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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
四人坊主は祈らない
24/46

闇と楽園

16.






 どれくらい、経ったんだろう。

 真っ暗な井戸の底、なにをするでもなく頭蓋骨の上に座り込んで、もうずいぶん過ぎた気がする。時間の感覚は、とっくの昔になくなっていた。お腹も空いたが、それより喉の渇きが辛い。ジュースでも持ってれば良かった。

 光源のスマホは、万一に備えて、電源を切っていた。充電ができないのだから、節約しながら使うべきだろう。なんせ、唯一の明かりだ。

 いくらか目が慣れたとはいえ、此処は暗い。

 あっちとこっち、向かい合う形で座っているため、先輩の表情は、よくわからなかった。それでなくとも、眼鏡がないのだ。ぼやけた視界は、頼りない。


「紫音さん達、見付けてくれたかな?」

「あー……野郎が三人もいるんだ。誰か気付くだろ」

「そうだね」

「流音とか目敏いしな」

「うん」

「華音も神経質だし」

「そっか」


 賑やかだもんね、仇志乃家。

 いつも誰かがいる居間、リビング。お香と墨の匂いのする和室。お日様の気持ちいい縁側。ちょっと騒がしいけれど、笑い声の絶えない、素敵な家。この後に及んで、自宅よりも鮮明に思い出せる。

 早く、彼処に帰りたいな。


「お前、身体は? どうだ?」

「あ、大丈夫」

「マジか? 嘘じゃねーな?」

「うん。ご心配どうも」


 これが、マジなのだ。

 先輩の結界が効を成してか、元より亀進行の呪詛なのか。わたしは至って健康。身体にも精神にも、なんの異常もない。拍子抜けするくらい、全然平気である。

 貧血みたいに、いきなり来るタイプなんだろうか。

 だとしたら、警戒しても仕方ないんだし。


 紫音さん達に言霊を送ったあと、先輩は、小さな結界を張った。

 言わば、わたし達は呪詛の塊に呑み込まれたわけで。食物が胃酸で消化されるよように、放っておけば、どんどん蝕まれてしまうらしい。だから、少なくとも直径二メートル程度、身体を覆う安全空間の確保は、必須なのだという。

 漫画みたいに、暴れたら吐き出してくれないかな。

 言ったら、バカじゃねーのって小突かれた。

 この井戸の内側は、ある種の絶縁体になっていて、攻撃は一切、受け付けない。そう告げられた。実演して見せてもくれたが、梵字を宿した拳で殴っても、まるでビクともしやがらない。物理も呪詛も効かないってことだ。

 井戸が一寸法師を読んでるとは思えないけれど、対策はバッチリというわけ。

 でも、ずるいよなぁ。井戸の方は、わたし達を呪詛れるなんて。

 胃酸が胃壁を溶かさないのと同じ理屈か。

 喰われたんだもんね。

 此処は、入ったが最後。呪術師ですら、自力での脱出は不可能。

 本来、二度とは出られぬ牢獄なのだ。

 外側から助けてもらう以外に、術はない。


「……静かだね」

「あぁ」


 わたし達の他に、動くものは、なにもない。

 恐怖と興奮が収まってしまうと、待っていたのは、凄まじい静寂だった。先輩の言った通り、土中か水中の可能性は高い。偶然、誰かに発見されるなんてことは、期待するだけ無駄だろうな。


「なにかすることある? 手伝うよ?」

「ない。できることは全部やった」

「電報飛ばしただけじゃない」

「あのなぁ。これ、下からすっげー邪気が昇ってきてんだぜ?」

「えッ!? そうだったの!?」

「こう見えても、抑えてんだ。素人は黙ってな」

「はい……」


 うぅ、恥ずかしい。釈迦に説法こいちまった。

 穴があったら……って、もう入ってるか。


「じゃあ、あとは祈るだけだね」

「それも……ない」


 壁にもたれて片膝を立てた先輩が、首を横に振る。


「俺達は祈らない。どうせ届かねーからな」

「もう、またそういうこと言う。仮にも僧侶でしょ。信心はどうしたのよ」

「それとは別の話だ。いくら祈ったって、俺達は……」


 そこで先輩は、いったん言葉を切り、億劫な仕草で頭を掻いた。

 意地悪。返して、わたしは膝を抱える。

 二人っきりだっていうのに、結局いつものノリなんだ。

 でも、それが有り難い。先輩との会話のおかげで、わたしは、正気を保っているんだろう。いろいろ麻痺しちゃってる部分もあるけど、これって絶体絶命。詰みってやつだもん。

 先輩がいるから、希望が持てるんだ。

 もし一人きりだったら。

 想像しただけで、失神しそうになった。


「……はくちゅん!」


 身震いのせいだろうか。クシャミが出た。

 場違いに間抜けな発音に、先輩が、プッと笑う。


「お前のクシャミって変だよな」

「わ、笑うな! 冷えるんだから、仕方ないでしょ」

「寒いか?」

「うん。なんか、さっきから急に……」


 じゃあ。


「来いよ」


 クスンと鼻を鳴らして、先輩は、両手を広げた。

 おいで。そう言わんばかりに。


「え?」

「こっち来い」


 キョトンとしたわたしに、半ば命令するような口調で、先輩が促す。

 ふいと横を向いた鼻は、気のせいだろうか。

 照れ隠しみたいに、明後日の方を見上げていて。


「…………」


 おいおい、どういう風の吹き回しよ。

 今日の先輩は、また一段とイケメンじゃないですか。

 茶化そうとして、でも、負けた。

 頷き、わたしは立ち上がる。

 しかし、直径二メートルの閉鎖空間。ペキペキと骨を踏む音は、じき途絶える。

 既に、頭蓋骨に対する怯えもなかった。考えてみれば、この人達も人間。誰でも肉と皮が落ちれば、こうなるのだ。なら、わたし達と同じ。なにも変わらない。足で踏み付け、壊していることに、罪悪感を憶えた。

 ごめんね。全部終わったら、紫音さんか先輩が供養してくれるからね。

 お尻の下に敷いちゃって、ごめん。もうちょっと我慢してね。


 先輩の隣に、腰を下ろす。

 どちらからともなく、肩を寄せ合った。

 身長差のため、頭を先輩の上腕辺りに押し付ける格好になってしまったけれど。

 その上に乗せられた重みが、とても優しくて。

 わたしは、うっとり眼を閉じる。

 ふふ、くすぐったい。

 先輩の髪が、わたしの頬に触れている。


 なんて幸せなんだろう。


 不謹慎だよね、こんな状況だっていうのに。命の危機が迫ってるときに、呑気もいいとこだ。わたし、とうとうイカれたのかしら。つい数時間前なら、真っ赤な顔で辞していただろう場所に、すんなり収まって笑ってるなんて。

 あぁ、どれだけ憧れたことか。望んだことか。

 諦めたことか。

 先輩の隣、ゼロ距離ポジションで二人きり。

 ずっとずっと、こうしたかった。

 焦がれるほど欲して、同じくらい怖れていた領域は、踏み込んでみれば、とても優しい。幻の棘に包まれた楽園だったのだ。此処には、羞恥もない。意地もない。後悔も不安も。卑屈な自意識は蒸発して、あるのは、ただ安らぎばかり。

 先輩の体温が。匂いが。感触が。

 わたしの隣にあることが、嘘みたいに幸せだ。


 先輩が、いる。

 他の誰でもない、わたしの隣に。

 世界にたった一人だけの、先輩が。


「……瑠衣」


 ぽつり、先輩が呟く。


「なあに?」

「俺って意地悪?」


 こんなときに、妙なことを訊く。

 変だとは思ったけど、その口調が、やけに子供っぽくて可愛かったから。

 ちょっと、からかってやりたくなった。


「うん、意地悪。すごーく意地悪」

「……やっぱり?」

「でも今日は優しい」

「一日限定イベントかよ」

「ふふっ」


 嘘。

 先輩は、いつだって優しかった。

 そりゃ口は悪いけど、それだって、照れの裏返し。関係ないと言いながら、手を差し伸べる。寄るなと言いながら、抱き締める。そういう人だ。嘆かわしくも世の中には、この真逆の人間が、なんと多いことか。

 先輩は違った。

 意地悪な台詞を吐いても、いつも必ず、助けてくれた。

 行動だけを抜き出せば、こんなに優しい人は、いない。

 そして真実は、言葉ではない。最後には、行動で決まるものだ。

 まぁ若干、先走りというか。相手の了承を得ないで突っ走る傾向は否めないけどもね。下手に頭の回転が速いから、結論ありきの方法論、こっちは置いてきぼりにされてばかりだ。せっかちなのが、玉に瑕ってやつか。

 だけどね、先輩。

 わたし、そんな先輩が。


「瑠衣」


 もう一度、先輩は、わたしの名を呼んだ。


「なに?」

「……呼んでみたかっただけ」

「もう、なにそれ!」


 意味不明の返事に、先輩の脇腹をチョンと突く。

 どうしたっていうの。なんか変だよ、先輩。

 さすがに表情が気になった。でも、こんな体勢じゃ、窺い知ることはできない。拘束されてるわけでもないから、動こうと思えば、簡単に動けるのだけれど。何故か、それをしてはいけないような、強迫観念に駆られた。


「なぁ、瑠衣」


 先輩が、わたしを呼んだ。


「ずっと、聞こえてたんだ」


 今度は応じる間もなく、気怠げな声が続いた。

 さっきよりも脈絡のない内容で、意図は読めない。

 ただ、意思を感じた。

 よく聞いてほしい。大事な話をするから。

 途切れた行間に、闇を吸い込んだ息遣いに。

 先輩の、そんな意思を聞いたような気がした。


「……うん」


 いいよ。最後まで黙ってる。

 だけど先輩。

 わたし、なんだか胸騒ぎがする。

 お願いだから、離れないでいてね?


 相槌を了承と取ったのだろう。

 先輩は、語り始めた。


「声が、さ」


 聞こえてたんだ。







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