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呪術師とチョコレート。  作者: 雪麻呂
平成呪術師日常風景
1/46

Blind sweet

叶瑠衣かのうるい

 地方都市で暮らす、平凡な女子高生。周りの不運を集めてしまう特異体質で、とある事件に巻き込まれた際、仇志乃四兄弟と知り合う。三男・世音に作った借金を返済するため、彼等の生業である「呪詛返し」を手伝うハメに。

 お下げ、眼鏡、ドジッ子の三冠王。

 見た目に寄らず、意外とパワフルなツッコミをする。16歳。153㎝:42㎏。



仇志乃紫音あだしのしおん

 仇志乃家長男。和服のミステリアスビューティー。

 冷静沈着にして大胆不敵。呪術師としては業界屈指の実力の持ち主で、四兄弟のリーダー兼参謀を務める。基本的には温和な、おっとりした性格。誰にでも礼儀正しく物腰柔らかな反面、変なところで図々しく、頑固な一面も。無益な争いを嫌うが、相手によっては冷酷に徹する場合もあり、弟達には暴君と怖れられている。

 知る人ぞ知る呪詛専門の寺院「重恩寺」の住職。26歳。好物は柏餅。

 早く家督を弟に押し付けて隠居したい。181㎝:60㎏。








「結局、幾つあるのだね?」

「えっと……」


 わたしは、平机の上に散乱する包みを、一つ一つ整頓しながら数えた。


「二十六個……ですね」

「ちょうど私の歳だね」

「そうですね」

「困ったのだよ……」


 羽織の袂に両手を突っ込んで、紫音さんは、深い溜息を零した。

 ふぅむ、と唸って頭を振れば、長い黒髪がさらり。絹が解けるように肩を滑る。

 苦虫を噛み潰したような横顔を俯瞰で見ながら、わたしも溜息を吐いた。

 あぁ、美人ってのは、どんな状態でも美人なのだ。絵になっちゃうのだ。

 そしてわたしは、そんな美人の彼と今、二人っきりなのだ。


 二月十四日。午後四時半。

 学校帰り。仇志乃家に寄ったら、和室で一人、紫音さんが唸っていた。

 だだっ広い日本家屋は、珍しく静か。本堂からも人の気配がしない。弟達は不在かと訊ねたら、帰宅は全員七時を過ぎるだろう、とのことだった。

 おいおい、ちょっと待て。

 これってば、もしかして、紫音さんと二人きりじゃん?

 正直、ラッキーと思った。だって紫音さんの傍には、いつも誰かが付き添っていて、わたしの割り込む余地なんてないんだもの。つか、そんなクソ度胸ない。欲しいけど、ない。

 それでなくとも、男四人兄弟の野郎所帯である。誰かがあっち、誰かがこっち、ワイワイと騒がしいのが仇志乃家の常だ。抜け駆けは難しい。

 そもそもわたしは、仇志乃家の人間ではない。ただの知人、バイトの女子高生に過ぎない。いやま、ぶっちゃけ友達? くらいに思っててくれたら、ちょっと嬉しいかも。てのが本音だったりはするんだけど。けど。


 なんにせよ、邪魔者は不在。

 憧れの紫音さんと、ゆっくりお喋りできる時間が確保できたってわけだ。

 これぞ幸運! 今日はツイてる! 千載一遇のチャーンス到来!

 ……なんてね。

 そう。わたしは浮かれていた。アホみたいに浮かれていた。

 和室の平机を制圧した、チョコレートの山を見るまでは。









 大量のチョコレートを前にして、わたしは、心底げんなりした。

 リーマンショック並に急降下していくテンション。

 なんてまぁ、色取り取りの。華やかなプレゼント達なのかしら。

 大多数が手渡しのようだけど、中には、郵送の物もあった。どいつもこいつも、小憎らしいほど可愛くラッピングされている。言うまでもなく手紙付きだ。さりげなくチェックしたら、軒並み手作りとくる。しかもデカい。無駄にデカい。

 紫音さんが、これを目にすることはないのだけれど。おおよその量くらいは把握していたんだろう。処分……もとい、扱いに困っているところに、ノコノコわたしが参上仕ったわけと。そーいうわけなんですね、わかります。

 わかってますって。

 わたしは、いつだって間が悪い。


「困ったのだよ」

「でしょうね……」

「この量」

「えぇ……」

「困ったのだよ……」

「はい」


 食べきれませんよね、と、わたしは相槌を打つ。

 しかし紫音さんは、首を横に振った。


「それは二日あれば容易い」

「え!? こ、これ全部? 二日で片付ける気ですか!?」

「甘い物は好物なのだよ」

「2キロはありますけど!?」

「ふむ。飽きそうだね。ならば、世音にチョコマフィンでも作らせようか」

「質量増やしてどうするんですか!?」

「私は、クリスマスケーキを3ホール食べたこともあるのだよ」

「なんで三つも買っちゃった!? 仏教徒なのに!?」

「心配は無用。君も好きなだけ食べてくれたまえ」

「欲しいなんて一言も言ってないですよ!?」


 な、なんか聞いてるだけで胸焼けしてきた。

 論旨も微妙に噛み合ってないし、これはちょっと長引きそうだ。

 腰を据える必要があるか。

 わたしは、紫音さんの向かいに正座した。

 背筋を伸ばして、少し顎を引いて。両手を軽く握って、膝の上に置く。この和室で彼と対面するとき、わたしは可能な限り姿勢を正す。いつの間にか、そんな癖が付いていた。


「えぇと……じゃあ、なにが問題なんですか?」

「それなのだがね」


 紫音さんの指が、なにかを探して、机を撫でる。

 わたしは、端に追い遣られていた煙管を取って、手渡した。


「これですか」

「あぁ、ありがとう」


 ついでだし、葉っぱを詰めて、火も付けてあげた。

 心なしか甘い香りが、仄かに揺らめいて、昇ってゆく。


「これは、お返しをしなくてはならないのだろう?」

「あ、そっちですか」

「困ったのだよ」

「でも、毎年でしょう? 今までは? どうしてたんですか?」

「あの子達に任せていたのだけれど」


 どうも今年は、自分のことで忙しそうだから。

 ぼやいて、紫音さんは、机に頬杖を突いた。らしくなく、お行儀が悪い。


「兄の大事に、使えぬ弟達なのだよ。再教育せねばならないね」


 あぁ、こりゃ悪いのは、行儀じゃなくて機嫌だ。

 可哀想にみんな、帰ったら理不尽な叱責が待ってるぞ……って、あ。

 そうだ。


「……みんなを参考にしてみたら、どうでしょう」

「あの子達を?」

「はい」


 紫音さんに限らず、仇志乃家の四兄弟は、揃い揃って皆イケメンだ。毎年大量に貰うんだろうから、お返しも手慣れたものじゃなかろうか。

 実際、紫音さんは彼等に丸投げして、それで上手くいっていたようだし。


「華音さんは? いつもどうしてました?」

「引き籠もっていたね。断りの返事をするのが鬱だと」

「世音先輩は?」

「あれは、貰うだけ貰ってスルーなのだよ。初めから返す気などないよ」

「わ、サイテー。流音君は?」

「よく虫を集めていたけれど」

「なんで!?」

「なんらかの呪術に使うのだろうね」

「お返しに呪詛られるの!?」

「あの子の愛は歪んでいると思うことがある」

「どうなってんの仇志乃兄弟!?」


 あんたの弟達ヤバイよ! 再教育されろよマジで!

 己の担当は、誰一人として、まともに対処できてない。おそらくは毎年、三人で集まっては、懸命に知恵を絞っていたのだろう。他ならぬ紫音さんの名義である。下手なお返しをすれば、命がない。


「……いったい誰から、こんなに貰うんですか?」


 仕切り直す意図で、わたしは、どうでもいいことを訊ねた。


「主に檀家衆の婦人達から頂いたのだよ。あとは御近所様や、知り合いに」

「モテるんですね」


 単なる感想だった。嫌味、称賛、どちらのつもりもなく、思ったことがポロッと口を突いただけだ。現にこの人、超モテるし。聞き慣れた台詞だろうと、特に深く考えず放った言葉だった。

 それなのに、はたと面を上げた紫音さんは、数秒固まって。

 少し恥ずかしげに鼻を鳴らし、肩を竦めて、うっすら苦笑したではないか。






 男性を「美人」と褒めるのは、悪気がなくても、失礼なんだろう。

 だから本人に面と向かって、そう言ったりはしない。

 しないけど、紫音さんの場合、誰がどう見たって美人だから、困る。

 細面の輪郭。その中心を、上品な鼻筋がスッと通る。切れ長の眼と整った柳眉のバランスは毅然として、どこか中性的でありながら、しっかりと凜々しい。彫りの深い華音さんや世音先輩とは違う、日本的な魅力を持つ顔立ちだった。

 ピシッと着込んだ和服が、また細い長身を引き立てる。着慣れているため、所作は洗練されていて、常住座臥いちいち色っぽい。貴重な和服男子だ。いっそ条約で保護すべきだと思う。

 極め付けは、腰までの長い黒髪。

 ここまでロン毛の男性に会ったのは、紫音さんが初めてだったけど。それまでのイメージ、不潔でオタクでキモいという偏見が、いっぺんに吹き飛んだ。

 だって、わたしよりサラサラ艶々、見事に素敵。シャンプーのCMかってくらいに綺麗なんだもの。しかも、いい匂いがする。決して主張しすぎない、控えめで清廉で、でもうっとりするほど幸せな、不思議な匂い。

 尤も、髪だけじゃない。

 着物の匂いか薫香か、詳しくはわからないが、紫音さんは、いつも、いい匂いがする。






 サッと頬が熱くなる。

 なんのことはない、照れたのは、わたしの方だった。


「け……県外からも来てますよ」


 なんだか恥ずかしくなって、話題を逸らせた。


「それは、遠くの知人が送ってくれたものだね」

「東京に埼玉、千葉……あ、これ鹿児島県とか書いてある」

「おや、何故だろうね。そんな南に知り合いはいないのだけれど」

「…………」

 なにそれ怖い。


「それより、お返しなのだよ」


 煙草盆で煙管を叩いて、紫音さんは足を崩した。遂に胡座だ。

 捲れた裾に目が行き、わたしは慌てて視線を逸らせる。


「そっ、そうでしたね」

「瑠衣君。ここは、女性の意見を聞かせておくれ」

「えぇっと……食べ物は避けた方がいいですよ。好みもあるし」

「ふぅむ」

「あと、凝った物もNGです。両想いだって勘違いされちゃう」

「ふぅむ……」

「相手に気がないなら、消耗品がベターかなぁ」

「難しいのだよ……」

「深く考えなくても、自分が貰って嬉しい物を贈ればいいんですって」

「ふぅうむ……」


 消耗品。貰って嬉しい物。紫音さんは、ブツブツと二つの単語を繰り返す。


「……藁人形と呪符、どちらにするべきだろうね?」

「その二択!?」

「呪符の方が使用頻度は高いけれど、やっぱり女性には、人形が良いだろうか?」

「お返しじゃなくて、ほとんど仕返しですけど!?」

「では、イモリの黒焼きと蛙の目玉ならば、どちらだろう?」

「最早ジョルトカウンター!!」


 ふむ、と唸り、紫音さんは首を傾げた。

 あかん。わたし一人じゃ、とても扱いきれない、この人。

 仇志乃兄弟の常識人代表みたいな顔して、その実、いちばん浮き世離れしてる。深刻なツッコミ不足だ。二人きりでラッキー、なんてニヤニヤしてたわたしが馬鹿だった。早く誰か帰ってきて。できれば華音さん、早く帰ってきて。

 あぁもう、わたしってば、なにしに来たんだ。


「ところで」


 紫音さんが、チョコレートの山から、不意に一つを手に取った。


「瑠衣君の手作りは、どれだね?」


 ギクッと、肩が跳ねる。


「あるね? この中に? それとも、まだ鞄の中かね?」


 …………。

 そうだった。

 これを渡そうと思って、来たんだっけ。

 チラと見れば、紫音さんは、涼しげな笑顔で、わたしの返事を待っている。

 参ったなぁ。お見通しなんだもん。

 観念して、鞄から赤い包みを取り出した。


 チョコレートを作るなんて、何年振りだったろうか。

 小学生の時に一回だけ、それも失敗して結局、父親に押し付けてしまった記憶がある。下手くそだなって笑われて。以来、柄でもないことはやめようと、自重するようになった。

 だいたい、わたしは不器用なのだ。針に糸も通せない。おにぎりすら三角に握れない。馬鹿で間抜けで要領が悪くて鈍臭くて、なにをしたってダメなのだ。

 なのに、どうして。

 こんな綺麗な人に、手作りチョコをあげよう、なんて気を起こしたんだろう。

 あ、言っておくけど、本命とかそういうのでは、断じてない。仇志乃家の兄弟、全員分ある。日頃お世話になっているのは事実なわけだから、感謝の意を示す手段としては、ほら、ね。有効っていうか。


「…………」


 改めて、自作のチョコレートを凝視した。

 どうよこれ。

 A5サイズ、厚み四センチくらいの箱。ラッピングセットの説明書をガン見しながら包んだはずなのに、異様に汚い。模様はずれまくってるし、端は合ってないし、所々が変に余って、全体的にヨレヨレだ。

 悩んで選んだピンクのリボンも、蝶々が縦結びで台無しである。どういうわけか何度やっても、こうなってしまう。

 実は、チョコレート本体が、更に酷い。

 ゆるかわトリュフのつもりが、出来上がったら、崩れた脳味噌になった。普通にグロい。自分で毒味した限り、なんとか味は普通のチョコレートだったけど、こんな見た目じゃ、そもそも食欲なんて湧かないんじゃなかろうか。

 どうしよう……。


「えっと、ごめんなさい! 変な形になっちゃって、その」

「ふふ、パティシエでもあるまいに。食べれば同じことなのだよ」

「でもラッピングもこんなヨレヨレで、グチャグチャで……」

「おや。外見など、今の私にとって、なんの意味があるのだね?」


 ハッとして、口を押さえた。

 わたしに向けられた笑顔は、穏やかで、綺麗で、凜として。

 ……いつもと、なにも変わらない。


「さぁ」


 紫音さんが、そっと掌を上向ける。

 その指先は、哀しいくらいに繊細で。

 どうしてだろう、胸が苦しくなる。


 豊かな睫。涼しげな瞼の奥。

 固く閉じられたままの眼は。




 いつから光を絶ったのか。




 わたしは、覚悟を決めた。

 背筋を伸ばして、少し顎を引いて。

 両手で持った、わたしのチョコレート。ぐっと胸に抱いて、気合いを入れる。

 この和室で彼と対面するとき、わたしは可能な限り姿勢を正す。

 いつの間にか、そんな癖が付いていた。

 紫音さん自身が往々そうしているから、ということもあるけれど。

 根本的な動機は、ちょっと違う。

 たぶん、わたしは、近付きたかったんだ。

 悠然として、気高くて、しなやかで、野生の草花みたいに美しい。

 この人の、まっすぐな居住まいに。


「は、ハッピーバレンタイン、です」


 悲しいかな。肝心の瞬間を見届けるには、もう一歩の勇気が足りない。ほとんど机に突っ伏す格好で、わたしは俯き、腕を差し伸ばした。甘い雰囲気とは程遠い。なんという卒業証書授与。

 情けない。かっこ悪い。わたしは、いつだって諦めて、逃げてばっかり。子供の頃から、ずっとそうだった。

 わかってるんだ。こんなんじゃダメだって。そんな自分を変えたくて、わたしは此処に居るのに。頑張らなきゃ。わかってる。堂々としろ。わかってる。紫音さんは、こんなことで怒ったりしないから。わかってる。

 見えてないって、わかってる。

 でも、今のわたしには、これが精一杯。


「ありがとう」


 手から手へ、僅かな重みが移動した。

 紫音さん、受け取ってくれたんだ。

 …………。

 ……嬉しいな。

 さて。目的も果たしたし、今日はもう撤収しよう。残りのチョコは此処に置いといて、紫音さんから弟達に配ってもらおう。そうしよう。

 決めて、立ち上がりかけた、そのときだった。

 優しい温もりが、わたしの手を包んだのは。


「えっ」


 間抜けな声を上げて、わたしは、紫音さんを見た。微笑んでいる。上等な和服の衣擦れ。ふわりと漂う香りに、息が詰まる。少しだけ力が込められて、身体が前に傾く。それとほとんど同時、紫音さんが、平机に上体を乗り出す。

 あれっ? 思ったときには、もう遅い。

 みるみる視界は接近し、互いの顔が、あっと言う間に。

 文字通り――目と鼻の先。


「勿論、食べさせて」


 くれるのだろうね?


 一秒あったか、なかったかの刹那。

 唐突のスローモーションは、そう紡いで、停止した。


 瞬きを忘れる。

 胃がギュッと絞られる。

 血液という血液が、吹き出す穴を求めて暴れる。

 ボフッと顔が茹上がった。なにか言わなきゃ。焦って咄嗟に台詞を探す。だけど半開きの口は、掠れた動悸を吐き出すばかり。耳が、頬が、痛いほどに熱い。そのくせ喉は冷たくて、痺れた脳が酸素を遮断。ドキドキドキドキ鼓動がうるさい。

 どうなってんのよ。意味わかんない。わかってるのは、わたしが、紫音さんと手を繋いでるってこと。その微笑が、十センチの至近距離だってこと。彼の睫が長いってこと。いい匂いがするってこと……。

 ……はうあ!


「し、しおん、さん!」

「なにかね?」

「めめめめっちゃ近いです!」

「そうかね」

「そうです!」

「楽にしたまえ」

「できません!」

「何れ私には見えないのだし」

「わたしには目の前ですうぅううぅ!」


 ヤバイヤバイヤバイこれヤバイって!

 わたし、口臭は? 大丈夫だっけ? 鼻毛は切ってある? 眼鏡は外すべき? 歯に青海苔とかくっついてない? あ、見えないのか……って、違う。近いのよ、顔が。ていうか手。繋いだままなんですけど。

 あかん息ができん。肺が仕事してない。近い近い近すぎるってば!

 死ぬ!


「瑠衣君」


 ノンビリした口調で言って、紫音さんは小首を傾げた。

 さらりと流れる黒髪に、うっかり見惚れて言葉をなくす。

 思わず彼から眼を逸らす。

 そして、彷徨わせた視線が彼の微笑に帰着したとき、わたしは、あっと呟いた。何故なら紫音さんの柳眉は八の字を作り、唇は細かく震え、その肩は、さも可笑しげに、小さく上下していたのだった。


 この人ってば……!

 面白がってる。楽しんでやがる。

 知っててやってるな?

 わたしがテンパるのわかってて、からかったな?

 信じられない!

 もう、なんて人なんだろう!


「早くおくれ。悩んでいたものだから、お腹が空いたのだよ」


 正解。

 と言わんばかりに、紫音さんは、悪戯っぽく唇を綻ばせた。

 ……ズルい。

 こんなのはズルい。

 ふざけてるんだ。お戯れだ。わかってるのに。


「さぁ」


 鼓膜をくすぐる、吐息混じりの、その低音。

 ――チョコレートなんかより、ずっと甘いんだから。


「…………」


 はい。

 わたしは、力なく答えて、がっくり頭を垂れるしかなかった。


 紫音さん。

 いつか、その瞼の開く日が来るなら。

 あなたに、両の眼で、みつめられることが、あるなら。

 わたしはきっと、その場で爆発四散します。









     Blind sweet / 了







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