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その5 この子、本当に年下なの?

 

 

 

 彼女の名前は、ルイーゼ。


 シャリエ公爵の令嬢。突然、父であり国王でもあるアンリ三世の命によって、エミールの教育係に任命された女の子だ。


「では、殿下。今、わたくしが言ったことを、もう一度声に出して言ってください」

 わざとらしくニッコリ笑ったルイーゼを見上げて、エミールは息を呑んだ。

 父の命令とは言え、いきなりエミールの聖域(自室)に踏み込んできて、丹精込めて作った魔除けの結界をめちゃくちゃにされてしまった。

 おまけに、翌日からはカーテンと窓を全開にして、問答無用で部屋の大掃除まではじめる始末。

 日に当たって肌が焦げたら、どうするつもりだ。燃え移ったら、火事になるかもしれないのに。

 こんな教育係、初めてだ。今まで、こんなに強引な接し方をした人なんて一人もいなかった。


 挙句の果てに、こんなこと……。


「い、いやだ……出来ない。ムリだよ……無理!」

「殿下、もうお忘れになったのですか? 今は復唱してくださるだけで結構ですから」

 人の良さそうな笑みでエミールを覗き込むルイーゼ。


 しかし、エミールは知っている。彼女の中に封印されている悪魔の存在を。世にも恐ろしい悪魔がエミールを狙っているのだ。

 そうだ。きっと、そうに違いない。そうでなければ、あんなおぞましい言葉を言わせようとするはずがない!

 実際、ニコニコと笑っているように見えて、ルイーゼは只ならぬ威圧感をまとっていた。王宮の兵士たちよりも凄味がある。

 直接見たことは数回しかないが、王族の守護騎士≪天馬の剣≫カゾーラン伯爵にも匹敵するのではないだろうか。


「殿下、口にするだけで結構ですわ」

 再度促すルイーゼの顔を見上げて、エミールは口篭りながら俯いてしまう。

 そんなこと、信じられないし、信じていないことを言えと言われても無理だ。これが悪魔との契約の呪文だったら、どうしろと言うのだ。


 ルイーゼが困ったように溜息をつき、軽く頭を抱えた。

 辛うじて、カーテンを閉めることに成功したので、部屋の中はいつも通りの薄闇を保っている。だが、ルイーゼのせいで、いつものような居心地の良さはない。

 薄闇の中でも、蒼い瞳が神秘的な美しさを放っている。野暮ったいエミールのブルネットに比べると、彼女の髪は蜂蜜色でとても美しい。花弁のような唇も可憐で、強さと気高さをまとっていた。

 絵画の題材にでも選ばれそうな容姿だ。

 本当に美しい少女。

 時々、豹変したように空気の温度を下げる鋭い眼光。歴戦の戦士か何かを思わせる氷の視線は確かに恐ろしい。そのあとに、猫を被ったように、甘い口調になるのも不自然で不気味だ。


 いや、それ以上に、彼女のまとう普段の雰囲気の方がエミールは苦手だった。


 上品でしなやか、優美な身のこなし。聡明そうな顔立ちや、堂々と振舞う気品のある表情。

 闇の底に眠った記憶を呼び起こすのだ。

 ルイーゼの令嬢としての動作や口調、態度がエミールの心に空いた穴を抉る気がした。


 ルイーゼは、似ている。――エミールの母親であり、フランセールの王妃である女性に、とても似た雰囲気をまとった少女なのだ。


 そのことが、エミールにとっては一番恐ろしかった。


「わかりました、殿下。でしたら、窓を開けましょうか。今日は天気が良いのですよ」

 ルイーゼは考えた末に、エミールに見せつけるよう、ゆっくりと窓へと歩んでいく。

 エミールは反射的に座っていた椅子から立ち上がった。

「ちょ、ひ、卑怯だよッ」

「殿下が勿体ぶっているからですよ。早く言わないと、窓を開けてしまいますよ? よろしいのですか?」

 カーテンの隙間からチラリと射し込む日光の明るさに、エミールは冷や汗を流した。額を珠のような滴が伝う。

「あ、悪魔……! 今窓なんて開けたら、焦げる……!」

「……何度も言っておりますけれど、陽射しに当たっても焦げたり燃えたりしませんから。そんなこと、誰から教わったのですか。昨日、お掃除している最中も平気だったでしょう?」

「嘘つき! だ、だって、日に当って黒くなったって、ラメール夫人が」

「ただの日焼けですってば! ほら、もうカーテン開けますよ?」

「ひッ、ひぃっ!」

 ルイーゼは既にカーテンに手をかけ、エミールに向けて笑顔の脅しを向けていた。


 エミールは涙が出そうになりながら、隠れられる場所を探す。

 しかし、儀式用のテーブルも、避難用の大樽も、魔除けの石像も、全てルイーゼによって撤去されてしまっており、部屋の中に日光を遮れそうな場所が存在しない。ベッドの下にも、目張りがしてあった。

 ルイーゼがカーテンを開けるのが先か、エミールが何か策を思いつくのが先か――そんなことは明白だった。

 敗北を悟らせるように、ルイーゼは勝ち誇った笑声をあげている。まるで、獲物を追い詰めた猛禽類の高笑いだ。


 だいたい、良家の令嬢がどうしてあんなにテキパキと掃除することが出来たのだろう。

 エミールが震えている間に、物品の撤去も床の掃除も壁紙の張り替えさえ、全てルイーゼがこなしてしまった。執事が手伝っていたようだが、それでも、普通の令嬢の所業ではない。

「うッ……く……え、えええええいっ!」

 エミールは悪あがきに、ベッドの上から枕を振り上げた。

 羽毛の枕はポーンと弧を描いて宙を舞い、ルイーゼの顔に吸い込まれていく。

 子供じみているが、こんな風に物を投げると、たいていの貴婦人はエミールのことを怖がった。そして、手のつけられない相手だと言って、匙を投げるのだ。


「この程度の反抗? ハッ! 笑わせてくれますわ!」

 だが、えらく覇気のある声と共に、枕は叩き落とされてしまう。どれだけ強く叩きつけたのか、辺り一面に純白の羽根が舞い上がった。枕カバーの縫い目が裂けたのだ。


「殿下、反抗期のストレスを発散させたいのでしたら、正々堂々と決闘を申し込んでくださいませ。わたくし、ここ十五年ほど全く鍛えておりませんが、流石に殿下程度になら負ける気は致しませんので。ええ、不意打ちで刺されてバッドエンドよりは、よっぽど回避しやすいですわ」

 邪悪な笑みを湛えたまま、ルイーゼは穏やかな口調で述べた。

 堂々と決闘を申し込めと言い放つ令嬢がどこにいるっていう言の!? いや、ここにいるけど! エミールは涙目になり、抵抗する気力すらなくなってしまう。


 エミールは絶望しながら椅子に座り、自暴自棄になりながら俯いた。

 こんなことを言わなくてはならないなんて……全く信じてもいない迷信を、悪魔の計画かもしれない呪いの言葉を……。

 だが、エミールは弱い。悪魔の脅迫に従うしか、助かる道はないのだ。


「…………その一、部屋の外に出ても危険はありません」


 やっとのことで第一条を読み上げる。

 これだけでも、精神的ダメージは計り知れない。それなのに、目の前の悪魔は続きを促して、「その二は?」などと呑気に声をかけてくる。

 威圧感満載の笑みも忘れていない。

 この子は、本当に年下の少女なのか甚だ疑問であった。時々、「刺される」とか「バッドエンド」とか言っているのも、意味がわからない。


「……その二、日光は怖くありません。当たっても、決して燃えたりしないので、安心です」


 嘘だ絶対に嘘だ。

 だって、外は恐ろしいのだ。危険なのだ。

「その三、外は――」

 嫌だ。怖い……。


「外は、とても楽しいところです」


 怖い。部屋の外は怖いところだ。



 あんなことがあったのに、外へ出なければいけないなんて……不条理だ。理不尽だ。

 エミールは神と、目の前の悪魔を呪う言葉を心中で呟き続けた。

 

 

 

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