマホが握られている。

 確認は不要だろう。流音君の通話の相手は、彼だ。

 ということは、さっきの先輩の演説、全力で筒抜けだったのか。


「る、流音君……!? どういうこと?」

「華音兄ちゃん、スマホ2つ持ってんの。知らなかったっけ」

「ていうか、いつから……ゲームしてたんじゃないの?」

「ん~、グズグズすんなクソ坊主、の辺り?」


 わたしと流音君が騒いでいる間に、華音さんは、リビングに足を踏み入れた。

 ゆっくりと一歩一歩。踏み締めるように、先輩に近付いてゆく。

 もう怯えてはいなかった。ぎゅっと拳を握って、唇を噛み締めて。

 灰色の眼に、決意が映っているのが、わかる。

 狼狽していたわたしも、状況を理解して、口を噤んだ。


 ――兄と弟が、向き合う。


「…………」

「……世音」


 先に切り出したのは、華音さんの方だった。

 気まずそうに俯いてはいたけれど、目線は、しっかりと先輩を捉えていた。


「……なに?」

「さっきのこと、だけど」


 躊躇いではない。おそらく言葉を選ぶために、華音さんは、息を継ぐ。


「俺、やっぱり、いいよ。自分で処分する。解呪とか、そのうち必要になったら、頼むかもしれない。けど……今回は……悪いんだけど……いい」

「…………」


 先輩は、黙っている。

 その表情に、怒りや嘲りの色はなかった。

 待っているのだ。次の言葉を。


「世音の考えとは、違うけど……俺は、そう、したい」


 華音さんは、スッと顔を上げて、まっすぐに世音先輩を見据えた。


「……最初っから、そうやって、堂々としてりゃいいんだよ……」


 芝居めいて腰に手を当て、先輩は、濡れた茶髪を掻いた。

 華音さんと先輩、互いの視線が溶け合えば、二人は揃って相好を崩す。

 キリッとした眉。特徴的な垂れ目。くっきり二重。こうして見る横顔は、本当によく似ていて、わたしは、わけもわからず安堵する。そういや、仇志乃兄弟でいちばん顔が似てるのは、次男と三男。この二人なんだっけ。

 うんうん。似てる。

 ほら、照れた顔なんか、そっくりだ。


 どうやらわたしは、あと二つ、勘違いをしていたらしい。


 華音さん、初めから、何処にも行ってない。

 ずっと此処にいたんだね。

 格好付けた華音さんも、落ち込んだ華音さんも、情けない華音さんも。全部まとめて、一人の人間。仇志乃華音という人なんだ。

 よく考えれば、誰だってそうだよね。彼の場合、あんまり差が激しいから混乱したけど、大なり小なり、いろんな側面を持ってるのが普通だ。完璧超人なんて滅多にいないし、そもそも人間なんて、欠点の方が多いもの。

 みんな、それを隠すのに必死なんだから。

 ……それから……。


 わたしは、チラリと先輩を見た。

 そうだったっけ。

 口は悪いし、ちょっと短気だけど、根は優しいんだよ、この人。

 華音さんが嫌いなんじゃない。

 先輩は、きっと悔しかったんだ。華音さんが、自分に自信を持てないこと。本当は大好きで、尊敬してるのに。いや、だからこそ。華音さん自身に、自分を認めてやってほしいんだ。もっと堂々と、笑っていてほしいんだ。

 それが上手く言えなかっただけなんだよね。

 先輩が、お兄さんを見捨てるわけないじゃないか。

 そんなの、とっくの昔に知ってたはずなのに。

 疑っちゃって、ごめんね。

 鬼とか悪魔とか、好き勝手に言って、ごめん。

 後で謝っておこうっと。


「はいはーい! もういいすかー! 流音、発言いいすかー」


 空気を読んだのか、壊しに来たのか。

 ここで流音君、華麗に挙手である。


「お腹空いたんですけどー、作るのメンドいんでー、食べに行かない?」

「だな。俺も作る気分じゃねぇわ。来雷軒どうよ?」

「ラーメンいいね! ただし世音兄ちゃんのオゴリなのだ」

「はぁ? ったく……今日だけな」

「ゴチでーすあざーす!」

「ったく、調子いいぜ」


 苦笑して、世音先輩は、流音君の頭を軽く小突いた。

 確かに、流音君グッジョブだったもんな。一時はどうなることかとヒヤヒヤしたけど、どうにか一件落着したのは、彼が機転を利かせてくれたおかげだ。こりゃ、わたしもジュースでも奢ってあげなきゃ。

 しかし敵に回したくない子だ。末恐ろしいこと、この上ないわ。


「そろそろコートいらなくね?」

「そだね。夜だけどあったかいし。パーカーとかでいいかも」

「つか、着替えるのメンドいし、俺このままスウェットで行くわ」

「髪は乾かしてよ! 一緒にいる方が恥掻くんだから」

「あー、食ってる間に乾くんじゃね」

「世音兄ちゃんは、もっと人目を気にしてよ……」


 上着を取りに行くんだろう。先輩と流音君は、連れ立ってリビングを出る。

 と、思ったら、先輩。

 あっと呟き、踵を返して、ひょっこりドアから顔だけ覗かせた。


「言い忘れたけど」

「うん?」


 先輩は、わたしと華音さんを交互に見て、コホンと咳払いを一つ。


「今後、勝手に瑠衣を連れ回すな。コイツ、ただでさえドジでマヌケで世話が焼けるんだからな。余計なこと憶えたら、俺が困る。自重してくれ」


 言い捨てて、返事も聞かずに、スタスタと歩いて行ってしまった。


 残された華音さんは、瞬きを二つ。

 数秒、キョトンとしていたけれど、じきに合点がいったのか、肩を竦めてフフフと笑った。


「そっか。俺としたことが、気が利かなかったね……」


 わたしは、頭上にハテナが三つ。

 なにそれ? なんで通じちゃってるの?

 つか、先輩。二言三言、多いですよ。

 なに保護者みたいなこと言ってるんですか。彼氏でもないくせに。

 ないくせに。

 ……ないくせに。


 先輩の慌ただしい足音が、流音君を追って、二階へ昇ってゆく。


 ちぇ。風邪引いちゃえ、バカ。

 まーあ、いっか。

 なんか腑に落ちない部分も多々ありますが。

 華音さんは元気になったんだし、先輩のオゴリなんだし。

 とりあえず腹減った。

 よし食うぞー。ガッツリ食うぞー。煮卵トッピングとかいっちゃうぞー。

 脳味噌をラーメンに切り換えて、わたしは、外出の支度を始めた。

 テレビと暖房を消す。財布とスマホを持つ。その辺をザッと片付けて。

 コートを羽織ろうとしたとき、不意に背後で声がした。


「ありがとう、瑠衣ちゃん」


 華音さんの神妙な面持ちが視界を掠めたのは、一瞬のこと。

 わたしが振り向くのと同時に、彼は、いつもの穏やかな微笑を浮かべた。


「なにがですか?」

「俺のために怒ってくれて。嬉しかった」

「当然じゃないですか! あれは先輩が悪いんです!」

「でも怖かったろう? ごめんよ」

「ぜんっぜん大丈夫ですよ! ていうか、わたしが出る幕でもなかったですよね。結局、流音君のファインプレーで一件落着したんだし」

「ううん。切欠を作ってくれたのは、間違いなく瑠衣ちゃんだよ」

「そんな……」

「おかげで、世音の本当の気持ちが聞けた。ありがとう」


 至近距離で見れば、華音さんのメイクは、すっかり落ちてしまっていた。

 アイラインは頬に流れ、眉には黒い地毛が混じり、アイシャドウは不鮮明に霞んで、唇は、きちんと人間の色をしている。いったん解いて結び直したらしく、長い金髪は、首筋のところで緩く纏められているだけ。

 カラコンさえ入れたままだけど、これ、ほとんどスッピンだ。

 あれ?

 でも華音さん、こっちの方が断然、イケメンなんじゃないだろうか……?


「きっと世音は、君のそういうところが気に入ってるんだろうね」


 前触れもなく、その微笑が、寂しげに翳った。

 ポン、と頭に掌が乗せられる。


「あの子が弟じゃなかったら、横取りもアリだったのかなぁ……」


 ふわり。薔薇の香りが呟いて、わたしの傍を通り過ぎてゆく。




「…………、だよ。瑠衣ちゃん」




 なに。

 今、なんて言ったの?


「華音さん……?」

「お願い、二度目は言わせないで。フラれたときくらい、格好付けさせてよ」


 呼び止めようとして、躊躇った。

 手を伸ばせば届いたかもしれない背中は、けれど、どうしようもなく遠い。

 だって華音さんの後ろ姿には、哀愁と美学の防波堤が築かれていて。

 これ以上、踏み込めば、きっと、彼を侮辱することになる。

 女のわたしにも、それが理解できてしまったから。


 ねぇ、華音さん。

 あなたが今、口にした言葉。

 わたしの聞き間違いでなければ――


「コートはさ、いらないと思うよ」


 あぁ、わたし、変だ。

 生まれて初めて告白されたのに。

 それも、こんな素敵な人に。到底、釣り合わないような人に。

 嬉しいはずなのに。飛び上がって踊り出したっていいくらいなのに。

 どうして涙が出るの?

 どうして苦しいの?

 どうして。

 ……世音先輩の顔が頭に浮かぶの?


 車の鍵を真上に放り、落ちてくるところを薙ぐようにキャッチして、華音さんは足を止めた。

 なんて彼らしい気遣いだろう。わたしの涙を、見て見ぬフリ。

 肩越しのウインクは、完璧に計算された角度とタイミングだった。


「きっと大丈夫。春はもう、すぐそこまで――来てるから」











     Coma.の憂鬱/了






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