仇志乃四兄弟、集合
2.
到着したのは、山奥の工事現場だった。
すっかり樹木を剥ぎ取られた一帯は、赤茶けた土を晒してはいたが、まだ整地が終わっていない。元々の地形だろう、全体的に斜めに傾いて、それでなくとも足場はすこぶる悪かった。かなり寒い。
何台かの建設機械があるが、そのどれもが無人だ。
それどころか、作業員の姿すら見当たらない。しん、と静まり返って時折、山の匂いに乗る動物の鳴き声が聞こえるくらいだった。
平日の昼間だというのに、仕事はいいんだろうか。
不思議に思いつつも、先輩にくっついて、傍のプレハブ小屋へと歩を進めた。
うん。誰かいるとしたら、此処しかないもんね。
「失礼しまーす」
一応、ノックしてドアを開けた。
プレハブの中は、手狭な事務所になっていた。スチールの事務机と、簡単な応接セット。中央に、昭和を彷彿とさせる丸ストーブが、カンカン音を立てている。他には、これといってなにもない。至って殺風景な部屋である。
「世音。遅いのだよ」
穏やかな、けれど少なからぬ叱責の籠もった声が、わたし達を出迎える。
長い黒髪の美人が、紫紺の袈裟を纏って、粗末なソファに腰を埋めていた。
「紫音さん。こんにちわ」
「おや、瑠衣君も一緒かね。こんなところまで、済まなかったね」
「悪ぃ兄貴。思ったより遠かったわ」
苦笑して、先輩は茶髪を掻く。
紫音さんの隣には、萌黄色の袈裟が、脚をブラブラさせていた。流音君だ。
「流音君、こんにちわ」
「あ、瑠衣ねえちゃん。オッスオッス」
退屈していたと見えて、わたし達を認めるなり、ニヤニヤしながら絡んでくる。
「ねえねえ~? もしか、事案発生してた?」
「ちょっ、流音君!」
「だから遠かったって言ってんだろ。時間かかったんだよ、エロガキ」
「へぇ、時間がねぇ~……それはそれは……お楽しみでしたねぇ?」
「うるせー。ガキはスマホでも弄ってろ」
「それが此処、電波入んないの。ネットできないチョー暇」
おい、そのジト眼と意味深な半笑いを、やめたまえ。
まったく、どんな答えを期待してるんだか。最近の中学生は耳年増だこと。
「流音、そこまで。お客様の前だよ」
末っ子を窘めたのは、事務椅子に掛けて煙草を吸っていた、華音さんだった。
「あ、華音さん……こ、こんにちわ」
ペコリと頭を下げ、わたしは咄嗟に笑顔を作った。
実を言うと、彼と顔を合わせるのは、ちっとばかり気まずい。なんせ告白という一大事件の後日だからして。小心なわたしは、どうしても罪悪感を拭い去れないでいた。意識するなっていうのが、だいたい無茶だよね?
華音さんの方は、以前となにも変わらず、優しく接してくれている。
神経の細やかな彼のこと、わたしを気遣っての判断なんだろう。有り難い反面、益々申し訳ないような、妙に情けない気分になる。とほほ。
「ごめんよ、寒かったでしょ。なにか飲む?」
「あ、いえいえ、お構いなく」
「授業抜けて来て良かったの?」
「え、まぁ、それはいいんですけど……」
珍しいですね。言って、わたしは、華音さんを凝視した。
だって、普段ビジュアル系でキメている彼までが、銀鼠色の袈裟姿。長い金髪やゴスメイクは相変わらず派手だから、外人のコスプレっぽくなっちゃってる。よく見れば似合ってるんだけど、これはこれで別系統の衣装みたいだ。
そういえば、駐車場にインプレッサが停まってたっけ。紫音さんと流音君を此処まで送ってきのは、華音さんってことか。
なんだ。仇志乃四兄弟、全員集合じゃないか。
「えー……申し訳ない。少々お静かに願えますか」
こほん、とわざとらしい咳払いが、若者達の注目を集めた。
そう。
実は室内には、もう一人、見知らぬ中年男性がいるのだ。
痩せた身体に背広を着込み、どういうわけだか、ヘルメットのみを被っている。作業員ではなさそうで、かといって、現場監督にも見えなかった。なんだか場所にそぐわない、チグハグな雰囲気の持ち主だ。
男性が、わたし達に訝しげな視線を向けてくる。
「仇志乃さん。其方が?」
「えぇ。弟の世音と、助手の叶君です。主な施術を担当致します」
紫音さんが答えると、男性は、一層、顔を顰めた。
「誠に失礼ですが、こんな……子供に任せて、大丈夫なんですか?」
「実力なら私が保証しましょう。これでも弟は、業界期待のホープなんですよ」
紫音さんはニッコリ笑って(あ、これ完全に余所行きの顔だ)、深く頷く。
有無を言わせぬ笑顔の圧力に、まだ納得のいかない様子ではあったが。この場で口論しても仕方がないと判断したのだう。男性は一応、了承の意思を示した。
なんかちょっと嫌な人だな。
でもまぁ、考えてみれば無理もないか。決して安くはない料金を支払うのだし、御祓い頼んで高校生が来たら、そりゃ誰だって困惑する。
怒るかと思ったが、世音先輩は、無表情で会釈しただけだった。
さすがにそこまでガキじゃないってか。
「事情は兄から聞いてます。でも俺が施術するってことなんで、俺にも詳しいこと説明してもらえたら有り難いんすけど。できれば責任者的な人から、直接」
……イマイチ、口の利き方がなってない観は、あるけどね。
「あぁ。申し遅れました。責任者の吉村です。今回の件は、私が依頼しました」
「呪術師の仇志乃世音です。首尾は? どうなってんすか?」
「実は……」
ぞんざいな言葉遣いに、ツッコミはない。たぶんもう面倒臭いのだ。
吉村氏は、ビジネスライクな口調で語った。
わたし達の住む街は、中心部は開発が進んでいるものの、少し外れれば、こうして山に囲まれた田舎である。所謂ベッドタウンというやつだ。
こういう都市の御多分に漏れず、山をブチ抜いて高速道路を立てる計画が立ったのは、ずいぶん前。現在は中程まで工事が完了しており、わたし達が通ってきたのも、この新しく出来た綺麗な道だった。
吉村氏の不動産会社は、まずまずの客足を見込んで、此処にパーキングエリアを展開する企画を起こした。そのプロジェクト責任者が、彼というわけだ。
なるほど。そもそも彼は、建設会社の人間ではなかったのだ。土地の買収や、それに関わる書類関係のアレコレ、行政との摺り合わせなどが主な仕事なのだろう。
さて、煩雑な手続きを追え、入札も済み、建設許可も下りた。
工事が始まり、まず地均しが行われて、邪魔な丘を削っていたときのこと。
奇妙なものが出土した。
古井戸、である。
本来ならば行政への届け出が必要なのだが、資料には記述のなかった話である。既に涸れ井戸でもあることだし、なにより此処は会社が買い取った土地。誰の不利益にもなるまいと判断した吉村氏は、そんなものは埋めてしまえと命じた。
しかし、ここからがオカルト展開。
井戸を埋めようとした作業員達が、次々と謎の怪我や病気で倒れたのだ。
それも、なにもないところで転んで脚を折ったり、十代の若手が脳梗塞を発症したり、大きな岩が突然、爆発して石礫を顔面に食らったり。非常に不可解な原因で負傷する。或いは、大病を患う。そんなことばかりが続いたらしい。
斯くして、労災申請者続出。作業は滞り、工事は中断してしまった。
そうこうするうち、中には逃げ出す作業員まで出てきて、会社は頭を抱えた。
しかしながら、最も困惑し、怯えていたのは、現場監督である。
なにしろ、様々な怪奇現象を目の当たりにしたのだから。本当は彼だって逃げ出したかったに違いない。
一方で、納期は刻々と迫っている。
多くの事情に挟まれて困り果てた彼は、とうとう独断で霊能者を呼んだ。
すると案の定、こう言われたのだ。
この井戸は呪われている。
それも非常に強力な呪詛で、なんの手立てもなく埋めようとすれば、被害を被るのは当然だ。このままでは、関係者全員の命が危ない。一刻も早く、然るべき処置を施せ、と。
では早速、と泣き付いた現場監督に、けれど霊能者は、首を横に振った。
呪詛が強すぎる。とても自分の手には負えない。
専門家を紹介するから、彼等によろしく依頼してくれ。
そういうわけで《専門家》である仇志乃に、お鉢が回ってきた。
この業界、割に横の繋がりが豊富で、この手の仕事は結構、多い。
オカルト界隈でよく聞く黄金パターンは、実のところ、マジ話なのである。
それでなくとも、時間は徒に過ぎていた。
一日、いや半日として無駄にできないのは、建設会社も不動産会社も、同じ。
「まったく今時、呪いなんて……馬鹿馬鹿しいことだが、予算が下りてしまったからには仕方がない。私は、報告書を作らなきゃならないんですよ」
吉村氏は、改めて胡散臭そうに、わたし達を睨め回した。
あぁ、それでか。わたしは合点がいく。
施術に参加しない華音さんまで袈裟を着けているのは、少しでも依頼人、吉村氏の猜疑心を和らげるためだ。
だってこの人、呪詛なんて全然、信じてないもの。予算消化と報告書のため、とかいう極めて日本人的な理由で、此処に立ち会ってるだけ。結果なんて、どうでもいい。どんな呪術師が来たとしても、初めから苛々してたんだ。
さればこそ難儀なことだ。
せめて、できるだけ雰囲気を盛ってやろう。そんな紫音さんの顧客サービスなのかもしれない。当主として、家の評判も気になるだろうし。
「てなわけで、はい、世音兄ちゃん。さっさと着替えて」
流音君が立ち上がり、手にした衣体ケースを、先輩に押し付ける。
そうしたら先輩、なんと、その場で躊躇なく制服を脱ぎ始めてしまった!
「ちょ、ちょっと! 先輩なにやってんの!?」
「え、着替え」
「女子がいるんですけど、此処に!」
「うるせーな、減るもんじゃねーだろ。後ろ向いてれば?」
「あんたのデリカシーは、いつ仕事すんの!?」
……これだもんなぁ。
わたしと吉村氏は、図らずも揃って、溜息を吐くのだった。