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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
四人坊主は祈らない
15/46

消えた雨乞い

7.






 昔々、ある村に、それは貧乏な男がおった。

 身寄りもない、パッとせん醜男でな。その上に無愛想で、ちょっとなにを考えとるか知れん、妙な奴だったそうじゃ。当然、嫁に来てやるという女もおらん。だもんで、村の外れで、ひっそりと小さな畑を耕して暮らしておったとな。


 さて、ある年のことじゃ。

 村が日照りに襲われた。

 雨の降らん日が続いてな。田圃たんぼは干上がって、畑でも作物が育たん。井戸という井戸は涸れ、食い物どころか飲み水にも困る有様で、弱い者からバタバタと倒れていった。

 雨乞いをしたところで、まるで効果がない。

 そりゃあ酷いもんじゃった。

 とうとう、あっちこっちで、餓死する者まで現れ始めたんじゃ。

 頭を抱えた村人達は、近所の村から祈祷師を呼び寄せて、占ってもらったと。

 すると祈祷師は、こう言ったんじゃ。

 それは、雨乞いの方法が間違っている。


 百匹の蛇と共に井戸へ籠もり、百日間、祈り続けよ。

 これこそ正しい雨乞いの法なのだ。と。


 祈祷師によれば、そも、この日照りは蛇の仕業である。奴等は土地から水を吸い取り、力に変えておる。ならば、奴等を飢えさせて、絞り出せば良いと。こういう理屈なんじゃな。

 蛇は雨の日には動かん。変温動物じゃからな。雨に打たれると体温が下がって、動きが鈍ってしまうでのう。代わりに、晴れた日は日光浴じゃ。でっかいのが、岩の上でとぐろを巻いとるのをよう見るわ。

 祈祷師の言葉が本当だったのかどうか。今となっては、わからんなぁ。まったくの与太話だったのかもしれん。ただ、そういったイメージも強かったんじゃろう。村人達も、切羽詰まっておったろうしのう。

 この方法を試すことに決まったと。


 直ちに寄り合いが開かれ、村の男達が集まって、相談した。

 とはいえ、凄まじい法じゃ。たとえそれで雨が降ったとて、井戸に入る側はどうなるか。飢えた百匹の蛇と百日間、狭い井戸の中で過ごすのだからのう。タダでは済まん。気が狂うかもしれん。下手をせずとも命に関わる。

 当然、誰もが怯え、尻込みして、やりたがらん。

 寄り合いは、なかなか進まんかった。

 そんなときじゃった。

 車座から外れて、端にポツンと座っていた若者が、手を挙げたのよ。

 ……わかるな?

 件の、醜男じゃよ。

 男は、自ら志願して井戸に入ると宣言したんじゃ。その代わり、雨乞いが成った際はどうか、長者の一人娘を嫁にくれろ。そんな条件付きでな。

 この一人娘というのが、また大層な別嬪じゃったとな。十五になったばかりの、それは愛らしい娘で、方々から縁談が山の如く寄せられておったそうな。今で言うアイドルとかいう奴かの。

 長者は内心、図々しい若造めが、と苦く思った。

 さりとて、場合が場合じゃ。

 長者は男の申し出を受け、男は、涸れ井戸に籠もったと。

 最低限の食料と水と――百匹の蛇と共にな。


 蓋をされた井戸の中で、男は、どんな気持ちだったんじゃろうなぁ。

 祈る声は、細々ながらも毎日毎日、昼となく夜となく続いたそうな。


 そして、ちょうど百日目のこと。

 遂に男の祈りが天に届いたか、俄に空が掻き曇り、低く嘶いたかと思うと、あれよという間に泣き出しおった。

 雨脚は強まり、じきに桶をぶちまけたかの如く大雨が村に降り注いだ。みるみる田畑は潤い、作物は息を吹き返し、井戸に水が溜まり、乾いた土地は蘇ってゆく。皆は、手を取り合って、大喜びしたと。やれ救われた、やれ宴じゃとな。


 そこで、さて、問題の男じゃ。

 本来ならば、ここで井戸から引っ張り出して、長者の一人娘と夫婦にせにゃならん。加えて、謝礼の幾らかでも包んで然るべきじゃろう。なんせ、身を挺して村を救った救世主なのだからのう。

 しかしな。人間というのは、斯くも薄情な生き物なのよ。

 娘を嫁に遣ることが惜しくなった長者は、あっさりと約束を反故にした。

 というより、初めから、その気など更々なかったのかもしれん。どうせ、卑しい男じゃ。そんな奴に、口約束一つで大事な娘をくれてやる親が、何処におる。

 あろうことか長者は、男の入った井戸に固く蓋をしたまま、周りを土で盛って、埋め立ててしもうたんじゃ。


 村人は、これを黙認したと。

 元より得体の知れん、薄気味の悪い男じゃったからの。生かしたところで、なんの益にもならん。村は歓喜の真っ只中とて、誰も己の事情に忙しかった。滞っとった畑仕事も、せにゃならん。やることは仰山ある。構っとれん。

 さすがに気の毒ではないか、という意見も出るには出たが、日照りのことなど、もうすっかり皆の頭からは抜けておったのよ。

 喉元過ぎれば熱さを忘れる。とは、よう言うたもんじゃ。

 結局、大多数の声に押し切られる形で、男は見殺しにされた。

 最後に役に立ったのだから、却って儲けもんじゃろう。あまつさえ、そんな空気すら流れておったんだと。長者の娘は、何事もなかったかのように、隣村の庄屋へ嫁いだとな。


 斯くして一件落着。

 村には、以前の平穏が戻った……。


 じゃが。

 しばらくして、村で、奇妙な出来事が起こり始めたんじゃ。

 蛇よ。

 蛇が湧くんじゃ。

 元々、蛇の多い土地ではあったそうじゃ。が、数が尋常ではない。畑仕事をしていれば、何処からか寄り集まってきて威嚇する。田圃に入れば、脚に絡み付く。家におれば、軒下、縁側、土間、寝床。処構わずウヨウヨ出よる。

 また困ったことに、此奴等が、何故か作物を荒らすんじゃ。

 知っとるとおり、蛇っちゅうのは、鼠やら蛙やらの小動物が主食。稲や畑の作物を食うなんぞという話は、聞いたことがない。なのに、余程飢えておるのか。なんでも食う。ガバッと口ィ開けて、パクッと一呑みじゃ。

 こりゃあ、いよいよ只事ではないぞ。

 皆が恐れ戦き、慌てる最中、とうとう決定的な事件が発生した。

 村の娘共が、揃って奇病に倒れたんじゃよ。

 いやはやこれが、なんとも奇怪至極。世にもおぞましき病じゃったと。


 まず両手足の硬直を訴え、じきに歩けんようになる。

 髪は抜け、全身に鱗状の発疹が生じ、動く際には、くねくねと這う。

 食事は生物しか食わず、しかも丸呑み。豆でも米でもな。

 そんなじゃから、痩せ衰えて、皮膚は日照りの如く乾く。

 にも関わらず、眼だけはギラギラと、金色に光ってな。

 ひび割れた唇から、しきりと舌を出し入れするんじゃと。

 あぁ、げに蛇の化身よ。


 それはちょうど、あの醜男が埋められてから、百日目のことだったとな。


 村人達は、ようやく男の無念を知った。初めて後悔したんじゃ。

 村を救った恩人に対して、あんまりと言えばあんまりな礼じゃった。

 一種の極限状態に浮かれて、自分達が男に見舞った仕打ち。まるで厄介払いではないか。村のための犠牲などと体の良い弁明を用いたとて、その実、単なる見殺しじゃ。百匹の蛇と共に生き埋めじゃ。惨いことよ惨いことよ。

 こりゃ掘り出して、しっかり供養するべえ。

 結局、誰かの一言で、男の埋まっとる場所が掘り返されることになった。ちっと遅すぎる気はするがのう。どのみち、もう取り返しは付かん。それでも村人達は、怖ろしかったんじゃ。男の怨念と、己の所業が。


 ……さぁて、なにが出てきたと思う?

 男のミイラ? 蛇の死骸? 怨霊? 或いは、そのすべて?

 いやいや、違うんじゃ。

 なんとしたことか。

 逆よ。

 なーんもなかったんじゃ。

 其処には、影も形もない。あった形跡すら、なくなっておった。


 井戸は……消えておったんじゃよ。

 百匹の蛇と、哀れな男と共に――。





                  †





 俺は、ゴクッと喉を鳴らした。

 膝に乗せた手が、拳を作ってる。じんわりと熱を持った眼が、不思議な緊張感に瞬いて、疼く。正座した脚が痺れるのも忘れて、聞き入ってしまっていた。

 後味の悪い……嫌な話だ。


「その男が、石田の荒御霊だと?」


 兄さんが訊ねると、ご隠居は、とぼけた様子で頭を掻いた。


「どうかの。場所は失念した。ただ、関東の話だというぞ」

「関東……」


 この辺りもバッチリ入るな。


「それで、井戸は、どうなったのでしょう?」

「さぁのう。旅の高僧にでも封じられたのと違うか」


 煙草盆に煙管を叩き、ご隠居は、話を締め括った。


 兄さんは、眉間に皺を寄せて、腕を組んだ。片手は口元に当てられている。

 たぶん、俺と同じことを考えてる。

 蛇……だよな。

 兄さんは、井戸に巣くう呪詛を調伏した、としか話していない。石田の蛇憑きについては、一言も口にしていないんだ。だからこれは、ご隠居が咄嗟に思い付いた作り話ってわけじゃない。偶然の一致にしては、出来すぎじゃないか。

 ……偶然?

 なんだろうか?

 井戸と蛇。無関係だとばかり思っていた呪詛が、今の話ならば繋がる。

 十年に一度の生贄。三十年に三度の蛇憑き。井戸。キーワードは充分。

 もし、ご隠居の話が、石田での出来事だったなら。

 その男が荒御霊となって生贄を要求したのが、御霊信仰の始まりだとしたら。

 すべて辻褄が合ってしまうのだけれど――。


「紫音や」

「はい」


 出し抜けに呼び掛けられて、兄さんの眉が、僅かに跳ねる。


「知っとるか? 煙草のやには蛇避けになるんじゃぞ」


 は、と虚を突かれたような声が、兄さんの喉から零れた。

 それからたっぷり五秒は間を置いて、ご隠居は、再び唇を開いた。


「蛇の毒に困ったら、樹音の煙管を使うとええ」

「……父の?」

「そうとも」

「…………」


 さて、何処へ遣ったやら。

 寸刻の後、兄さんは、そう嘯いてみせる。穏やかな微笑には、けれど今一つ釈然としない疑問符が混ざり込んでいた。ご隠居の真意が汲めないんだろう。

 ていうかごめん、俺もわからない。蛇が煙草に弱いっていうの、昔話なんかじゃ定石だけど、今更そんなことをドヤ顔で言われても、リアクションに困る。ご隠居だって、それくらいは、わかってるはずじゃないかな。

 ということは、言外に別の意図がある?

 要するにアドバイスってこと?

 でも、なんのための?

 父さんの煙管なら、仏壇にしまってある。兄弟みんな知ってることだ。だから、兄さんの返事は間に合わせ。たぶん、適当な言葉で時間を稼いでる。焦れたご隠居が、続きを切り出さないかと踏んで。


 だけど、ご隠居は、それっきり、なにも語らなかった。

 ニヤニヤ薄ら笑いを浮かべて、兄さんと俺を交互に眺めてるだけだ。


 今度の沈黙は、えらく長い。


 え、なにこの空気。

 なんで二人とも黙ってるの。沈黙のチキンレースみたいになってんの。

 これって俺、どうしたらいいの?

 やばい、超気まずい。

 関係ない話題とか振る? 駄目、この場の主導権は、年配のご隠居にあるんだ。差し出がましいし、どうせ答えちゃくれない。じゃあ兄さんに話し掛ける? 用事ないけど? トイレとか言って中座する? いやいや、不自然だし失礼だよ。

 っていうか、そういえば、なんで俺、同席してるの?

 まずい、どうしよう。駄目これ。息が苦しくなってきた。

 ちょっと耐えられない。俺、意味もなく後ろめたいよ?

 どうしよう。俺、どうしたらいい?

 だ、誰か助けて……




「たっだいまー!」




 半ば理性の遠退き始めた耳に、聞き慣れた声が飛び込んできた。

 声の主は、玄関の戸を閉め、靴を脱ぎ、廊下を此方へ歩いて来る。

 ふっと兄さんが表情を緩めた。

 あぁ、俺にはそれが、阿弥陀如来の直説に聞こえたよいやマジで。


「おかえり流音。和室へおいで」

「なあにー?」


 兄さんに呼ばれて、我家の四男が、襖から顔を出した。

 ご隠居を認めて、まずキョトンとして、それから、わぁっと歓声を上げる。


「うわっ! シゲロー爺ちゃん!? マジ!? ひっさひぶりー!」

「お、流音坊か。こりゃあたまげた。大きゅうなったの」

「まだ生きてたんだ、すっげー!」

「これ、流音」

「ははは、言いよるわヒヨッコが。オシメは取れたか? ん?」

「僕もう中学生だよっ!」


 眩しい笑顔を振り撒きながら、流音は、ご隠居の隣に座り込む。

 俺と目が合った。

 そして、パチンとウインク一つ。


「華音兄ちゃん、僕にも飲み物! お菓子も食べたいな~」


 ほら、これで抜けられるでしょ?

 あどけなさの残る顔が、立派な策士の面構えで、そう言っていた。

 こいつ、今の数秒で、完璧に状況を把握したんだ。

 もちろん、俺が内心オロオロしてたのも、全部お見通しってことで。


「すみません、ご隠居。じゃあ俺、ちょっと失礼します」

「お茶ヤだよ! ジュースがいい」

「はいはい」


 この機を逃す手はない。痺れた脚を叱咤して、俺は、そそくさ立ち上がる。

 そうだ。お茶のお代わりも淹れなきゃ。三軒茶三軒茶。


 襖を閉める瞬間、感謝のつもりで、流音に視線を送った。

 返ってきたのは意味深な、破顔一笑。

 ……オーライ。

 ひとつ借りだね。

 まったく、良く出来た弟さ、お前は。






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