或る愛馬の純情2
現世のミーディア視点で陛下の日常お送りします。番外編「或る愛馬の純情」の続きのようなものです。
全体的に2章の補足的内容でございます。
ミーディア・アメリア・ド・カスリール侯爵令嬢の前世は、馬であった。主人は少しも自分を顧みず、名前すら呼ばれたことがなかった。
そんな前世の自分。
しかし、ミーディアは、きっと、前世の自分は主人のことが好きだったのだと思う。必死に駆け抜けた前世の記憶から、そう感じ取っていた。
その名残りか、ミーディアは女だてら、騎士を目指す兄と同じように鍛錬するのが好きだった。
過去三回、馬だった前世の自分。何故、人間に生まれ変わることが出来たのだろう。きっと、神様の悪戯だ。
前世と現世は違う。それなのに、ミーディアにとって、前世の記憶は思い出のように心地良いものに思えた。
だから、シエルが恋をしたと聞いたとき、捨て置けなかった。
――せめて、女に生まれていれば、あの人に近づけるかもしれない。ただ、近くにいたいだけなんだ。
そう嘆息するシエルの悩みを、ミーディアは無碍にすることが出来なかった。
慕った人の視界にも入らない人生。気にも留められず、なんの見返りもない人生。ミーディアの前世は馬だったけれども、シエルの言葉が他人事には思えなかったのだ。
――では、わたしと入れ替わる?
ほんの出来心だったと思う。子供みたいな、ささやかな遊び。そのつもりだった。
ミーディアとシエルが入れ替わっていても、周囲は誰も気がつかなかった。
元々、非常に顔が似た双子だ。小さい頃から、戯れで服を交換していたが、使用人どころか両親すら気がつかなかった。妙な行動さえしなければ、露見することはないだろう。
「シエル、少し付き合え」
カゾーランがシエルに変装したミーディアを呼びつける。
筋肉隆々の身体を純白の制服で包む姿は、当初、誰なのかわからなかった。前世の記憶があるミーディアは、息子の方を伯爵だと思い込んでしまい、初対面ではうっかりとミスをしてしまいそうになったくらいだ。
こんなに立派な筋肉中年に育って。きっと、元ご主人様に一度も勝てなかったのが、悔しかったのね。ふふ、女癖まで矯正されて。流石は、元ご主人様です。カゾーラン伯爵の調教に成功しましたね! たぶん、意図していないと思うけど。
そんなことを考えながら、ミーディアはカゾーランのあとをついて歩いた。
シエルとしての立ち位置は見習い騎士。そこそこ優秀らしく、カゾーランの小姓としてついていくことが多かった。
この日は、国王が行う謁見の護衛だった。
各地の有力貴族が領地経営について定例報告をするのだ。そのため、威厳を示す目的でカゾーランも同席する。ミーディアも、カゾーランの後ろで待機することになっていた。
「頼んだよ、カゾーラン」
謁見前に現れた国王アンリ三世が、カゾーランに声をかける。
カゾーランは玉座の右側に。侍従長が左側の一歩下がった位置に立つ。
その立ち位置を見て、ミーディアは少し寂しくなった。
玉座の左側には、本来、≪黒竜の剣≫が立つ。つまり、ミーディアの元主人クロード・オーバンの席なのだ。
傷を負って戦場に出られなくなり、ロレリアの城でのんびりと余生を過ごしていた前世。元主人の死を知ったのは、転生したあとのことだった。教育係の夫人から、フランセール史を習ったときは本当に驚き、どうしてそうなってしまったのか信じられなかった。
今も空位のままになっている玉座の左手を、ミーディアはぼんやりと眺めてしまう。
次いで、玉座に就くアンリを見た。
あの頃と、あまり変わっていない。落ち着いた雰囲気と威厳は、歳を重ねたためか。多少年齢を感じるものの、未だに青年のような覇気を感じた。
前世で齧った頭に生えるブルネットの髪も、白い肌も変わらない。至高の筋肉を手に入れて変わり果てたカゾーランと並ぶと、対象的に思えた。
謁見が終わると、アンリは疲れた様子で伸びをする。侍従長が「お疲れ様です、陛下」と言っていた。
ミーディアも緊張を解すように肩をおろす。
少しも動かず、じっとしているのは骨が折れる。まだ動きまわる方が楽だった。
「そう言えば、カゾーラン。その子は新しい見習いかな?」
玉座から立ち上がり、アンリはミーディアを視線で示した。ミーディアは緊張しながら、素早く背筋を伸ばす。
「おっしゃる通り。シエルと申します。カスリール侯爵の長男ですぞ」
「ああ、カスリールの。なるほど、確かに両親と似ておるな」
「腕は確か。立派な漢になりましょうぞ」
アンリはミーディアの前に立つと、優しげな表情を作った。前世で会ったときは、もう少しぎこちない笑い方をしていたように思うが、今は自然だと感じる。
「将来が楽しみだ。フランセールのために、存分に才を発揮しなさい」
そう言うと、アンリはミーディアの頭を軽く撫でた。
見習いとは言え、もう十五歳。立派な大人として扱われはじめる頃合いだ。しかし、アンリはミーディアの頭をしっかりと撫で、肩を叩いた。
「は……はいっ!」
ミーディアは一瞬、惚けたように放心していた。だが、すぐに姿勢を正した。
掌の温かみが頭に残る。
前世で撫でられたときと同じように、嬉しいのだと自覚して、ミーディアは顔が赤くなるのを感じた。
現世では、たくさんの人に撫でられた。両親からも愛情を注がれていると思う。怪我をして泣く幼いミーディアを、兄のシエルがよく慰めて撫でてくれた。自分はもう、愛情に餓えた軍馬ではない。
それなのに、撫でられるのがこんなにも嬉しいと感じるのは、前世振りだろう。
あのときは、興奮して頭に噛みついてしまった。今も、抑えきれないくらいの感情が胸から湧いてくるのを感じる。
しかし、認めたくない。
この人は、元ご主人様をいじめた相手だ。主人とセシリアの仲を裂いて、自分の撫で撫でライフを妨害した人物でもある。
ああ、でもでもっ!
ミーディアはよくわからない葛藤に打ちのめされ、身悶えするしかなかった。
ミーディアは職務の合間を見つけて、回廊の様子をうかがう。
アンリに撫でられて、激しい葛藤を感じた。あの感情がなんなのかわからず、日々悶々としてしまうのだ。
こうして、アンリを遠くから見ることで、自分の気持ちを落ちつけようとしている。
なにか……この曖昧な気持ちに区切りをつけるものを見つけたい。
例えば、一つでも幻滅する部分を見つけるのだ。そうすれば、前世からの気持ちも薄れるはずだ。そうだ、その作戦でいこう。
「陛下、陛下! どこにいらっしゃるのですか! また抜けだして!」
遠くで、侍従長がアンリを探す声がする。それを聞きつけたのか、回廊を歩いていたアンリは飾ってあった彫刻の陰に隠れてしまった。ミーディアも、急いで隠れた。
「ああ、もう。陛下、このようなところにいらっしゃったのですね! さあ、参りますよ!」
「くッ……爺、良いではないか。少しくらい、私にも暇をくれ。あと、ここから抜けられなくなってしまった。助けてくれないか」
「今日は公務が詰まっておりますゆえ、辛抱なさいませ」
彫刻と壁の隙間に挟まったアンリの襟首を掴んで、侍従長は無理やり引き抜いた。アンリは引き摺られるように、自らの執務室へと連れ戻されるのであった。
「なんてことですか。陛下はおサボり癖があったんですね。これは由々しきことです。しかも、隙間に挟まって抜けられないとは、情けない! 幻滅ポイント追加です!」
ミーディアは嬉々としてメモ帳を開くと、物凄い勢いで文字を綴った。こうやって、幻滅ポイントを増やしていけば、いずれは落ち着くだろう。
以後、ミーディアはアンリを観察しては、事細かくメモを記した。
ここまで来ると、もはやただのメモ帳ではなく、観察日記である。そこに、ミーディアは出来るだけアンリの悪いところを記し続けることにした。
別の日。
いつものサボり癖を発症させたのか、アンリはまたフラフラと王宮内を歩いていた。
この日は、侍従長を上手く撒いたらしい。彼がいつもどこへ行こうとしているのか気になっていたので、ミーディアも後を追った。
アンリがまっすぐに向かったのは、王宮の南側の端。政務にはなんの関係もない区域だった。
回廊を進んでいくと、立派な樫材の扉が見える。記憶が正しければ、そこはアンリの息子――エミール王子の部屋だ。
引き籠り姫と呼ばれる王子。軟弱の極みで、十年以上も部屋から出たことがないという噂だ。国を継ぐ立場の王子をそんな風に育てた。その点も、ミーディアは大きな幻滅ポイントに加算することにした。
その王子に会いに来たということか。ミーディアは物陰から息を殺して、アンリを観察した。
しかし、アンリは扉の前で息をつくばかりで、一向に扉を開かない。やがて、溜息を数回ついたあとに、なにもせず、部屋を後にしてしまった。
別の日も、似たようなことが続いた。
多いときは、日に三回は訪れているのに、いずれも息子の部屋の扉を開けることすらしなかった。ただ、扉を眺めて帰るだけ。
新しい教育係が来てからも、同じことが続く。
一度は部屋の中を覗いたらしく、気持ち悪いくらい満面の笑みを浮かべていた。だが、そのあとは、王宮のエントランスまで散歩する王子と教育係を物陰から眺めたり、部屋の中の会話を聞こうと、扉に耳を当てているばかりだった。
要するに、息子の様子を観察してストーカーしているのだ。
なんて国王でしょう。自分の子に声もかけられないなんて。ストーカーしているだけで、近づきもしないなんて。
臆病で、軟弱で、情けなくて……。
「…………いい。なんか、可愛いです」
いい。いいです! すごく、いいです!
こんな可愛げがあったなんて、知りませんでした。わたしがもっともっと見守って、お守りしないと、心配です!
どういうわけか、そんな思考に至っていた。思えば、元主人のことも、なかなかセシリアに手を出さない不甲斐ない部分を猛烈に応援していた気がする。
こう……母性本能がくすぐられる。馬目線でも。
気がつくと、唇がムニャムニャとなにかを噛むように動いていた。
前世では、撫でられると相手の髪の毛をムシャムシャする癖があったのを思い出す。前世の記憶に引き摺られるのは良くないのではないかと思いつつも、辞めることなど出来なかった。
鼻息も荒くなる。なにか、髪の毛をムシャムシャする以外の対処法はないだろうか。
困ったミーディアは、ソワソワと周囲を見回して歩きまわる。気持ちを落ち着かせなければならない。
歩き回った末に目に留まったのは、アンリの執務室であった。
今、アンリはいつものように、エミール王子の部屋へ向かっている。侍従長も、それを追いかけていった。
ミーディアは唾を飲み込み、息を潜めた。周囲には、誰もいない。
忍び足で近づき、さっと扉の内側に身を滑り込ませる。
初めて入る部屋だ。
構造はカゾーランの執務室と、あまり変わらない。部屋の奥に書き物机があり、壁には書架が並んでいる。絵画や調度品は高価なものであることがうかがえるが、品があってシンプルだ。
「……はぁぁああ」
ミーディアは部屋の空気を吸って深呼吸した。
口がムニャムニャ動いてしまうのは変わらないが、心なしか落ち着く。自然に笑みまでこぼれた。
「ふふ、ふふふ」
鼻歌のような鼻息を鳴らして、ミーディアは書き物机に近づいてみた。
「ハッ……!」
ミーディアは椅子にかけてあった上着を見つけてしまう。
上品な刺繍が施された、深緑の上着が無造作に背もたれから垂れ下がっている。
きっと、アンリが着ていたものだ。そう思うと、ミーディアは無意識のうちに手を伸ばしていた。
くんくん。
スーっと息を吸い込み、上着の匂いを嗅ぐ。すると、不思議と口のムニャムニャがおさまっていった。
「いい……この、なんとも言えない加齢臭。若造りの容姿とギャップがあります!」
一頻り上着の匂いを嗅ぐと、ミーディアは満たされた気分になる。そして、観察日記に匂いについての事細かいメモを記していく。もはや、書かれていること全ては幻滅ポイントではない気がしてきた。どれを思い出しても愛おしい。
陛下は元ご主人様をいじめた悪者だと思っていましたが、とっても情けなくて憎めない人です。
むしろ、元ご主人様のわたしへの不当な扱いに腹が立ってきました! その点、陛下は撫で撫でしてくださるし、馬目線で見ても、とっても素敵!
そろそろ、誰かに見つかっては困る。ミーディアは元通りに上着をかけ直し、部屋を後にした。
◆おまけ◆
「さあ、陛下。早く書類を片付けてください」
捕獲したアンリを執務室に押し込みながら、侍従長がこめかみに血管を浮き上がらせる。
「判を押すだけなら、爺が代わりにやってくれても良いではないか。私はエミールが心配で堪らんのだ」
「どうせ、教育係の令嬢がお目当てでしょう」
「それもある! いや、そっちはついでだ」
「真にございますか?」
「……エミールが羨ましすぎて辛い」
「はあ。お若い頃はなにをしても無気力で、どうしようかと思っておりましたが……今は今で、陛下はご自分に正直すぎますぞ」
「欲望に忠実だと言ってくれたまえ」
「より悪いです。くれぐれも、余所でそのようなこと言ってはなりませぬぞ!」
「わかっておる」
アンリは疲れた息をつきながら、席に着こうとする。だが、ふと、椅子の上に上着が掛けてあるのを見つけてしまう。
深緑の上着をじっと凝視し、アンリは少々不機嫌に口を曲げた。
「爺、いつも私物を置きっぱなしにするなと言っているだろう。加齢臭が移る」
「ああ、陛下。申し訳ありません。陛下を追いかけると汗をかきますので、そこに脱いで置いていたのですよ」
「気をつけてくれ。私がこんな爺臭い趣味だと思われたら、どうするのだ。国の存亡に関わるぞ」
「関わりませぬ。真面目に仕事してください」
本当に、これが二十余年前にフランセールの危機を切り抜けた賢王なのか。
侍従長は頭を悩ませながらも、いざというときは頼りになったから、きっと今も大丈夫。と、思い出に浸ることにするのだった。
すれちがいと誤解のストーカーライフ\(^0^)/
この辺、本編に入らないので番外編で消化しました。
次の更新で番外編は最後です。
本日22時予定!




