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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
四人坊主は祈らない
26/46

君の声を聞かせて

18.






「驚いた。書物でしか読んだことなかった、身代わり巫女だ。本来、誰かに向けられる悪意を己の身体に取り込んで《昇華》する存在。マジでいたんだって、頭ブン殴られた気分だったぜ。創作だとばっかり思ってたのに、実在すんのかよって」


 頭の上、乗せられた感触が、心なしか重い。

 いつしか闇までが増し、淀んだ空気が渦巻いて、わたし達を縛り上げているみたいだった。知らぬ間に握り合っていた二人の手は、汗ばんで、そのくせに、ひどく冷たい。

 話の途中から、わたしは、落ち着かなかった。

 結局、所々で口を挟んでしまったことは反省している。気の利いた慰めの言葉も浮かばない、頭の悪さも嫌になる。だけど、そんなんじゃない。なんだか……。


「……あれから《声》は聞こえない」


 ぎゅっと、掌に力が込められる。


「なんでかな。なにしてもダメだったのに。あの日から、嘘みたいに消えた」


 おそらく、わたしの体質のせいだろうけれど。

 付け加えて、先輩は、感慨深げに溜息を吐いた。


「俺も含めて、お前は、どれだけの人間を救ってきたんだろうな。それも、見返り一つ要求しない。黙って、ひたすら。毎日毎日。感謝すらされねーってのに」


 結果論だよ。

 わたしだって、夢にも思わなかった。自分が、そんなことしてるなんて。

 先輩に指摘されて、初めて知ったんだから。


「パネェわ。まるっきり地蔵菩薩じゃん。赤の他人の身代わりとかさ」


 いやいや、そんな御立派なもんじゃない。

 もし選べるなら、こんな体質は絶対に引き受けなかっただろう。


「それも、普通の女子高生だっつんだから。凄ェよな」

「……やりたくてやってるんじゃないよ」

「昔だったら、生き仏様とかって祀られてるんじゃねーの」

「わたしの意思じゃない!」


 ざわめく違和感に、思わず声を荒げてしまった。

 なんか変。変だよ。

 どうしたの? わたし……褒められてるのに、嬉しくない。

 先輩が褒めてくれてるのに、全然、耳に入らない。

 ハラハラする。ソワソワする。チクチクする。

 怖い。

 だって、先輩の声。口調。呼吸。

 あまりにも弱々しくて、今にも消えてしまいそう。

 怖いよ、先輩。

 どうしてこんなときに、そんな話をするの?


「そこは関係ねーんだ。嬉しかったんだよ、俺」


 今の弾みで体勢が変わり、わたしの頭が、先輩の腕から外れた。


「この世界に、お前みたいな奴がいたこと。溢れる呪詛があれば、それを浄化する役目が存在すること。ちゃんとバランスが取れてた。表裏一体なんだ」


 緩慢な動作で、先輩は、前傾姿勢となった上半身を起こす。

 それでも、頭は項垂れたままだ。


「悪意だけじゃない。善悪ひっくるめて生身の人間だもんな。失うだけじゃない。新しく生まれるものもあるんだ。親父が消えたあの日以来、俺はようやく、そんな当たり前の真実に辿り着いた。もう大丈夫。心から、そう思えて……」


 絶対におかしい。

 ただならぬ気配に、わたしはスマホを奪い取って、電源を入れた。

 すかさず先輩の顔を覗き込む。


「――――!」


 落ち窪んだ目元。

 痩けた頬。

 げっそり削げた顎の肉。

 艶のない髪。ボロボロの唇。乾いた皮膚はカサカサにひび割れ、壊れた肌理が、まるで蛇の鱗のよう。ブカブカになった制服の袖からは、枯木を思わせる細い手が覗き、爪までが欠けて、紫色に変色している。

 別人と見間違えるほどに、変わり果てた姿が、そこにあった。

 それだけじゃない。

 先輩の左脚、足首から太腿にかけて、何本もの黒い縄が巻き付いている。

 直径は三センチほど、長さは、よくわからない。なにしろ十本や二十本の騒ぎではないのだ。規則性こそ無視されているが、縄の上に縄が重なり、連なって、所謂ぐるぐる巻きの状態。ズボンの端も見えない。


「……思ったより吸われるな。さっさと仕掛けといて正解だったぜ」


 くすんだ瞳が、薄く笑う。


「なに……なにこれ……」

「気にすんな。お前のことは感知してねーはずだ」

「ど、どういうこと……?」

「…………」


 ハッとして、わたしは、先輩の左腕を取った。

 もしかしてもしかしてもしかしたら。

 乱暴に袖を捲り上げ、手首の内側を見る。

 果たして――あった。

 御守りに刻まれていたものと同じ梵字が!


「言ったじゃんよ? 俺が御守りだって」


 この人ってば……!

 いつの間に、こんなことしてたの?

 なんで。なんで、気付かなかったの?

 この黒い縄は、呪詛だ。

 本来、わたしを狙っているはずの、井戸の呪詛。きっと、あれに巻き付かれると生命力が吸われるんだ。そうじゃなきゃ、こんなにも短時間に、あんなにも先輩がやつれるわけがない。


 つまり、先輩は、わたしの代わりに。


 ぷつん。なにかの切れる音が聞こえて、頭の中が真っ白になる。

 次の瞬間、わたしは衝動に任せて、先輩の胸倉を掴んでいた。


「バカなの!? なに考えてんのよ!? ありえないでしょ!?」

「俺の方が頑丈だ。呪力がある分、時間も稼げる。論理的だろ」

「どこがよ!? こんな……こんなになっちゃって!」

「それな。割とガチでヤバイわ。なんとかしようと思ったんだけどさ……」


 この有様。

 はは、と自嘲気味に笑い、先輩は、視線を巡らせた。


「心配いらない。兄貴達は来てくれる。絶対、お前を助けてくれる」

「わたしは、あんたを心配してんの!」

「俺はお前が心配だから言ってる」

「それにしたって優先順位ってもんがあるでしょ! まず自分でしょ!」

「すまん。悪かった」

「謝ってなんかほしくない!」


 あぁ、あぁ。

 なんてこと。

 初めから。

 この人、初めっから、わたしの身代わりになるつもりだったんだ。

 井戸に落ちたって知ったときには、もう。

 バカなの? バカなの? バカなの?

 せっかちにも程があるでしょ?

 文字通り御守りになっちゃって、どうすんの?

 なんで、いつもいつも勝手に自己完結しちゃうのよ?

 わたしだけ助かったって、意味ないでしょ!


「とにかく、これ取らなきゃ!」


 わたしは、先輩の脚に巻き付く縄に手を伸ばした。


「バカ、触んな!」


 先輩の制止は僅かに遅く、わたしの手は、縄の一本を掴んでいた。

 ぬるり。

 予想外の手応えに、驚いて短く悲鳴を上げた。

 奇妙な弾力があった。つるっとして、それでいてザラザラして、冷凍魚を撫でたような悪寒が、ぞわり背筋を走る。しかも滑っている。喩えるなら堅いナメクジ、或いはウナギか。妙に生々しい反発が、わたしの掌を押し返してきたのだ。

 なにこれ。

 正直、気持ち悪かった。とてもじゃないが、好んで触りたいブツじゃない。だけど、そんなことで怯んでいられなかった。これが先輩の命を吸ってるんだ。さっさと除去しないと。

 構わず、引き抜いた。


「よせ!」


 すかさず先輩が、わたしの手を叩いた。

 指が滑り、ぽとりと縄が、頭蓋骨の上に落ちた。


「ひっ……!」


 それを見て、わたしは、今度こそ鳥肌が立った。

 縄が、ひとりでに動いている。

 知っている動作だった。うねうねと長い身体をくの字に折り曲げ、蛇行しながら前方へ這う。かと思うと、急に止まって鎌首を擡げ、なにかを探るように長い舌をチロチロと出して、再び這い始める。つまり、頭と尾の区別があるのだ。

 それは、素早く先輩の影に潜り込んで、消えていった。


「……これ」


 違う。

 これは、縄なんかじゃない。

 蛇だ。

 真っ黒な蛇だ……。


「……やめとけ。下手に素人が触るもんじゃねー」


 先輩は、ゆっくり首を横に振る。

 無駄、という意味なのか。理解して、ぎり、と唇を噛んだ。

 よく見れば、先輩の脚に群がる蛇達は、各々、ずるずると好き勝手な方向へ移動していた。一匹一匹が、意思を持って行動するようだ。その図体は、泥沼に巣くうヒルに似て、醜悪で不快。嫌悪感を催さずにはいられない。

 なんて禍々しい、悪魔の触手。

 普段のわたしなら、ここで真っ先に抱く感情は、恐怖だったろう。

 けれど何故か、このときわたしの全身を駆け巡ったのは、怒り。

 先輩を苦しめる呪詛に対する、そこはかとない怒りだった。

 こいつら、先輩を取り殺してしまうつもりなのか。

 井戸の呪詛だかなんだか知らないが、誰に断って、そんなこと。

 ――させるか。

 ふざけんな!


「だったら、尚更なんとかしなきゃ!」

「お、おい!」


 わたしは、蛇を取り除きに掛かった。

 まず手近な一匹を掴んで、放る。その隣の奴を掴んで、また放る。ガッチリ強く絡んでいて、なかなか指が掛からない。その上に滑る。指先に力を入れ、捻り込むようにして奥まで突き立てる。なんとか三匹目を掴んで、放る。

 蛇? 大嫌いですけど、それがなにか?

 こんなもんにビビってる場合じゃないのよ。先輩が大変なのよ。

 好き勝手やりやがって、お前ら、憶えとけよ。

 あとで一匹残らず、細切れにしてやる!


「やめろ、瑠衣!」

「やだ!」

「無理だって、おい、離れろ」

「じっとしてて!」

「もういいって、いいから」

「よくないでしょ!」

「瑠衣」


 諭すような口調で強く言い、先輩は、わたしの手首を握った。

 悪いけど、今回だけは譲るわけにはいかない。

 キッと睨み返す。

 目が合うと先輩は、ちょっと意外そうに、キョトンとした顔で瞬いた。

 それから困ったように眉を寄せ、視線を外し、仕方ないなという苦笑を経て、


「……いいんだ」


 泣き出しそうな笑顔で、そう呟いた。

 呟いて、まっすぐに、わたしをみつめた。


「瑠衣」


 乾いた唇が、わたしの名前を紡ぐ。

 なによ。

 なによ、その声。

 どうしてそんなに、小さいの。

 どうして、そんな虚ろな眼をするの。

 その笑顔。

 なんでそんなに……儚いの?


 冗談でしょ?


「お願い、しっかりして!」


 わたしは、先輩に取り縋り、全力で肩を揺すった。

 先輩は、されるがままにガクガクと揺れるだけ。

 もう、わたしの声も聞こえていないんじゃないか。

 心臓を氷の矢で射貫かれた気がした。

 手足が、身体が、震え出す。

 ボロボロ涙が溢れてくる。


「泣くなよ」


 力なく動いた掌が、わたしの頬を包んだ。

 重ねた指先に触れたのは、あぁ。骨と皮だけ。なんて冷たい。


「……思えば俺は、俺自身に呪いを掛けていたのかもしれない」


 先輩は、苦しげに息を継いだ。


「もう誰も愛さないように。愛して失わないように。母さんや親父みたいに。失う悲しみを味わうくらいなら、初めから、いない方がいい。大切な人なんて。そう、思って。ガキだった、あの頃のまま――怯えて……甘えて……」


 よく言う。

 結局、捨てられなかったくせに。

 意地悪ばっかり言いながら、ちゃんと愛してたくせに。

 紫音さん、華音さん、流音君。わたしのことも。

 いつだって気に懸けて、守ってきたくせに。


「でも違った。お前が教えてくれた。俺が本当に聞きたかった、声、は――」


 先輩の掌が、わたしの頬を包む。

 そのときだ。

 強烈な腐臭が、鼻を突いた。

 反射的に、下を見る。

 なにか昇ってくる。直感した。

 程なくして、ある頭蓋骨の空洞化した眼窩から、一匹の蛇が頭を擡げた。

 それを皮切りに、静かに眠っていたはずの頭蓋骨達が、カタカタと震え始めた。見れば、彼方からも此方からも。隣り合う隙間を縫い、顎を押し広げ、足元に犇めく頭蓋骨の中から、無数の蛇が這い出してきていた。

 そうして、一斉に、同じ方向へと移動を始める。

 先輩を狙っているのだ。


「やめてっ!!」


 咄嗟に、一匹を薙ぎ払った。

 爪先に触れた一匹を蹴飛ばし、その足で別の一匹を踏み付け、文字通り手当たり次第。引っ掴んでは、放り捨てる。

 けれど、そんなもので間に合うはずもない。

 蛇は、後から後から湧いてきて、アリのように先輩にたかる。

 錯覚だろうか。蛇どもが、目の前で、ぶくぶく太ってゆく気がした。動きも活発になっている。心なしか、性質まで獰猛になっているみたいだ。


「お願い先輩! 抵抗して!」


 もう返事はなかった。


「……先輩?」


 うそ、でしょ?

 そんな…………。


「!」


 涙で滲んだ視界に、黒い物体がうねった。

 一際大きな蛇が、先輩の首に巻き付こうとしていた。


「なにすんのよ!」


 その長い胴体へ、思いっ切りアッパーをブチ込む。

 僅かに怯んだ隙に、すかさず両手で引き剥がす。


「どけ! 寄るな! あっち行け!」


 涙と鼻水で顔面崩壊しながら、先輩に群がる蛇を、千切っては投げた。

 掻き分ける動作すら、もどかしい。

 武器の一つも持ち合わせのない事態が、ひどく悔やまれた。こんなことなら、懐に鎌でも忍ばせておくんだった。両手両脚じゃ、全然足りない。追い付かない。蛇どもが増える速度の方が、圧倒的に早い。悪いことに、手も滑る。

 ずるずる、きちきち。

 聞くに堪えない嫌な音を立てながら、蛇は、先輩に群がった。尽きることも知らず、湯水の如く湧き出して、互いを押し合い、締め上げて、みるみる先輩を黒い塊に変えてゆく。


「このっ! 離れろ! 」


 どれだけ取っても払っても、蛇の浸蝕は止まない。

 既に先輩の下半身は、群がる蛇で真っ黒に覆われ、その色は今まさに、上半身にまで及ぼうとしていた。術者が意識を失ったため、結界が薄れたのかもしれない。なのに、わたしには目もくれない。単なる障害物としての認識しかないようだ。

 先輩が、自身に身代わりの術を施してくれたおかげだ。

 こんなふうになってまで、守ってくれてるんだ。

 胸に込み上げる熱に、呻き声が漏れた。

 あぁ、触るな。汚い身体で触るな。


「わたしの先輩に触るなッ!!」


 なんとかしなきゃ。

 これじゃ、全身が飲み込まれてしまうのも、時間の問題だ。

 気ばかりが焦って、だけど、事態は益々、悪化していくだけ。

 疲労と倦怠感、過呼吸で、意識が朦朧としてくる。


 しゅるしゅる、じゅる。ぎちぎちぎち。からからからから。


 蛇と骨の立てる不気味な音が、冷たい頭の片隅に響く。


「助けて……誰か……」


 どうしよう。

 どうしようどうしよう。このままだと、先輩が死んじゃう。

 どうしよう。

 誰か。誰か助けて。誰か。

 紫音さん。華音さん。流音君。


「助けてぇええええ――ッ!!」







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