その36 わたくしが相手では不満かしら?
期限は二週間と短かった。
元々、建国祭にアルヴィオスから使者が送られることは決まっていたのだ。それが突然、王子に代わっただけ。
そのため、エミールの調教、いや、教育は速やかに行わなければならなかった。
アンリから勝手に暴露された情報によると、王弟殺しにアルヴィオスが関わっている可能性があるらしい。謀叛人の背後に他国が絡んでおり、その使者が王子に変更された。なにか裏があるに違いない。
しかも、エミールとの交流である。まるで、フランセール王室の弱みを握りたいようではないか。
エミールが引き籠りの軟弱者だと知られるのは、少々不味い。フランセール貴族ならだいたい知っているかもしれないが、実際にその姿を見せるわけにもいかないだろう。
だと言うのに、
「いったい、どうしてしまったのですか。エミール様?」
ルイーゼは大きな溜息をつく。
エミールにダンスの基本を教える最中。腰に手を回すよう指示したら、いきなり倒れたのだ。
目をグルグルに回して仰向けになったエミールを見下ろして、ルイーゼは頭を抱えてしまう。
「これでは、ダンスどころではありませんわ。しっかりしてくださいませ」
ルイーゼは目を回すエミールの頬を軽く指先で突いた。ぷにぷにしていて、柔らかい。ぷにミールと呼んでくれようか。
「だ、だって……」
「だって、なんですか?」
殺気のような視線で睨みつけると、エミールが「ひぃッ」と声を裏返す。
「だ、だ、だだだだって……ルイーゼが……その……ルイーゼが、きれいだから……緊張しちゃう」
「……は?」
酷い言い分を聞いた気がする。
ルイーゼが冷めた視線で睨んでいると、エミールは歯をガタガタ震わせ、顔を手で覆った。どこの令嬢だろう。本当に姫にしか見えなくて、困った王子だ。
「で、出来れば、他の人と……お、踊りたいんだけど」
「はあ。わたくしでは、不満ですか?」
「ふ、不満なんて、そんな! で、でも……緊張して……」
エミールはルイーゼと目を合わさず、項垂れるばかりだ。ルイーゼはどうしたものかと思案し、周囲を見回す。
「ジャン……は、無理ですわね。踊れませんわ」
「お役に立てず、申し訳ありません。お詫びに、お仕置きを!」
ルイーゼは傅くジャンをサラッと無視して、扉の方へ歩み寄る。
部屋の外にいたのは、ユーグだった。
謀叛人が捕まったとはいえ、油断は出来ない。むしろ、近衛騎士たちは大忙しのようで、事務方のユーグが、こうやってエミール護衛に駆り出されているようだ。
「ユーグ様、ダンスのたしなみは?」
「んぅ、そうね。あんまり得意じゃないけど、可愛い殿下のためなら頑張っちゃう。殿下のちっちゃくて可愛い手が、私の腰を支えて華麗にワルツを踊るなんて……想像しただけで、可愛い! ちょっとお泊りして帰ろうかしら。むしろ、お持ち帰りしちゃう♪」
「……あなたには、絶対に頼まないことに致しますわ」
身体をクネクネと揺らしながら「えええ! 私、女装もするわよ!」と不満を漏らすユーグを一蹴して、ルイーゼは部屋の外へと繰り出す。「漢にしか興味ない」とか言っていた気がするが、彼の趣味はどうもショタ寄りのようだ。
回廊の向こうに、人の頭が隠れるのが見えた。もしやと思って近づくと、予想通り。
「陛下、そんなにエミール様が心配なら、お部屋の中に入ればよろしいのに。お得意でしょう、ダンス?」
壁と彫刻の間に挟まるように隠れた国王アンリを見て、ルイーゼは息をついた。
だいたい、この国王。今は忙しいのではなかったのか。目の下に隈も出来ているし、少々やつれている。公務の合間を縫って、満身創痍でやってきたと言ったところか。
「あ、いや、その……だな。たまたま、通りかかったのだ!」
「左様にございますか。では、そんなところに挟まっているのも、たまたまですわね」
呆れた。親子揃って、チキン属性持ちである。
ルイーゼは、「たまたま」通りかかったと思われる侍従長にアンリを引き渡し、更に周囲を観察した。
アンリがここにいたということは……。
「いいところにいましたわ。ちょっと手伝ってくださらない?」
不自然な位置に置かれた大きな壺の中を覗き込み、ルイーゼはにっこりと笑った。
壺がビクンッと揺れる。
「ひ、ひひぃんっ。あら、元ご主人様、ごきげんよう」
壺の中に隠れて、物凄い量のメモを取っていたのは、ミーディアだった。この前世馬の侯爵令嬢、またアンリをストーカーしていたらしい。いろいろと突っ込みたいが、今は好機なので許すとしよう。
ルイーゼはミーディアに事情を話した。
「わたしがエミール殿下とダンスですか? いいですけど……」
「そうなのです。わたくしでは、美しすぎて緊張してしまうそうで。美貌に生まれてしまったのも、考え物ですわね。わたくしの存在自体が罪ということかしら」
ミーディアもなかなか美しい少女だが、ルイーゼほどではないので、きっとエミールも大丈夫だろう。本当に、美貌は罪だ。困ってしまう。
「……前世から、お顔には恵まれているはずなのに、頭の中が残念なのは変わっていないんですね」
「なんのお話かしら?」
ミーディアは呆れたような顔でルイーゼを見ていたが、やがて、大袈裟に息をついた。なにかおかしいことを言ったのだろうか。ルイーゼは訝しげにミーディアを睨んだ。
「なんでもないです。わたしが口出すことじゃありませんから……強いて言うなら、あとで後悔しても知りませんからね」
「はあ……意味がわかりませんわ。とりあえず、よろしくお願いします」
首を傾げるルイーゼに対して、ミーディアは「まあ、そこが残念で可愛らしいんですけどっ」と、メモ帳にペンを走らせはじめた。
エミールは酷く緊張した面持ちでミーディアの手を取っていた。だが、ルイーゼのときのように、目を回して倒れることはない。
「ご令嬢、ぼ、ぼ、ぼぼ僕と一曲、おど、踊って……」
「どもらない! 噛まない! 震えない! 堂々としてください!」
ルイーゼは鞭を壁に空打ちさせながら、挙動不審になるエミールを叱咤した。その形相は鬼のようで、緊張するエミールを更に委縮させてしまう。
「元ご主……いいえ、ルイーゼさん。そんなに怒ったら、殿下が泣いてしまいます。いえ、もう泣いてます」
「いいのですわ、時間がございませんから。スパルタです!」
ベシィンッベシィンッ。ルイーゼは背景のように立っていたジャンを二度ほど痛めつけておく。
「よろしゅうございます! お嬢さま、こちらもお使いくださいッ!」
ジャンに渡されたものを、ルイーゼは躊躇なく受け取った。そして、マッチに火を灯す。
「はあ……は、あッ……ああぁあぁあああッ!! よろしゅうございまぁぁぁあすっ!」
蝋燭から垂れる蝋に、ジャンが身悶えしながら嬉しそうに叫んでいる。しかし、ルイーゼとしては微妙だ。鞭を振るような爽快感がない。地味な作業なので、すぐに飽きそうだ。足りない鬱憤を晴らすために、ジャンの背中に突き刺すようにヒールをグリグリと捻じ込んでおく。
期限付きの教育で焦っているためか、いつもと違って気分が晴れない。ムカムカして、苛立ちが消えなかった。それを感じ取っているのか、エミールも頻りにルイーゼの顔色をうかがっているようだ。
「殿下、リラックスしてください。本来、ダンスは楽しむものですよ」
ミーディアがルイーゼの視界を遮るように立った。そして、エミールの両手を持って、優しく部屋の中心へと誘う。
「教えた通りにするだけです。リズムは、わたしが取りますから」
「え、う、うん……」
ミーディアは優しく笑い、エミールの手を自分の腰に置いてみせた。その流れがあまりに自然で、エミールも緊張している暇がないようだった。
シエルに化けていたときもそうだったが、ミーディアはリードが上手い。あっという間に、エミールを自分のペースに引き込んでしまった。
「よろしゅうございます、よろしゅうございますよッ! お嬢さま!」
無意識のうちに、ルイーゼはジャンを縛り上げて部屋の天井から吊るす作業に取り掛かっていた。ダンスは放っておいても、ミーディアがなんとかしてくれそうだ。
吊るしたジャンを鞭や木刀で殴りながら、ルイーゼは二人の様子を見る。
面白くありませんわ。
フッと湧きおこる感情。
焦ってエミールを怒鳴るばかりだったルイーゼ。それに比べて、ミーディアは易とも簡単にエミールをその気にさせてしまった。
初心者なのでお世辞にも上手いとは言えないダンスだが、エミールは筋が良い。ミーディアの取るリズムを理解して、すぐに覚えてしまった。不安そうな表情や、時々怯えて足が竦むことがなければ、もう少しマトモに踊れるはずだ。
「お嬢さまぁぁぁああ! ジャンは幸せにございますッ!」
昇天しかけているジャンをサンドバッグのようにして殴りながら、ルイーゼは唇を尖らせる。
面白くありません。
エミール様の教育係は、このわたくしですのに。わたくしがいないと、エミール様はなにも出来ないクズですのに。軟弱者であらせられるエミール様は、わたくしがいないと、どこへも行く勇気がございませんのに。
だが、本当にそうだろうか。
エミールはルイーゼ以外の人間にも懐きはじめている。ミーディアの教育を受け入れ、ダンスを踊っているではないか。賊に襲われている父親を助けるために奮闘する勇気を持っているではないか。ルイーゼがいなくても、外を歩いたこともあるではないか。
面白く、ありませんわ。
エミールに手が掛からなくなることは、喜ばしい。むしろ、それがルイーゼの仕事だ。
それなのに、なんだか面白くなかった。
ジャン氏の一人勝ち!(`・ω・´)