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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
四人坊主は祈らない
18/46

人生最高の日

10.






 体育マットの上に座り込んだまま、動けない。

 学園あるある黄金パターン、都合が良すぎて信じられない。こんなことが現実にあるのか。これは夢? わたしってば、絶望のあまり頭がイカれて、幻覚を見てるんだろうか。

 だとしたら、夢の続きは……。

 アホみたいに口を開けて、わたしは、ぼんやりと先輩の横顔を眺めている。


 出し抜けに、先輩が此方を振り向いた。

 その固まっていた表情が、つと緩む。

 そうして、引き結ばれていた唇を解いたかと思ったら、開口一番。


「バカか、お前は!」


 わたしに駆け寄り、両手首を拘束するセーターを掴んだ。


「早く取れ、こんなもん!」


 いや、取りたいのは山々なんですがね。

 変な結び方されてるせいか、ビクともしないんですよ。


「な、なんか……抜けなくて……」

「あぁ? クソったれ!」


 先輩はセーターに口を寄せ、糸を噛み切り始めた。

 何本か切ってしまうと、あとは強引に隙間を広げて、ブチブチと引っ剥がす。

 繊維が引っ掛かって、やや手間取ったけれど、どうにか手首は解放された。


「あいた……」


 ずっと圧迫されていたものだから、いきなり血が通って、指までじんじんする。

 痛みと不快感で、いったんは収まった涙が、また滲んできた。ここへきて、ようやく助かったという実感が湧いてきたのかもしれない。くっきりと手首に付いた跡は、なにか汚い烙印のようで、先輩に見られているのが恥ずかしかった。

 なんとか隠せないかな。そう思ったときだ。


「動くか? 痛むか?」


 先輩の大きな掌が、手首を包んだ。


「怪我は?」

「え……っと……大丈夫。擦り傷とか、痣ぐらいだし……」

「他には? なにされた? どこまでされた?」

「あ、えと、ギリギリ……セーフ。脚とか、触られただけ」

「本当に? 嘘じゃねーな?」

「う、うん」


 聞き届けて、先輩は、今一度。

 深い深い溜息を吐いた。

 そこで初めて気が付いた。

 青ざめていた先輩の顔に、頬に、色が戻っていた。

 それだけじゃない。キリッとした眉は叱られた子供よろしく下がり、鳶色の眼は潤んで、なんだか今にも……くしゃっと、崩れてしまいそうな。わたしの己惚れと希望が、そう見せたのかもしれないけれど。敢えて言わせてもらうならば、そう。

 心から安堵した。

 そんな顔をしていた。


「せん、ぱ……」


 ほろり、涙が溢れて、頬を伝う。

 痺れた手首に、熱が戻ってゆく。

 部活と家事で荒れた先輩の指先は、それでも、此の世のなによりも尊い。

 だって、まるで赤ん坊の頭を撫でるよう。砂で出来た花を触るように、力を加減してくれているのが、わかるんだもの。わたしが、痛くないように。


「……せんぱい、先輩!」


 あぁ駄目だ。

 緊張の糸も、涙腺も、くだらない見栄も、全部ブッ切れた。

 わたしは、先輩にしがみついて、感情のなすがままに、ワンワン泣き出した。


「先輩! 先輩! せんぱぁい!」

「……あぁ」

「こわ、怖かった……怖かった怖かった怖かったぁああ!」

「あぁ」


 そっと回された腕は、意外にも強く、わたしの背中を抱いた。

 指先の繊細さとは対照的に、なんて力強い温度だろう。

 同じ強さでも、さっきの男子達とは、まるで違う。

 すべての哀しみから、絶望から、守られているみたい。

 額を埋めた懐は、洗剤と、お香と、少しの汗と。男子独特の体臭。

 先輩の匂いがする。

 あぁ、先輩だ。大好きな先輩だ。

 夢じゃないんだ。

 助けに来てくれたんだ。わたしを。

 戦ってくれた。わたしの、ために!

 先輩の手が、わたしの乱れた髪を梳く。軽く肩を叩く。

 ひとつひとつの仕草に、この上ない、いたわりを込めて。

 本当に、今日は、なんて日だ。

 最高だ。

 最悪を上書きして、帳消しにして、決算は心置きなく黒字。

 今日は人生最高の日だ。


 もうこのまま、息が止まっても、いい。


「ったく……これだから目が離せねーんだ」


 耳元で囁く吐息が、ふっと苦笑したような気がした。

 あれ、でも、そういえば?


「……なん、で、来てくれたの?」


 嗚咽混じりに、わたしは訊ねた。

 忘れたとは言わせない。ほんの数時間前、昼休みの玉砕告白タイムを。

 あれだけキッパリと振っておいて、なんで助けに来てくれたんだろう。

 ていうか、どうして此処がわかったの?


「いや、ラインしても繋がらねーし。電話も出ねーし。教室にもいねーし。あちこち聞き回って探してたらさ、鍋島が見たって言うんだよ。柄悪ィ女子に囲まれて、グラウンドの隅の方に行ったとかさ。で、来てみたら鞄と眼鏡、落ちてるし」


 まさかの鍋島ルート!

 ……って、いやいや。そうじゃなくて。


「心配……してくれたの?」

 あんなフルスイングで振ったくせに。


「なんか嫌な予感がしてな。間に合って良かったぜ」


 僅かに身体を離し、先輩が、わたしの顔を覗く。

 と、その視線が下へ降り、また上がり、それからキョロキョロと泳いだ。


「いや、お前……」


 え? なに?


「なんつー格好してんだ」


 言われて、愕然。わたしは己の姿を再認識した。

 ブラウスのボタンは軒並み吹っ飛んで、前が全開。ブラジャー丸見え、ヘソ出しマックスの、ほぼアウトな半裸だった。しかも、暴れたために肩紐がずり落ちて、さして大きくもない胸が、ポロンとハミ乳してるじゃないか。


「きゃーーー!」


 慌ててブラウスを寄せたけれど、焼け石に水にも程がある。最初っから、ずっと見られていたのだから。今更そんなことしても無駄だ。壮絶に無駄だ。おまけに、髪も乱れて、ぐっちゃぐちゃ。解けて散って、お下げですらなくなってる。

 あーもう、恥ずかしい!

 隠せ隠せ!

 でも、どうしよう。セーターは、さっき破っちゃったし。

 確か、何処かにブレザーが落ちてるはずなんだけど……!

 その辺を見回して、わたしは、更に愕然とした。

 わたしのブレザーは、先程の乱闘騒ぎで男衆に揉まれ、砂まみれの埃まみれ。謎の体液(血ですね、わかります)と幾つもの足跡で黒く汚れて、ガチのボロ雑巾と化していた。


「…………」


 やっぱり最悪じゃねーか!

 わたしは、がっくりと頭を垂れて、情けなく呻いた。

 と、不意に頭上で、チッと舌打ちが聞こえて、顔を上げた。

 先輩が、着ているものを脱いでいた。


「えっ!?」


 驚きのあまり、自分でも知らないような声が出た。

 ついでに鼻水も吹いた。

 この展開って……まさかのまさか?

 ちょ、ちょっと先輩。なに考えてんですか。

 そりゃ、先輩だって健康な男子高校生だ。わかってるけど。

 目の前に半裸の女子がいたら、そーなるかもしれないけど。

 まずいって。駄目だってば。

 こんなところで……。


 わたしが動揺している間に、先輩はブレザーを脱ぎ、セーターを脱ぎ、ブラウスを脱いでいく。露わになった筋肉は、無駄なく引き締まって、若さで瑞々しく張り詰めていた。うっすら汗で濡れて湿っているのが、なんか……エロい。

 今から、あの身体に、わたし――?

 ひゃあああ!

 いやでも、こんなところで、嫌だなぁ。初めてだし。

 どうせなら、お布団がいいんだけど。邪魔なゴミ共も転がってるし。アレも持ってないし。汗たくさん掻いちゃったから、臭いが気になるし。あーしまった、またパンツがラリックマだった。こんなことなら、フリフリレースの勝負下着を……。


「ほら、これ着てろ」


 バサッと、膝に先輩のブレザーが落ちてきた。

 続いてセーター、ブラウス。

 …………。

 は?


「んな格好で外歩けねーだろ。俺の貸してやるから、着てろ」


 言って、先輩は、倒れている男子の中から、体格が同じくらいの奴を選別。

 いそいそと追い剥ぎに取り掛かった。

 なるほど。それで脱いだんですね。

 どうも……ご親切に。


 ご親切にィイイイイイ!

 ちくしょーまただよ! 変な妄想して一人で思いっ切りドキドキしてたよ! 夢見たよ! ときめいたよ! しなくていい覚悟したよ! ちくしょーめ!

 もーやだ。バカだわたし。穴を掘って埋まりたい。十年くらい埋まりたい。恥の上塗りって、こういうのを言うんだ。バカじゃん。マジのバカじゃん。なんか今日こんなんばっかりじゃないか? バカか? バカキャラなのか?


 はぁはぁ、くそったれが。

 だけど……まぁ、これはこれで有り難い、か。

 わたしは、まだ先輩の温もりが残るブラウスに、袖を通した。


「ぶかぶか」

「贅沢言うな」


 怒るかと思ったら、先輩は、片方の眼を細めて薄く笑っただけ。

 三度ドキンとしてしまった。

 懲りないなぁ。わたしも。

 ん? よく考えたら、これ彼シャツってやつか?

 ……ひゃあ!


「くっそ、ブレザーだけ合わねーな」

「あ、いいよ。わたし、ブラウスとセーターで充分」


 わたしが返したブレザーを羽織って、先輩は、大きく肩を回した。

 その下には、ちゃっかり誰かから剥ぎ取ったブラウスを着込んでいる。代わりにその誰かが半裸状態なわけだが、それは我々の知ったことではない。風邪でも引いて、ケツに座薬を突っ込まれればいいと思う。でっかいのを。


「んじゃ、さっさと帰るぜ。うち来るだろ?」


 先輩が、わたしの手を取った。

 助け起こしてくれるつもりなのだ。

 おいおい、さっきからどうした。

 普段、こんな気遣い、絶対しないくせに。

 やっぱ、あられもない姿を見られたから?

 先輩は先輩で一応、気まずいのかな?

 うーん、だとしたら、却って恥ずかしいなぁ。


 まごまごしているわたしに、先輩の首が、ふと傾ぐ。

 瞬間、わたしは笑顔を作って、その手を断っていた。照れ隠しだったんだろう。人間とは難儀な生き物で、常日頃から熱望しているシチュエーションでさえ、いざ臨んでみると、咄嗟に遠慮してしまうものらしい。


「大丈夫。立てるから。でも……」


 でも、ありがとう。


 先輩は、キョトンと、瞬きを数度。

 けれどすぐに、見惚れるほどイケメンな笑顔をわたしに返して、そっかと一言。労うように、トン、と背中を押してくれた。

 ――ありがとう。

 後で、お礼、しなくっちゃね。

 ブッ壊れた扉の隙間、吹き込む風が冷たい。外はとっぷり陽が暮れて、それでも不思議に、胸の奥は暖かかった。照れ臭さに染まる頬。解けた髪で隠しても、緩む口元から鼻歌でも零れそうだ。

 入ったときとは正反対の清々しい気分で、わたしは、倉庫を出る。

 地面がなかった。







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