消えた雨乞い
7.
昔々、ある村に、それは貧乏な男がおった。
身寄りもない、パッとせん醜男でな。その上に無愛想で、ちょっとなにを考えとるか知れん、妙な奴だったそうじゃ。当然、嫁に来てやるという女もおらん。だもんで、村の外れで、ひっそりと小さな畑を耕して暮らしておったとな。
さて、ある年のことじゃ。
村が日照りに襲われた。
雨の降らん日が続いてな。田圃は干上がって、畑でも作物が育たん。井戸という井戸は涸れ、食い物どころか飲み水にも困る有様で、弱い者からバタバタと倒れていった。
雨乞いをしたところで、まるで効果がない。
そりゃあ酷いもんじゃった。
とうとう、あっちこっちで、餓死する者まで現れ始めたんじゃ。
頭を抱えた村人達は、近所の村から祈祷師を呼び寄せて、占ってもらったと。
すると祈祷師は、こう言ったんじゃ。
それは、雨乞いの方法が間違っている。
百匹の蛇と共に井戸へ籠もり、百日間、祈り続けよ。
これこそ正しい雨乞いの法なのだ。と。
祈祷師によれば、そも、この日照りは蛇の仕業である。奴等は土地から水を吸い取り、力に変えておる。ならば、奴等を飢えさせて、絞り出せば良いと。こういう理屈なんじゃな。
蛇は雨の日には動かん。変温動物じゃからな。雨に打たれると体温が下がって、動きが鈍ってしまうでのう。代わりに、晴れた日は日光浴じゃ。でっかいのが、岩の上でとぐろを巻いとるのをよう見るわ。
祈祷師の言葉が本当だったのかどうか。今となっては、わからんなぁ。まったくの与太話だったのかもしれん。ただ、そういったイメージも強かったんじゃろう。村人達も、切羽詰まっておったろうしのう。
この方法を試すことに決まったと。
直ちに寄り合いが開かれ、村の男達が集まって、相談した。
とはいえ、凄まじい法じゃ。たとえそれで雨が降ったとて、井戸に入る側はどうなるか。飢えた百匹の蛇と百日間、狭い井戸の中で過ごすのだからのう。タダでは済まん。気が狂うかもしれん。下手をせずとも命に関わる。
当然、誰もが怯え、尻込みして、やりたがらん。
寄り合いは、なかなか進まんかった。
そんなときじゃった。
車座から外れて、端にポツンと座っていた若者が、手を挙げたのよ。
……わかるな?
件の、醜男じゃよ。
男は、自ら志願して井戸に入ると宣言したんじゃ。その代わり、雨乞いが成った際はどうか、長者の一人娘を嫁にくれろ。そんな条件付きでな。
この一人娘というのが、また大層な別嬪じゃったとな。十五になったばかりの、それは愛らしい娘で、方々から縁談が山の如く寄せられておったそうな。今で言うアイドルとかいう奴かの。
長者は内心、図々しい若造めが、と苦く思った。
さりとて、場合が場合じゃ。
長者は男の申し出を受け、男は、涸れ井戸に籠もったと。
最低限の食料と水と――百匹の蛇と共にな。
蓋をされた井戸の中で、男は、どんな気持ちだったんじゃろうなぁ。
祈る声は、細々ながらも毎日毎日、昼となく夜となく続いたそうな。
そして、ちょうど百日目のこと。
遂に男の祈りが天に届いたか、俄に空が掻き曇り、低く嘶いたかと思うと、あれよという間に泣き出しおった。
雨脚は強まり、じきに桶をぶちまけたかの如く大雨が村に降り注いだ。みるみる田畑は潤い、作物は息を吹き返し、井戸に水が溜まり、乾いた土地は蘇ってゆく。皆は、手を取り合って、大喜びしたと。やれ救われた、やれ宴じゃとな。
そこで、さて、問題の男じゃ。
本来ならば、ここで井戸から引っ張り出して、長者の一人娘と夫婦にせにゃならん。加えて、謝礼の幾らかでも包んで然るべきじゃろう。なんせ、身を挺して村を救った救世主なのだからのう。
しかしな。人間というのは、斯くも薄情な生き物なのよ。
娘を嫁に遣ることが惜しくなった長者は、あっさりと約束を反故にした。
というより、初めから、その気など更々なかったのかもしれん。どうせ、卑しい男じゃ。そんな奴に、口約束一つで大事な娘をくれてやる親が、何処におる。
あろうことか長者は、男の入った井戸に固く蓋をしたまま、周りを土で盛って、埋め立ててしもうたんじゃ。
村人は、これを黙認したと。
元より得体の知れん、薄気味の悪い男じゃったからの。生かしたところで、なんの益にもならん。村は歓喜の真っ只中とて、誰も己の事情に忙しかった。滞っとった畑仕事も、せにゃならん。やることは仰山ある。構っとれん。
さすがに気の毒ではないか、という意見も出るには出たが、日照りのことなど、もうすっかり皆の頭からは抜けておったのよ。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。とは、よう言うたもんじゃ。
結局、大多数の声に押し切られる形で、男は見殺しにされた。
最後に役に立ったのだから、却って儲けもんじゃろう。あまつさえ、そんな空気すら流れておったんだと。長者の娘は、何事もなかったかのように、隣村の庄屋へ嫁いだとな。
斯くして一件落着。
村には、以前の平穏が戻った……。
じゃが。
しばらくして、村で、奇妙な出来事が起こり始めたんじゃ。
蛇よ。
蛇が湧くんじゃ。
元々、蛇の多い土地ではあったそうじゃ。が、数が尋常ではない。畑仕事をしていれば、何処からか寄り集まってきて威嚇する。田圃に入れば、脚に絡み付く。家におれば、軒下、縁側、土間、寝床。処構わずウヨウヨ出よる。
また困ったことに、此奴等が、何故か作物を荒らすんじゃ。
知っとるとおり、蛇っちゅうのは、鼠やら蛙やらの小動物が主食。稲や畑の作物を食うなんぞという話は、聞いたことがない。なのに、余程飢えておるのか。なんでも食う。ガバッと口ィ開けて、パクッと一呑みじゃ。
こりゃあ、いよいよ只事ではないぞ。
皆が恐れ戦き、慌てる最中、とうとう決定的な事件が発生した。
村の娘共が、揃って奇病に倒れたんじゃよ。
いやはやこれが、なんとも奇怪至極。世にもおぞましき病じゃったと。
まず両手足の硬直を訴え、じきに歩けんようになる。
髪は抜け、全身に鱗状の発疹が生じ、動く際には、くねくねと這う。
食事は生物しか食わず、しかも丸呑み。豆でも米でもな。
そんなじゃから、痩せ衰えて、皮膚は日照りの如く乾く。
にも関わらず、眼だけはギラギラと、金色に光ってな。
ひび割れた唇から、しきりと舌を出し入れするんじゃと。
あぁ、げに蛇の化身よ。
それはちょうど、あの醜男が埋められてから、百日目のことだったとな。
村人達は、ようやく男の無念を知った。初めて後悔したんじゃ。
村を救った恩人に対して、あんまりと言えばあんまりな礼じゃった。
一種の極限状態に浮かれて、自分達が男に見舞った仕打ち。まるで厄介払いではないか。村のための犠牲などと体の良い弁明を用いたとて、その実、単なる見殺しじゃ。百匹の蛇と共に生き埋めじゃ。惨いことよ惨いことよ。
こりゃ掘り出して、しっかり供養するべえ。
結局、誰かの一言で、男の埋まっとる場所が掘り返されることになった。ちっと遅すぎる気はするがのう。どのみち、もう取り返しは付かん。それでも村人達は、怖ろしかったんじゃ。男の怨念と、己の所業が。
……さぁて、なにが出てきたと思う?
男のミイラ? 蛇の死骸? 怨霊? 或いは、そのすべて?
いやいや、違うんじゃ。
なんとしたことか。
逆よ。
なーんもなかったんじゃ。
其処には、影も形もない。あった形跡すら、なくなっておった。
井戸は……消えておったんじゃよ。
百匹の蛇と、哀れな男と共に――。
†
俺は、ゴクッと喉を鳴らした。
膝に乗せた手が、拳を作ってる。じんわりと熱を持った眼が、不思議な緊張感に瞬いて、疼く。正座した脚が痺れるのも忘れて、聞き入ってしまっていた。
後味の悪い……嫌な話だ。
「その男が、石田の荒御霊だと?」
兄さんが訊ねると、ご隠居は、とぼけた様子で頭を掻いた。
「どうかの。場所は失念した。ただ、関東の話だというぞ」
「関東……」
この辺りもバッチリ入るな。
「それで、井戸は、どうなったのでしょう?」
「さぁのう。旅の高僧にでも封じられたのと違うか」
煙草盆に煙管を叩き、ご隠居は、話を締め括った。
兄さんは、眉間に皺を寄せて、腕を組んだ。片手は口元に当てられている。
たぶん、俺と同じことを考えてる。
蛇……だよな。
兄さんは、井戸に巣くう呪詛を調伏した、としか話していない。石田の蛇憑きについては、一言も口にしていないんだ。だからこれは、ご隠居が咄嗟に思い付いた作り話ってわけじゃない。偶然の一致にしては、出来すぎじゃないか。
……偶然?
なんだろうか?
井戸と蛇。無関係だとばかり思っていた呪詛が、今の話ならば繋がる。
十年に一度の生贄。三十年に三度の蛇憑き。井戸。キーワードは充分。
もし、ご隠居の話が、石田での出来事だったなら。
その男が荒御霊となって生贄を要求したのが、御霊信仰の始まりだとしたら。
すべて辻褄が合ってしまうのだけれど――。
「紫音や」
「はい」
出し抜けに呼び掛けられて、兄さんの眉が、僅かに跳ねる。
「知っとるか? 煙草の脂は蛇避けになるんじゃぞ」
は、と虚を突かれたような声が、兄さんの喉から零れた。
それからたっぷり五秒は間を置いて、ご隠居は、再び唇を開いた。
「蛇の毒に困ったら、樹音の煙管を使うとええ」
「……父の?」
「そうとも」
「…………」
さて、何処へ遣ったやら。
寸刻の後、兄さんは、そう嘯いてみせる。穏やかな微笑には、けれど今一つ釈然としない疑問符が混ざり込んでいた。ご隠居の真意が汲めないんだろう。
ていうかごめん、俺もわからない。蛇が煙草に弱いっていうの、昔話なんかじゃ定石だけど、今更そんなことをドヤ顔で言われても、リアクションに困る。ご隠居だって、それくらいは、わかってるはずじゃないかな。
ということは、言外に別の意図がある?
要するにアドバイスってこと?
でも、なんのための?
父さんの煙管なら、仏壇にしまってある。兄弟みんな知ってることだ。だから、兄さんの返事は間に合わせ。たぶん、適当な言葉で時間を稼いでる。焦れたご隠居が、続きを切り出さないかと踏んで。
だけど、ご隠居は、それっきり、なにも語らなかった。
ニヤニヤ薄ら笑いを浮かべて、兄さんと俺を交互に眺めてるだけだ。
今度の沈黙は、えらく長い。
え、なにこの空気。
なんで二人とも黙ってるの。沈黙のチキンレースみたいになってんの。
これって俺、どうしたらいいの?
やばい、超気まずい。
関係ない話題とか振る? 駄目、この場の主導権は、年配のご隠居にあるんだ。差し出がましいし、どうせ答えちゃくれない。じゃあ兄さんに話し掛ける? 用事ないけど? トイレとか言って中座する? いやいや、不自然だし失礼だよ。
っていうか、そういえば、なんで俺、同席してるの?
まずい、どうしよう。駄目これ。息が苦しくなってきた。
ちょっと耐えられない。俺、意味もなく後ろめたいよ?
どうしよう。俺、どうしたらいい?
だ、誰か助けて……
「たっだいまー!」
半ば理性の遠退き始めた耳に、聞き慣れた声が飛び込んできた。
声の主は、玄関の戸を閉め、靴を脱ぎ、廊下を此方へ歩いて来る。
ふっと兄さんが表情を緩めた。
あぁ、俺にはそれが、阿弥陀如来の直説に聞こえたよいやマジで。
「おかえり流音。和室へおいで」
「なあにー?」
兄さんに呼ばれて、我家の四男が、襖から顔を出した。
ご隠居を認めて、まずキョトンとして、それから、わぁっと歓声を上げる。
「うわっ! シゲロー爺ちゃん!? マジ!? ひっさひぶりー!」
「お、流音坊か。こりゃあたまげた。大きゅうなったの」
「まだ生きてたんだ、すっげー!」
「これ、流音」
「ははは、言いよるわヒヨッコが。オシメは取れたか? ん?」
「僕もう中学生だよっ!」
眩しい笑顔を振り撒きながら、流音は、ご隠居の隣に座り込む。
俺と目が合った。
そして、パチンとウインク一つ。
「華音兄ちゃん、僕にも飲み物! お菓子も食べたいな~」
ほら、これで抜けられるでしょ?
あどけなさの残る顔が、立派な策士の面構えで、そう言っていた。
こいつ、今の数秒で、完璧に状況を把握したんだ。
もちろん、俺が内心オロオロしてたのも、全部お見通しってことで。
「すみません、ご隠居。じゃあ俺、ちょっと失礼します」
「お茶ヤだよ! ジュースがいい」
「はいはい」
この機を逃す手はない。痺れた脚を叱咤して、俺は、そそくさ立ち上がる。
そうだ。お茶のお代わりも淹れなきゃ。三軒茶三軒茶。
襖を閉める瞬間、感謝のつもりで、流音に視線を送った。
返ってきたのは意味深な、破顔一笑。
……オーライ。
ひとつ借りだね。
まったく、良く出来た弟さ、お前は。