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その4 現世こそは現世こそは現世こそは……!

 

 

 

 さて、どうすればいいのでしょう。


 窓を開けようとすれば、「外は眩しいから無理だ」と言われ。部屋を片付けようとすれば、「やめて」と泣きつかれ。

 はっきり言ってしまえば、この王子、とても面倒くさい。

 ルイーゼは終始ニコやかな表情を絶やさぬよう努めたが、いつまで続くか自信がなかった。一番目の前世でいじめ抜いたクラスメイトより腹が立つ。

「殿下、せめて床の食材を片づけませんか?」

「……ぼ、僕のことは放っておいてよ」

 そう言いながら、エミールは部屋の隅で背中を丸めて座り込んでしまった。まるで、小動物。

 六番目の前世である海賊時代には、よく見た光景である。陸地の町や村を襲撃すると、女子供は、こんな風にして海賊から身を隠していた。

 まさか現世で見ることになるとは。ルイーゼは、ちょっとした懐かしさを感じつつも、この状況を打開する方法を考えようと試みた。


 一つ、構わず一発お見舞いする……いやいや、それはダメですわ。相手は王族ですもの。ルイーゼは自らを律する。


 二つ、もういっそ投げて帰る……いくらなんでも、一日で投げたら最短記録を作ってしまいますわ。骨のない女だと社交界で罵られるのは、少々癪なので却下した。


 三つ……と、考えていたところに、開けっ放しにしておいた扉から覗く視線に気がつく。

 ジャンがここぞとばかりに身を乗り出し、構えていた。手には、何故か馬用の短い鞭が握られている。

「よろしゅうございますよ、お嬢さま」

 なにが? よろしゅう? ございます?

 いやいやいや、流石に意図がわかりませんから! え? なに? その鞭で殿下を打てと? スパルタ教育しろと?

 ルイーゼは拒絶の意を視線に込める。だが、ジャンは心得ているとでも言いたげに、キリッとした表情を浮かべた。

「いいえ、意味がわかりませんから!」

 ルイーゼがキッパリと口に出して言うと、ジャンは寂しげに目を伏せてしまった。そして、期待はずれと言わんばかりに、鞭を下げてしまう。

 なにか彼の期待に添えないことを言ってしまっただろうか。ルイーゼは数秒思案したが、大したことはなさそうなので、放置することにした。


「殿下」

 挙動が意味不明な執事から目を逸らし、ルイーゼは再びエミールに向き直る。一方、エミールは怯えて蹲ったまま、ルイーゼを見ようともしない。

 頑な過ぎて、確かに、多くの貴婦人が根を上げる気持ちがわかる。大いにわかる。

 だが、ルイーゼは一応、国王から彼の教育係を任されているのだ。真っ当な現世ライフを送るために、ルイーゼは王命に従う義務がある。物凄く不本意だが。

 そう。悪党やら悪役やら、そんな人生を歩むわけにはいかない。もう二度と同じ道は歩まない!

 もしかすると、ちょっとした綻びが原因で国家反逆罪エンドになるかもしれないのだ。その可能性はわずかだが、否定は出来ない……気がする。

 今回のクエストを落とすと、また刺されて死ぬバッドエンドが待っている気がする。そんな気ーがーしーまーすー!

 ルイーゼは無理やり思考を結び付けて、自分に言い聞かせる。一種の暗示だ。

 ハッピーエンドのためなら、なんだってすると現世では決めている。


 ルイーゼは深呼吸して、優しくエミールの傍に歩み寄った。

 そう。まず、信頼関係を築くために、距離を縮めなければならない。相手を安心させてしまえば、大抵の無理は通るのだ。

 詐欺師だった頃の前世で、よく使った手口である。いや、騙すわけではないけれど。

「どうして、そんなに怖がっていらっしゃるのですか?」

 子供に語りかけているつもりで、ルイーゼは穏やかに問う。

 因みに、確認するまでもないと思うが、ルイーゼは十五歳、エミールは十九歳。四つも年上の男である。

「外は……怖い」

 エミールはボソボソと泣きそうな声で言葉を発する。

 実にイライラする喋り方だ。割と普通に虫唾が走る。女々しい。無理。そんな言葉がルイーゼの頭を過るが、全て無視した。

「恐ろしいと思う理由があるのでしょう? まずは、それを取り除く努力を致しましょう。協力しますわ」

「……あるけど……あるんだけど……」

 曖昧な言い方をして、エミールは言葉を濁してしまった。エミールはおずおずと顔を上げ、ようやくルイーゼを見た。同時に、サファイアのような瞳に涙が溜まっていく。

 面倒くさい。これが、いわゆる琴線やトラウマに触れてしまった状態ですか。ルイーゼは冷めた気持ちで分析する自分が、酷く薄情に思えてくる。


 ――冷たいのですね。少しは、わたくしのワガママも聞いてくださらない?


 しかし、涙の溜まったサファイアの瞳が、不意に遠い記憶と重なる。

 それは現世、いや、前世。いつの頃に見たのかも、わからないくらい些細な記憶だ。


 ルイーゼはその記憶がいつのものだったのか思い出し、憂鬱を溜息に乗せた。

 しばらく、意識していなかった、いや、意識する必要がなかった記憶だ。

 今しがた、ルイーゼはエミールの琴線に触れたことを煩わしいと感じた。

 けれども、逆に自らの琴線にも触れられていたことに気づき、心底嫌気がさした。


「こんなことを思い出してしまったら、捨て置けなくなるではありませんか」


 ルイーゼは誰にも聞こえないように呟き、何度目かわからない溜息を吐く。溜息と共に幸せは逃げると言うが、たぶん、当たっている気がする。


 これだから、この国の王族には関わりたくなかったのだ。


「なにか、言った?」

「いいえ、独り言にございますわ」

 エミールが首を傾げていたので、ルイーゼは自嘲気味に誤魔化した。そして、胸に決意を固める。


「殿下、もうそろそろ面倒くさいので……ひとつ伺っても、よろしいでしょうか?」

「な、なに?」

 静かに問うルイーゼの声に、エミールが肩を震わせる。きっと、ルイーゼから只ならぬ何かを感じ取ったのだろう。

 だが、ルイーゼは気にしないことにする。部屋の温度が三度ほど下がった気がしたが、スルーだ、スルー。


「殿下は、外が怖いから出たくないのですか? それとも、一生ここに引き籠っていたいのでしょうか?」

「え?」


 ルイーゼの質問の意図を確認するように、エミールが目を見開く。

 その表情は驚きに染まっており、今まで、そんなことなど考えたこともないと言った様子である。

「ですから、殿下。外に出たいというお気持ちはありますか? ありませんか? ないのでしたら、いくらわたくしが尽力しても、無駄でございます。適当な理由をつけて、教育係を辞任致しますわ」

「え、え……その、僕は……」

「もしも、部屋の外に出て、王子として相応しい人生をお望みなら。わたくしは殿下を一流の殿方に教育しましょう」

 ジャンが心配そうに見つめているのがわかる。背景には、擬音にしてゴゴゴゴゴゴゴという効果音がつきそうな雰囲気が漂っているし、自分の目つきが悪くなっているのも感じた。

 エミールが怯え、そして、呆然として息を呑んでいる。


「あ、あの」


 エミールが震える唇で言葉を紡ぐ。ルイーゼは、彼が次に何を言うのか、静かに待った。


「僕は……出たくないわけでは、ない……うん、外には、出てみたい……でも、外は怖くて――」

「では、外に出るおつもりは、あるのですね?」


 有無を言わさず、確認する。

 ルイーゼはその言葉を待っていたとばかりに笑顔を作り、エミールの顔を覗き込んだ。

 まっすぐ視線を向けられて、エミールが辟易している。

「わかりましたわ」

 ルイーゼは言うと、素早い動作で身を翻した。そして、分厚いカーテンのかかった窓際へと歩み寄る。

「え、ちょ、な、なにを!?」

 ルイーゼは、声を上擦らせる王子の声など無視して、カーテンを思いっきり開け放してやった。


 明るい陽射しが満ち溢れる部屋の隅で、エミールは口をあんぐりと開けていた。

 こんな風に強引に部屋へ押し入った人間は今までにいなかったのか、恐怖よりも驚愕が勝ったようだ。

「ま、眩しい」

 エミールはビクビクと肩を震わせながら、頭を抱えて丸まってしまう。

 その傍らに歩み寄り、ルイーゼは高らかに宣言した。

「改めて、自己紹介させて頂きますわ、殿下。ルイーゼ・ジャンヌ・ド・シャリエと申します。今日から、殿下の教育係を務めさせていただきますわ」

 無駄に明るく、優しい口調で言い放つと、エミールは視線だけでルイーゼを見上げる。


「お約束しましょう、殿下を誰もが認める王子にしてみせますわ。ですから、多少手荒な真似をしても、お許しくださいね」


 握手の手を差し伸べながら、ルイーゼは思った。


 ああ、面倒くさい。


 現世こそは、こんなことに巻き込まれず、過ごしたかったのに。適当な良家に嫁いで、良い生活を送って、ほどほどに美貌を保って、ほどほどに幸せだったと言いながらハッピーエンドで締め括りたい。そう思っていたのに――。


 仕方がありません。

 何としてでも、このクソ王子の根性を叩き直して、調教して差し上げるしかないでしょう。

 せいぜい、刺されて死なない程度に頑張ることにしますわ。




 こうして、引き籠り姫と新しい教育係が出会ったのである。

 

 

 

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