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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
平成呪術師日常風景
3/46

世渡り上手は罰当たり 2

2.






「まずは、三組の小杉満里奈ちゃん!」


 たっぷり五秒ほど溜めて、流音君は、スクールバッグから小さな平箱を取り出した。透明なラッピングの袋越しに、明るいピンクの包装紙が見える。

 同封された封筒には、小杉満里奈より、と書かれている。


「明るくて活発! ショートが似合ってて、芸能人で言うと……」

「そういうのいいから。勿体付けないで」

「手紙見ようぜ手紙」

「あ、ちょっと世音兄ちゃん!」


 せっかちな先輩が、流音君の手から、手紙を引ったくった。

 取り返すべく、流音君が立ち上がる。


「駄目だって返してよ!」

「いいぜ。ここまで届きゃ返してやんよ? ほらほら」

「なにこいつムカつく~! ちょっと背高いからって!」

「誰がコイツだ? 兄貴に向かって?」

「世音、やめなってば」

「あーもう先輩! 流音君、困ってるでしょ」

「うるせー、困らせてんだよ」


 先輩は、手紙を高く掲げて、あっちこっちへ動き回る。

 追い掛ける流音君も、スピードは申し分ないのだが、なんせ相手は百八十センチの長身。加えて、その長い腕を最大限に生かす戦法を採っているのだ。どう足掻いても、背丈が足りない。猫じゃらし宜しく、いいように弄ばれるだけだ。

 流音君は益々、ムキになる。

 そんな流音君を見て、先輩は一層、喜ぶ。

 子供か、あんたら。

 ここに、華音さんまで混じるものだから、もう、えらい騒ぎだ。仲裁目的のはずが、一緒になって遊んでいるようにしか見えないのは、やっぱり、兄弟だからか。大きなお友達、居間でドタバタと鬼ごっこするの図である。

 放置プレイに徹する紫音さんは、さすがに長男の貫禄だった。


「えーっと、なんて書いてあるんだ? どれどれ……」


 ところが、この馬鹿騒ぎは、唐突に終息を迎えることとなった。

 先輩の読み上げた言葉が、場の音という音を消し去ったのだ。




「大好きな、赤井君へ」




「…………!」

「…………!」

「…………?」

「…………!?」


 あかい。


「我が家は先祖代々、仇志乃なのだがね」


 ややあって、紫音さんが、首を傾げる。


「……誰だい、赤井って?」


 恐る恐る華音さんが続く。

 流音君は、それこそ書いた文字を読むように、答える。


「右隣の……ロッカーの奴」


 プッと、先輩が吹き出した。


「だっせぇえええ! 間違われてやんの!」

「う、うるさい!」

「ひゃっははははは!」

「黙れバカ! 返せ手紙!」

「はははははは!」


 ……あーあ。

 なんというか、ご愁傷様。

 さっきまでのハイテンションは何処へやら。流音君は、顔を真っ赤にして、頬を膨らませている。勘違いもそうだけど、あれだけ大見得切った後だもの。さぞかし恥ずかしく、バツの悪い思いをしているに違いない。


「まぁまぁ、もう一個あるんでしょ?」


 わたしは見かねて、先を促した。

 自慢じゃないが、叶瑠衣。この程度の不運ならば、慣れっこなのだ。

 そんな不運少女からのワンポイントアドバイス。こういうときに、落ち込んではいけない。ネタになったぜと、笑い飛ばすくらいで、ちょうどいいのよ。起こってしまった事故、怪我してから悩んだって、治るわけでもないからね。

 気持ちは良くわかるが、とっとと次へ移るに限る。


「そ、そうだよね……そうだよ!」


 流音君は、此方を向いて、精一杯の笑顔で親指を立ててみせた。

 だが無理すんな。若干、ぎこちないぞ。


「次、一組の中村夕子!」


 気を取り直して、再チャレンジ。スクールバッグに手を突っ込む。

 今度は、白いラッピングの包みが出てきた。

 例によって手紙付きだ。


「一人くらい別にいいもん。ていうか中村のが好みだし。こっちが本命だし」


 しかし今更だけど、本命が二人ってどうよ。


「えっと……突然のお手紙で、ごめんなさい。あなたが好きです……!」


 学習したのか、先輩に奪われる前に、流音君が自ら、手紙の文面を読み上げた。

 先輩が、ひゅうと口笛を吹く。

 満更でもない様子で、流音君は続ける。


「初めてチョコレートを作りました。食べてもらえると嬉しいです。」

「いいねいいね」

「それから?」

「急かさないで。えっと、いつも部活を頑張っている姿に、ドキドキします。」

「おお!」

「剣道部なんて、かっこいいですね。凄いと思います。」

「年中汗臭いけどな」

「ファブってるもん! んと、次の大会は、優勝できるといいですね。」

「そうだね」

「良かったら、今度、一緒に水族館へ行きませんか? お返事待ってます。」




 足 立 君 へ 。




「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 …………。


「左隣かね?」


 再び氷点下の沈黙に包まれた場で、紫音さんだけが、平常運転だった。


「あの、る……流音君……?」


 両手で手紙を持ったまま、フリーズしてますけど。

 華音さんも、二度目を訊ねる勇気はないらしい。あからさまに哀れな弟から眼を逸らして、胡座を掻いた膝を、ソワソワと揺するのみだ。どう声を掛けたべきか、必死に考えているようだった。


「――ひゃっはっはっは!」


 沈黙を破ったのは、先輩の馬鹿笑いだった。


「やべーツボった! はははははは! ざまぁああ!」

「ちょっと先輩」


 わたしは、世音先輩の脇腹を突っつく。

 気の毒に流音君、ショックでプルプル震えてるじゃないか。この状況で爆笑するとか、あんたそれでも兄ちゃんか。いくらなんでも、デリカシーなさすぎるんじゃないか?


「はははは、マジかよ連チャンって! ひゃっはははは」

「先輩ってば!」

「や、やめなよ世音」

「だってバカじゃんありえねー!」

「世音、いい加減に……」

「ひゃははははは!」


 わたしと華音さん、二人掛かりで制しても、先輩は聞く耳を持たず、腹を抱えて笑い続ける。

 遂には、あろうことか、傷心の流音君に向かって、トドメの一撃を放った。


「普段調子こいてっから、バチが当たんだよ。上手く立ち回ってるつもりなんだろうけどよ、案外見られてるぜ? そーいうの。わかる奴はわかるんだ。裏表の激しい男なんざ、信用ならねーってな。勉強になったじゃねーか!」


 う。

 きっつ!


「ま、これに懲りたら、ちったぁ誠実になれば? はははっ」


 そのとき突然、流音君が、勢い良く立ち上がった。









「きゃっ」


 止める間もない。

 先輩に掴み掛かった流音君は、呆気なく足を払われ、畳の上に横倒しとなった。

 起き上がろうとした、そこに先輩が伸し掛かって、顔面にアイアンクローを仕掛ける。流音君は抵抗する。ジタバタと藻掻いて先輩の背中を蹴ろうとするも、如何せん体勢が悪い。力が入らないみたいだ。


「ちょっと二人とも!」


 華音さんが咎める声を上げても、二人は、ガン無視。

 組んず解れつ、居間の端へと転がってゆく。

 え、これってケンカ?

 いきなりケンカ始まった!?


「笑うな! 笑うなバカ!」

「ひゃっははははは!」

「呪うぞ! 呪ってやるぞ!」

「やめなってば世音! 流音も!」

「呪うってか? やってみろよ! 熨斗付けて返品してやんぜ!」

「いい加減に……痛いっ! ちょ、それ俺の髪……ッ!」

「殺す! バカ兄貴ブッ殺してやる!」

「痛い痛い痛い踏んでる! 踏んでるってば! 俺踏んでるのどっち!?」


 逆上する末っ子。

 それを更に煽るアホな三男。

 二人に挟まれ、とばっちりで被害を被る次男。

 さっきのドタバタと構図は似ているが、今度は全員がガチだ。微笑ましいはずのイベントは一転、和やかムードは吹き飛んで、最早この場は、暴力と罵声の支配する世紀末と成り果てていた。


「し、紫音さん!」


 どうして良いかわからず、わたしは、紫音さんの肩を揺すった。

 けれども、この長男。弟達が取っ組み合って暴れる傍で、マターリ茶など啜っているではないか。先刻と同じく正座したまま、微塵も慌てる気配はない。


「放っておきたまえ。いつものことなのだよ」

「でも……」

「皆、死なぬ程度は心得ているよ」

「そんな! そういう問題なんですか!?」

「瑠衣君は離れていたまえ。巻き添えを食ってはつまらない」

「このままじゃ怪我しちゃいますよ!」

「それは好都合。骨の一本でも折れば必然、収まるのだよ」

「猛獣の一家!?」


 どういう教育方針なの、紫音さん。

 いや、男兄弟には、よくあることなの? あるあるなの?

 いずれにせよ、わたしには、なにもできない。

 オロオロしながら、成行を見守るしかなかった。


 一発の拳が、流音君の頬に決まった。

 怯んだところに二発、三発。先輩が続ける。流音君もやり返す。でも、体格差が絶望的だ。軽くあしらわれ、お腹を蹴飛ばされて、背中から倒れ込む。逃げようとしても、間に合わない。

 先輩が、マウントを取った。

 流音君の両手を押さえ付けて、勝利を宣言すべく、ニヤリと笑う。

 その顔に、流音君が渾身の頭突きを放った。

 油断していたんだろう。先輩は、仰け反って、腰を引く。

 この隙が、流音君の追撃を許した。

 跳ね起きた勢いで、先輩に体当たり。

 初めて、先輩が怯んだ。

 好機。最大まで体重を乗せた拳を、引き絞って、放つ。

 しかし、先輩は躱さない。逆だ。するりと鮮やかな身の熟しで、逆に流音君の懐へ滑り込み、パーカーの襟首と胸元を掴んで、膝裏から脚を掛ける。

 ――膝車だ!


「…………ッ」


 受け身を取り損ねた流音君は、背中を強打し、ぐっと呻いて、口を噤んだ。

 先輩が、手の甲で口元を拭う。


「そこまで! 勝負あり! 勝負ありッ!」


 すかさず華音さんが、間に割って入った。


「お前達、それ以上は両成敗だよ」


 少し遅れて、紫音さんが、追い打ちで釘を刺す。

 長次兄、二人の宣言を以て、すべては終了したのだろう。


「十年早ぇんだよ、クソガキが」


 捨て台詞を残して、先輩は、リビングを出ていった。





                  †





 二階へ上がる先輩の足音も途絶えて、居間は、怖ろしいほど静かになった。


「流音君……?」


 流音君は、答えない。

 両手足を放り出したまま、仰向けで、憤然と空を睨み付けている。


「流音」


 紫音さんが、末っ子の名を呼んだ。


「流音。おいで」


 すべて心得ているのか。その声は、とても優しい。

 これを待っていたのかもしれない。

 流音君は、上体を起こして、一直線。

 紫音さん目掛けて突進していった。


「うわぁあん!」

「おや」


 半ば押し倒されるような格好で、紫音さんは、流音君を抱き止めた。


「紫音兄さん! 紫音兄さぁん!」

「あぁ流音。傷付いたのだね。よしよし」

「世音兄ちゃんが! 殴った! あんなこと言う!」


 和服の膝に突っ伏して、流音君は頭を振る。

 その頭を、紫音さんが撫でる。


「あれは、あれなりに流音を心配しているのだよ」

「嘘だ! 僕のこと嫌いなんだってアイツ!」

「本当に嫌いならば、あの子は、なにも言わない」

「だって!」

「心配は無用。お前は愛されているよ」

「紫音兄さんだけだもん! 僕のことわかってくれるの!」

「そんなことはない。嫌いな者に使える時間など、大人にはないのだからね」

「アイツ高校生じゃん! しかも兄貴のくせにデリカシーゼロ!」

「む、それは否定できないね」

「つーかフラれたし! 僕フラれたし!」

「それも事実だね」

「みんな僕のこと嫌いなの? だから意地悪するの?」

「よく聞きたまえ、流音」


 紫音さんは穏やかな、けれど拒絶を許さない凜とした声で言って、流音君の頬に手を添えた。


「それは皆が真剣に、お前と向き合っているからだよ。嫌なことも言えば手も出るだろう。見返りなど求めていないのだからね。その上で、考えてみたまえ。お前が本当に欲しかったものは、なんなのだね? チョコレート? 称賛? 拳骨?」


 流音君は、ハッとして、紫音さんをみつめた。


「どれも違うのではないかね? 仮に此の世が、一切の損得を介さぬ世界であったならば。そのとき、お前は、どうするだろうね? 利に聡いことは、必ずしも悪ではなかろう。けれど過ぎた固執は、いつか眼を曇らせる。わからなくなってしまうよ。はて、己が心から求めているものは、いったい、なんだったのだろう。と」


 それが見えているかのように。

 紫音さんは、ゆっくりと頷く。


「…………」


 ぷっつりと喚くのをやめて、流音君は、黙り込んでしまった。







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