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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
四人坊主は祈らない
17/46

人生最悪の日

9.






 引きずり込まれた倉庫の中は、思った以上に暗かった。

 ただでさえ狭い室内を圧迫する用具は、整頓もされず乱雑に置き散らかされて、さながら迷路かバリケード。掃除なんてされてるわけもなく、男子達が踏み荒らす度に、大量の埃が立つ。


「もう、靴下おニューなのにぃ」


 場違いに間延びした調子で言って、北野さんは、引き戸を閉めた。

 そのくせに、抜け目がない。折れたポールかなにか、傍にあった棒を心張りにして、手早く密室を作ってのける。


 た……助けを呼ばなきゃ。

 わかってるのに。

 どうしよう。

 声が出ない!


「あっれー震えてんのカノジョ?」

「寒いのかな? すぐ暖まるからねぇ」

「大丈夫。センパイ達、女の子には優しいよ?」

「おとなしくしてればな」


 ゲラゲラと、下品な笑い声が上がった。

 跳び箱の上に陣取った北野さんが、スマホを弄りながら、口を尖らせる。


「ちょっと、早くしてよ~充電あんまない」

「わーってるって、おい」


 リーダーの男子が頷くと、数人の手が、乱暴にブレザーを剥ぎ取っていった。


「やっ……」


 ゴミ同然に放り出された先は、黒ずんだ体育マット。

 倒れた衝撃で、古いカビの臭いが、つんと鼻を突く。

 どうにか身体を反転させ、立ち上がろうとした。

 でも駄目だ。

 物凄い力で押し倒され、あっと言う間に組み敷かれて。


「逃げられると思ってんの?」


 すり、と。大きな手が、太腿を撫でる。

 全身が粟立った。

 嫌。

 触らないで!


「やっ……! だ!」


 わたしは、必死に身を捩った。背筋を這い上がる恐怖が、理性を吹き飛ばしたのかもしれない。こんな力が、自分の何処に残っていたのか。驚くほどの勢いで、頭を振り、空を蹴り上げ、駄々っ子みたいに、もうメチャクチャに暴れた。

 それなのに、なんてことだ。

 わたしに覆い被さる身体は、ビクともしない。

 それどころか、却って反発を楽しむように、じわじわと圧力を増してゆく。

 あぁ嘘。話にならないじゃないか。

 男子の腕力って、こんなに強いの?


「縛っとくか」

「そうだな」

「はーい、ちょっとバンザイしてねぇ」


 為す術もなくセーターを脱がされ、そのまま手首をグルグル巻きにされる。


「やだ、いッ……、や」


 痛い、やめて。離して。

 叫んだつもりなのに、喉からは、ひゅうひゅうと冷たい空気が漏れるだけ。


「え、なに? 聞こえないよ? もっと大きな声で、どうぞ」


 誰かが言い、ドッと笑い声が起こった。


「ひ、あっ」


 両脚を開かれて、間に骨張った膝が割り込んでくる。

 ブラウスが左右に破られ、幾つかボタンが弾け飛ぶ。

 素肌に走る空気が、泣きたいくらい冷たくて。

 無駄と知りつつ、縛られた両手をギュッと握り締める。


「いいよー叶ちゃん。ちょーセクシー」


 北野さんが笑う。

 叩き付けられたカメラ音とフラッシュ。死刑の宣告だった。

 仰向けで見上げる男の顔は、経験のないわたしにだって、わかる。半笑いの眼にギラギラと欲望を滾らせた、発情期のオスそのものだ。吐き気がした。どんな呪詛よりも気持ち悪かった。ここまで最低で汚らわしい笑顔が、あるだろうか。

 湿った荒い息が、すぐ鼻先まで迫る。

 わたしは弱々しく頭を振る。精一杯の拒絶だった。

 薄暗い室内で、高い小窓から差し込む西日が、異世界のように赤い。

 気付けば大量の涙が、頬を伝っていた。


 もう、駄目なんだ。

 ごめん。

 わたし、これで、おしまいだ。

 レイプされて、撮影されて、晒されて、拡散されるんだ。

 本当に……二度と、会えなくなっちゃうな。


 カチャ、カチャ。なにか留め具の外れる音を、遠退く意識の外で聞く。

 これから、今日が人生最悪の日になるらしい。

 細めた眼で乱反射する光に、何故だろう。

 わたしは、ぼんやりと、いつかの背中を思い出していた。

 先輩、ごめんなさい……。




 ――瑠衣。




 あれ。

 先輩の声が、した?

 ううん、気のせいだよね。幻聴ってやつだ。

 だいたい都合が良すぎるだろう。此処でヒーロー登場って。


 瑠衣。瑠衣。


 なんか懐かしいなぁ。先輩の声。

 近付いてくる。ような気がする。

 もう、どうしたの? そんなに慌てて。

 走ってるの? また遅刻?

 ずいぶん息が、


 ……瑠衣!


「おい何処だ!? 瑠衣! 瑠衣!」


 ――え?


「瑠衣!!」





                  †





 がたん、がん!

 突然響いた大きな音に、わたしは、驚いて眼を開けた。

 外だ。なんか騒がしいぞ。数人の女子達が、きゃあきゃあ喚いてる。あれって、北野さんの取り巻き。倉庫を見張ってたはずなんだけど、なにかあったの?

 うるせえ、と誰かに一喝されて、彼女達は静まり返った。

 その声……!


「瑠衣! 此処か!? 此処にいるのか!?」


 再び、激しく扉が叩かれた。

 ギシッと、心張り棒が軋む。

 開けようとしてるんだ。


「ちょっ、誰だよ!? こんなときに!」

「先公か!?」

「いや、あの声って確か……」

「タバコ隠せ早く!」

「ちげーよ、コイツ隠すんだよ!」

「北野、そこどけ! 跳び箱、使うから!」


 予想外の乱入者に、男子達は大慌て。狭い室内に散って、バタバタと籠城工作を始める。周りの体育用具で、本物のバリケードを作るつもりなのだ。いや、そんなことしたって、逃げられないんじゃ意味ないだろ。密室なんだからジリ貧だろ。

 現に、その間にも、扉を叩く音は続いている。

 あぁ違うな。叩くなんて生易しいもんじゃない。

 蹴ってるぞ、あれは。


 ガンガン、ガン、ガン、ガン、バンバン、ガン、

 ガン、ガン、

 ばきん!


 一際派手な音を立て、何度目かの蹴りで、扉が外れた。

 からん。ひしゃげたポールが、コンクリートの床を滑る。

 俄に射した明るさに、わたしは思わず眼を細める。

 ううん、どのみち眼鏡がないから、よく見えなかったのかもしれない。

 それでも、そこにあった光景は。

 わたしの瞼に、峻烈に焼き付いた。

 狭い視界の先、西日を浴びて舞う埃が、やけにキラキラ、輝いて。

 夕陽を背負った長身が、巻き上がる砂塵の向こう。

 彼が――肩で大きく息を吐いていたのだから。


「仇志乃……君」


 出入り口のすぐ傍に立っていた北野さんが、呆けた顔で呟いた。

 先輩の眼だけが動いて、彼女を捉える。

 それで事態を飲み込んだらしい。北野さんは、ハッと表情を作った。


「あ、あ、あのね、仇志乃君。これはね、違うの」

「よこせ」

「え?」


 ずい、と。

 乱れた呼吸を整えようともせず、先輩は、北野さんに手を突き出した。

 ただそれだけの動作なのに、なんという威圧感。

 いっそ真摯なほどに凍り付いた無表情が、逆に不穏すぎる。


「スマホ。よこせ」

「これはね、ち、ちょっと遊んでただけで」

「よこせ」

「ほんと、あたし達、友達」

「さっさとしろ!」


 先輩は、北野さんの手から、強引にスマホを奪い取った。

 チラッと画面を見た顔が、みるみる青ざめて、強ばる。


「……どっか行け」

「あの、仇志乃、君」

「消えろっつんだ! 女でもブッ殺すぞ!」


 決して脅しではない迫力で怒鳴り付けられ、今度は北野さんがフリーズした。

 二秒か三秒か。しばし口を結んだまま硬直していた彼女だったが、じき己の無力を悟ったのだろう。眼に涙を溜めて、走り去っていった。


 忌々しげにスマホをポケットへと突っ込み、先輩は、室内を睨め回す。

 情けなく息を呑む声が、たぶん全員分、聞こえた。


「あ……仇志乃」


 リーダーの男子が、引き攣った笑顔で、首を横に振る。


「違うんだよ、仇志乃」


 一歩。先輩は、脚を踏み出した。

 男子達が、同じ距離を遠ざかろうと、腰を引く。

 でも残念。後ろ、壁だから。

 ていうか違わないから。現行犯だから。


「知らなかったんだって。コイツが、お前の彼女だったとかさ」


 また一歩。

 先輩が、ジリジリとにじり寄ってくる。

 相変わらずの無表情で、ちょっとなにを考えてるんだか、わからない。

 ただスニーカーの砂粒を踏む音が、やけに鈍く、重く、空間に沁みる。


「知ってたら手ェ出すわけねーじゃん?」


 狭い室内、歩数は幾らも必要ない。

 もう先輩は、わたし達の二メートルほど手前まで来ていた。


「だからマジ勘弁、俺等ただ」


 言い終わらないうちに、先輩の拳が、リーダーの顔面に、めり込んだ。

 悲鳴を上げる暇もなかったようだ。先輩と同じくらいの体格が、いとも容易く宙を舞い、漫画みたいに吹っ飛んで、壁際の棚に激突した。積年のゴミや埃と共に、用具がガラガラ降ってくる。

 棚に背を預けて尻を着いたリーダーは、がっくりと首を項垂れたまま、起き上がる気配を見せない。


「ひ、ひいっ」


 途端、子分達が、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 リーダーがワンパンで沈んでしまったのだから、無理もない。

 予想していたのか、或いは初めから、一匹たりとも逃すつもりはなかったのか。先輩の反応は、すこぶる早かった。

 一人をブン殴り、一人を張り飛ばし、一人を蹴り上げ、一人を叩き付ける。

 出口を目指す全員、もれなく捉えてキッチリ畳んでゆく様は、あれだ。さながらゲームのボーナスステージ。それも、パーフェクトでハイスコアな神プレイだ。

 なにかが折れたり潰れたりする嫌な効果音が、立て続けに響いていたのも、僅か数秒のこと。

 哀れ男子達は、見事なボロ雑巾となって、辺りに散乱した。


 雑巾……もとい、累々たる死屍を爪先で転がしながら、先輩が、歩を進める。

 依然として無表情を保ったままだったが、その眼は心なしか見開かれ、うっすらと血走って、ある一転を凝視していた。即ち、倒れたリーダーをだ。


「おいコラ」


 むんずと髪を鷲掴み、項垂れたリーダーの頭を上向かせる。

 うわっ、見ない方が良かった。えらいグロ画像になってる。潰れたらしい鼻が、まるでネジの飛んだ水道栓だ。もっとも、吹き出す液体は赤いけれども……。


「どこまでやった?」


 地を這うが如く低い声で、先輩が凄んだ。

 リーダーは、涙と鼻血を撒き散らしながら、ぶんぶん頭を振る。


「……な、にも」

「あぁ?」

「まだ、な、ん、にも……」

「嘘じゃねえだろうな?」

「あ、ああ……」

「そっか、じゃあ死ね」


 えぇ!?

 ツッコむ間もありゃしない。言うが早いか、先輩は、リーダーのブレザーに両手を掛け、躊躇ない動作で一息にキュッ。首に巻き付けるようにして、締め上げた。

 つ、突込絞!

 むしろそっちのツッコミ!?

 弱々しく藻掻いていたリーダーの手が、程なくして、ぱたりと落ちる。

 失神……したようだ。

 ふぅ、と先輩の深い溜息が聞こえて、あとはそれっきり。

 さっきまでの阿鼻叫喚が嘘だったみたいに、場が静まり返った。







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