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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
四人坊主は祈らない
20/46

喰われた!

12.






 カタカタ、カタ、カタカタカタカタカタ…………。


 数秒ほどして、静寂の闇に、奇妙な音が響き始めた。

 カタカタと、硬い物が断続的に触れ合う、摩擦音。

 震えているのだ、とわかる。

 だけど、わたしじゃない。先輩でもない。

 頭蓋骨だ。

 先輩によって、仮初めの命を与えられたそれが、自らの意思で。

 ひとりでに、震えていた。


 カタカタ……カタカタカタ、カタ……、


 ヒッと息を詰め、わたしは、先輩の後ろに隠れた。

 別に危害を加えられるわけじゃない。知ってはいる。

 いるんだけど、怖いもんは怖いんだよ。仕方ないじゃんよ!


 …………レタ、カタカタ……カタカタ、ク、レ、

 ……レタ。

 ク…………レタ、

 ワ、レ……タ…………


 乾いた振動音に、明らかな意思を持った発声が混じりだす。

 小刻みに顎を動かし、剥き出しの歯をカタカタ噛み合わせて悶える様は、まるで死にかけた虫。まず万人が、生理的嫌悪を避けられないだろうキモい動きだ。

 片膝を着く格好で屈み、先輩は、それと向き合った。

 どこから声を出しているのかは、この際、考えたくもない。これは心霊現象だ。現代の物理法則で説明するのは不可能だし、その必要もないんだろう。目の前で、実際に起こっている。充分すぎる確証だ。

 紫音さんは、眼を閉じていても、死者や呪詛を《視る》ことができる。

 それと同じで、おそらく聴力を失った者でも、この声は聞こえる。そういうものなのだ。要するに、死者との意思疎通は、物質を超えた情報の遣り取りである。

 なんちゃって、先輩の受け売りだけどね。


 ク……タ、

 クワ…………レ、

 ク、ワ、レ、




『くわれた』




 混線したようにブツ切りだった音が、唐突に、言語を成した。

 なにしろ日本語だ。嫌でも意味が理解できてしまう。

 ――喰われた。

 そう言ったのか。この、人間の頭蓋骨は。

 ゾッと背筋が凍った。


『くわれた。くわれた。くわれた。くわれた。くわれた。くわれた』


 先輩が問い掛ける。


「なにに喰われた?」


『いどにくわれた。てあしをくわれた。からだをくわれた。みんなくわれた』


「どうして喰われたんだ?」


『いけにえ。じゅじゅつ。いどのそこ。ひゃくにん。むすめ。へびになる』


「それは? どういう意味なんだ?」


『くわれた。くわれた。くわれた。くわれた。くわれた。くわれた!』


 三つ目の質問は、聞き取れなかったのかもしれない。

 というのも、骸骨の声が、どんどん大きくなっているのだ。それも、先輩の声を覆い隠すほどに激しく、ちょうど耳の遠い老人が「がなる」ように、容赦がない。もし唾液腺が残っていたなら、今この骨は、強か唾を飛ばしているだろう。


『くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた!』

『くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた!』

『くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた!』


 しかし、いくらなんでも、ちょっと酷すぎやしないか。

 もしやと思いつつ、わたしは、よくよく目を凝らした。


「ひっ……!」


 なんてことだ。

 この声、一人分じゃない。

 件の頭蓋骨は元より、その隣、更に隣。前も後ろも、遥か下に埋もれた骨に至るまで。幾つもの頭蓋骨が、カタカタと頬を揺らし、歯を打ち鳴らして、同じ言葉を繰り返しているではないか。


「此処から出る方法は!?」


 騒々しさに掻き消され、先輩の次の質問は、ほぼ絶叫に近いものとなった。

 骸骨達は、答えない。

 ただ、喰われた喰われたと、壊れたように繰り返すだけだ。

 ……あぁ、そうなんだ。

 聞こえていないわけでは、ない。

 いつだったか、紫音さんに聞いたことがある。どんなに強力な呪詛を以て自白を迫られようとも、己の与り知らぬ領分は答えられぬ、と。

 そう。彼等は知らないのだ。

 逆に言えば、だからこそ、こんなところで骨になっているのだ。


『くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた!』

『くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた!』

『くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた!』

『くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた!』

『くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた! くわれた!』


 いつしか、この場にあるすべての骸骨が、そろって声を張り上げていた。

 高く、低く。細く堅く、重く、鋭く。どうしようもなく不安定で、けれど決して幻ではない。記憶に焼き付いた凄惨な事実を、訴えるために。

 それは、張り裂けんばかりに切実でありながら、また突拍子もなく馬鹿げて聞こえた。呆れるほど無機質で、重苦の怨念で、断末魔の喘ぎかと思えば、なのに空虚な哄笑なのだ。

 暗い穴の底、彼等の声が、延々と木霊していた。

 耳を塞いでも、頭を振っても、此処から逃れる術はない。狂った梅雨のカエルを連想させる死の合唱は、脳に、鼓膜に、血液にまで染み込んで、全身をグルグルと巡り、精神を囓り取ってゆく。

 あぁ。このままじゃ、おかしくなる。

 お願い、もうやめて!

 頭が割れそう!


 パン、と、先輩が掌を打った。


 骸骨達の大合唱は、ピタリと止まった。

 ……もう誰一人として、喋らない。

 斯くして数秒の残響が過ぎれば、闇の底には、再び静寂が満ちたのだった。









 しんと静まり返った場に、重く先輩の溜息が流れた。

 わたしは、身体を丸め、自分の肩を抱いたまま、恐怖で硬直していた。さっきの骸骨じゃないが、ガチガチと歯が鳴るのを止められない。頭の中、喰われた喰われたという声が、未だやかましく暴れ回っている。


「参ったぜ……」


 先輩が、苦い顔で呟いた。


「野郎、一杯食わせやがった」


 わたし達は二人、図らずも同じタイミングで天を仰ぐ。

 何処までも続く闇は、一粒の光さえ宿さず、それは逆に深淵を覗くよう。


「これは、井戸だ」


 ぴちゃん、と。

 胸に冷たい雫が滲んだ。


「ただの穴じゃねー。石田山の、あの井戸なんだ」


 ほんの数日前の出来事だった。

 先輩達と一緒に、調伏したはずの井戸。

 思い出すのもおぞましい、あの呪詛の井戸だ。

 あのときは、中がどうなってるのかなんて、知る由もなかったけれど。

 此処が……?

 そんなバカな!


「な、なんで? どうして? わたし達、学校にいるのよ?」

「井戸の方から来やがった。どうやら動けるらしいな」

「なに言ってんの!? 井戸よ!? ありえないでしょ!?」

「ありえるんだ、それが」


 眉間に皺を立て、先輩は、すんと鼻を鳴らした。


「臭わねーか?」

「え?」

「最初っから、ずっと気になってたんだ。この臭い」


 ハッとした。

 そういえば、変な臭いがすると思ってた。

 てっきり、ドブかなにかだと認識していたけれど……。


「呪詛の臭いってのは、それぞれ違う。指紋みてーなもんだ。兄貴は全部憶えてるらしいが……どんなに似てても、絶対に違うってよ。同じ臭いは一つもない」


 土が腐ったような――吉村氏は、そう表現していたっけ。

 そのとおりだった。

 あぁ、どうして気付かなかったんだろう。

 あのとき嗅いだ。

 山の中、工事現場の古井戸で嗅いだ。


頭蓋骨コイツ等、言ってたろ。井戸に喰われたって。偶然とは思えねー。確定だ」


 氷の手が、ギュッと心臓を掴んだような気がした。

 あのときの、全身顔だらけの泥人形が一瞬、頭を過ぎる。

 次に、その中に混じって途方に暮れている自分の顔が、思い浮かんだ。

 わたしは、おずおずと、足元の骸骨達をみつめる。物言わぬ骨に戻った彼等は、黙して尚、事の顛末を物語っていた。井戸に食われた者が、どうなるのか。其処に在るという事実が、言葉よりも遥かに重く、非情な現実ではないか。


「どうして……調伏したはずなのに……?」

「あぁ。こんなの俺も初めてだぜ。こないだのは、トカゲの尻尾ってとこか」

「だからって、なんで来るの!? なにしに来たのよ!?」

「お前、御守りどうした?」


 訊き返されて、はたと胸に手をやる。

 ――ああああああ!


「自分が《引き寄せる》体質だってこと、忘れたのか?」

「…………」


 ぐうの音も出ない。

 そうだよ、わたし呪詛ホイホイだったんだよ。

 たぶん、この間の調伏作業で、縁が出来てしまったんだろう。先輩や紫音さんが呪詛の臭いを憶えているのと同じで、向こうも、わたしの匂いを憶えていたんだ。御守りを手放したことで、それが寄ってきて……あのタイミングで喰われた。

 最悪だ。

 先輩に逢うまで、この叶瑠衣。ちょっとした不運は日常茶飯事だったけれど。

 こんなに最悪なのは、久し振りだ。

 じゃあ、なに? この井戸は、わたしを狙ってるってこと?

 お腹が空いてるの? わたしを食べるつもり?

 わたしを食べて、溶かして、骨にして、それから……


 ガクガクと、膝が震え始めた。


 それまで漠然とした不安だったものが、明瞭な危機へと、姿を変えてゆく。

 跳ね上がる心拍数は最早、恐怖と同義だ。頭から血の気が引くのと反比例して、ぐんぐん膨張、上昇し、一気に限界点を突破して、理性の殻を突き破る。

 なにを考えていたのか、自分でも、わからない。

 次の瞬間、わたしは先輩の腕を掴んで、責めるような口調で叫んでいた。


「調伏してよ! 早く!」

「できるんなら、とっくにやってるぜ。外がどうなってんのか、わかんねーだろ。土か水にでも囲まれてたら終わりじゃねーか。窒息すんぞバカ」

「ど、どっかに隠し通路でもあるんじゃ……」

「ゲーム脳乙。ねーよ」

「これ、この壁、登れないかな?」

「お前それマジで言ってる? イモリやトカゲじゃねーんだぞ」

「じゃあ、どうするのよっ!!」


 頭では、理解しているのだ。

 先輩は、なんにも悪くない。当たり散らしたって、仕方ない。

 だけど心が、身体が、恐怖に乗っ取られて、言うことを聞かない。


「それを考えるんだろうが。落ち着けって」

「なんでこうなるのよ!? こんなとこ大嫌い! 早く出たい! 出してよ!」

「だから、原因より対処だ。わっかんねー奴だな」


 舌打ちして、先輩が、わたしの腕を掴む。

 なんだか無性に腹が立って、それを乱暴に振り解いた。

 なんなの、この人。

 わたしは、こんなに怖いのに。怖くて怖くて、死にそうなのに。

 どうして冷静でいられるわけ?

 先輩にとって、わたしなんて、それぐらいちっぽけな存在ってこと?

 どうでもいいってこと?

 ほら、そんな顔して。普段と変わらない、涼しいイケメンさんだ。

 こっちは、涙と鼻水でグチャグチャよ。

 対照的ってやつじゃないか。思いっ切りズレてんじゃないか。

 こんなときに……だからこそ、なのか。

 二人の間にある温度差が、やたらと悲しかった。


「泣くなって、おい。水分がもったいねーだろ」

「なんでそんな言い方しかできないの!? 信じられないっ!」

「お前が泣くからだろ」

「泣くに決まってんでしょ、怖いんだから! いじわる! バカ!」

「大丈夫だって。な?」

「なにが大丈夫なのよ!? わたし、もう御守りもないのに!?」

「だから」


 やや強引に、先輩が、わたしの両肩を引き寄せた。

 反射的に払い除けようとして、持ち上げた手が止まる。




「俺が御守りだ」




 偽りのない誠実な面持ちが、痛いほどまっすぐ、わたしをみつめていた。

 射貫かれたように、その眼に釘付けとなる。どこまでも澄んで、誰よりも強い。綺麗な、雄々しい眼だった。みつめ返すわたしの、怯えも、恐怖も、無責任な癇癪も。全部包み込んで、吸い取ってしまう、くらい。


「俺に任せろ。なんとかしてやる。だから泣くな」


 いつもより、少し低い先輩の声。

 噛んで含めるみたいに、じわり耳に沁みる。

 昂ぶった刺々しい感情が、静かに引いてゆくのが、わかる。

 ――先輩が、此処に、いる。

 いるんだ。

 ひとりじゃない。

 あぁ。なら、大丈夫じゃないか。

 いつだって、そうだったもの。

 どんなピンチだって、先輩が、救ってくれたじゃないか。

 こんなふうに、なんでもないような顔をして――。


 わたしは頷き、涙を拭った。

 そうだ。泣いてる場合じゃないぞ。

 まだ生きてる。なら、ちょっとでも、助かる確率を上げるんだ。

 しっかり先輩を手伝うんだ。

 わたしだって、呪術師せんぱいの助手なんだもの。


「ご、ごめん、なさい……」

「よーし、オッケーだ。もう泣くなよ?」

「うん」


 ぽん、と頭に手が乗せられる。

 あんまり優しい感触で、せっかく止まった涙が、また溢れそうになった。

 ごめん、先輩。

 八つ当たりして、ごめんね。


「じゃあ、コレちょっと持っててくれ」


 スマホをわたしに押し付け、先輩は、懐に手を突っ込んだ。

 取り出したのは、例の筆ペンと、小さく畳んだ和紙。


「どうするの?」

「兄貴ほどじゃねーが、俺だって言霊は修行した」


 自分の膝を机にして、先輩は、和紙に筆ペンを走らせた。

 書き終わると、ポケットからジッポを出して、火を着ける。

 え、ジッポなんか持ち歩いてるのか。この不良め。

 わたしのジト眼に気付いて、先輩は早口で、聞いてもいない説明を始める。


「ちげーよ、これは呪詛用。もう吸ってねーよ」

「前は吸ってたの!? その歳で!?」

「兄貴にバレて、ブッ飛ばされた。十年早ぇってな」


 おどけた体で苦笑してみせる先輩に、わたしの頬も若干、緩んだ。

 我ながら、現金なものだ。もうすっかり、いつもの調子で、何事か軽口で応じようと、覗き込んだ、そのとき。

 先輩の横顔が、ふと翳った。

 眼や鼻の下。頬。唇。光の加減だろうか。ずいぶん、濃く影が出ている。元から彫りの深い顔立ちだけれど、それにしたって、なんだか……妙に骨張っている、というか。乾燥しているというか。げっそりして、覇気がない。

 いやに、やつれている。

 ような気がした。


「……先輩?」

「ん?」

「顔色、悪くない?」

「あぁー……かもな。昨日、寝てねーんだわ」


 語尾は、大欠伸に取って代わった。

 疲れてるんだろうな。そりゃそうだ。

 本当に、もう、あんまり迷惑かけないようにしなきゃ。


 先輩の掌から零れ出す煙は、ゆらゆらと井戸の中を彷徨い、螺旋を描きながら、上空へと昇ってゆく。独特の匂いが、呪詛の臭気を少しだけ和らげた。息苦しさは感じない。不幸中の幸いか、空気の心配はしなくて済みそうだ。

 これは、紙を媒体にして言葉を送る言霊術の一種らしい。

 要するに、郵便屋さん不在の電報だ。


「頼むぜ……」


 煙を見送る先輩が、深く息を吐いて、手を合わせる。

 倣って、わたしも合掌した。

 同じ動作でも、意味は、だいぶ違う。

 先輩は術式のため。

 わたしは、ありとあらゆる神仏に、片っ端から祈るため。

 あぁ、神様仏様。どうかお願いします。

 わたし達に、希望の光を。







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