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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
四人坊主は祈らない
27/46

兄を見よ

19.






 脇目も振らずに走ってきた流音が、ピタリと足を止めた。

 私立鳥部高校。

 月明かりに照らされた門柱には、そう刻んである。

 此処だ。乱れた呼吸を整えつつ、俺は、校庭の様子を確認した。特に異常はなさそうだけれど、間に合ったのか、それとも……脳裏を掠める最悪の事態に、俺は頭を振る。此処まで来て、そんなこと考えちゃいけない。


 全力疾走してきた道筋は、あちこちが陥没したり地割れが発生したりと、それは無残なものだった。どういうわけか、人っ子一人いない。住民は避難しているとして、警官の数人ぐらいは張っていそうなものだけれど。

 人間の防御本能というものは、侮れない。

 ごく普通の一般人でも、強力な心霊スポットや地場の狂った場所などには、何故か近付かない傾向がある。なんか嫌だ。理由もなく気が進まない。そういった経験が、誰にでも一度や二度はあるんじゃないだろうか。

 だとしたら、そもそも、この地盤沈下自体が呪詛の影響とも考えられる。

 人々は無意識のうちに、それを感じ取って、この場を避けているのかも。


 校門を塞ぐスライド式の鉄柵は、二メートル強ほどの高さだった。

 上部に手を掛けて登れそうだ。

 とはいえ、俺は、自分でドン引きするほど運動神経が鈍い。どうにか飛び付いたはいいけれど、手足が思うように動かなくて、あたふたと手間取る。力の入れ方がわからない。雪駄なんか履いてるから、余計に動きづらい。

 俺が不審な挙動を繰り返しているうちに、流音は軽々と鉄柵を乗り越え、校庭へと駆け出していた。

 そういや、あの子、体育5だったっけ。不公平な遺伝子を恨みつつも、なんとか俺も鉄柵をクリアして、学校の敷地内に降り立つ。


 ぞわり。


 土を踏んだ瞬間、背筋を悪寒が駆け上った。

 冷たく滑って、ザラザラと荒れた空気が、脚に纏わり付く。透明な蛇に絡まれたような感触だった。思わず眉をひそめれば、強い腐臭が鼻を掠める。忘れもしない。山奥の工事現場で嗅いだ、あの呪詛の臭い。

 間違いない。

 二人は、此処だ!


 校庭の真ん中に、ぽつんと流音の背中が佇んでいる。

 駆け寄ると、その足元には先に着いた《鶴》が、羽を畳んでいた。

 萎れてはいるけれど、特に傷付いた様子はない。確か、術者の体調によって状態が変化するって、兄さんが言ってた。つまり、まだ世音は生きてるんだ。

 ひとまずホッとして、俺は流音の肩を叩いた。

 ビクッと身体を震わせ、流音の茶色い瞳が、振り返って俺を見上げた。


「あ、あ、あれ? 僕、なにして……?」

「兄さんは、あとから来る。それまで俺達でなんとかしなきゃ」

「え、え? どういうことなの? あれ? あれ? 此処、何処?」

「もう着いたよ。お前の推測でビンゴ。世音達の高校さ」

「へ? え?」


 目的を遂行したため、兄さんの言霊が解けたんだろう。

 流音は、キョロキョロと辺りを見回した。


「流音、井戸を引きずり出せるかい?」

「待って。待って待って、待ってよ」

「ごめん無理! 今は一秒でも惜しい!」

「そんなん言ったって、僕……」


 未だ混乱が残っているのか、流音の態度は、ハッキリしなかった。

 押し付けがましいようで申し訳ないとは思うけど、俺には呪力がない。情けないことに、此処まで来て、なにもできないんだ。兄さんがいない以上、流音に頑張ってもらうより他はない。


「早く! 二人を助けなきゃ!」


 言いながら、俺は《鶴》を指さして声を上げる。

 流音が、ヒッと小さく悲鳴を漏らした。


「……なに? どうしたの?」

「か、華音兄ちゃん……それ……」


 自分の指先を視線で辿って、俺の顔も引き攣った。

 《鶴》が、ドス黒く変色していた。

 翼は力なく地面にへばり、ぐったりと首を垂れ、水でも掛けられたみたいに全身が蕩けてしまっている。辛うじて原形を留めてはいるものの、ギリギリ鳥に見えるか見えないかのレベルだ。濡れて……? いや違う。腐食してる?

 まるでカラスの死骸。この上なく不吉で、絶望的な姿が、其処にあった。


「こ……これ……」


 途端、巨大な手で頭を押さえ付けられたような重さが、のし掛かった。

 間髪入れず、地面から湧き出した不快感が、禍々しさを増して、足首から膝へ、太腿へと這い上ってゆく。そして背中へ、首筋へ。遂には頭の天辺で空気の重さと融合し、いっそう邪悪な圧迫感に変わって、俺に絡み付いた。

 なんだ……これ。

 ナメクジの絨毯でも敷かれたのかと思った。足の裏が粘つく。とても陰鬱で傲慢で獰猛な、凄まじい邪念が、場に満ちるのを感じる。気のせいなのか。耳鳴りと共に反響する雑音は、俺達へ……生きとし生けるもの達へ向けられた、呪詛。

 強烈な腐臭が鼻を突く。


 冷たい感覚が、胃から喉まで迫り上がった。

 ――世音!


「流音!」


 俺は、流音の肩を揺すった。

 けれど、この手を振り払ったのは、なんてことだ。

 流音自身、だった。


「や、やだ…………」


 愕然とする俺から逃げるように、流音が腰を引いて後退る。

 嫌?

 嫌だって?

 なにを言ってるんだ、この子は?


「流音!? どうしたの!?」

「だって怖いよ……怖い……」


 ぎこちない動作で、流音は視線を彷徨わせた。


「こ、此処……なんなの? 殺人現場より酷い……すごい呪詛だよ……」

「あぁ、二人はこの下なんだ! 早く助けないと!」

「無理……無理無理……ぼ、僕できない……怖い」

「なに言ってるんだい!?」

「華音兄ちゃん、防御カタいからわかんないんだよ! 此処ヤバい!」

「それでも、お前がやらなきゃ! 兄さんはいないんだ!」

「だからじゃん! こんなの一人じゃ無理だよ! 怖いよう!」


 流音は、両手で袈裟を握り締め、棒立ちでワッと泣き出してしまった。

 ……驚いた。

 自信家で計算高い、あの流音が。素で、こんなにも怯えているなんて。

 まだ駆け出しとはいえ、この子は、兄さんや世音に付いて、何度か現場も踏んでいる。実力だってある。それが、まるっきり普通の中学生みたいに。歯の根も合わないほど震え、困惑して、己の使命から目を逸らせている。

 俺が思っていたより、子供だったんだろうか。

 その直感力は、買い被りだったんだろうか。

 ううん。そうじゃない。この子は、ちゃんとわかってるんだ。

 だって流音は、俺なんかよりずっと頭がいい。要領がいい。損得の勘定は誰よりも早くて、その上で、儲け話にしか乗らない。兄弟喧嘩は別として、肝心な状況で不利に動くことなんて、絶対にない。

 負け戦は、しないんだ。

 だからこそ(・・・・・)……こんなに怯えて。


 俺は、髪を掻き毟った。

 どうする? どうすればいい?

 スコップでも持ってきて掘るか? 馬鹿げてる!

 相手は呪詛だ。生きてる人間の常識が通用するような輩じゃない。もっと確実で有効な方法があるはずだ。こうしている間にも、世音の命は蝕まれてる。早く手を打たないと、本当に取り返しの付かないことになってしまう。


「流音、お願い! お前だけが頼りなんだ!」


 もう一度、俺は流音に縋った。

 どう考えても、やっぱり流音に頼むしかない。

 ところが流音は、嫌々と頭を振る。


「やだ! やだやだ! 怖い!」

「怖いのはわかる! でも頑張ってくれ! 時間がないんだ!」

「わかってないじゃん! 此処、ガチで人間の居場所じゃないよ!」

「お前がやらなきゃ誰がやるんだい!?」

「うるさい! なんで僕ばっか責められんの!?」

「責めてるんじゃない! 俺には呪力がないんだ!」

「それがムカつく! さっきからなんなの、偉っそうに!」

「流音!」

「だいたい、なんで華音兄ちゃんが来てんの? なんで紫音兄さんじゃないの? 華音兄ちゃんなんか、いたってしょうがないじゃん! 無力なんだから!」

「るお……」

「できないくせに、なんにも! なんにもできないくせに! この役立た、」


 ――――……。

 流音は、しまったという顔で、口を噤んだ。

 でも遅い。その言葉は既に俺の耳を突き抜け、皆まで補完されて、胸のいちばん痛いところを鷲掴みにしていたのだから。

 や、く、た、た、ず。

 そう言ったんだ、流音は。


 視界が傾き、ぐにゃりと歪む。

 あれ?

 変だな。俺、まっすぐ立ってたはずなのに。

 前が見えない。

 息が詰まって、指先が痺れて、お腹が捻られる。頭が痛い。喉が渇く。

 猛烈な吐き気に襲われて、俺はたぶん、呻いた。

 お前は駄目だな。どうしてできないの。下手くそ。役立たずめ。誰かに言われたのか、それとも俺自身の自嘲なのか。忘れてしまったくらいに繰り返した台詞が、頭の中でグルグル回る。

 それは、二十年分の劣等感。後生大事に溜め込んだ、己への嫌悪感。

 虚飾の雪だるまみたいな俺の、核で恥部で本性だ。

 あぁ……そうだっけ。

 そうだよ。知ってるよ。

 俺は出来損ない。欠陥品だったんだ。

 流音に命令できるような資格はないんだ。

 俺なんか、此処にいても意味ないんだ。

 存在したって、しょうがないんだ。

 俺なんて。

 慣れた思考回路が、逃げ道を探して、闇を潜ってゆく。行く先は、底だ。自分の殻、その最も深く硬く暗い場所へ。さぁ逃げようと、意識の手を引く。こんな痛みからは、さっさと逃げよう。俺は落ちる。どうせ、いつものことさ。

 ずっと逃げて、いつだって逃げて逃げて逃げて、その先で、


 ――君の笑顔に出逢った。


 ぐっと拳を握って、俺は眼を開いた。

 ぼんやりと見えたのは、黒い地面。そこへ突っ伏す格好で、みっともなく両手を突いて喘いでいる自分に気付く。

 あれ、俺……?

 冷たい汗が額を伝い、それを拭った手の震えに、俺は現実に返った。

 俺、また自分の世界に引き籠もるところだったのか。

 危なかった。なにやってんだ。これだけ差し迫った状況が、爪先を焼いてるっていうのに。弟の一言にショック受けて、我が身可愛さに二人を見捨てようとしてたのか。逃げようとしてたのか。また、俺。

 いけない。

 今は。今だけは、逃げちゃ駄目だろう。

 この先、きっと俺は、何度も逃げるけど。

 今このときだけは、戦わなきゃ、いけない。絶対に。

 兄さんは、俺を信じて託してくれたんだ。

 世音は、頼ってくれたんだ。

 ここで応えなきゃ……男じゃない。

 しっかりしろ。

 次男だろう。俺だって。

 それに。

 垂れた鼻水を啜り、萎えた足を一発叩いて、俺は立ち上がった。闇の底、何故か俺に微笑みかけてくれた彼女に、感謝しながら。


 ……ありがとう、瑠衣ちゃん。


「流音」


 気まずげな視線が、おずおずと、此方に流れた。

 俺が本題を口にする前から、流音は首を横に振る。


「やだ……怖いよ…………」

「じゃあ、世音と瑠衣ちゃんが死んじゃってもいいのかい?」

「それもやだ……」


 流音はうつむき、消え入りそうな声で答えた。

 その両腕を掴む。


「こっち向いて、流音」

「やだ……」

「流音」

「やだぁ! もうやだ! 帰りたい!」

「兄ちゃんを見ろ!!」


 努めて威圧的に怒鳴りつけると、流音はビクッと身体を硬直させた。


「いいかい。よく聞いて。恐怖っていうのはさ、別の恐怖で打ち消すことができるんだ。更に強い恐怖、より嫌な結末でね」


 固まった流音の泣き顔が、怯えた様子で俺を見上げている。

 一呼吸置き、そんな流音を見据えて、俺は続けた。


「確かに怖いよね。俺も怖い。マジでビビっちゃって漏らしそうだ。でもね、考えてごらん。このまま俺達が放置して、それでもし世音と瑠衣ちゃんが死んじゃったらって。そっちの方が、もっと怖いとは思わないかい?」


 あ、と小さく呟いて、流音は眼を見開いた。


「情けない話、俺はね。決断に迷ったとき、いつもそうしてきたんだ。怖いけど、逃げたいけど、でも《やらなかった》ら、もっと怖いことになる。それよりはマシだろうってさ、自分を脅して急かして、追い立ててきたんだ」


 俺は、両の掌に力を込める。

 自分でも、情けないこと言ってると思う。

 わかってるんだ。俺は兄さんみたいには、なれない。

 流音の尊敬する長男とは、雲泥の差。馬鹿でヘタレで上辺だけの男さ。

 だけど聞いてくれ。

 次男おれのやり方は、こうだ。


「格好いい方法じゃないけどさ……こんな弱虫の俺が、やってきたことだ。優秀なお前に、どうしてできないはずがあるもんか。大丈夫。俺も手伝う。兄ちゃんが」


 付いてる。

 言って俺が頷くと、瞬きを忘れた流音の眼から、はらりと涙が零れ落ちた。

 そして、それが最後の一滴になった。

 この手に伝わる感触は未だ、紛れもない恐怖だ。でも、流音の小さな肩は、もう震えてはいない。俺をみつめる顔は、相変わらず幼くて、強ばってはいたけれど。そこには、何処か安堵したような、吹っ切れたような、決意の光が宿っていた。


「……鬼門どっち?」


 出し抜けに訊かれて、今度は俺が戸惑った。

 えっと、北へ進んできたから……。

 俺が校舎の方を示すと、流音はわざとらしく大きな溜息を吐き、持ってきた鞄に手を突っ込む。出てきたのはコンパスだった。正確な位置を確認するつもりなんだろう。呪術を行う際、方角はとても重要な要素だから。

 ということは。


「流音、やってくれるの?」

「仕方ないでしょ。僕しかいないんじゃん」

「流音!」

「あのね、ほんとは別に怖くなんかないんだよ! ないんだったら!」


 そうして流音は、ぶつくさ文句を垂れながら、鞄を引っくり返した。


「いーよ、今日は無理してあげる。次男に免じてってことで」


 ふて腐れているのか、バツが悪いのか。その口からは、やたらと俺への当て付けが飛び出してくる。だけど、モードチェンジは完了したらしく、手先はテキパキと動いて、呪具の選別を始める。

 良かった。すっかりいつもの流音だ。

 こうなれば、この子は仕事が早い。

 うん。切り替えの潔さが、お前の長所だ。

 俺には真似できないよ。


「言っとくけど、華音兄ちゃんも入院大決定だからね。死んでも知らないから。僕のせいじゃないし。化けて出ても無視するよ。ていうか祓うから」


 鞄と睨み合ったまま、流音が背中で俺に言う。

 俺は精一杯の威勢を張って、震える親指を立てた。


「オーライ。望むところさ」







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