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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
四人坊主は祈らない
31/46

対峙

23.






『……忌々しや』


 腹を抉られるような轟音に、わたしは、思わず耳を覆った。

 天から降ったか、地から沸いたか。遠雷にも似た威圧感は到底、人の発声器官に出せる音ではない。事情を知らなければ、神の声と思ったかもしれない。


『あと一人……あと一人で……百人に達したものを…………』


 でも違う。

 カラカラにれ、そのくせ粘りけを帯びて濁る、ゾンビめいた怒声。

 こんな声が、神様のわけがない。

 神だとしたら……そう。

 死神。


『我が念願を阻む愚か者は、誰ぞ』


 奴が口を開く度に、古めかしい日本語が、頭の中にガンガン響く。

 どうやって喋っているのか考えようとして、やめた。あれは呪詛だ。どうせ人間の常識なんて、治外法権。わたしには理解不能な方法で、意思を発しているに違いないのだから。

 それでも、ただ一つ、わかることがある。

 裂けた口が苛立ちを吐くのに併せて、辺りの空気が淀んでゆくのだ。

 締め切った室内に十人のヘビースモーカーが監禁されたら、或いはこんなふうになるんだろうか。息苦しいほどの嫌悪感が、場に充満しつつあった。漂う悪意は、梅雨時の湿気に刺でも生えたよう。ピリピリと尖って纏わり付き、喉を刺す。

 そんな空気をものともせず、紫音さんが、不意に一歩を踏み出した。


「おはよう」


 《 死 ね 》


 いきなり!?

 ちょっと、紫音さん。挨拶ついでに処刑か。ガチで殺す気満々か。ご近所さんに「あらどちらまで」のノリでか。登場シーンはスキップする派か。

 様々なツッコミどころが脳内を駆け巡ったが、言霊は音声。即ち、音速である。その一瞬で、オタマジャクシの元へ届いただろう。シンプル且つ無慈悲。素っ気なく放たれた一言は、わたしが知る中で、最も殺傷能力の高い凶器だ。

 だから、普通ならば、これが致命傷となるはずだった。

 哀れ前口上も許されず、奴は倒れて、そのままポックリ逝くはずだった。

 はずだったのだ。




『小賢しいわ』




 ところが、オタマジャクシは、ぶるんと頭を一振り。

 億劫げに身動いだのみ。

 倒れるどころか、苦しむ素振りすら、見せないではないか。


「…………」


 吹く風の音が、十秒。二十秒。虚しく過ぎてゆく。

 紫音さんの黒髪が揺れる。


「…………」


 う、うそ?

 ――言霊が効いてない!?


「おや」


 まるで平然としている相手に、紫音さんが、小首を傾げた。

 いや、あんたも、そんなリアクションでいいの!?


『斯様なさえずり、蠅の羽音よ。先は夢うつつに不覚を取ったまで』


 オタマジャクシの避けた口が、ニヤリと三日月の形に持ち上がる。

 笑っているのだ、と思った。


『やはり言霊使いか。剣呑な若造じゃ。ようも食事の邪魔をしおって』

「眠りながら食べるとは、ずいぶんと行儀の良いことだね」


 奴の言葉に応じて、紫音さんが、再び一歩を踏み出した。


「だ、駄目! 紫音さん!」


 わたしは、慌てて紫音さんの足にしがみついた。

 マズいでしょ、これは。

 そりゃ言霊は最強だけど、それは通ってしまえばの話だ。逆に言えば、紫音さんには、これしかない。封じられたとなれば、ただの綺麗なお兄さんなのだ。あんな化物と戦えるわけがない。


「あいつ、言霊が効いてません!」

「そのようだね。強力な呪詛になると、呪力に妨げられることもあるのだよ」

「危ないですって! 逃げてください!」

「この場で私が退いたなら、残された弟達や君は、どうなるね?」


 予想外の力強い即答に、わたしの方が、言葉に詰まった。


「これまでに食われた乙女達は、どうなるのだね。私は僧として、彼女達の無念を往生に導かねばならない。ああして暗い呪詛の底に囚われ続ける運命が、どれほど辛く哀しいことか……中にいた君が、わからぬはずもあるまい?」


 それは……。

 畳み掛けられて、わたしは、視線を落とす。食われた。頭蓋骨達の合唱が、脳裏に蘇る。薄々そんな気はしてたけど、あれってやっぱり、同じように井戸に食われた女の子達だったんだ。

 ……彼女達は、まだ、いるのか。

 あんなにも暗く冷たい、絶望の底に。


「あの呪詛は、この世に存在してはならぬ厄だ。此処で討ち漏らせば、必ずや後生の憂いとなろう。見過ごすわけにはいかないのだよ。人として、仇志乃として」


 反論できなかった。

 自分で引き留めておいて、圧倒されていた。

 柔らかなはずの、紫音さんの声。そこに込められた正義と矜恃が、揺るぎない刃となって、わたしの胸に突き刺さる。あぁ、やっぱり兄弟だな。何故か先輩の顔が思い浮かんで、妙な得心に、唇を噛んだ。


「大丈夫。なにも心配することはない」


 前を見据えていた紫音さんが、わたしの方を向いて、頷いた。

 いつもと変わらない、穏やかで不敵な微笑を浮かべて。

 ……ほんとにもう、男って奴は。

 言っても聞きやしないんだから。


「あいつまでの距離は、二十メートルくらいです」


 わたしが囁くと、紫音さんの柳眉が片方、ピクリと上がった。

 幸い、今夜は満月だ。遠くまで見通せる。


「まっすぐなら、これといった障害物はありません。でも右側、危ないです。注意してください。井戸の残骸が倒れて、瓦礫が散乱してます。それから、地面が蜘蛛の巣みたいに割れてます。足を引っ掛けたら転びそうですよ。スポッとハマっちゃうことは、なさそうですけど。き、気を付けてください」


 一息に言い切って、ぐっと拳を握る。

 付き合わせた美貌が数秒、キョトンとして。

 それから、ふわりと破顔した。


「わかった。ありがとう、瑠衣君」


 世音を頼むよ。

 呟いた唇を引き結び、紫音さんは、わたしに背を向けて歩き始めた。


「お前が《眠り蛇》かね?」

『さてな。千年の月日のうちには、そう呼ばれることもあったろうが』


 紫音さんが問う。

 奴が答える。

 眠り蛇、という単語が、何故か耳の奥でざわめいた。


「差し支えなければ、目的をお聞かせ願いたい」

『貴様の知ったことか。何れ邪魔をするのだろうが』

「生憎、資料を残さねばならぬ身でね。形式上の質問なのだよ」


 一歩。また一歩。足先で地面を探りながら、紫音さんは、じりじりと距離を詰めてゆく。交差する二つの声は、美と醜。真逆の音色を奏でつつ、けれども同じ魂胆を含んで、互いを牽制し合っていた。


「尤も、いくらか見当は付いているがね」


 紫音さんの後ろ姿が、遠ざかる。


『貴様こそ、何者ぞ? ただの人ではあるまい』

「なに、一介の僧だ」

『ここ数日の騒ぎは、貴様の扇動か。何故、儂の邪魔をする?』

「成行上……と言いたいところだがね。事情が変わったようだよ」

『事情だと?』

「うむ。その上で、是非とも頼みがあるのだが」

『命乞いか』

「いいや。まぁ、頼みというよりは、提案なのだよ」


 長い黒髪を靡かせる風は、ごうごうと唸り、不気味な声を運んでくる。

 おおい。おおおおおい。

 呼んでるんだ。彼岸の国から。仲間を求めて。

 紫音さんか。奴か。

 どちらを。

 冷たい汗が背中を伝い、わたしは護符を握り締めた。


「ここはひとつ、無抵抗で大人しく調伏されてはくれまいか」


 紫音さんが足を止めた。


『なん……だと……?』


 両者、間合いに入ったのだろう。

 斯くして、僧衣の美丈夫と巨大オタマジャクシが、至近距離で対峙した。

 ……デカい。

 ここまで近付けば、歴然だ。体格差なんてもんじゃない。百八十センチの長身が小さく見える。奴の特大砲丸のような頭は、その直径だけで紫音さんの背丈を軽く超えてしまうのだ。

 勝ち目あるのかこれ。

 もちろん、紫音さんは、ただ喋ってるだけじゃない。細心の注意を払いながら、たぶん、呪力を練ってるんだろう。でも、言霊は効かなかった。どうする? なにか考えがあるとは思うんだけど……。

 思うんだけど、なんでそんな煽っていくスタイルなんですか、紫音さん。

 さっきから聞いてて、わたしの方がハラハラしてるんですけど。


「さすれば、お前は無駄に痛い思いをせずとも済む。私は楽ができる。互いの利が一致するというわけだ。今夜は少々疲れている。早くお風呂を頂いて、温かい布団で眠りたいのだよ。それに、あぁ、忘れていたけれど、お腹が空いたね」


 ぶちん。

 太い紐が切れたような音がした。

 オタマジャクシの背景が、黒い炎のように歪む。

 濃度を増す悪臭。喉を刺す嫌悪感は不快感へと変わり、息苦しさに輪を掛ける。吹く風が一際、荒々しく空気を浚えば、あとには急激に膨張した邪気。奴の発する憎悪と殺意が渦巻いていた。


『ぬかせ、黄口児わっぱが! たかが呪術師の分際で!』


 大喝一声、オタマジャクシが吼えた。


『飢えておるのは儂ぞ! 貴様が邪魔をしたのだ! あと一人であったものを!』


 次の瞬間、ぐわり上体を持ち上げたオタマジャクシ……いや、眠り蛇が、黒い涎の滴る大口を開けて、紫音さんに襲い掛かった。







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