そういえば不運体質だった
8.
見上げる空が、広すぎて辛い。
バカみたいに口を開けたまま、わたしは、流れる雲を眺めている。
だって動きたくない。動く気力ない。ショックすぎて放電しました。あれから、ずっと屋上で一人、座り込んでボーッとしている。なんにもしたくない。
ひとしきり泣いて、気付けば校庭が賑やかだった。あぁさっきの、六時間目終了のチャイムだったのか。下校する生徒と、部活の生徒。やたらと楽しそうな声が、また癇に障る。お前等ハッピーでいいな。
結局、授業サボっちゃったなぁ。
いいやもう。知らない。
はぁぁあああ。魂の抜けるような溜息は、もう何度目だろうか。
……寒いわ、此処。
億劫で仕方がないけれど、死ぬまで屋上にいるわけにもいかない。
フェンスに手を掛けて、どうにか身体を持ち上げる。かじかんだ手が、惨めだ。萎えて冷え切った脚はガクガクと笑って、自分のじゃないみたいだった。フラフラ歩き出せば、立ち眩みにイラッとして、思わず下品な舌打ちをかます。
こういうの、やっぱりフラれたことになるんだろうか。
なるんだろうなぁ。
明日っから、どうしよう。どんな顔して先輩に会えばいいの?
……会えるの?
避けられるかもなぁ。鬱陶しいと思われたかもなぁ。
『俺は嫌だな』。
冷静な先輩の声が、頭の中でリピートする。
そっかぁ。
迷惑だよね。
考えてみりゃ、誰だってそうだ。好きでもない相手に、ジッと熱い視線を送られ続けるとか。普通にキモい。ないわ。イタいわ。思いっ切りストーカーじゃん。
あーあ。バカだ。
バカだバカだ大馬鹿だ、わたし。
勝手に片思いして、勝手にドキドキして、勝手に期待して、勝手に玉砕した。
全部、独り善がり。一人で舞い上がって踊ってただけ。
わたしのくせに。
先輩と釣り合うはず……ないじゃん。
わたしは、此世の終わりみたいな顔で、教室に戻った。
クラスメイト達は、みんな帰るか部活に行くかしたんだろう。五、六人が残って喋っているだけで、すっかり放課後の気怠さが始まっている。
ほとんど自動的に席まで戻って、鞄を手に取ろうとした、そのとき。
「叶ちゃーん! ちょっといい?」
窓際で談笑していた女子グループの一人が、声を掛けてきた。
北野さんだ。
茶髪にピアス、濃いメイク。短いスカート。とっても派手で目立つ子だった。常に取り巻きを四人従え、圧倒的な発言力でクラスの女子を支配する、ボス的存在。そのくせ何故か先生受けが良くて、明らかな校則違反を咎められることもない。
無論、クラスカーストでは最上位に君臨する。
一方、わたしは圏外。数合わせでクラスに含まれてるような地味子だ。彼女とは住む世界が違う。いわば真逆の立場である。
それがいったい、なんの用があるっていうんだろう?
「え……な、なに?」
反射的に振り向いたわたしに、北野さんは、笑顔で小首を傾げてみせる。
「一緒に帰んない?」
……ど、どうして?
彼女とは特別、親しいわけではない。
というか、まともに喋ったこともない。
わたしは戸惑い、答えあぐねて、ただ胸の前で手を握った。
「アンタと寄りたいとこあんだけどー」
でも、そんなのお構いなし。肩に腕を回して、北野さんが顔を覗き込んでくる。
泣き腫らした跡が恥ずかしくて、わたしは、咄嗟に視線を逸らせた。
そのとき、チラッと見えたんだ。
あくまでフレンドリーな態度なのに、北野さん、眼が全然笑ってない。
取り巻き達は、逆にニヤニヤしている。
なにこれ。なんか嫌な予感。
「あ、あの、ごめんなさい。わたし急ぐから……」
作り笑顔で、わたしは彼女から逃れようと脚を踏み出す。
しかし回り込まれてしまった!
いつの間にか、取り巻き達が輪を作り、わたしを包囲していたのだ。
「いいから来いよ」
先程までとは打って変わって低い声で呟き、北野さんが、手首を掴んだ。
†
全員で寄って集って、突いたり押したり引っ張ったり。
わたしが連れて行かれたのは、やっぱり昇降口ではない。
体育館の裏、ひっそりと人目に付かない用具倉庫だった。
グラウンドからは、体育館が邪魔をして見えない。体育館からは、倉庫そのものが障害物となって、わたし達が見えない。唯一、人が通れそうな通路は、生い茂った植え込みと記念樹で、暗く翳っている。
加えて、彼女の取り巻き達が、見張りとして配置されるという徹底ぶり。
ココまで来れば、鈍いわたしでも合点がいった。
「シメる」ってやつですね、これは。
「ぶっちゃけアンタ、どーいう関係なわけ?」
北野さんが、迫力満点の壁ドンで、わたしを見下ろす。
その眼は完全に据わって、半ば血走っている。冷ややかでありながら、ギラギラと燃えているよう。ドス黒い憎悪に充ち満ちて、鋭い光を放っていた。
「どういうって」
「とぼけんな! 二年の仇志乃君だよ!」
バンバンと耳元で壁を叩かれて、わたしは思わず眼を瞑る。
「こないだ早退したでしょ? あれ、仇志乃君と一緒に帰ったの? ケイコが見たっつってんの。隠れてコソコソやって、どういうつもり?」
……あぁ。そうか。
北野さん、さては先輩のことが好きなんだな。
まぁモテるもんね、先輩。
うぅん、どうしよう。本当のことなんて言えるはずないし……。
「別に、たまたま。方向が同じだっただけで……デートとか、そういうのじゃ」
「口答えすんな!」
ガン! と一発。強く壁を蹴って、北野さんは、わたしの前髪を掴んだ。
なによもう、訊かれたから誤魔化したのに。
どっちにしてもキレるんじゃないかぁ。
「仇志乃君はね、あたしが狙ってんの」
噛み付かんばかりの威圧感が、ずいと鼻先を塞いだ。
北野さんは、唾を飛ばしながら矢継ぎ早に捲し立てる。
「だいたい学校一のイケメンなんだけど? アンタみたいなダサい子と釣り合うはずないっしょ? どーいう方法で近付いたのか知らないけど、マジ目障り。さっさと離れてって感じ。彼だって、ウザいと思うんだよねー」
こんな状況にも関わらず、カッと頭に血が上った。
図星を突かれたから、かもしれない。
でも、それだけじゃなかった。
なんで親しくもない奴に、そんな指図されなきゃならないの。
わたしが人を好きになるには、赤の他人の許可が必要なわけ?
つーか、わたし、さっきフラれてきたばっかりなんですけどね。
なんかもう腹立ってきた。
早く帰ってシャワー浴びて泣くだけ泣いて寝たいのよ、こっちは。
「そんなの、わたしじゃなくて、先輩に言ったら?」
「!」
気付けば、わたしは北野さんを睨み付け、堂々と啖呵を切っていた。
「そっちこそ、なにモタモタしてるのよ。わたしに絡んでる暇があるなら、さっさと先輩に告白すればいいじゃない! 好きなら本人に言え、このヘタレ!」
北野さんは、驚愕の表情で固まった。
そりゃそうだろう。
わたしだって……ビックリした。
十六年間、小中高と、モブに専念してきた人生だった。キジも鳴かずば。それが信条だったのに。こんな状況で、こんなにキッパリと自己主張してみせるなんて。自分でも嘘みたいだ。失恋のせいで頭がやられたんだろうか。
……ちょっとスッキリしたけどね。
けれどそんな気分の良さも、束の間のこと。
目の前の顔は、みるみる歪んで鬼の形相となってゆく。
「生意気言ってんな、コラ!」
「きゃっ!」
胸倉を掴まれて、その拍子に、ブラウスのボタンが一つ吹っ飛んだ。
そのときに握り込まれたんだろう。首から提げていた鎖が衝撃で引き千切れて、あっさりと持っていかれた。
「ん、なにこれ」
拳を開き、北野さんは、プッと吹き出す。
「やっだ、幸運のネックレス? ダッサ!」
北野さんの掌に乗っているのは、小さな翡翠の勾玉。
――駄目、それは!
それは、わたしの、御守りだ。
もちろん、観光地で売ってるような、タダの御守りじゃない。実際に呪詛除けの効果がある。弱い呪詛ならば吸収、封印してしまえるほどに。正真正銘の呪具だ。だってこれは、流音君の特別製なんだもの。
身に付ける物だから、と鎖を通せるよう加工したのは、華音さんのアイディアだったという。彫り込まれた梵字は、世音先輩が施したもの。仕上げの入魂を担当してくれたのは、紫音さんだ。
みんなが、わたしのために作ってくれた。
先輩が、わたしにくれた、大事な御守りだ。
たったひとつの、プレゼントだ。
「返して! それは先輩が」
咄嗟に口走って、しまったと言葉を飲み込む。
だけど、もう遅かった。北野さんから表情が消えたのだ。
「仇志乃君が?」
ふぅん、と呟き、北野さんは、しげしげと御守りを眺める。
それから、しばらく千切れた鎖を抓んでプラプラ揺らしていたかと思うと、
「……仇志乃君て、案外、趣味悪い」
忌々しげに口元を歪め、造作もなく、ポンと遠くへ投げ捨ててしまった。
「あぁッ!?」
ちょっと、なんてことするのよ!?
あれがないと、また不運な生活に逆戻りじゃないか。
ううん、そんなの二の次だ。
あの御守りは、先輩がわたしにくれた、たった一つのプレゼント。
今となってはもう遠い。楽しかった日々の。
大切な想い出なのに!
慌てて後を追おうとするが、素直に行かせてくれるはずもない。
待ってましたとばかりに足を引っ掛けられ、不格好に地面へ転がった。
倒れ込んだ衝撃で、眼鏡が外れて、何処かに落ちる。
「ふん、ダッサい眼鏡」
ぼやけた視界の先、数センチのところで、眼鏡は無残に踏み砕かれた。
ギャハハハ、と取り巻きの女子達が爆笑する。
ひしゃげたフレームと割れたレンズが、惨めさの象徴のようで。
悔しくて情けなくて、じわじわ涙が浮かんでくる。
なんでよ。
どうしてわたし、こんな目に遭うの……?
「なにやってんだ、お前等」
不意に誰かの声がして、顔を上げた。
数人の男子生徒が、此方へ歩いて来るところだった。
眼鏡がないからハッキリとはわからないが、体格からして、二年か三年だろう。五人、六人くらいはいる。
泣きながらも、思わず笑みが零れた。
ひ、人が来た!
「助けてください!」
わたしは、倒れたまま腕を伸ばし、彼等に助けを求めた。
必死の表情だったはずだ。
ところが、どういうわけか。そんなわたしをガン無視して、北野さんは長い茶髪を掻き上げた。
「なにって、見てわかんない? コイツ生意気だからシメてんの」
ふーん、と一人の男子が、ブレザーの内ポケットから煙草を出して咥える。
立ち位置からして、彼が男子グループのリーダーなんだろう。
いや、そんなことは、どうでもいい。
続く暢気な会話に、わたしは愕然とするハメになったのだから。
「あんまうるさくすんなよ。ココ、俺等が先に見付けたんだぜ」
「別に誰が使ったっていいじゃん。便利なんだし」
「ま、いーけど。バレないように頼むぜ。騒ぎすぎなんだよお前等」
……え、それだけ?
止めに入るとか、注意とか、一切なし?
ましてや、わたしを助けてくれる気概なんか、微塵も感じられない。
なんてことだ。
仲良いんだ、北野さん。この男子達と。
つまり両方とも、イジメ上等の屑人間ってこと……。
「そうだ!」
年頃の女の子らしい、明るい北野さんの声が、頭上から降ってきた。
とても良いことを思い付いた、といったふうに。
「あんたらさ、コイツやっちゃってよ。うちら撮影すっから」
男子達は、一瞬キョトンとしたが、北野さんの言わんとすることを理解したのだろう。すぐに、ゾッとするほど満面の笑みを浮かべた。
やる?
なにを?
……決まってるじゃないか。
頭から、サッと血の気が引いてゆくわかる。膝がガタガタと震え始めた。反射的に後退り、お約束の壁に突き当たって、絶望の二文字が頭を過ぎる。
やだ、嘘でしょ。そんなの、漫画とか成人雑誌だけの展開だよね?
嘘でしょ?
「もしかしたら、初モノかもよ」
北野さんが、クククと喉を鳴らした。