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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
四人坊主は祈らない
28/46

鬼門解放

20.






 ぶっちゃけ、俺達は最初っから、兄さんをアテにしていた。

 指示から術式、なにからなにまで全部やってもらえると思っていた。そんな主戦力の離脱は、まったくの想定外だったんだ。その上、予めの打ち合わせすら忘れてた。それぐらいには、全員が焦ってた。

 だから、今から行う術は、流音の案。オリジナルということになる。ものの数十秒で、なにか策を練ったらしい。この頭の回転の速さには、いつも胃が痛くなる。なんで兄弟で、こうも出来が違うんだろうな、俺達。


「でも、どうやって?」

「鬼門解放」


 事も無げな即答を聞いて、俺は盛大にせた。

 なにしろ、渡された御神酒を口に含んだところだったから。


「おまっ……ゲホ! ゲホッ……」

「あ、ちゃんと飲んどいた方がいいよ。後が辛いから」

「……ゲホッ…………」


 鬼門。

 鬼のやってくる方角。

 陰陽道では東北がそれに当たり、仇志乃流は、この流れを汲んでいる。ここで鬼と表現されるものは、頭に角の生えた例の怪物だけじゃない。あらゆる呪詛、邪念や穢れなど、いわゆる「良くないもの」を総称して、鬼と呼ぶんだ。

 現代ほど科学の発達していない時代、人々は、病気や自然災害なんかは、そんな鬼達が運んでくると考えていた。今じゃ信じてる人も稀少だろうけど、俺達の業界じゃ、割とよくあることだ。何らかの原因で、開いた鬼門が原因ってパターン。

 だから先人達は、様々な防御策を講じて、これを封じている。地蔵や石碑、祠、色、建物。風水的には、京都が有名だろうか。つまり村単位、町単位で、それぞれ対鬼門の造りがあるってわけだ。

 もちろん、この街もそう。

 流音は、それを無理矢理こじ開けるつもりなのか?

 何故?

 そんなことをしたら、付近の邪念や呪詛、穢れが一気に流れ込んでくる。

 流れ込んだものは裏鬼門、つまり反対の方から抜けてゆくんだけど、その際、場には凄まじい負の引力が発生する。呪術的に、洪水みたいな状態になるんだ。それでなくとも井戸がいるってのに。これ以上、厄介を増やしてどうするんだ?


「激流の中に立つようなもんだぞ!」

「それでいいの。華音兄ちゃんなら平気でしょ?」

「俺は耐えられるだろうけど! お前、吹き飛ばされるよ!?」

「リスクヘッジ」


 呪具を漁る手も止めず、流音は、ひょいと片足を上げて見せた。

 雪駄の裏には、いつの間にか、梵字が描かれている。チラッと見えた足首にも、複雑な図形があった。抗力の役目をする術だろう。さっきからゴソゴソやってると思ったら、こんなことしてたのか。


「引きずり出すのは無理だよ。力負けするし、逃げられたら終了じゃん」


 あくまで事務的に、でも早口で、流音が続ける。


「いい? 僕らはね、勝つ必要はない。井戸を倒すことが目的じゃないんだ。目的は世音兄ちゃん達を助けること。そこんとこ間違えないでね」


 札束よろしく呪符を捌いて、流音は、鬼門の方角を見据えた。


「出てきてもらう。井戸の方からね」


 …………?

 わからない。流音は、なにを考えてるんだ?


「そ、そんな方法があるのかい?」

「ていうか、たぶん、それしかない。そもそも僕が戦える相手じゃないし」

「急がないと……!」

「だったら尚更。冷静に、確実にヤらなきゃ」


 流音は素早く真言を唱え、呪符の束を天高く放った。

 呪符は青白く光って、在るべき場所へと散ってゆく。風向きも物理法則も無視して、四方八方。樹木、フェンス、門柱と、相応の位置に張り付いてゆく。これは、制御点だ。即ち、結界を構成するための柱。

 すべての呪符が、流音の意図した箇所に収まったんだろう。

 程なくして、場に守護の力が満ちたのがわかった。

 ちょうど学校の敷地を囲む形で……ん?

 いや。

 二カ所。

 東北と南西の方角が。

 鬼門と裏鬼門が開いている。


「流音、裏が」

「わざと。閉じ込めてどーすんのさ、バカなの? それより、これ撒いて」


 ポンと投げて寄越されたのは、巾着に入った米粒だった。一合分くらいか。

 邪念を呼ぶための餌だ。

 もしかして……鬼門解放は、ただのプロセスなのか?

 邪念を呼び込むことにこそ、意味があるのか? そのために裏鬼門を開けてあるのか? だけど、逃がすつもりなら、どうして誘ったりするんだ? 流し素麺でもあるまいし、通り抜けるだけの邪念になんの利益が……

 ……流れ。

 ハッとして、俺は巾着袋を握り締めた。

 待てよ。流音の考えてることって。


「あとこれ」


 米を撒き終わると、今度は紅入貝べにいれがいとペットボトルが飛んできた。


「先に渡しとく。今から僕、手汚れちゃうから」


 ペットボトルの中身は、加持水か。

 だとすれば、俺の推測が正しければ、こっちは。


「始まったら飲んで。華音兄ちゃんなら、命に別状ないって」


 たぶんね。

 付け加えて、流音は、ようやく探っていた鞄から目を離した。


「なに、この貝?」

「邪香が入ってる」


 ……やっぱりだ。

 これは、呪詛を寄せ、誘う匂いを持つ物質を粉状に挽いたもの。

 一般的には、香として焚いて、呪詛を誘き寄せるのに使う。猫に対するマタタビみたいなもので、奴等はこの匂いが気になって仕方ないらしい。でも、それだけ。退ける効果は一切ないから、単なる呪詛ホイホイに過ぎない。

 繰り返すけど、香だ。例外にしたって、せいぜい身体にまぶす程度。飲んだなんて馬鹿げた事案は、聞いたこともない。


「よっし」


 すべての準備が整ったらしい。

 流音は、ふぅと息を吐いて立ち上がった。


「華音兄ちゃん、寝てるときに髪を引っ張られたら、どうする?」

「上を……見るかな」

「そこに、すっごく気になるものがあったら?」

「確かめようとするだろうね」


 そうか、わかってきたぞ。

 流音の作戦は、要するに、釣りだ。

 先述の通り、開いた鬼門からは、大量の邪念や呪詛、穢れが流れ込んでくる。

 流れ込んだそれらは、裏鬼門へ抜けるわけだけど、その勢いときたら、滝を横にしたようなもの。凄まじい激流になる。それも結界を張ってあるため、無駄なく、効率的に一直線だ。考えられる限り、最大の瞬発力を得られるだろう。

 そして呪詛や邪念、穢れというものには、ある種の引力がある。

 合体するにしろ反発するにしろ、そんなものが頭の上で流れた日には、誰だってまず飛び起きる。刺激された井戸は、必ず上部に注意を払うんだ。

 其処に、邪香。誘引物質の塊と化した俺がいれば。

 相手も年季の入った呪詛だ。警戒して、地上までは出てこないかもしれない。

 それでも、ある程度は昇ってくる。

 習性として、昇らざるを得ない。


「それで、これ」


 振り返った流音の手には、三メートルくらいの黒い紐があった。


貫紐かんひも


 うん、知ってる。

 貫紐っていうのは、憎い相手の敷地内なんかに埋めて使う。一種の地雷だ。

 髪紐とも神紐とも呼ばれ、諸説ある。というのもこれ、本物の紐じゃない。紐状に固く編んだ《髪の毛》なんだ。それも、恨みを抱いて死んだ女性の遺髪が、最も効果が高いという。出所が気になるけど、そこはスルーした方が賢明か。

 敵と判断された者が踏む、或いは触れると、たちまち襲い掛かって皮膚を破り、体内に侵入。肉と精神を食らいながら這い上がり、脳に達するまで進むのをやめない呪具だ。

 言うまでもなく、それは激痛と恐怖を伴うもので、引っ張ったぐらいじゃ絶対に抜けない仕組みになっている。カンディルとかいう魚、あれにそっくりな性質だ。考えた奴は、べらぼうに性格が悪いと思う。マジで。

 この貫紐に侵されると、素人は、まず助からない。踏めば足を、触れれば手を。諦めて捨てることが、控えめに言って最善になる。頭まで行ったら、それは人間としての死を意味する。

 なんたって、死んだ方がマシってくらいの激痛と恐怖が、一生続くんだから。


「それが釣り糸ってわけか」

「まぁ僕が呪力で操るけど、本来、勝手に動くものだし。うっかり華音兄ちゃんの方に行っちゃったらゴメンね。ていうか、たぶん行くけど。我慢して」

「……腕と足と、どっち?」

「大丈夫。華音兄ちゃん、呪詛耐性だけはアホみたいに強いじゃん」


 おそらく、体内深くまで侵入する前に、溶けてなくなってしまうだろう。

 手持ちの中では、これを使うしかないから。とは流音の談。


「正直、僕の力だけじゃ足りないんだ。他の引力も借りないと」

「そのための鬼門開放か」

「うん。でもそうなると、邪香が散っちゃうでしょ」

「だから俺が地蔵になる?」

「そゆこと」


 なるほど。

 一分足らずの、ほんの僅かな時間で、よくこれだけ考え付いたもんだ。

 俺は素直に感心し、同時に弟の交友関係に、一抹の不安を覚えた。

 この子、本当は友達いないんじゃないだろうか。


「でも貫紐って、そんなに強度はないだろう? 大丈夫かな?」

「誰の髪だと思ってんの?」


 言われて、まじまじと貫紐をみつめた。

 長く美しい黒髪だった。手入れは隅々まで行き届いて、枝毛縮毛の一本もない。黒い絹糸を真珠の水で梳いたようだ。月光を照り返す艶は、清楚でありながら何処か妖しく輝いて、悪女のウインクと聖女の微笑の両方を連想させる。

 あれ、どっかで見たような……。

 というか、しょっちゅう見てるような……。

 ま、まさか。


「食い付いたら、しゃぶり尽くすまで離れないよ? あの性格だもんね」


 ゾッとして、思わず喉を鳴らした。

 に、兄さんの髪……!


「なに、ビビってんの? 大丈夫とか大見得切ったくせに?」


 唇を尖らせ、流音は上目遣いに俺を睨んだ。


「……ううん」


 応じる俺の声は、震えていたかもしれない。

 実は、ちょっとビビってた。

 囮の俺は当然として、流音だって、無事に済む保証はないんだ。鬼門解放は大技で、修行を積んだ呪術師でも下手を踏むことがあると聞く。まだ中学生の流音が、成功させられるだろうか。心配だ。なにより兄さんの貫紐が怖い。

 兄さんの貫紐が、怖い(大事なことなので二回言いました)。

 だけどさ、違うんだ。

 嬉しい。

 だって役に立てる。

 流音は、こんなときにまで空気を優先するような間抜けじゃない。生粋の軍師、リアリストだ。此処に在る限られた道具、人材。成功率、リスク、所要時間まで、すべて加味した上で、これが最善と判断した。適材適所を前提に。

 その中に、当たり前みたいに俺を含んで。

 今度は傍観者じゃない。要素の一つに、戦力になれる。

 不謹慎だけどさ。

 それが、嬉しいんだ。

 流音……口では役立たずなんて言って。

 ちゃんと俺のこと、信じて……。


「急ごう。痛いのなら慣れてる。遠慮なくやってくれ」

「……華音兄ちゃん、ドMだったの?」

「そうかも」


 白く輝く月の下、あどけない猫眼が、一瞬キョトンと瞬く。

 けれどそれは、じき呆れたような笑みに変わって、流音は、唇の端を不敵に持ち上げたんだ。


「おーらい」







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