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死者の沼地―2

 すぐ傍に雷が落ちたかのような轟音。腐竜の咆哮によって4人の体は硬直していた。ぬかるむ地面を踏み慣らし、爛れた肉を腐り落としながら濁った瞳で睨みつけられて、自分ともほかの誰ともわからぬ口から悲鳴にもならない音が漏れ出た。

 恐怖だ。

 自分たちがやっているのはただのゲームで、もちろん死ぬことなどない。しかしそれすら忘れてしまうほどの圧倒的な存在感。威圧感とも呼べるそれが4人の動きを縛っていた。

 ズシリ、とゆっくりと1歩近寄る腐竜に対してシロウが我に返った。横目で3人の様子を伺って誰も動けていないのを見てその場で対処することを選んだ。

「ぶっ放すぞ!」

 いち早く体勢を立て直したシロウが、普段ならばシステムによって補助される呪文の詠唱をひとりで行う。カンペも持ってはいないが精霊術のヒントを得るためにひたすら呪文を読み返したこともあるのだ。それぐらいなくたってそらんじることはできる。

 ――『【旋嵐】』

 風が吹き荒れる。風の刃が腐敗した竜の肉体を切り刻み巻き上げる、その前に。

「ゴ、オオオオォォォアァアアァアァァァア!」

「ん、なぁ!?」

 雷を思わせる咆哮が暴風を掻き消した。

「まあ【精霊喰い】なんて固有名称ユニークネームがついてるからそんなことだろうとは思ってたが。ほれリリィ。これ武器に振りかけておけ」

 MPが回復しきっていないからとペナルティでHPを削ってまで唱えた術が無駄になってしまったシロウの悲鳴が上がる。無残にかき消された旋嵐を見て動き出したトールは透明な液体の入った小さな小瓶をリリィに投げ渡して自分の武器にもその中身をぶちまけた。

「ああ、聖水が貰えるって話は実体験だったんだ。アーちゃん氷お願い。【充填・氷チャージ・アイシクル】」

「うん! 【氷練陣】」

 双剣に光をほとばしらせながらリリィが側面へと走りこむ。光はわずかではあるが冷気を放っており揺らめいて見える。

 アザレアが詠唱とともに杖の柄尻で地面を叩くと腐竜ドラゴンゾンビの足元にその巨体を収めるほどの大きな魔法陣が地面に描かれた。魔法陣は白く輝き円の内部に冷気で満たし、腐竜の巨体の表面をゆっくりと凍らせてゆく。

 この陣術の持続時間は30秒。その間、陣内にいる敵に冷気でダメージを与え、陣内にいる敵へ対する味方の氷属性の攻撃にダメージボーナスを付与する。そしてもうひとつ――。

「おおおおおらぁっ!」

 トールが腐竜の前足を狙いハンマーを横から打ち付ける。トールを敵と認識した腐竜が体を動かし薄く張った氷と一緒にただれた肉を落としながら向き直る。

 腐竜の真正面に立たないのは呼吸(ゾンビが呼吸をするのかはわからないが)の度に見るからに毒々しい紫色の煙のようなものが口から吐き出されているからである。

 そんなものを食らってたまるかと細かく移動をしてひたすらに足を狙ってハンマーを振り下ろす。完全に側面や後ろに回ってしまっては防御の低い後衛やリリィにターゲットが向くのでそれはできない。防御寄りのジョブではないがそれでも他よりましな自分が壁役をやることが正しいとトールは理解している。

 チマチマと叩かれて頭に来たのか、腐竜は大きく前足を振り下ろす。トールは避けようとするが泥に足を取られ、咄嗟にハンマーをかかげて受け止める。しかし巨体を支える足による一撃はトールの予想を超え、膝を着いて支えなければならなくなった。

 腐竜の体から融け落ちた肉がトールの皮鎧に滴り落ちてグズグズと不快な音を立てながら融解されていく。

「んのっ、クソが! 新調したばっかの鎧だってのに!」

 悪態を吐きながらどうにか逃げようとするが押さえ込まれる力が強く、振り払うためにハンマーを支える力を弱めようとしたのであればそのまま潰されかねない状態であった。

「トール!」

「私が行く!」

 リリィが一直線にトールに向かって走り出す。無論、腐竜もただそれを待ってくれるわけもなく、息を吸い込みリリィに向けて口を大きく開け――

「させるかよドアホ」

 ――【インパクト

 シロウは杖術のスキルで自分の拳よりも2回りほど大きな石を弾き飛ばした。杖術のスキル【衝】は杖の先から衝撃波を放ち対象を吹き飛ばす。最初は軽いものくらいしか弾き飛ばすことができないが、使用回数を重ねスキルレベルを上げることで巨大な金属製のゴーレムだろうが問答無用で吹き飛ばすことができるようになる。

 もちろんシロウではまだそこまでできる程ではないが、それでも精霊術の代わりに杖で戦ってきた経験値はただの石を弾丸のように撃ちだし、腐竜の顔を逸らすほどの威力があった。紫色の炎があらぬ方向に吐き出されて朽ち果てた建物を崩し、シロウが打ち出した石は表皮の毒によってぐずぐずと溶けていった。

「せぇ、っの!」

 その隙をつき、リリィが独楽コマのように回転し、トールを押さえつけている腕の関節を半ばまで斬り裂く。断ち切るつもりで行った行動の結果に歯噛みしつつ、大きく距離をとる。

「ごめん! これが限界!」

「充分だ!」

 トールが掲げたハンマーをずらして腐竜の腕から抜け出す。トールの新品だったはずの鎧は肩から胸の部分にかけてまるで燃え上ったかのように真っ黒に変色し腐敗していた。

「いったん下がるぞ!」

「了解! 私が引き付け役!」

 トールが腐竜に背を向けて走り出し、それを追おうとする腐竜の胴体をリリィが横から斬りつける。聖水を振りかけた双剣は肉体の毒をものともせずにその身を斬り裂き、凍気を体の中に送り込む。

「よし、通る!」

 くるりと右手の剣を一回転。右足で踏み込んで急加速。一息で腐竜の正面を通り過ぎ側面へと回り込み、そこから直角に腐竜の脇へと向かう。

 それを、わずらわしいとまるで人が虫を払うように、腐竜はその巨体を回転させて尻尾を振るった。

 リリィは自身の右から迫る尾撃を視界の端で捕らえ、瞬間、引き伸ばされた世界じかんの中へ入った。AGI型なら誰でも使える共通スキル、思考加速の効果だ。完全に止まったわけではないが限りなく遅く進む灰色の世界。

 さて、どうしたものかとリリィは頭をひねる。避けようにも体は前に体重をかけて進んでしまっている。尾をくぐり抜けるように地面へ飛び込めばもしかしたら自身の細身(チンチクリンではない。細身、スレンダーである)な体ならば避けられるかもしれないが、なんだか負けた気がするし、なにより泥にわざわざダイブしたくもない。

 思考加速によってガリガリとMPが削られていくのを確認して決断。1秒弱の効果時間が切れて世界に色が戻る。

 勢いを殺さず前方上方へと体を躍らせる。体を真っ直ぐ地面と平行に、2本の剣を盾にするように体に引き寄せる。

 衝撃。腕が抜けるような痛みが襲ってくる。ただひたすらに痛い。でも――。

「やあぁぁああぁっ!」

 回転しているであろう体を更に加速させてしっかりと握っていた剣の刃を滑らせる。

 1回、2回、3、4、5、6、7、とそこまで腐竜の背を斬りつけてリリィの持っている剣の1本に限界が来た。腐竜の毒の体液が刃の根元が腐食して、そこからぽっきりと折れてしまった。どうやら聖水も万能というわけではないらしい。

 まあ、そんなことは、どうでもいいのだ。

 泥の上を滑るように減速し、着地。少し、いやだいぶ全身が痛いが涙を流しても何もかわらないので後回し。そんなことよりもアザレアの陣術が完成を迎える。腐竜の足元で白く輝く魔法陣が3つ目の効果を発揮した。

 ――【氷陣・白棺】

「ギィ、ガァァアアァァアァアアアァ!」

 眩いほどの光を放つ魔法陣の内部で腐竜は初めて苦悶の声を上げた。今まで泥のようになっている皮膚の表面が薄っすらと凍る程度だったものが内部まで浸透し、その体をひとつのオブジェとして作り変えた。

 氷練陣の3つ目の効果は効果時間の終了時に陣内部にいる敵に大きなダメージを与えて凍結させること。そのダメージは陣術発動から終了までに与えた氷属性のダメージに比例して跳ね上がる。

「おおおおおおおおらあぁっ!」

 ――【剛烈打】

 トールのハンマーが腐竜の顔に突き刺さり、内側まで凍っていた肉体はグシャリと破砕する。

 トールは横目でそれまでほとんど変化のなかった腐竜のHPゲージが3割ほど削られているのを確認した。それと同時にそのゲージがゆっくりと、しかし確実に元に戻っていくことも含めて。

「うげぇ、自動再生リジェネレーション……」

「さてさてどうすっかね」

 リリィもトールと同じように腐竜のHPゲージを確認して、唸り声を上げた。

 腐竜の再生能力はそれほど強い物ではない。しかしそれでも面倒なことには変わりないし、今の4人の持ち物やステータス的に考えて倒すことができなくなる可能性のほうが高いとトールは考る。

 なにかあるとすれば自分の友人が鍵だろうが、これだけ待って何もなしなら撤退も視野に入れたほうがいいだろうと考え――。

「よし、トール、リリィ。3分でいい。時間をくれ」

 後ろから聞こえる自信に満ちた声でぐっと武器を握りなおした。

「っしゃあ! 任せておけ!」

「あとで奢ってよね!」

 今まで攻められていた鬱憤を晴らすかのようにトールが吼える。とはいえ3分。それだけ時間を稼げばいいだけだ。無理には攻め込まず腐竜の正面に立ち、目立つように大きくハンマーを振って囮になる。リリィの役目はトールが避けきれない、受け切れない攻撃をされたときに腕や体を斬りつけて動きを阻害する。腐竜がリリィへと顔を向けようものならその横っ面をトールのハンマーが強打する。

 時折、思い出したかのように繰り出される尻尾による攻撃も来るとわかっていれば回避するのはそれほど難しくもなかった。

 ふと、腐竜の攻撃が止まる。何かを探すように首を伸ばし、そして濁った瞳で一点を見つめる。視線の先には風を纏ったシロウがいる。

「余所見は厳禁! 【開放・氷リリース・アイシクル】って、にゃあああ!?」

 腐竜が伸ばした首をリリィは腐竜の体を駆け上がって斬りつける。だが聖水の効果が切れていたのか、斬りつけた剣がグズリと腐食して半ばから折れてしまった。

「馬鹿! 呆けてるんじゃねえ!」

 トールが宙に浮いたリリィの首根っこを掴み放り投げる。ガチリ、と腐竜の牙が一瞬前までリリィがいた場所を噛み砕いた。

「ヒエッ」

 転がるように腐竜の脇へと逃げる。――そうして、腐竜とシロウたちを遮るものがなくなった。

 周囲の魔力を吸い込み腐竜の体は大きく膨らみ、蓄えた魔力を可燃性のガスへと変換し、内臓の一部で生成される火と毒を伴って吐き出す。成人男性の飲み込むほどの大きさの毒々しい火の玉が一直線にシロウとアザレアに向かい、大きな火柱を上げた。

「しまっ……!?」

「アーちゃん! シロウ!」

 リリィの悲鳴が戦場に木霊こだまする。しかし火柱の勢いは衰えず、それどころか更に高く、大きく燃え上がってゆく。

 トールとリリィは熱と毒を撒き散らしているそれに近づくこともできず、動くことができなかった。

 ――逃げるか?

 自分トールとリリィだけではまず勝てない。であるならば逃げることが最善手である。あるのだが。

「……1発ぶん殴ってからじゃないと気が済まねえよなあ」

「うん。ここはゲームで、実際に死んだわけではないけれどやっぱり仇はうたないとね。ただそれは任せた!」

 無手のリリィはトールの背を叩き、トールはそれを受けてしっかりとハンマーを握り締める。

タマ取ったらああぁあぁ!」

「なんでいきなり極道みたくなってんの!?」

 トールが策も小細工もなく、一直線に愚直に腐竜へと走り出したその瞬間にその横を大質量の何かが掠め、地面を抉りながら腐竜の横を通り過ぎた。 

「いやー、失敗失敗。当てるつもりだったんだがなあ」

 炎の柱がカーテンのように2つに開かれ、無傷のシロウが歩いてくる。傍らには男にも女にも見える中性的な顔立ちをしている見慣れぬ少年が宙に浮いている。

「さて、反撃だ」


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