その72 ラブリーチャーミーな令嬢ですわ!
前半はモブ目線です。
灯が揺れる。
息を潜めて、暗闇を歩いた。相手は非力な令嬢とは言え、護衛にはセザールがついている。侮れない。
裏切り者の妹によく似た少女。
ロレリア侯爵は歯噛みしながらも、笑みをしたためた。
きっと、あれはセシリアの生まれ変わりだ。そうでなければ、セザールが今更、王都の仕事を引き受けるはずがない。
ロレリアに必要なのは転生者の血筋である。人魚の宝珠がどこかへ行ってしまった今は、血筋を途絶えさせないことが重要なのだ。
あの令嬢を利用しよう。
侯爵は唇の端を吊り上げて、客間の扉に手をかけた。隙間から漏れる光はなく、寝静まっているのがわかる。
扉を開け、雇っている私兵を中に入れる。
私兵たちが寝台を囲み、寝ている令嬢を取り押さえる手はずだ。侯爵は部屋の外で待っていればいい。
「うわらば!」
「たわば!」
けれども、しばらくすると、妙な断末魔が聞こえてくる。
侯爵は胸騒ぎがして、客間に踏み入った。すると、月明かりのみが支配する薄暗い部屋の中で、甲冑を身につけた私兵たちが倒れているではないか。皆、目をグルグルに回して伸びているようだった。
「な、なん……だと……!?」
戦慄している首筋に冷たいものが突きつけられる。視線だけで振り返ると、長い円柱型の鉄棒が見えた。
刃のない剣――荊棘騎士の得物だ。
「我がいれば問題ないと思ったが……ここまで愚かとはな」
低くもなく、高くもない、ただ冷たい声が響いた。次の瞬間には、膝裏に軽い衝撃を感じて、侯爵は呆気なくその場に崩れてしまう。
「セザール……お前が」
「なんのことかな」
セザールは怜悧な顔に笑みを描いた。心底人を馬鹿にしたような表情だ。
「あら、侯爵様。こんな夜更けに、素敵なプレゼントありがとうございます。お陰で、良い運動になりましたわ」
暗闇の中から笑声が転がる。
寝台の奥、月明かりが射し込まない壁際から、蜂蜜色の髪色が浮かびあがった。
地味な旅装束を纏った令嬢が闇から月下へと歩み出て、剣のように見える棒を軽く振る。
彼女の背後で辛うじて私兵の一人が顔をあげた。私兵はそのまま令嬢に向けて剣を抜く。
「ハッ! 甘いですわ!」
闇の中での気配を令嬢が察知し、木の剣を振った。頭を横薙ぎに殴られて、私兵は目を回して気絶してしまう。
「な……なんだ、この令嬢はッ!?」
「なんだかんだと聞かれたら、答えてあげるが世の情け以下略ですわ。わたくしは、ルイーゼ・ジャンヌ・ド・シャリエ。ただの品行方正、才色兼備、ラブリーチャーミーな深窓の令嬢でございます」
令嬢はニッコリと涼しげに笑う。だが、その瞳は全く笑っていない。部屋の温度を下げてしまうほどの冷たい殺気を感じて、侯爵は身震いした。狩りで熊に出会うよりも恐ろしい。逃げられない凄味があると感じた。
「う、うそだっ! こんな令嬢がいて堪るか。悪魔だ……!」
「まあ、酷い! 健全なお仕置きを遂行しているだけですのに! 正当防衛は、健全ですわ! 許されるのですわ!」
令嬢は白々しく怖がりながら、目の前に転がる私兵たちを鞭打った。棒や鞭を振り回して、兵を打ちのめす令嬢がどこにいる!
令嬢は膝をついた侯爵の前まで歩み寄ってきた。侯爵は尻をついて床を後すさるが、背後に立ったセザールに背中を蹴られてしまう。
「前世の頃から一言、言っておきたかったことがございましたの」
令嬢の表情が瞬時に消える。彼女は慄く侯爵の胸倉を掴むと、氷の刃のような視線で正面から睨んだ。
「あなたが、わたくしのことを厭らしい目で見ていたことは、知っていましてよ。お兄様。虫唾が走って、何度首を落としてやろうと思ったことか」
「ひッ……セ、セシル!? ゆ、許してく――」
「その呼び方も、嫌いですわ。あなたには、呼ばれたくありません」
令嬢は侯爵を突き飛ばす。後ろへ倒れたところに、セザールから再び蹴りが入り、散々であった。
令嬢は踵を返して、窓の方へと歩く。
「それでは、お邪魔しましたわ。侯爵様」
深い海の蒼を宿した令嬢の両目が、波打つように光を放つ。独特の輝きだ。見間違うはずがない。
そのとき、侯爵は彼女が人魚の宝珠をもっているのだと理解した。
「ま、待て――!」
手を伸ばすが、令嬢は窓を大きく開け放した。セザールも、彼女の横に並ぶように立つ。
月明かりを背にして笑う姿が、在りし日のセシリアと重なる。
令嬢とセザールは、三階の窓から、なんでもないかのように飛び降りて、その姿を消したのだった。
† † † † † † †
積み上げられた藁草の上に着地して、ルイーゼはフゥと息をつく。遅れて落ちてきたセザールも、難なく服装を整えていた。
「おっ、早かったじゃあないか」
城の外で馬を連れて待っていたギルバートが軽く手を振った。
元々、彼が侯爵たちの動きがおかしいと察知したので、夜のうちに城を発つことにしたのだ。ギルバートには力の一部しか譲渡されていないようだが、宝珠の能力は便利である。
何故かシャツのボタンが全開なのが気になるが、些細なこと、ということにしておこう。
「はあ。すっきりしましたわ!」
ルイーゼは清々しい気持ちで、馬に跨った。
自分にセシリアの記憶はない。
しかし、あの侯爵が妹であるセシリアのことを妙な視線で見ていたのは、知っていた。この際なので、ちょっと脅かしてやるのも悪くないと思ったのだ。実際、侯爵はルイーゼを血筋目的で拘束してしまおうとした。
「やられたら、やり返す。倍返しですわ」
久々に健全なお仕置きも出来たし、万々歳だ。
骨の一本や二本折ってやってもよかったが、やりすぎは良くないとセザールに釘を刺されていた。この女装のオッサン、常識があるのかないのか、はっきりしてほしい。
「不味いな……」
馬に乗りながら、セザールが声をあげる。どうしたのだろうか。
「……ドレスを一着、置いてきてしまった。取りに帰る」
「割とどうでもいい理由ですわね! だいたい、旅にドレスは必要ないでしょう!?」
ルイーゼだって、キラキラしたドレスは我慢して持ってきていないのだ。それなのに、セザールは何着持っているのかわからないドレスやら、桃の蜂蜜漬けやら、自領産のワインやらを持っている。
いったい、どうやったら、そんなに持ち運べるというのだ。
「人は美しさを磨くことを忘れた瞬間から劣化するものだ」
「どこかのエステの広告になりそうな文句を言わないでください」
「えすて?」
首を傾げるセザールを放置して、ルイーゼは城下町を見下ろした。細い道一本で城と繋がった町では、なにかの騒ぎになっているらしい。夜なのに、灯りがいくつも点いている。
「なんでも、サーカスの猛獣が暴れたって話だぞ」
ギルバートが興味なさそうに欠伸を噛み締めていた。
「とりあえず、ギルバート殿下はシャツを閉めてください」
「これでも、我慢しているんだがな。狭かったり暗かったりしたら、開放感を求めて脱ぎたくなるだろう?」
「なりませんから。夜間にうろつく変質者のような発言をしないでくださいませ」
さておき。
サーカスか。王都で何度か見たが、こんな町にも訪れるようだ。自分がロレリアにいた頃は、そういう娯楽はなかった。
――すごいね。
建国祭のパレードを見て、楽しそうに笑うエミールの顔が浮思い出された。きっと、サーカスを見たら喜ぶに違いない。パレードと興行では雰囲気も違うだろう。
って、どうして、また。
エミールのことを考えてしまって、ルイーゼは首を横に振った。
何故、今エミールのことを思い浮かべるのか、意味がわからない。もう教育係だってやめてきたし、嫌われるようにフラグも叩き潰したはずだ。
しかし、ついエミールのことを考えてしまう自分がいる。今まで世話を焼いてきた名残か。癖のようになっているのか。
もしかすると、――わたくしが王妃様の生まれ変わりだから?
まだ可能性の話で、確証はない。
だが、もしも、本当にセシリア王妃の生まれ変わりだとしたら。ロレリアの人間に転生することを拒み、エミールを見守るために生まれ変わったのだとしたら……ルイーゼがエミールのことを考えてしまうのは、仕方ないことなのかもしれない。
そう。これは野心でも、恋でもなく、親心。
ただの親心だ。母性本能のようなものなのだ。
それなら、自然ではないか。なにも悪くはない。健全だ。バッドエンドフラグでもない。だって、親心ですもの!
ルイーゼは一人で納得して、うんうんと頷いた。
「お前、大丈夫か?」
勝手に頷いていたルイーゼに、セザールが呆れた眼差しを向けている。ルイーゼは咳払いした。
「あなたにだけは、言われたくありませんわ」
「我ほどの常識人は見たことがない」
「世界中の常識人に土下座してくださいませ」
言いながら、ルイーゼはドレスを取りに帰ろうとするセザールの服を掴んだ。油断も隙もない。さっさと出発しなければ、侯爵たちが追ってきてしまうというのに。
とにかく、急ぐべきだ。
夜の間も移動して、明日にはノルマンド港への到着を目指す。
ロケット団の活躍なら、やはりルギア爆誕が秀逸ですね!
ロレリア編は終了です。ルイーゼとエミールは出会えるのか!?
第5章は、その75で終了予定なので、もうしばらくお付き合いください。




