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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
四人坊主は祈らない
14/46

十年一昔

6.






 眼鏡を外して、眉間を揉む。

 目薬を取ろうとして、積み上げた資料に肘が当たった。バサバサと雪崩れ落ちる冊子に、慌てて手を伸ばす。間に合わない。派手な埃を立てて、何冊かが畳の上に散らばった。


「なにをしているのだね、華音」


 呆れたような兄さんの声が、間続きのリビングから聞こえた。


「ごめん、散らかしちゃった」

「少し休みたまえ。朝からずっと、そうしている」

「うん……だけど俺、こんなことでしか、役に立たないからさ」

「そんなことはない」


 兄さんは、力強く首を横に振る。


「いざというときの肉壁ぐらいにはなるのだよ」

「それを役立たずって言わないかい!?」


 笑う兄さんに、溜息一つ。

 コタツから這い出て、俺は、散らばった資料を拾い集めた。

 割とマジで気にしてるんだけどなぁ。ほんと兄さん、容赦ないよ。


 あの仕事から、二日。

 俺達兄弟は、手分けして、井戸の詳細を調べていた。

 世音は、麓の集落での聞き込み担当。流音が民俗資料の収集。兄さんは、何処かに電話を掛けているようだ。呪術師仲間か、拝み屋か。その筋の伝手を当たっているんだろうと思う。

 俺はというと、呪詛帳のチェックに没頭していた。

 呪詛帳っていうのは、仇志乃家が請け負った仕事の記録。つまりは勤務日誌で、代々の家長が欠かさず記す決まりになっている。

 倉から持ち出した冊子、ざっと三十年分。最新から遡り、ようやく父さんの代が終わったところで、肩と目が音を上げた。コンタクトが辛くなって、今朝から眼鏡に切り替えたけど、正解だったかな。

 兄さんの言う通り、一服した方がいいのかもしれない。


 時計を見れば、午後二時半。

 まだ大丈夫だろうと、煙草を一本咥えて、火を着けた。


「華音、私にも」

「煙草盆、和室にあるんだ。取ってこようか?」

「いや、それでいい。おくれ」


 灰皿を持って、兄さんの座るソファに腰を下ろす。

 隣の唇に細身のメンソールを一本、差し込んで火を着けた。

 二本の煙が、ゆらゆらと、天井へ昇る。


「父さんの字、久々に見たよ」

「酔っていても文字だけは綺麗に書いたね、あの男は」

「何処かで生きてるのかなぁ」

「まさかね。疾うに死亡届を出してしまったよ」

「そっか、あれから、そんなになるんだ……」


 十年だもんね。

 呟いて、俺はソファの背に身体を預ける。


「なにか見付かったのかね?」

「ううん、特には」

「ふむ」

「でも、また蛇が出てきた」

「ほう?」


 俺は、いったん腰を上げて、居間からメモ帳を持って戻った。


 昭和四十六年、四月十四日。

 石田にて、蛇の呪詛を調伏す。

 乙は十六歳女子。

 天候、晴れ。甚だ蒸暑し。

 小夜に入りて望月。


 原文まま。

 石田とは、あの山を抱える集落一帯の地名だ。

 どういうわけか、あの地域では、蛇の呪詛が多い。呪詛帳によれば、三十年で、都合三度。それも決まって十五、六歳の女の子が被害に遭っている。偶然にしては頻度が高い。井戸は関係ないけれど、気になる発見だった。

 1995年。1982年。1971年。いずれもよく晴れた満月の日だという。

 爺ちゃんの代に入れば、もっと出てくる可能性もある。


「彼処では、確か山神信仰があったね」

「蛇憑きの土地ってことかい?」

「さて、どうだろう」


 腕を組み、兄さんは、僅かに顎を上向ける。

 それだけじゃないって思ってるな、この顔は。


「兄さんの方は?」

「吉村さんが、今日中にファックスを送ってくれるそうだよ」

「あぁ、あの人……よく協力してくれたね」

「ずいぶんと怖い思いをしたのだろうね」


 ふふふ、と兄さんは肩を震わせる。

 実は今回の件、吉村氏にも協力を要請していた。土地、不動産に関係する出来事なら、彼が本職だ。過去に似たような事例があれば、こっそり資料を流してくれと頼んである。兄さんがなんと言って丸め込んだのかは、知らない。

 とまれ、すっかりオカルト肯定派に鞍替えした吉村氏は、真剣に過去の怪奇事件を調べてくれているようだった。


「あとは、ご隠居だね。彼の手土産に期待するとしようか」

「三時だっけ? 来るの」

「そろそろ用意をしておいた方がいいよ。老人は気が早い」

「和室は整えてあるけど」


 ピンポン。

 そのとき、唐突なインターホンの音が、リビングに響いた。

 俺達は、顔を見合わせる。


「ほら御覧。噂をすれば、ね」


 傍らの杖を握って、兄さんが立ち上がる。

 反対側の手は、俺が握った。


「すぐ其処までなのだよ」

「転んだら危ないじゃないか」

「お客様の前に出るのだよ。これでは連行されるようだ。みっともない」

「それで階段オチやって、逆ギレの挙げ句に大暴れしたの、誰だい?」

「お前は、十年も昔の話を」


 不服げに頬を膨らませ、兄さんは、俺の手を振り解こうとする。

 けど残念。純粋な握力なら、俺の方が強いんだ。

 返事のつもりで、掌に力を込める。そのまま軽く引くと、諦めたんだろう。まだブツブツ文句を垂れながらも、俺の誘導に従って脚を踏み出した。羽織りの衣擦れに合わせて、長い黒髪がさらり。首筋を滑る。その肩は、俺より少しだけ高い。

 気取られないように、こっそり苦笑した。

 格好付けなのは知ってるけど、あんまり強情を張らないでほしいな。

 ――俺達兄弟は、これからもずっと、こうして歩いて行くんだからさ。





                  †





「華音坊か、大きゅうなってなぁ」


 玄関口から顔を出した好々爺が、俺を認めて、感嘆の声を上げた。


「あ、ご無沙汰してます……こ、こんにちわ」


 俺は愛想笑いで、ペコペコお辞儀する。

 自分でも格好悪いと思うんだけど、こういうの、どうも慣れない。赤の他人ならキャラを作れる。逆に、家族レベルに親しい人なら素でいられる。でも彼は、そのどちらでもないんだ。血の繋がりはないが、感覚としては親戚に近い。

 知人って距離は、なんでこんなに間取りが難しいんだろうか。


「なんじゃあ、えらいハイカラな仕事しとるらしいな」

「は、はい、一応……」

「婆さんがテレビで見とるぞ。ビフィズス系とかいうんじゃろ?」

「あ、えっと、それ、たぶんビジュアル系です……」

 なにその腸内環境改善バンド!?


 流れるような仕草で両膝を突き、兄さんが、深々と頭を垂れた。


「ご無沙汰しております、ご隠居」


 半ば舞い上がっていた俺も、兄さんに倣って座礼する。

 そっか、こうするものなんだ。

 作法を教わる前に家を出てしまった俺は、実は、この手の常識には疎い。世音や流音の方が、まだキチンとこなしてるんじゃないだろうか。ちゃんと兄さんを見て真似しないと、恥を掻くことになりそう。あぁ、もう胃が痛いや。


 この御仁は、茜茂次郎あかねしげじろう

 隣町の老舗旅館「茜屋」の隠居で、所謂、土地の古老だ。仇志乃家とは先々代、つまり爺ちゃんの代から親交があって、俺達も小さい頃からお世話になっている。そろそろ米寿に手が届くんじゃなかったかな。

 俺達兄弟は、シゲロー爺ちゃんと呼んで、よく将棋の相手をさせたり、小遣いをせびったりしたものだったけれど。

 今、再会した彼は、記憶にあるよりずっと老人になってしまっていた。

 痩せた身体に反比例して、皺が増えた。なんだか微妙に縮んだし、自慢の角刈りも真っ白になって、そのせいで却って和装には、一層の貫禄が備わっている。

 十年という歳月の重みを噛み締めて、俺は少し寂しくなった。

 小さくなっちゃったな、シゲロー爺ちゃん。


「本日は遠路遙々のお越し、痛み入ります」

「なぁに、ついでがあったもんでな。邪魔するぞ」

「取り散らかしておりますが」


 面を上げた兄さんは、威風堂々。すっかり当主の貌だった。


 ご隠居を和室に案内して、俺は、お茶とお菓子の用意に掛かる。

 お盆を持って和室に行くと、ご隠居と兄さんは、平机を挟む形で対面していた。


「落ち着いたな、紫音。安心したぞ」

「お陰様で。その節は父がとんだ御迷惑を……」

「構わん。お前達こそ苦労したじゃろうて」

「ご隠居にも、大層お世話になりました。碌なお礼も出来ず終いで」

「はは、お前から貰う物なんぞないわ。下のヤンチャ坊主共はどうした?」

「まだ学校から帰らないようですね」

「いくつになった?」

「十八と十四。高校生と中学生に」

「ほうかほうか。元気にしとるか?」

「それはもう」


 話の合間を縫って、邪魔にならないよう、お茶を出す。


「さて、ときに紫音」


 それを待っていたのかもしれない。

 湯飲みを一口啜って、本題を切り出したのは、ご隠居の方だった。


「話というのは、よもや世間話のことではあるまいな?」

「はい。実は石田山について、少々お伺い致したく」

「なんぞあったか」

「先日、古井戸が出ました」


 兄さんは、ザッと井戸事件の新増を説明した。

 このシゲロー爺ちゃん、呪術師一家の我家と親交を結ぶだけあって、只の隠居ではない。なにを隠そう関東屈指の怪奇コレクターで、現代怪談から古典、ホラー、妖怪譚、果てはUFOまで、怪しげな話に目がない変人なんだ。

 それに年の功が加わって、これまで収集したコレクションは莫大な量になる。

 ちょっとしたオカルト生き字引として、その道では有名な人だった。


「むかーしむかし、彼処には山神がおってな」


 聞き終えて、ご隠居は口を開いた。


「十年に一度、生娘を生贄として捧げにゃならん決まりだったそうじゃ。これが、納期にうるさい神でな。滞ると、自ら里に下りて娘を襲い食ったというぞ」


 ずいぶんとアグレッシブな山神だ。

 普通、こういう神様というものは、己の担当場所からは動かない。領域内を侵す不作法者に対してのみ、なんらかの制裁を与えるというのがデフォなんだけど。


「妙ですね」


 俺と同じことを考えたんだろう。兄さんが、首を傾げた。

 そうだ。なにか変だよ、その山神。

 だってそんなの、祀る理由に益がない。

 むしろ逆。祀らねば祟る・・・・・・神ってことだ。

 それってつまり……。


「御霊信仰、でしょうか?」


 兄さんが言うと、ご隠居は、したり顔で頷いた。


 御霊信仰というのは、悪霊を神として祀ることで、その祟りから逃れようという一種の鎮魂のこと。菅原道真や平将門なんかが有名じゃないかな。非業の死を遂げた者が、現世に強い怨念を残して祟る。そういった怪談が、まずオマケに付く。

 中には、転じて利益をもたらすパターンもあるようだけれど、この場合は、たぶん違うだろう。

 石田には、神社がない。寺もない。

 まるで無名の荒御霊というわけで、そんなのは大概、ロクなもんじゃない。

 たとえば、逃げてきた落武者を報奨金目当てで殺してしまったとか、邪魔な誰かを人柱に立てたとか、罪悪感を伴う事例がほとんどだ。言わば、土地の恥。外部に漏らしてはならない禁忌ってことだからね。

 偽ったのか歪曲されたのか。その荒御霊が、山神として伝えられた。

 それなら、資料の少ないのも納得できる。

 もしかしたら、土地の人達でさえ、自分達が、本当はなにを祀っていたのか……知らなかったのかもしれない。


 あぁ、なるほど。

 場所の不自然さと大きめのサイズは、そのために。


「では、あの井戸は、荒御霊に生贄を奉納するための祭壇だったのですね」

「さすが話が早い」


 そうじゃろうな、と、ご隠居は頷いた。


 勿論、とっくの昔に、そんな風習は廃れてしまっている。世音の聞き込みでも話が出てこないんだから、伝承が途切れて、最低でも百年以上は経っているはずだ。つまり、あの井戸は誰にも知られず、土中に放置されていたことになる。

 生贄の少女達を、ずっと閉じ込めたままで。

 あんな暗い場所に長い間――死んで、骨になって、それすら朽ちて、自分が何者だったのかも、忘れてしまうほどの時間。

 ……呪詛になったって仕方ないよ。

 気の毒に。どんなに怖かったろう。


 一段落したらしく、ご隠居は、煙管を咥えて火を着ける。

 兄さんが、冷めたお茶を飲み干す。

 俺は、少し離れたところから、それを見ている。

 和室には、しばしの沈黙が訪れた。


 俺達がやったのは《調伏》だった。

 呪詛となった彼女達を無理矢理に祓っただけで、その無念も気持ちも一切、汲んでいない。完全に力尽くの鎮圧。仕方なかったとはいえ、これじゃあんまりだ。

 ここは改めて、慰霊祭を行うべきだろう。

 石田の人達を呼んで、事情を説明して、一緒に弔ってもらうんだ。生贄にされた女の子達は、帰って来ないけど……悼む心が集まれば、ちょっとは浮かばれるかもしれない。すぐには無理でも、十年。二十年。或いは百年。

 積み重ねていくうち、想いが届くかもしれないじゃないか。


 俺は、無意識に眼を伏せていた。

 半分は憂鬱のため。残り半分は安堵のため。

 悲しい結末だったけれど、これで解決に至るようだから。


 仕切り直しの意味で、お茶のお代わりでも淹れようとした、そのときだった。

 ご隠居が、ニヤリと唇の端を持ち上げ、平机に上体を乗り出した。


「ところで坊主共」


 そして、彼が紫煙と共に吐き出したのは、なんてことだろう。

 俺が予想してたような終止符じゃ、なかったんだ。


「井戸と言えば、こんな昔話を知っとるか?」






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