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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
四人坊主は祈らない
45/46

祈ろう、君のために。

37.






 一面ピンク色の世界に、わたしは、はぁと溜息を吐いた。

 目の前に広がる桜は、どれもこれも見事に満開。視界を染め上げる淡い色彩が心にまで染み込んで、暖かく花を咲かせてゆくようだ。そよそよと風が吹けば、無数の花弁が夢みたいに宙を舞う。なんてロマンチックな光景だろう。

 ……バックの墓石や卒塔婆さえなければ。

 紫音さんの快気祝いで花見に行こう、と誘われて、喜んで着いてきたら、隣町の墓地だったでござる。山を登ったところにある霊園で、駐車場の端からは街が一望できる。ロケーションもバッチリだ。穴場っていうか墓場だけど……。

 マジに人っ子一人いやしない。そりゃ普通の神経なら、此処で酒盛りは無理だ。

 ところが仇志乃兄弟は、これは良い場所だとご満悦。早速休憩所で、買ってきた菓子やら飲み物を開封し始めた。

 流音君は自撮りに夢中。先輩は黙々と手を動かす。華音さんさえ、綺麗だねとか言って笑ってる。紫音さんに至っては、既に焼酎をロックでキメている。

 あかん。たぶんこの坊主ども、霊園と公園の区別が付いてない。昼間っから化けて出られても、下手したら仲間に入れかねない。

 もう一度、別の意味で溜息を吐く。

 こうなったら食うぞ。食うしかないだろ。

 わたしはジュースを一気に呷り、スナック菓子に手を伸ばした。









 眠り蛇の騒動が片付いて、三週間。

 先輩達が入院したり、警察が来たり、期末テストが悲惨だったり、風邪を引いて春休みが潰れたり、いろいろあったけど、わたしの日常は落ち着いた。

 ガタガタになった校庭は未だ工事中で、不運な新入生は、鉄板の上を歩いて入学してきた。そんな感じに不便はあるものの、今日から学校も始まっている。わたしは二年生に、先輩は三年生に。なんとか進級できたみたいだ。

 で、なにか変わったことがあるかというと――

 ない。マジに、なんもない。

 たまに家を訪れ、一緒に登下校し、くだらないことで口喧嘩して、笑う。あんなことがあったというのに、進展も後退もない。拍子抜けするほど元のままだ。あの夜のことは夢だったんだろうか、と記憶を疑うくらいに。

 まぁ、誰一人として命を落とさず日常に戻れたのだから、これ以上を求めるのは贅沢というもの。全然オッケー、むしろ大吉である。不満はない。それは本当。

 でも、ちょっとだけ。引っ掛かってるというか。

 気になることがある。

 一つは、眠り蛇が末期に口にした言葉だ。仇志乃と聞いて、奴は確かに驚いた。そして言ったのだ。お前達も自分と同じ、堕ちた邪神ではないか、と。

 あれはどういう意味だったんだろう。誰も説明しないし、詳しく語らないけど、負け惜しみや当て付けとは、どうしても思えない。先輩達も呪詛だっていうのか。普通に学校行ったり働いたりしてるのに? まさかね?

 それから、もう一つ。

 あの日――わたしは先輩にフラれた。

 勇気を振り絞って告白したわたしに、先輩は「嫌だ」とハッキリ答えた。

 その後バタバタしすぎて、それどころじゃなくなって、確認は取れずにいるが、忘れられるはずがない。わたしの恋は玉砕したはずだった。なのに先輩は、わたしを傍に置いてくれる。相変わらず、意地悪ばっかり言いながら。

 まったく、どういうつもりなんだ?

 怖くて訊けずにいるけど、思い出すと気になって仕方がない。

 わたし、此処にいていいんだろうか。

 ふとした瞬間、怖くなる。本当は迷惑なんじゃないか。実はウンザリされてるんじゃないか。明日にでも、もう来るなって。離れてくれって、宣告されるんじゃないか。考えれば、居ても立ってもいられない。

 もしかしたら、今だって、そう思ってるのかも……。









「なにやってんだ、お前」


 呆れたような先輩の声に、ハッとする。

 いけない。抓んだままのチョコレート菓子がドロドロに溶けていた。


「あ、えっと、考え事……してて……」

「汚ねーな、ガキかよ。ほら」


 ポンとティッシュが飛んできた。

 うぅ、誰のせいだと思って。


「あのさ、瑠衣」

「わかってるって、ごめん。お行儀悪いよね」

「いやそうじゃなくて。それ拭いたらさ。ちょっと話さね?」


 指先を拭う手が止まった。

 思わず先輩の顔をみつめてしまう。

 先輩も、じっとわたしを凝視していた。


「え、え、別に……いいけど」


 でもどうして?

 強い視線に気圧されて、訊ねる声は、上擦っていた。


「ちょっとな。話したいことあって」


 明後日の方角に視線を逸らし、先輩は、後頭部を掻く。


「じゃ、あっちで待ってる」


 駐車場を顎でしゃくって立ち上がり、先輩はブラブラと歩いて行った。

 遠ざかる背中は桜吹雪に霞んで、ひらひらと淡くピンク色。

 なんだか、吸い込まれて消えていくみたいに。

 急に怖くなって、わたしは身震い一つ。

 ギュッとスカートを握り締めた。







                  †






 先輩は、駐車場の端、杭を打って鎖を渡しただけの手摺りに頬杖を突いていた。

 吹く風が、長い襟足をパタパタ揺らしている。

 なんとなく声を掛けづらくて、黙って隣に並んだ。


「……眼鏡」


 切り出したのは、先輩だ。


「眼鏡、変わったな」

「え? あ、うん」


 前のが壊れたからね。昨日まで予備のを掛けてたんだけど、春だし、気分を一新したくて新調した。一緒にお店を回ってくれたのは、華音さんだ。

 カラコンを勧められたけど、丁重にお断りした。新学期デビューで調子乗ってるとか思われるのもイタいし、わたしには似合わない。絶対コスプレみたいになる。何事も分相応、過ぎたことは望まないのが平穏に暮らすコツである。


「火傷」


 また至極どうでも良さそうに、先輩は呟く。


「護符で火傷したんだろ。あれどうなった?」

「あ、うん。なんか綺麗に治っちゃった。跡もないの」

「巫女の体質かもな」

「それって、よくわかんないんだけど……」

「俺も知らねーけど」

「なにそれ」

「他人のダメージ肩代わりすんだから、回復力も強いんじゃねーの?」

「あぁ……」


 そうかも。

 言って、チラリと先輩を盗み見る。

 何処に注意を向けるでもなく、端正な横顔は、ぼんやりと空を眺めていた。

 らしくない。

 こいつ、パンチラしてようが鼻毛が出てようが、人前でズバリ指摘してくる奴だぞ。こんな世間話をするために、わざわざ場を設けるはずがない。本題は別にあるんだ。たぶん、ちょっと大事な話。兄弟には聞かれたくないような。

 でも、だったらどうして早く言わないの?

 普段せっかちなくせに。

 よくよく観察すれば、単にボケーッとしてるだけじゃなかった。

 瞬きの回数、たまに彷徨う視線、頬を叩く中指。仕草に、妙に落ち着きがない。不安なのか躊躇いなのか、どういう事情があるのか知らないが、やっぱり、いつもの先輩らしくなかった。

 ……もしかしたら。

 ズキンと胸が痛む。

 あんまり言いたくないことなの?

 もう近寄るなとか。付き纏われるのは迷惑だとか。そういう系?

 だったら、早くして。覚悟なんてできてないけど、終わりは終わりだ。ハッキリ告げられれば、一応のケジメは付く。わたしは元の生活に戻ればいいだけ。青春の夢でも見ていたと思えば、僅かなり慰めにもなる。

 じわじわ引き伸ばすなんて、本気で意地悪だからね?


 風が吹く。

 先輩は、なにも言わない。

 不自然な沈黙が、気まずい。


「……ねぇ、先輩」


 わたしは、思い切って口を開いた。

 このまま黙っていても、埒が明かない。珍しいことに、先に焦れたのは、わたしだった。

 この機会を逃せば、一生謎のままだろう。せめて、疑問だけでも解消して別れたい。わたしなりの意地だった。どうせドン引きされるなら、気まずさついでだ。今訊いてやろう。


「変なこと訊くけど……眠り蛇が、最後に言ってたでしょ? お前達も自分と一緒だって。堕ちた邪神がなんとかって。あれって……どういう意味?」


 あぁ、と先輩が頷いた。


「むかーしむかし、あるところに、とんでもねー邪神がいたわけよ」

「へ? う、うん」

「そいつは悪行の限りを尽くすんだけど、あるとき仏の教えに感動して、仏道入りを決意するわけ」

「うん」

「けど、やっちまった悪事は取り返しが付かない。仏の従者達が反対したんだな。罪償ってから言えやゴルァって。で、邪神は考えた。どうすれば償えるだろう」

「……うん」

「それで、人間になることにした」

「どういう心変わり!?」

「自ら人に堕ちて、人の世界を浄化しようと思ったんだ。気の遠くなるような輪廻を繰り返して、その間に、百八の魔を祓う。それが叶ったとき、改めて仏に帰依を申し出ようってな。あ、仏教じゃ、輪廻転生って業だから。こっから抜け出すのが解脱、つまり仏教の最終目標だ。だから堕ちる(・・・)ってことな」


 なるほど。

 要するに、その子孫が仇志乃家の…………

 って、ええええぇ!?


「先輩って人間じゃなかったの!? み、みんなも!?」

「おいおい本気にすんなって。ただの伝承。おとぎ話さ」

「で、でも……」

「誰かが作った話に決まってんだろ、漫画じゃあるまいし。アホくせー」


 先輩は、ヒラヒラと掌を振る。

 そりゃ俄には信じ難い話だけど。でも、だったら、あんたらの人間離れした能力はどう説明するのよ? 呪詛は。言霊は。眠り蛇は? 全部リアルで経験してるんですけど。アホくさかろうが嘘っぽかろうが、どれもこれも真実だろ。

 とはいえ、いくらなんでも邪神の末裔ってのは……無駄に壮大すぎてイメージが湧かない。先輩も否定してるしなぁ。いやいや、でも……。

 あぁ、モヤッとする。なにこの中途半端な葛藤。

 うんうん唸っていたら、冗談めかした先輩の笑顔が、ふと曇った。


「……けど、俺達が邪神っつーのは、ある意味でマジかも」

「え!? やっぱりそうなの!?」

「だって俺達、誰も幸せにできねーから」


 予想外の言葉に、わたしは一瞬、キョトンとした。


「俺達は呪詛を使って簡単に人を不幸にできる。けど、逆は無理だ。裏技的な方法はあるけど、根本的にはルール違反。他人の――ましてや己の幸せなんて、どんなに願っても祈っても無意味だ。生み出せるのは不幸だけ。忌まわしい血だよな」


 唇を皮肉の形に歪めて、先輩は溜息を吐く。


「アイツら、みんなわかってんだ。流音も、華音でさえ。祈らない。俺達は呪術を生業とする者。人を不幸にする能力を持つ代わりに、自分の利益は望めない。僧籍にあったって関係ねー。俺達の祈りは、どんな神様にも聞こえない。仏様にも救えない。バランスってもんがあるからな。仕方ねーんだよ。だから俺達は」


 祈らない。

 自嘲気味に言って、先輩は、再び頬杖を突いた。

 真昼の陽射しを浴びた横顔は、けれど深い孤独を刻んで、乾いた諦念に髪を靡かせる。寂しそうで。不安そうで。迷子の子供みたい。途方に暮れた、どうしようもない苦笑。

 あのときもそうだった。

 井戸の中で、話を聞いたときも。

 先輩は、こんな顔で――。


「だったら、わたしが祈ればいいんじゃない?」


 先輩の頬杖が、勢い良く外れた。

 物憂げな眼差しが見開き、此方を向く。信じられない、といった表情で。

 思いがけないリアクションで、わたしの方が驚いた。

 え、なに? なんでそんなにビックリしてるの?

 そこまでイミフなこと言ったっけ?


「え、え? だからね、先輩達の幸せ、わたしが代わりに祈るの。それなら届くんじゃないの? わたしは呪術師じゃないもん。うち、たぶん神道だと思うし」


 聞き取りやすいように、今度は、ゆっくりと喋った。

 そうだよ。わたしが祈ればいいんだ。

 先輩一人とは言わない。もう四人まとめて面倒見てやる。毎日朝昼晩、土日ナシでガッツリいこう。知ってる神様、片っ端から掴まえて、全員に祈ろう。しつこく続けてれば、そのうち根負けして叶えてくれるかもしれないじゃないか。

 うん、これで本当にバランスが取れる。一方通行が輪になるぞ。我ながらナイスアイディアだ。わたしは、込み上げる笑いを抑えられなかった。

 先輩は、依然なんともいえない眼差しで、わたしを見ている。

 これドン引きされてるかな?

 まぁ、別にいい。


 ……だってわたし、先輩に幸せにしてもらった。

 誰も幸せにできない? バカ言っちゃいけない。

 先輩の傍にいるだけで、どんなに、どんなに幸せだったか。

 お別れだとしても、恩返ししなきゃね。

 先輩本人が幸せにならないでどうするよ。


「瑠衣」

「なに?」


 得意満面の笑顔で、わたしは先を促す。

 いつもドジばかり踏む迷惑製造機のわたしが、最後に役に立てるのだ。

 上出来も上出来、こんな最高の決別があるだろうか。

 準備オッケー、いつでも来なさい。

 取り乱したりしな――


 ふわり。


 吹く風が、一際ロマンチックな桜吹雪に変わった瞬間だった。

 大好きな匂いが、体温が、感触が、わたしを包んだのは。







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