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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
四人坊主は祈らない
25/46

硝子の肖像

17.






 十年前、母さんが死んだ。

 殺されたんだ。

 どういうことかって?

 いろいろ重たいから、省略すんわ。聞いて嬉しい話でもねーし、実は俺も詳しくは知らされてない。当時は、まだほんのクソガキだったからな。兄貴達がコソコソ喋ってるのを聞いたり、大きくなってから見当付いたってトコもある。

 だからまぁ、結果だけ言う。


 母さん。本当の末っ子。兄貴の眼。

 その日、俺達家族は、いっぺんに失った。


 うん? あぁ。そうだぜ。

 実は、五人兄弟になるはずだったんだ。俺等。

 今更こんなん言ったって、どうにもならないけど。


 言葉じゃ尽くせないくらい、落ち込んだ。

 俺も親父も兄貴も華音も。

 流音……は小さすぎて憶えてないってか。俺は憶えてるぜ。ママ、ママって泣き喚いて、よちよち歩きで近所を探し回ってた。よく保育園も脱走したっけ。疲れて寝オチするまで、誰があやしても、泣き止まなかった。

 親父は、抜け殻みたいになってさ。

 元々、面白くて口達者なオッサンだったんだが、それが四六時中ボーッとして、酒食らっちゃあ、煙草ばっか吸ってた。法務は隣寺に丸投げだ。しばらくして正気に戻るまで、食事もレトルトが続いたな。


 最悪なのが、兄貴だった。

 目の前で母さんを殺された上に、鉢合わせた犯人に眼を潰されたんだ。精神的なショックもあってか、メチャクチャに荒れてさ。フラッシュバックってやつか? なんかの拍子で、いきなり発狂して暴れ出すんだよ。

 まぁ……そりゃそうなるわな。素はあの通り、穏やかな性分なんだが。

 暴れるだけなら、男が何人かいりゃ取り押さえられる。だけど、兄貴は仇志乃の長男だ。当時もう逸材と呼ばれる、プロの呪術師だった。そんな人が、制御不能で凄まじい呪詛を全身から撒き散らすわけ。

 誰も近寄れない。

 邪視って知ってるよな。あれに似てる。傍にいると、理由もなく死にたくなるんだよ。きっと兄貴の精神を体現化した呪詛だったんだと思う。ぶっちゃけ、華音がいなかったら、ガチで死人が出てたレベル。

 あの時期の兄貴には、親父ですら、指一本触れられなかった。


 例外だったのが、その華音な。

 アイツ、あんなだけど呪詛耐性は最強だから。アイツだけは、兄貴の呪詛に抵抗できた。それでも完全無効化ってわけにはいかなくて、辛そうではあったけど。

 食事とか風呂とか、兄貴の身の回りの世話は、全部アイツがやった。俺も流音もビビりまくる中で、誰に命じられるわけでもなく、愚痴一つ零さずだ。

 兄さんをひとりぼっちにできない。とか言ってさ。キザだろ?

 でも根性あったんだ。殴られても蹴られても、絶対に諦めなかった。物理的にも精神的にも、アイツが寄り添ってくれたから、兄貴は立ち直れたんだろうと思う。そこんとこは、マジに感謝してる。本人は不登校になっちまったが。


 ……犯人?

 さぁな。まだ捕まってないことは確か。

 時々、兄貴と華音がボソボソ密談してっけど。

 なんか、俺や流音には聞かれたくないって感じだ。


 で、俺はさ。

 待ってた。

 母さんを待ってたんだ。

 死んだってことは、聞かされたはずなんだけどな。どういうわけか、俺の脳内で勝手に、旅行だか家出だかに変換されちまってたらしい。意味わかんねーけど、俺まだ八つのガキだったし。ある種の防衛本能だったのかも。

 とにかく、理解してなかった。少なくとも、無意識的には。母さんは遠くへ行ってるだけで、いつか帰ってくるんだ。待ってれば、そのうち必ず帰ってくるんだ。そう思い込んでた。

 なもんだから、空気も読まずにダダ捏ねるんだよ。母ちゃんの手料理が食いたいとか。母ちゃんと一緒に寝たいとか。母ちゃん何処行ったのって。

 その度に、親父は悲しそうな顔するってのに。

 兄貴はブチ切れるし、華音は泣くし、流音は喚くし、毎回騒動だってのに。

 今考えたら、ずいぶん残酷なことしたと思う。

 けど、俺って三男だろ。

 まぁまぁ可愛がられて育ったわけ。

 それまで、両親や兄貴達にベッタリだったのが、いきなり事情が変わっちまって混乱した。誰も余裕がなくなって、今までみたいに構ってくれない。寂しくて不安で、怖かった。根が甘ったれなんだよ、俺。

 家中、それどころじゃねーってのに。

 俺だけが、まだ「幸せな一般家庭」の幻想に、しがみついてた。


 んで、こっからがまた、バカなんだけど。

 なんでか知らねーが、思ったわけよ。


 「良い子にしてたら、母さんが帰ってくる」って。


 誰かが言ったのかもしれないし、なんかの漫画かアニメにでも出てきた台詞かもしれない。そこは忘れた。いずれにせよ、ガキ特有の、イミフな超理論だ。根拠もへったくれもない。つーか、理論ですらねーし。

 なのに俺は、それが答えだと信じた。

 信じて、待つことにしたんだ。


 嘘は吐かない、好き嫌いはしない、大人の言い付けには従う。喧嘩なんて以ての外、家事は進んでこなし、真面目に勉強して、稽古事にもキチンと通う。もちろんテストは百点厳守。

 ガキが思い付く限りには、完璧な《良い子》だったんじゃねーかな。

 あとは、ひたすら祈るだけ。

 連日連夜、飽きもせずに祈った。

 飯食ってても、勉強してても、風呂入ってても、夜一人で眠る布団の中でも。

 朝夕の勤めは言うに及ばず。暇さえありゃ、仏壇に合掌、本堂で読経。加持祈祷の大安売りさ。宗派なんか知ったこっちゃねー。知ってる仏様や神様に、手当たり次第祈ったっけな。


 僕は良い子です。だからお母さん、早く帰ってきて。


 どんなに待っても、祈っても、母さんは帰らない。

 代わりに、あるとき、親父が言った。


 放っておいて済まなかった。弱い自分を許してほしい。

 このまま、いつまでも落ち込んでいたら、母さんが悲しむだろう。

 これからは父さんが、母さんの分まで、お前達を愛するから。


 ビックリした。

 うちの親父ってさ、腹が読めないっつーかさ。あんまり自分の感情を表に出す人じゃなかった。特に子供の前じゃ、常に笑顔で泰然としててさ。弱音なんか吐いたことなかったんだ。母さんが生きてた頃は。

 そんな人が、涙目で、俺の肩に手を置いて言うんだぜ。

 ……あぁ。

 そうだったんだ。

 そのとき俺は、やっと夢から醒めた。

 母さんは死んだじゃないか。

 警察も来たし、葬式もしたし、なにより仏壇の骨壺は誰だよ。遺影で微笑む綺麗な人は、誰なんだよ。母さんなら、ずっと此処にいたじゃないか。灰色の粉になって、目の前に。来る日も来る日も見てたのに。

 そんなの、とっくの昔に、知ってたことじゃないか。

 すべて認めて、俺は泣いた。

 たぶん、このとき生まれて初めて、死ぬってことを理解した。そうしたら、親父や兄貴や華音や流音が、まだ生きていてくれた事実が、堪んなくなって。いろんな感情が込み上げて、よくわかんなくなって、ごちゃ混ぜになって。

 全部吐き出したくて、親父に齧り付いて、ワンワン泣きじゃくった。

 親父も泣いてた。

 すまん。すまん。繰り返して、俺を抱き締めて、男泣きに泣いた。


 そんなことがあって、家には、ちょっとだけ笑顔が戻ってきた。

 いや、親父が飯作ったり掃除したりするんだけどさ。これが下ッ手くそなわけ。もう俺がやった方がマシってくらい。卵焼きは焦がすし、バケツの水はぶちまけるし、いちいちコントみてーなの。ガキなら笑うよな、そういうの。

 それでなくとも、キャラじゃない。常にビシッと和服なんか着込んで、形だけは亭主関白だったオッサンだ。まず割烹着が似合ってなくて、それが既に笑える。髪もリボンとかで結んで、あれ絶対ウケ狙いだったんだぜ。

 俺達を和ませようとしてたんだよな。ぶっちゃけ微妙だったが。

 でもさ。

 ダメじゃんって、一緒に後片付けするだろ。

 会話、増えるだろ。

 前と比べたら全然ぎこちなくて、どっかに溝があって、それは結局、元通りにはならなかったんだけど。前に進まなきゃなって、思えるようになってきてた。いろんなことが、少しずつ改善し始めたんだ。

 俺や親父だけじゃない。家族みんな、一生懸命だった。

 兄貴が暴れる回数も減った。

 華音も飯が食えるようになった。

 流音の虚言も収まった。

 それぞれが、必死に自分なりのケリを付けようとしてた。

 もしかしたら、大丈夫かもしれない。

 俺達家族、まだ壊れてない。

 陰惨な事件だったけど、母さんは帰ってこないけど、これを乗り越えたら、また幸せな家庭に戻れるんじゃないか。いや、新しく作ればいい。そんなふうに、踏み出そうとしてた。希望が見えてきたんだ。

 そんなとき――


 親父が消えた。


 じき済む故、心配無用。

 短い書き置きを残して、それきり、二度と帰らなかった。

 母さんが死んで、一年後のことだった。









 それから、声が聞こえるようになった。

 学校で、道で、駅で、街中で。家の外に出ると、何処でも聞こえた。とりわけ、人の多い場所がうるさい。分母に比例して増えるのは、まぁ当然なんだろうけど。あちこちから飛んでくるのは、ウザいったらなかったぜ。

 なにかって、声だよ。

 悪意の声さ。


 人間、誰しも心に悪意の生まれる瞬間は、ある。

 先公に叱られたり、失敗したり、ケンカして負けたり、ライバルに出し抜かれたり。嫌なことあると嫌な気分になるよな、当然。それが特定の誰か、或いは不特定多数の相手に向けられたとき《嫌な気分》は《悪意》に変わる。

 そんな悪意の声が、聞こえるんだ。普通に喋ってるみたいに。

 わかってる。どうしようもない。

 誰にでもある。俺にもある。大なり小なり、万人が抱く感情だ。一生誰も恨まずに過ごせる奴なんて、此の世に一人だっていないのさ。仕方ねーよ。肉体と欲望を持って生まれた、人間なんだから。仏様じゃねーんだから。

 要は、老若男女の区別なし。

 片っ端から無線を集める要領で、飛び交う悪意を拾っちまう。

 あぁ、わかってんだ。

 俺の方が異常なんだってことくらい。


 間の悪いことに、その頃、家は難問が山積みだった。

 親父が保証人だとかいう結構な額の借金が出てきてさ。檀家親戚、巻き込んでの大騒ぎだ。ったく、とんだ置き土産しやがって。倉の宝物、ごっそり持ってかれるハメになったじゃねーか。生活費にまで苦労する有様だぜ。情けねー。

 金の問題だけじゃない。

 孤児になった俺等の養育義務について、またモメた。

 俺と流音は、まだ小さかった。兄貴は死ぬまで介助が必要な身体。華音はコミュ障。みんな嫌がって押し付け合うんだ。ある爺さんが後見人になってくれて沈静化したけど、終いには施設行きの話まで出たんだぜ。

 知りたくもねー大人の事情ってのを、腹一杯に味わった。母さんの葬儀で親身になってくれたはずの叔母さん、励ましてくれた伯父さん。そんな人達が、心の中で俺等兄弟を汚物よろしく罵ってんのが、わかるんだよ。

 聞こえるんだから。


 でもって、学校に行ったら行ったで、廊下から「転べ」。

 隣の席で「ムカつく」。教壇から「死ね」。

 アイツ上手くやりやがって。なんで俺ばっかり。コイツさえいなければ。

 どけ消えろ来るな不幸になれ邪魔だ落ちろ事故れ笑うな殺してやる。

 うるさいったらねーの。

 大抵は小さな囁きで、瞬間的なものだった。だけど、前にも話したろ。悪意ってやつは、呪詛の種だ。育てば邪念の花が咲く。積み重なったら、それなりダメージが来るもんだ。ゆっくりじわじわ、精神を腐らせていく。


 わかってた。

 別に、俺に向けられた悪意じゃない。

 だけど、毎日毎日、何処へ行っても聞こえるんだ。

 それでなくとも、家業が家業だ。誰かの悪意に関わる頻度は、常人よりも遥かに高い。或いは人格の整った大人であれば、冷めて割り切れたかもしれない。でも、俺はガキで、狭い世間が、此の世のすべてだった。

 あぁ世の中は、こんなにも悪意に溢れているのか。

 その事実に、愕然とするしかなかった。

 もちろん、善意の手を差し伸べてくれる人だって、いるにはいたさ。

 けど、信じて頼って縋るには、俺達は、悪意に奪われすぎていた。


 母さんが死んで、弟も死んで、兄貴が壊れて、親父も失踪して。

 俺は、ショックでおかしくなったのかって思った。

 実際は、どうなんだろうな。呪詛を《聴く》タイプの呪術師もいるし、それ以外は健康だったから、よくわかんねー。つか、どっちでも良かった。理由が判明したとこで、解決するもんでもない。鼓膜破っても、聞こえてたし。

 そのうち面倒になって、詮索もやめた。


 唯一の救いは、兄弟の《声》だけは聞こえなかったってことだ。元々、取り繕う仲でもねーし、悪意なんか剥き出してナンボだからな。ほとんどのトラブルなら、殴り合えば解決した。

 いろいろあったけど、やっぱ血を分けた兄弟だし。

 愛情か信頼か、根っこの部分じゃ、深く繋がってたんだと思う。人並みの悶着はあったが、まぁ楽しくやってる方だった。アイツ等のおかげで、俺は耳を削がずに済んだのかもしれない。でなきゃ今頃、アダ名が「芳一」になってるとこだ。

 逆にっつーか、人付き合いはダルくなっちまったけど。


 年月が過ぎた。

 兄貴は落ち着いた。華音が上京した。流音は、もう赤ん坊じゃない。

 俺は、高校生になってた。

 相変わらず、声が聞こえてた。

 もう慣れたもんで、この頃には右から左。聞き流すスルースキルはマスター済みだ。兄貴の代行で依頼をこなしたり、行動範囲が広がったりして、ちったぁ成長もしたんだろうぜ。気に病むこともなくなってた。

 受け入れたのかって?

 違うな。

 そんな可愛いもんじゃない。

 俺は、楽しんでたんだから。

 いい加減、ウンザリだった。誰も彼も口だけだ。綺麗事ばっか並べて、結局自分のことしか考えてない。溢れる悪意が、それを証明してる。ならどうして、俺だけ我慢しなきゃならねーんだ。

 長い間ずっと聞き続けてるうちに、感覚が麻痺ったのかもな。

 どうせ此の世は悪意の坩堝だ。

 せいぜい、好きなようにするさ。

 いつからか、そう考えるようになってた。面白いじゃん。楽しいじゃん。隠したって聞こえる悪意。俺には聞こえる悪意。行動と本音のギャップ。落差が激しければ激しいほど笑える。見ろよあれ。真逆じゃん。このマヌケ。あぁウケる。

 退屈する度、誰かに絡んだ。


 殊更、親切面した奴等の、あからさまな悪意。それを聞くのが、面白かった。

 どんな優等生も、聖母気取りのババアも、常識がスーツ着たリーマンだって。

 ちょっと突いてやったら、途端に《声》が叫び出す。

 意地悪で返せば、善意とやらは、あっと言う間に罵詈雑言に変わった。チョロいもんだ。顔じゃニコニコしながら、腹の内で叫んでる。この野郎、助けてやろうと思ったのに。親切にしてやったのに。感謝で返さないなんて、嫌な奴め。

 そんな奴は死ねばいいのに。

 のに。のに。のに。

 ほらな。やっぱりな。

 そうやって、本音の露見する瞬間が、もう可笑しくってさ。


 いつからだろうな。

 俺は空っぽになってた。

 歪んじまった感性が求めるのは、いつだって諦念と憐憫。繰り返すうちに、それは人間そのものへの軽蔑に進化して、俺の基準を侵していった。感性が歪んでるんだ。良識も倫理観も、そこに合わせるべきだろ。俺には似合いだ。

 俺って奴は、意地悪なんだから。

 そう構えてれば、妙に腑に落ちたような気がしてた。


 見返りは、しょっぺぇ安堵と乾いた満足。

 噛み締めながら、なのに埋まらない虚無感に焦れた。

 一生このままかよ、くだらねー。

 観念して、いよいよ腐ってた頃だ。


 お前に逢ったのは――







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