その1 現世こそは!
改行を入れて読みやすくしたプチリメイク版をカクヨムにて連載中
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シャリエ公爵家の令嬢ルイーゼは、絵に描いたような貴婦人候補だった。
いや、貴婦人と言っても差し支えない。十五歳の結婚適齢期を迎えた令嬢を娶りたいという貴公子は後を絶たなかった。
陶器のように白く、丸みを帯びた顔は少女の域を出ない。
だが、気丈に引き結ばれた唇は薔薇の花弁のように可憐。蜂蜜色の髪は結わずとも豪奢な輝きを湛え、蒼い海の瞳は聡明で思慮深さがうかがえる。
ルイーゼは十五にして社交界を彩る華であり、紛うことなき貴婦人と言えた。
「お嬢さま、こちらへどうぞ」
「ありがとうございます、ジャン」
執事のジャンに導かれて、ルイーゼは馬車をゆっくりと降りる。そして、立派な白亜を湛える建造物を見上げた。太陽の光が眩しくて、思わず蒼い瞳を細めてしまう。
ここは王宮。
今日は国王からの召喚によって、馳せ参じるに至った。
「しかし……まさか、お嬢さまが殿下の教育係とは」
馬車から降りていると言うのに、ジャンがポツリとこぼした。周りに聞いている者はいないようなので、ルイーゼは執事の発言を寛容に聞き流す。
ルイーゼは羽根つきの扇子を広げて口元を隠した。
「わたくしなどに務まるでしょうか」
不安を溜息で表現しながら、ルイーゼは静かに目を伏せた。
王宮の入り口を潜ると、そこは広いエントランスになっている。ここで、来訪者は案内の者が来るまで待つことになっていた。
エントランスには、既に何人かの貴婦人が集まっているようだ。そして、いつものように噂話に興じている。
「来ましたわよ、あれが殿下の新しい教育係ですって」
「……シャリエ家のご令嬢は立派だけど、まだお歳が若くていらっしゃるじゃない」
「もう人員がいなかったのでしょうよ」
「お可哀そうに。引き籠り姫にも困ったものですわよね。もう十人もお辞めになったんですって?」
煌びやかなドレスに身を包んだ貴婦人たちが口元を扇子で隠しながら、ひそひそと笑っていた。
彼女たちにとって、社交と世間話は何よりも楽しい娯楽なのだ。とりわけ、王族の話題については少しも飽きないらしい。
「ラメール夫人なんて、一週間で根を上げて、今でも鬱病で寝込んでいらっしゃるそうですよ」
「アランブル公爵夫人も、殿下の教育係をお辞めになってから、すっかり抜け殻のようで……数ヶ月で十年はお歳を召されたようでしたわ」
「アントワープ伯爵夫人も張り切っていらしたのに……」
貴婦人たちは口では「不憫ですわね」と言いながらも、嬉々として噂話を弾ませる。そして、エントランスの隅に立つルイーゼに視線を向けていた。
王侯貴族のマナー教育は熟練した貴婦人によって施される。優秀な貴婦人を雇い、自分の子供に最高の教育を施すことが、フランセール王国の慣例だ。
王族の教育係とは、名誉ある大役である。
だが、この場合は違っていた。
教育係に抜擢された王国中の優秀な貴婦人たちの心を折った「引き籠り姫」の犠牲者に、皆興味を示しているのだ。そして、次は何ヶ月で辞めるのか、手持ちの金品を賭ける。
「お嬢さま、大丈夫ですか?」
ジャンが気を遣ってルイーゼに声をかける。
だが、ルイーゼは涼しい表情で凛とした視線を持ち上げた。その様は孤高の薔薇を思わせるが、花の儚さの代わりに高潔の意志をも汲み取ることも出来る。
十五の令嬢とは思えない空気が漂っていた。
蒼い海の瞳は明らかな冷気を帯び、鋭利な刃物のように対象たちに突き刺さる。口元はわずかに微笑していたが、まるで、屍を踏みつける悪鬼の如く不気味な弧が描かれていた。擬音にすると、背後からゴゴゴゴゴゴと地鳴りのような音が聞こえてきそうだ。
只ならぬ気配を感じ取り、貴婦人たちが徐々に口数を減らしていく。
「お嬢さま……殺気が出ておりますよ」
「な、なんのことでしょうか。ジャンったら、もうっ」
ジャンに指摘されて、ルイーゼは軽く咳払いをして笑う。
花のように、可憐に。キャピッという効果音をつけるのが相応しいだろうと、ルイーゼは自分で思った。
「わたくしに殿下の教育係が務まるか、不安で不安で……つい怖い表情をしてしまっただけですわ。いやですわ~、ジャン。殺気だなんて、こわ~い。身に覚えがございませんわ」
「……左様でございますか、それなら、よろしゅうございます。無駄に猫を被っているようにも聞こえますが」
「気のせいですわ」
ルイーゼはニッコリと笑い、ジャンの言葉を全否定してみせる。
勿論、有無を言わさぬ視線を向けることは忘れない。ルイーゼに睨まれて、ジャンが「ひっ」と声を裏返らせた気がするが、スルーである。
ルイーゼには、隠し通す必要のある過去がある。
いや、過去と言うには語弊がある。いわゆる、前世の話だ。
ルイーゼは七回分の前世の記憶を持っている。それは、たぶん特殊な記憶なのだろうと、自分でもわかっていた。
そして、その記憶たちが教える自分の結末を全力で回避しなくてはならないとも感じている。
一番目の人生は「日本」という国に住む、ごく普通の女子高校生だった。剣道の全国大会に出場したこともあるスポーツ少女だったが、いわゆる、いじめっ子でもある。特定のクラスメイトに目をつけては、見るも無残な蛮行を繰り返していた。
そして、自分がいじめた少女に恨まれ、ナイフで刺されて死んだ。
二番目の人生も日本で生まれた。キャバクラという場所で働いており、数々の男を手玉に取る小悪魔。美貌一つで男を従わせ、金品を撒きあげた。
そして、勘違いしたストーカー男に刺されて死んだ。
三番目の人生は詐欺師。詳しいことは省くが、騙した相手から恨まれ、刺されて死んだ。四番目は極道の女となり、ヤクザの抗争の最中に刺されて死んだ。
五番目は日本とは別の世界。今いるフランセール王国がある次元の異世界に転生した。しかも、今度は初の男転生。テンションが大いに上がって、詐欺師&極道時代に培った高利貸しのノウハウを使ってのし上がってみせた。いわゆる、知識チートでTUEEEE状態である。まあ、金を貸した相手に恨まれ、刺されて死んだのだが。
六番目の人生は海賊として育てられた。
略奪の限りを尽くして金銀財宝をほしいまま手に入れ、「伝説の大海賊」と言われるまでになった。しかし、信じていた仲間に裏切られて刺されて死んでしまった。
七番目の人生は騎士階級に生まれたので、今度こそは真面目に生きようと決意した。流石に、刺されて死ぬエンドで六連続幕切れしたとあっては、自分の生き方に問題があると気がついたのだ。物凄く遅い気はするが、とにかく、改心した。
とりあえず、騎士として勇猛果敢に戦場を駆け巡った。必死で武勲を上げ、「王国最強の騎士」として名を馳せた。だが、いろいろ選択ミスを犯してしまい、闇落ち。王族を裏切った逆賊として殺された。
変化したのは、刺されて死んだのではなく、槍で串刺しにされて死んだということだろうか。全く嬉しくない。むしろ、悪化している。
ということで、ルイーゼは七回分の前世の記憶を持っている。それも、悲惨な死を遂げた悪党の記憶ばかりだ。
現世こそは……この人生こそは、無難に全うしてみせる。
刺されて死ぬ以外のハッピーエンドを迎えたかった。勿論、串刺しも御免である。
その未来を勝ち取るために、ルイーゼは前世から受け継いできた悪党の本性も、能力も見せてはいけないのだ。
品行方正、聡明で美しい深窓の令嬢。
それが、現世ルイーゼ・ジャンヌ・ド・シャリエ公爵令嬢のあるべき姿だ。そうなるように、この十五年間、自分を磨いてきた。
「お嬢さま、目が据わっておりますよ」
「あら、やだぁ。ジャンったら、少し考えごとをしていただけですわ。それなのに、まるでわたくしが怖いみたいな言い方……ひどいですぅ」
そっと耳打ちしたジャンの背中を力いっぱい叩きながら、ルイーゼは満面の照れ笑いで誤魔化した。
ジャンが「ごぉぅふっ」と、苦しそうな声を上げて白目を剥き、「よろしゅうございます、お嬢さま!」とか言っているが、スルーだ。
現世こそは、平凡で穏便な普通のハッピーエンドを迎えたいと言うのに。
どうして、こんな面倒な役回りを任されたのだろう。
ルイーゼは憂鬱な溜息を吐いた。