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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
四人坊主は祈らない
37/46

四男は こうする

29.






 例の安地に辿り着き、紫音さんを休ませて、一息吐く。

 華音さん曰く、眠り蛇は、この中にいる者の姿や声を認識することができない。その上、周囲に充満する呪詛を希釈し、浄化する作用も持っている。つまりは安心の休憩ポイントとのこと。

 かなり高位の結界である。前以て紫音さんが張っておいたんだろう。さすが用意周到。倒れて尚、頼もしい人だ。或いは長期戦を見越していたのか。


「流音! ごめん、起きて! ちょっと手伝ってほしい!」


 華音さんが、流音君を起こしに掛かった。

 乱暴に肩を揺すられ、頬をパンパン叩かれても、流音君は無反応だ。鬼門解放と眠り蛇の一本釣で、相当に疲れたんだろう。可哀想な気もするけど、先輩一人じゃ分が悪すぎる。

 なんとか起こす方法はないだろうか。


「あっ! 瑠衣ちゃんのパンツが!」


 いきなり華音さんが叫んで、わたしは慌ててスカートを押さえた。

 ……しん、と気まずい沈黙が流れる。


「華音さん……」

「ち、違うんだ! ごめん! 流音が起きるかもと思って!」

「…………」

「すみません! 許してください! 嫌わないで! そんな眼で見ないで!」


 瓦礫にもたれた紫音さんがピクッと動いた気がするけど、そっちじゃないです。ていうか寝ててください。もう二度と褒めませんから。

 ギャグ漫画じゃないんだから、んなアホな手が通るわけあるか。こんな状況とはいえ、華音さんに注ぐ視線が全力でジト眼になってしまうのは、健全なる女子高生としては仕方あるまい。

 そんなので起きるんなら苦労しない……、




「…………んにゅ……ふぇっ?」




 しなかった!


「……チラ? モロ? どっち?」

「流音! 気が付いたのかい!」

「え、僕……どうしたの? ん? パンツは?」


 華音さんに支えられて、流音君は少し上体を起こした。まだ半ば夢心地なのか、眉間に皺を寄せつつ、不安げに辺りをキョロキョロと見回す。もしくはパンチラかパンモロでも探しているのかもしれない。残念だったな、あれは嘘だ。

 つか、ほんまに醒めるんかい。

 男って奴は、まったくもう……。

 と、バカ兄弟のコンボに呆れていたら、流音君と目が合った。

 途端、その寝ぼけ眼が大きく見開かれ、二三度瞬いて、じわり。涙を浮かべたかと思うと、童顔がくしゃっと歪む。そうして次の瞬間、


「瑠衣姉ちゃん!」


 叫んで、流音君は、勢い良くわたしに抱き付いてきた。


「無事だったんだ! よかった! 心配したんだからねっ!」


 ぎゅっと抱きしめる力は、思いの外に強くて、少し驚く。

 震える肩、紅く染まった耳。わたしの胸に額を押し付けて、いやいやと小さく頭を振る流音君は、けれど安堵したのだろうか。ハハッと笑うような声が、低い嗚咽の合間に「よかった」を繰り返していた。

 ……参ったなぁ。

 この子ってば、ほんとにズルい。嫌味の一つも言ってやろうと構えていたのに、先手を打たれた格好だ。これじゃパンツの話なんか蒸し返せないじゃないか。怒れないじゃないか。可愛いじゃないか。策士め。

 それに流音君だって、わたし達のために戦ってくれたんだもんね。

 ちとツッコミ足りんが、しゃーない。この件は不問に処すか。


「ごめんね、心配掛けて。わたしは大丈夫。ごめん」


 胸元を掴む流音君の手に、わたしは、そっと自分の手を重ねた。

 まだ兄達には及ばない、でも微かに骨張って、男性のそれに成長しつつある拳。

 あぁ、知らなかった。

 流音君の手、わたしより……大きかったんだね。


「流音、起きたばっかりで申し訳ないんだけど」


 躊躇いがちに、華音さんが、流音君の肩を叩いた。

 すん、と鼻を啜って、流音君は顔を上げる。

 完全にスイッチを切り替えたんだろう。潤んだ双眸も紅潮した頬も、あどけない年相応の名残をそのままに、小柄な身体は、確かな決意を宿して背を伸ばす。


「わかってる。世音兄ちゃん援護するんでしょ」

「うん。だけど、その前に……」


 華音さんが、これまでの経緯をザッと説明する。


「要するに、生贄の魂を見付ければいいんだ?」


 さすが。飲み込みが早くて助かる。


「先輩は、アイツが身体の中に隠してるって言うんだけど」

「だね。たぶん」

「ほ、他の場所ってことはないのかな? 例えば祠みたいなところに……」


 それなら、わたし達も手分けして探せる。

 思って意見したのだが、流音君は、首を横に振った。


「アイツ用心深いもん。肌身離さず身に付けてるって考える方が妥当」


 言って口元に手を当て、眉を寄せて黙り込む。

 作戦を練ってるんだろうか。

 頭の悪いわたしに言えた義理ではないけれど、急いでほしかった。こうしている間にも、眠り蛇と先輩の戦いは続いている。奴の呪詛は、徐々に先輩を蝕むのだ。長引けば紫音さんの二の舞。ジリ貧だ。


「流音、」

「だいたい無茶なんだよね~戦いながら探すとか」


 焦れた華音さんが呼び掛けるのと同時、流音君は、はぁと溜息を吐いた。

 意図して兄の言を潰したのかどうかは知れない。だが、流音君の表情には明らかな憂鬱の色が射し、ふっくらした唇は歪んで、その声は幾許かの煩わしさを含んで毛羽立っていたように思う。

 しばし置いて、華音さんがもう一度、口にした。

 たぶん、さっきと同じことを。


「だったら、どうするのさ?」

「だったら――……」


 俄に鋭い光を帯びた眼が、まず次兄を。次にわたしを見た。

 そして、視線の動きに釣られて行き着く先、件の三男。

 木刀を脇構えに携え、真っ正面から眠り蛇に突っ込んでゆくところだった。









 跳躍し、肩口を狙う木刀を、巨大な手が薙ぎ払う。

 空中で体勢を立て直して、再挑戦。今度は肘だ。眠り蛇は、腕を振り回すようにして、これも弾き飛ばす。あの巨体は伊達じゃない。やはり腕力での勝負は、彼方に分がある。体重が違いすぎるのだ。

 しかし、先輩が振るうのは、氷の刃。たとえ有効な打撃でなくとも、肌に触れるだけで奴は凍傷を負う。腕や腹の一部、首、長い胴体の数カ所で皮膚が爛れ、痛々しく変色した肉が蠢くのが、遠目にもわかるほどだ。

 それは性質としては真反対だが、紫音さんが負った傷とよく似ている。先輩なりの意趣返し、なのかもしれなかった。


「まだまだ行くぞオラァ!」


 綺麗に着地した先輩が、再び真正面から、眠り蛇に特攻した。

 ちょっ、先輩。掛稽古じゃないのよ。素人考えで恐縮だが、背後とか奴の注意が届きにくい方向から行った方がいいんじゃないろうか。なにより同じ動きばかりでは、いい加減にパターンを読まれてしまう。一撃でも食らったら致命傷だぞ。

 果たして眠り蛇は、上半身を大きくもたげ、鷲が獲物を掻っ攫うような形状に腕を広げて、これに応じる。右手か左手か。横にぐか、弾くか。一直線に向かってくる先輩に対して、如何様にも対処できる体勢だ。


『阿呆が!』


 裂けた唇の端がニヤリ持ち上がり、眠り蛇は、その腕を高く掲げた。

 両手だ!

 しかも上から。腕力に任せて押し潰すつもりか。

 まずい。これじゃ縦にも横にも逃げられない!


「……バーカ」


 しかして先輩は、縦にも横にも動かなかった。

 逆である。

 顎と膝が付きそうなくらい。うんと身体を屈めて、木刀を前に突き出したのだ。


『ぐおうっ!』


 双方が全力前進していた果ての正面衝突。勢い余った眠り蛇は、懐に入り込んだ先輩をどうすることもできない。自ら切腹しに行ったようなものだった。切っ先は臍の辺りにズブリと突き刺さって、そこから黒い液体と蒸気が飛び散った。

 じゅぅうう。

 身悶えて、眠り蛇は苦痛に呻く。

 そうか。先輩、初めから腹狙いだったんだ。


『おのれ……っ』


 いや、浅い。

 眠り蛇の手が、先輩の腰をガシッと掴む。いとも容易く、百八十センチの長身が持ち上げられた。その先には、これも百八十度に開いた大口。鋭い牙と二股に分かれた舌が、涎を垂らして待ち構えている。

 あぁ失策だ。

 ――眠り蛇の。

 先輩は木刀を所持しているのだ。掴むならば、腕にしておくべきだった。怒りに冷静さを欠いたのか、奴も焦ったのか。いずれにせよ、この行為は先輩にとって、絶好の攻撃チャンスとなった。


「待ってたぜ!」


 ここぞとばかりに、先輩の木刀が、目前に迫る舌を深々と突き刺す。

 ぎゃあ、と派手な悲鳴を上げて、眠り蛇は先輩を放り捨てた。よっぽど痛かったんだろう。もうもうと蒸気を吐く大口は、気狂いじみてのたうち回る舌を隠すこともままならず、しとどに涎と体液を撒き散らしている。

 そりゃそうだ。キンキンに冷えた氷柱が舌を貫通したんだから。想像するだけで痛すぎる。さすが仇志乃の三男。結構エグいことをする。

 その先輩は、空中で綺麗に一回転して、百点満点の着地。追撃に備え、すぐさま体勢を整えた。眠り蛇は、まだ立ち直れない。間合いは充分。面でも小手でも、今なら何処でも入る。今度こそ、本当のチャンスだ。

 畳み掛けるなら――


「えっ?」


 ところが、どうしたことか。

 上段に構えた木刀が、徒に空を切った。

 そのまま下がって、ふらり地面に突き刺さる切っ先。辛うじて柄を握る手には、けれどまるで力が入っていない。両腕は肩から脱力して垂れ、まさに踏み出さんとしていた脚は、目的を失って棒のように立っているだけ。

 これって文字通りの棒立ち?

 な、なんで?

 思った瞬間、ぐらり。先輩の腰がくずおれた。


「先輩!」


 堪らず駆け出そうとしたわたしを、華音さんの腕が引き留める。


「危ないよ瑠衣ちゃん!」

「でも先輩が!」


 あぁ、なんてこと。こんなときに!

 毒が……眠り蛇の呪詛が、先輩の身体を蝕み始めたんだ。

 防御しているのに、紫音さんよりも回りが早い。

 奴の呪詛も強力になっている!


『おのれ……おのれ……虫けらが…………』


 悪いことに、このタイミングで眠り蛇がダメージから復帰した。

 激しい怒気のために長い髪は逆立ち、全身から腐臭と憎悪を迸らせて、血走った眼で先輩を睨み付けている。見れば、ドス黒い邪気に包まれた部分。先輩が負わせたはずの傷が、ブクブクと泡を吹きながら癒えてゆくではないか。

 再生……してる?

 愕然と眺める間にも、奴は、ありえない早さで回復していた。腹も腕も、貫かれた舌さえも。早回し映像みたいに、どんどん元通りになってゆく。ちょっと、ズルい。自動回復とか聞いてない。反則だろ、それ。

 ――先輩は!?

 焦って走らせた視線、突き付けられた光景は、あまりに絶望的だった。

 地面に片膝を着き、さっきまで自在に振るっていた木刀に縋って、ようやく倒れずにいるといった有様。どうにか立ち上がろうとしているんだろう。項垂れた頭を何度も左右に振り、己を叱咤する様子が見て取れた。

 でも間に合わない。

 ずるり、ぞろり。ゆっくりと眠り蛇が這い寄ってゆく。


「やだっ! 先輩!」


 自分でも、何処にこんな力があったのかと驚くほど。

 わたしは華音さんの腕を振り払ってしまった。


「駄目! 瑠衣ちゃ……」


 なにか薄い紙片が、猛スピードでわたしの髪を掠めて飛んでいった。


 一瞬どうなったのかわからず、足が止まる。見開いた視線の先、数枚にばらけた紙片はある一点を目指して滑空し、先輩の元へ辿り着くと、素早くその身体を取り囲んで空中に静止した。守るように、盾のように。

 淡く緑色に光る、あの紙は……。


「……流音」


 華音さんが呟き、わたしも振り返る。

 呪符を放ったままのポーズで、流音君が頷いた。


「僕が行く」


 ふぅ、と歪んだ唇から重い息が漏れる。

 緊張のためか疲労のためか、やや青ざめた童顔は、それでも鋭く前方を見据えて背を伸ばす。わたしと変わらない体格が、張り詰めた呪力のために一回りも二回りも大きく見えて、その奇妙な錯覚に、何故だか心が静まった。

 そうだ。

 流音君がいる。


「流音、勝算は?」

「さぁね。でもやるっきゃないじゃん? 華音兄ちゃんが言ってたくせに」


 わたし達を一瞥し、少し不敵に微笑んで、流音君は肩を竦めた。

 どんな策があるのか知れないが、今は彼を信じて託す他ない。わたしも華音さんも固唾を呑んで、遠ざかる背中を見守った。

 お願い、流音君。先輩を助けて!

 あなたに掛かってるの!


「え、あれ?」


 ところが次の瞬間、わたしは我が目を疑った。

 だって流音君、うずくまる先輩をガン無視、華麗にスルー。

 駆け寄ったのは、なんと眠り蛇の元ではないか。


「ちょっといいですか~? お取り込み中ごめんなさいね~」


 あまりに呑気で場違いな声が、この場にいる全員の虚を突いた。


「…………」

「…………」


 わたしも華音さんも、言葉もなく固まる。


『……な、何者ぞ?』


 唐突の乱入者に、さしもの眠り蛇も面食らったらしい。精一杯の威嚇として開いた口から漏れたのは声は、情けなく上擦っていた。

 流音君の方は、平然としたもの。ヘラヘラと首を振って、どういうつもりか諸手まで挙げている。不意打ち……に出るなら、もう遅いぞ。未だ動揺してはいるが、眠り蛇は、しっかり流音君を射程範囲に捉えている。

 なんなの? どうするの?

 そうして皆が困惑する中、次に流音君が発した言葉は、まったく誰にも予想外。

 至極とんでもない提案だったのだ。


「僕、仇志乃流音です。そこそこ呪術いけます。どうか貴方の――」


 部下にしてくれません?







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