疑惑(自重しない)
4.
「良し」
紫音さんが頷き、先輩と流音君は、ようやく表情を崩した。
わたしもホッとして、肩の力が抜ける。
終わった……。
あー、終わった終わった。怖かった。死ぬかと思った!
汗を拭い、わたしは、その場に座り込む。いつの間にか風は収まり、あの強烈な臭いも、もうしない。井戸は静かに、ただ其処にあるだけ。呪いが解かれて、普通の井戸に戻ったんだろう。あとは祀って埋めればいい。
ポン、と頭に手が乗せられた。
見上げると、華音さんが、優しく微笑んでいた。
「瑠衣ちゃん、お疲れ。頑張ったね」
「は、はい。傍にいてくれて、ありがとうございました」
「女の子にはキツい現場だったね」
「先輩達、怖くないのかな……」
「あの子達は慣れてる。呪術師が怖がってたら、仕事にならないさ」
言われて目を遣ると、先輩と流音君は、何事もなかったかのように談笑中。
つい先程までのシリアス展開も、禍々しい空気も、嘘みたい。お互い乱れた髪を指さして、ゲラゲラ笑っている。紫音さんも、落ち着いた様子で袈裟の埃を叩いていた。
どうしても、先輩の拳に視線が吸い寄せられる。
あんな思いっ切りブン殴って、先輩は、痛くないんだろうか。
炎なんか掴んで、熱くないのかなぁ。
っていうか、炎を掴むって。しれっと非常識なことしないでほしいんだけど。
うーん、どんな感覚なんだろう?
呪術師にも、タイプがある。
どういう呪詛に向いているか、どんな方法が最も呪力を発揮できるのか。先天的に決まっていることが多いのだという。
呪詛と聞いて、真っ先に誰もが思い浮かべるだろう加持祈祷は、どちらかというと修行の意味合いの方が濃い。もちろん、それで調伏、返品できるものもあるが、呪詛が強くなると、ワンパターンは通じなくなる。向こうも海千山千だ。
そこで、重要になってくるのが、呪術師のタイプというわけ。
先輩のタイプは、接触型。ゲームで言えば、バリバリの打撃系になる。
対象と物理的な接触を成すことによって直接、呪力を叩き込む。相手に接近しなければならない、というリスクは負うものの、瞬発力に長け、咄嗟の異変にも対応しやすい。先輩らしいと言えば、らしい能力だ。
対人呪詛、対物呪詛、浮遊呪詛、共通して有効で、殊更カウンター上等である。《呪詛返し》には持ってこいのタイプなのだ。
まぁ、初めて見たときは、なんの冗談かと呆れたけれど。
まさかの物理攻撃って、あんた。
紫音さんのタイプは、音声命令型。魔術士、といったところだろうか。
音声、つまり言霊という方法で、対象を自由に操るわけだが、これが非常に怖ろしい。催眠術ではないので、無関係の人間を平気で巻き込み、その効果は、術者が(つまり紫音さんが)定めた期間ずっと続く。場合によっては、一生だ。
威力、汎用性、悪質さ。すべてに於いてトップクラスの呪詛である。
呪力を練るのに時間がかかること、その間は無防備になってしまうこと、自我のない相手には無効なこと、耳を塞がれると己に返ってきてしまうこと。弱点も多々あるが、通ってしまえば対人最強。
だって「死ね」の一言さえ発すれば、相手はコロリと逝くのだからね。
そして流音君は、呪具の制作と使用を得意とする、飛道具タイプ。
広く浅くがモットーで、クリティカルは期待できない。が、その分、手数が多く機転が利く。現場では、彼自身の器用さと機動力を活かして、主に援護を担当。
状況に応じて結界を張ったり、手の回らない施術の穴を補ったりと、バッファーとしての側面も厚い。
けれど流音君の才能は、実のところ、現場以前の準備段階にある。
呪具制作だ。
本来、呪具の制作とは、長い熟練と豊富な知識、高い技術を要求されるもので、呪具職人といえば、そのほとんどが高齢者というのが常である。
にも関わらず流音君は、天性のセンスで、それらを埋め合わせてしまうのだ。
まだまだ未熟で、詰めの甘さは目立つけれど、将来有望な呪術師。
兄達の総評は、概ね上記の通りである。
華音さんには、残念ながら、そういった能力はない。
生まれつき呪力を持たず、実働に足りるだけの呪詛を行えない、と聞いた。
本人は甚く気にしている事実なのだが、これも生来の性分で、どうしようもないらしい。代わりに、表の仕事では成功している。
仇志乃家の経済活動の根本を担っているのは、紛れもなく華音さんなのだ。彼という人物が、決して無能なわけではない。と、わたしは付け加えておく。
そんな華音さんだが、どういうわけか、呪詛耐性だけは異常に高い。
それは長男の紫音さんをも凌ぐほどで、特別な処置を取らずとも、素面でかなりの呪詛的攻撃に耐えうる体質なのだという。
パラメーターを防御に全振りした、完全防御特化型といったところだろうか。
……もう肉壁フラグしか見えないのが、なんとも痛ましい。
これでハートは硝子製なのだから、まったく仇志乃とは、因業な遺伝子である。
しばらくボンヤリ先輩を眺めていたら、ふと目が合った。
一瞬の静止の後、笑顔で此方に走り寄ってくる、緋色の袈裟姿。
え、えっ?
ドキンと胸が高鳴った。
そういや、さっき華音さんが、頭ポンポンしてくれたよね。
もしかして、先輩もアレやってくれるの?
「なぁ瑠衣」
「う、うん」
わたしは慌てて立ち上がった。
汚れた顔をゴシゴシ擦って、子供みたいに無邪気な笑顔と、向かい合う。
やだ、ドキドキしてきた。
「クマだろ? 黄色いクマさん」
「は?」
「いやパンツ」
先輩の手が、わたしのスカートを抓んだ。
咄嗟にスカートを押さえ、内股で身を捩る。
なにをする貴様!?
「ちょちょちょちょっと先輩!」
「確認確認。流音はネコだって言うんだよ。んなわけねーって」
「や、やめてッ……」
「世音なにすんの!?」
「俺の眼に間違いはねぇ。視力は自信あるんだぜ。2.0だからな」
「やめなってば世音!」
「クマさんが見えたんだよ。絶対あれはクマさ」
「おどれいいかげんにせんかいゴルァ!」
叫んだのは、わたしである。
ついでに、持っていたスケッチブックで、眩しい笑顔を、思いっ切りブン殴ってやった。
†
簡単に井戸の後処理を施し、謝礼を貰って、わたし達は山を下りた。
姿が見えないと思ったら、吉村氏は、どうも調伏の途中で自主的にプレハブ小屋に避難していたらしい。わたし達が戻ったときには、毛布にくるまって、ガタガタ震えていた。
一人にしないで! と泣き縋られたが、満場一致で放置が決定。先輩を除く四人で、華音さんのインプレッサに乗り込んだ。ムカつくので、先輩のリアシートには乗ってやらない。やらないったら、やらない。
経緯を聞いた紫音さんが、助手席でクツクツと喉を鳴らす。
「あの子らしいね。確かめねば気が済まないのだろうよ」
「だからってスカートめくり……」
「ふふふ。帰ったら懲らしめておこう」
「是非お願いします」
「ちょうど私も、改良阿修羅バスターの練習台が欲しかったところでね」
「腕が足りませんよ!?」
「倒した超人から奪えば問題ないのだよ」
「ゆでたまご理論!?」
先を走る先輩のゼファーが、カーブを曲がって見えなくなる。
後部座席で、わたしは密かに溜息を吐いた。
やっぱりバカだ。真面目に仕事してるかと思ったら、しっかりパンチラチェックしとったんかい。そういう余裕いらないから。つか、テンション上がりすぎだろ。ガキか。ていうか、気になるからって、捲ろうとする普通? バカなの?
……仕事中は、あんなに真剣な顔してるくせに。
あーあ。先輩もバカだけど、わたしもバカだ。
ちょっと素敵だとか感激しちゃって、損したわ。大損だわ。
「てゆーかさぁ」
わたしが胸中で愚痴っていると、隣に座っていた流音君が、つと首を傾げた。
その手には、わたしが描いたスケッチがある。
「変だったよね」
応じたのは、華音さんだ。ハンドルを握りつつ、流音君に軽く視線を流す。
「なにが?」
「んー、あの井戸」
会話の相手を得て、流音君は、指でトントンとスケッチを叩いた。
「どーしてあんなトコに掘るわけ?」
「水の確保じゃないの? 山奥じゃ、そういうの大変だろうから」
「それにしたって、もうちょっと選ばない? 僕なら、平坦な場所にする。たとえば駐車場の辺りとかさ。あの急斜面だと、水汲んでもすぐ零れちゃうし」
ごく当然の回答だったが、流音君は、頭を振った。
華音さんが、カップホルダーの缶コーヒーを開封する。
「水脈とかの関係で、位置が制限されたんじゃないの?」
「でも、丘を削って出てきたんだよね?」
「らしいね」
「ながーい年月の間に、埋まっちゃったってことだよね?」
「だろうね」
「んじゃ、他にも人の暮らしてた痕跡がないと変だよ。車もない時代でしょ? 麓から此処まで登ってくんの大変じゃん。井戸って、村の中心とかにあるもんじゃないの? 人が使うための設備なんだからさぁ。でなきゃ、なんのための水源?」
「お、俺に訊かれても……」
次々と疑問を並べ立てる弟に、華音さんは若干、困っているようだ。
でも、言われてみれば、尤もだった。
井戸は、人間の生活を支える人工物。それが出土したというのなら、同時に集落の遺跡でも発掘されていなければ、確かに不自然かもしれない。そうでなければ、こんな山奥に、井戸だけが、ポツンと掘られていたことになる。
なんのために……?
「それにさ」
流音君は、スケッチブックの表裏を返し、バックミラーに映してみせた。
「大きすぎない?」
それを聞いて、何故か、ゾクッとした。
そうだ。あの井戸、一般的なものに比べて、ずいぶんと直径が広かった。たぶん二メートルくらい。普通の倍はある。どうして、そんな大きさが必要だったのか。ましてや、誰が使うのかもわからない、あの場所で。
此方を見ていた、無数の頭。
思い出して、三度、寒気に襲われた。
「……なにかありそうだね」
ふむ、と紫音さんが口元に手を当てた。
「気に懸かる。急ぎ詳細を調べてくれたまえ、お前達」
「わかった」
「ほーい」
長兄の一言に、弟達は、揃って素直に頷いた。
けれども紫音さん、組んだ腕を解こうとしない。
薄く眉間に皺を立て、綺麗な顔を小難しく顰めて、唸り続けている。
まだ、心配事があるんだろうか。
「瑠衣君」
「は、はい!」
いきなり呼ばれて、ビクッと肩が跳ねた。
「確認しておきたい事項があるのだがね」
「わ、わたしに答えられることなら」
わたしは、膝の上で拳を握った。
呪詛に関して、わたしは素人だ。彼等と交流するうち、自然と憶えたこともあるが、依然なにもできないし、正直よくわからない。
でも、役に立ちたかった。
いつまでも蚊帳の外なんて、情けないし、ちょっと悔しいもん。
それに、万一、お手柄だったら。
後で先輩が褒めてくれるかも……しれない。
緊張しつつも、わたしは、紫音さんの質問を待った。
「結局、どちらなのだね?」
「……なにがです?」
「パンツの件」
ブッと、華音さんが飲んでいた缶コーヒーを吹いた。
「熊と猫、いったい正解はどちらなのだね?」
「兄さんまで、なに言ってんの!?」
「確かめたいのだけれど、私には見えないのだよ。教えてはもらえまいか」
「兄さん、やめて! 俺等、変態四兄弟になっちゃうから!」
「だって気になって仕方がないのだよ」
「あ、じゃあ僕に見せてよ瑠衣ねえちゃん? お子様なら構わないでしょ?」
「こないだ欲しがってたエロゲ買ってやったよ、十四歳!?」
「む、流音ばかりズルいのだよ。私も欲しい音声があるのだがね。良い熟女ボ」
「頼むから自重して、兄さん!」
やにわに騒々しくなった車内で、わたしは、引き笑いのまま固まる。
握り締めた拳は、わなわなと震えていた。
やっぱりコイツ等、兄弟だ。
あと今、確信したわ。間違いない。
きっと彼等の父親は、世に二人といない、超絶クソ坊主だったのだと。
ドッと襲ってきた疲れに、わたしは、呆れて眼を閉じる。
すると、どういうわけだか、瞼の裏。
誰かのキラキラした笑顔が、夏の花火のような残光を、無神経に放つのだった。