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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
平成呪術師日常風景
7/46

Coma.の憂鬱 3

3.






 帰るに帰れなくなったわたしは、例によって仇志乃家に一泊を決めた。

 ラインは控え、個人のアドレスにメールを送ったが、未だ華音さんからの返信はない。車も靴もあるということは、外には出ていないのだ。二階の自室に籠もっているのは確実なのだけれど。

 何度か、声を掛けた。

 もちろん、刺激しないように、当たり障りのない話題を選んだ。

 お茶を淹れましたよ、とか。お風呂どうですか、とか。

 返事は……一切なかった。


 なるほどね。

 これは確かに、お手上げだ。

 先輩達が放置する理由が、少しだけわかった気がした。


 一人リビングで悶々していると、やがて流音君が、本堂から戻ってきた。


「終わったの?」

「うん、任務完了」


 流音君は、中啓で自らをパタパタと扇いだ。この季節だというのに、首筋には汗が滲んでいる。護摩壇は熱いからなぁ。


「先輩は……?」

「お風呂に直行したよ。これ衣。畳んどいてってさ」

「もう」


 渡された黒衣と袈裟を抱いて、わたしは、頬を膨らませる。

 さっさと部屋着に着替えた流音君は、居間に寝転んで、スマホを弄り始めた。


「ねぇ、流音君。華音さんって……二重人格?」


 流音君の傍に正座し、まず五条袈裟を畳みながら、わたしは訊ねた。

 白衣はくえ、黒衣、袈裟。こういった衣装を仏教用語で衣体えたいと言うのだが、その畳み方は、順序も型も独特だ。何度も先輩にダメ出しを食らって、最近やっと憶えた。


「ううん。世音兄ちゃんが地雷踏んで、化けの皮、剥がれただけ」

「地雷って……なにが地雷だったの?」

「僕の知る限り、四つはあったよ」

「四つ!? あの短時間で先輩、四つも人の地雷踏んだの!?」

「うん。もっとあったかもしれないけど」

「それで引き籠もっちゃったってこと?」

「そう。あーなると長いんだ。一ヶ月はヒキるんじゃない?」

「そんなに!?」

「ねー困っちゃうよねー。ほとんど二本足のマンボウ」

「実兄をマンボウ扱い!?」

「よく二十四歳まで生きられたよねー」

「そ、そんなに繊細な人だったんだ……」


 知らなかった。

 今日だって、書店で偶然会って、声を掛けてきたのは華音さんの方だ。

 デートしてくれるかい?

 なんて、ドラマみたいな台詞を、さらりと吐いて。

 オシャレなお店に連れて行ってくれて、美味しいスイーツを御馳走してくれて。

 穏やかな笑顔とスマートな仕草は、隙のない全方向イケメンフォーム。

 慣れてるんだろうなって、思ってた。

 勝ち組のリア充で、余裕に溢れた業界人。

 それが華音さんだと思ってた。

 違ったんだ……。


「華音兄ちゃんはね、僕とおんなじ。余所行きの仮面を幾つも持ってるのさ。でも僕とは違う。僕は、注目を浴びてチヤホヤされたいから、武器としてそれを使う。華音兄ちゃんの場合は……逆。傷付かないための鎧、みたいなもん」


 画面から目を離さず、流音君は体勢を変えた。


「ああ見えて、怖がりなんだ。人前じゃ素顔も晒せないくらいにさ。いつも誰かに嫌われるんじゃないかって怯えてる。で、いざ攻撃されても誰も恨めないから、殻に閉じこもって。ひたすら傷が癒えるのを待ってる」


 ピコンピコン。バシュン。乾いたゲームの音が、流音君の言葉に重なる。


「いい歳して、ダサくない? ひとりぼっちで――惨めにさぁ」


 猫のような吊り眼は、相変わらずスマホの画面を見たまま。

 その口元だけが、複雑な形に歪んでいる。

 対人関係に秀でた利口な彼は、繊細で優しすぎる兄に、なにを思うのだろう。


 少し待ってみたが、流音君は、それ以上を語らなかった。

 依然、華音さん放置プレイの方針は揺るぎないようだ。

 かく言うわたしも、どうして良いかなんて、わからない。

 もっと言えば、人様の家庭の事情だ。

 赤の他人のわたしが、土足で踏み込める線は、超えているのかもしれない。

 ベストな方法があるなら、血の繋がった家族、兄弟である彼等が、とっくに行動しているはずなのだから。


 わたしは、畳み終わった衣体を行李に収め、居間を離れて、ソファに座った。

 華音さんが気になり、自分のスマホを確認する。返事はない。

 溜息を吐いて、鞄から今日買った雑誌を取り出した。

 そういえば、付録のDVDがあったんだっけ。


 流音君に許可を貰い、AVデッキにDVDをセットして、テレビを点けた。


 薄暗い、高級マンションの一室。ベッドに眠る男性。

 素顔のComa.と題したゴシック体が、映像の上部に現れる。

 男性――華音さんが、眼を開ける。ベッドに上体を起こして、伸びをする。やや乱れた金髪を掻き上げて、カメラに流れる視線。おはよう、と呟いて上がる口角。シーツを退けて、寝床を抜け出す半裸の身体は、細いけれど均整が取れている。

 起床から始まる一日分のドキュメンタリー、という企画らしい。

 映像の華音さんは、ベランダで煙草を吸い、着替えて、コーヒーを飲む。

 朝食は、オシャレなフレンチトースト。

 たまに目線を此方に向けて、今日の予定なんかを喋ってる。


 でも違う。

 華音さんは、寝起きが悪い。

 起床の時間は、決まって遅い。早くても、午前十時を過ぎた頃だ。それに低血圧だから、唇なんかテキメンに青くなる。薄くメイクして、ベッドの中で眼を瞑っていたんだろう。つまりはヤラセ。顔色が良すぎるもの。

 小食で、起き抜けに食事を取ることだって、少ない。兄弟揃っての朝食なんて、二回しか見たことがない。

 コーヒーだって、ブラックじゃない。

 ミルクと砂糖をスプーン一杯ずつ。それが華音さんの好みだ。


 画面の中、華音さんは、慌ただしく一日を始める。

 インタビューに応じて、スタジオに入って、バンドメンバーと曲を作って。車で移動して、PVの収録があって、雑誌の撮影をこなして、ちょっとだけビリヤード場に寄って、オシャレなバーで飲んで。


 本人にネタバレされなくたって、気付いただろう。

 素顔なんて、真っ赤な嘘。

 なにもかも作り物だ。


 仕事でやっているのだから、それはそれでいい。いや、ファンに向けたサービスという意味では、Coma.のキャラに徹するのが、プロとしては当然とも言える。

 けれど、なんだろう。

 とても寂しい。

 映像も嘘。雑誌も嘘。

 今までわたしが見てきた華音さんも……嘘?

 本当の華音さんは、いったい、何処にいるんだろう?









 ぼんやり映像を眺めていると、そのうち廊下の方から、足音が近付いてきた。

 程なくして、スウェット姿の世音先輩が、タオルで濡れ髪を擦りながらリビングに入ってきた。

 足早に冷蔵庫へと直行し、コーラを出してラッパ飲み。

 ちらり、と此方を見る。

 わたしは、思いっ切り顔を逸らせてやった。


「……なんだよ」


 先輩は舌打ちし、そのくせ歩み寄ってきて、わたしの隣に座った。

 すぐ傍で立ち上る薄い湯気から、薔薇に似た匂いがする。先輩にしては、主張の激しい匂いだった。シャンプーを変えたんだろうか。


「なんでアイツのDVDとか見てるわけ。嫌がらせ?」

「先輩よりマシでしょ」

「なに怒ってんだよ……意味わかんね」

「自分の胸に訊いてみたら?」

「あ?」

「なんなら、デリカシーのない口でもいいけど?」


 世音先輩は、わざとらしく苦い溜息を吐いてみせた。


「言っとくけど、俺は間違ってねーからな」

「そういう問題じゃない。先輩には、思い遣りってものがないの?」

「アホらし。なにそれ食えんの」

「へー知らないのー先輩って案外、バカなんですねー」

「はいはいはい、お前よりマシなら構わねーぜ、俺は」

「いつまでそんな態度でいられるかなー。紫音さんが帰ってくるまでかなー」

「…………」


 途切れた会話に、気まずさは感じなかった。

 実の兄をあんなふうに追い詰めて傷付けて、この言い草。信じられない。なんて意地悪だ。ここまで冷たい人だとは思わなかった。

 先輩なんて、紫音さんに、腕ひしぎ逆十字固めでも食らえばいいんだ。

 このまま華音さんに謝るまで、口利いてやらないから。

 なんて思ってた、そのとき。

 狙い澄ましたようなタイミングで、わたしのスマホが震えた。


 華音さんだ。

 メールが返ってきた!


 わたしは、急いでスマホを確認した。

 先輩が露骨に顔を顰めるが、そんなこと知らない。今は華音さんが心配だ。

 ショックで落ち込んでる真っ最中なんだから。

 どうだろう。ドン底まで落ちてなきゃいいけど……。


 Re.大丈夫ですか?

 >死にたい。


 ――既にドン底ォオオ――!!

 いかんいかんいかん。慌てて返信の返信を打った。


 >ダメです! 気をしっかり持って!


 >もう嫌だ。鬱だ。溶けたい。消えてなくなりたい。


 >先輩が無神経なだけですから! 気にしないで! 早まらないで!


 >いいんだ。世音の言ってることは正しい。

  悪いのは俺だよ。俺が無能なのが悪いんだ。


 あかん。これマジに重症だぞ。

 なんとか慰められないだろうか……と、わたしは頭を抱える。

 次の文章を纏められないまま、続きが届いた。


 >世音の言う通りさ。俺は駄目なんだ。

  自分じゃ解呪もできない。

  やらないんじゃない。できないんだ。

  俺には、呪詛の能力がないから。

  仇志乃なのにね。


 そう……だったの?

 そんな話、誰からも聞いたことないのに。

 戸惑うわたしの掌で、再びスマホが振動する。

 見れば、今度は結構な長文だった。


 >たまに、こういう欠陥品が生まれるんだって。

  父さん母さんは、大丈夫だから気にするなって言ってくれたよ。

  でもそれって、もう兄さんがいたからかな。

  結局、後に生まれた世音や流音にも、強い能力が備わっていたけど。

  俺は欠陥品なんだよ。

  なんにもできない。

  兄さんも、世音も、流音でさえ、ちゃんと仇志乃として生きてるのに。

  俺だけが、どうして。

  世音の言う通りなんだ。

  俺、逃げてばっかりなんだよ。

  頑張って格好付けても、本当は、いつも怯えてる。

  怖いんだ。

  怖いんだよ。凄く怖い。潰れそうだ。

  世音に怒られるんじゃないか。

  流音に嗤われるんじゃないか。

  兄さんに嫌われるんじゃないか。

  いつか、みんなに、見捨てられるんじゃないかって。

  欠陥品だから。

  なんにもできないから。

  俺は、


 存在してていいのかな。


 最後の一行に、ザワッと鳥肌が立った。

 胃がギュッと絞られ、遅れて動悸がやってくる。


 ……わたしは、大きな勘違いをしていたようだ。

 華音さんが怖れているのは、世音先輩じゃなかった。

 今回の件、先輩の一言が切欠だったのは間違いないだろう。だけど、本当の原因は、そこじゃない。もっと根深くて、複雑で、重い事情が、華音さんを苦しめているのだ。私が考えていたよりも、長い間。

 いつものことだよ。流音君の声が、頭の片隅に蘇った。

 華音さんは、繰り返してきたんだろう。

 ずっとずっと、強い無力感と劣等感を抱え込んだまま。

 欠陥品は……見捨てられる。

 もっと飾らなければ。有能を演じなければ。厚く塗って隠さなければ。

 ――あまりにも悲しい仮面舞踏会。


「先輩!」


 わたしは、先輩の長い襟足を引っ張った。

 拳の間から水分が滲み出て、袖を濡らす。


「痛ぇ! なにすんだよ!」

「謝って。華音さんに」

「だからそれは……アイツが悪いんだろ!」

「どっちが悪いとか、高校生にもなって、つまんないこと言わないの! グズグズすんなクソ坊主! ほらダッシュ! 早く!」


 華音さん。

 わたし、見捨てません。

 あなたのこと絶対、見捨てたりしませんから。

 欠陥品なんて、とんでもない。

 誰にも、そんなこと言わせない。

 なにがあっても、コイツを土下座させてやりますから!


「おま……ちょっと落ち着け。な?」


 きっとわたしは、般若の如き形相をしていたんだろう。先輩の達者な口が、宥めの言葉を探して痙攣していた。


「落ち着いてます! わ、た、し、は、冷静です!」

「いや興奮してんじゃねーかよ!」

「だいたい先輩は、華音さんが心配じゃないの? 鬼なの? 悪魔なの?」

「心配したって……しょうがねぇだろ」

「なにそれ!? 華音さんがいちばん傷付くこと言っといて!? 信じらんない!」

「アイツが毅然としてりゃ済む話だったんだ!」

「それでも弟なの!? あっきれた! 華音さんは、あんなに優しいのに!」

「華音華音って、お前にアイツのなにがわかんだよ!」


 先輩は、遂に頭にきたのか、わたしの腕を掴んで声を荒げた。


「アイツはなぁ! お前が考えてるような男じゃねーんだよ!」


 勢い良く立ち上がれば、百八十センチの長身が、わたしを見下ろす。

 なに、この後に及んで逆ギレ?

 望むところよ、やってやろうじゃない!

 わたしはグッと拳を握って、臨戦態勢に入った。


「お袋が死んで兄貴が失明したとき、ピーピー泣くだけだった俺等を仕切ったの、誰だと思ってんだ! 華音だぜ! アイツが崩れなかったから、俺も流音も底まで堕ちなかったし、兄貴だって立ち直れたんだ! 普段ビビリなくせに、そんなときは気張るんだよ華音って奴は! 意味わかんねーし!」


 先輩の肩からタオルが落ちて、音もなく床に沈む。

 負けじと長身を睨み返し、わたしは、つと首を捻った。

 ……ありゃ?


「親父がいなくなったときだって、そうだ。うちが借金押し付けられて金に困ってる最中、真っ先に社会に出て稼いだのが華音なんだよ。自分は高校も行かなかったのに、しれっと俺等の学費とか作りやがって。今だって、うちの台所支えてんのは華音だ! どれだけ助かってるか、わかってんのかよ!」


 えっと……あれ?

 これ、どう反論すればいいの?


「呪詛の能力がない? そんなの、なんだよ。代わりに音楽の才能があるだろ! アイツにしかできない方法で真剣に戦って、しかも勝ってるじゃねーか。誰にでもできることじゃねぇ。充分だ! そこを誇れよ! 自信持てよ! 胸を張れよ! 俺が尊敬してんだから。自分で自分を認めてやらないで、どーすんだよ!」


 一気に捲し立てて、先輩は、大きく肩で息を吐いた。


「だから先輩、そんな言い方って……!」

「あぁ? …………」

「って…………」

「…………」

「…………」


 先輩の、まだ濡れた茶髪の先から、ぽたりと水滴が滴る。


 そんな言い方って……、

 別に良くね?

 ていうか、むしろ、めっちゃ褒めてね?


「だってさ、華音兄ちゃん」


 場違いに暢気な声に振り向くと、流音君が、スマホを耳に当てていた。

 畳に伏せて頬杖を突いたまま、上目遣いでニヤリ。

 此方に向けたスマホの画面には、予想外の三文字があった。

 ――通話中。


 キィ、と音がして、リビングのドアが開いた。








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