死者の沼地
「はっ、はっ、はっ……!」
――走る。息も絶え絶えになりながらそれでも脚を止めるわけにはいかなかった。
――走る。一歩踏みしめる度に水分を多量に含んだ泥が脚を絡めとり大鎚を背負った体を容赦なく責め立てる。
――走る。背後から生者のものとは思えぬ唸り声と狂気の音がゆっくりと近づいてくる。
――走る。それは死の足音。地響きと共に現れるのは災厄の巨躯。その名は――
晴れの昼下がり。陽気な日差しで時間がゆっくりと流れるような感覚に包まれた街の中心で今日もまた1人、2人と冒険者が現れ街の外へと駆け出していく。現実の時間は21時を過ぎたあたりでゲームにログインするプレイヤーが一番多くなる時間帯である。
「やっべえ、精霊術師つらい」
デートスポットにもなっている噴水の縁に座り、屋台で売っていたホットドッグを食べながらステータスを確認しているシロウがぼそりと言った。
「いや、つらいじゃないな。過剰火力だわコスパ悪いわで使わなさ過ぎてスキルのレベルが上がらないから面白くねえ」
伸び悩む、というよりも使う機会が無く育たない。もちろん使えば使った分だけ育つ。しかしあまりにも効率が悪い。少しづつシロウ自身のレベルが上がった現在のステータスでも1回使えばMPが枯渇するような有様なのでどうしても使うのをためらう。
「自分で知ってて選んだんだからもうちょい頑張ろうよ」
リリィがフルーツと生クリームを挟んだサンドイッチを頬張りながら言う。指についた生クリームを舐め取る仕草のなんと扇情的なことか。シロウは頭に浮かびそうになった妄想を慌てて振り払い調べたことを話す。
「もちろんやめるつもりは無い。ないんだが、精霊信仰のスキルを上げるときに祭壇にいる司祭みたいな人に話を聞いてみたんだけどどうにもなあ。『精霊とは奇妙な隣人です。友の様に力を貸してくれることもあれば、親の仇のようにその力をこちらに向けたりもする。そんな彼らを味方にするというのであればより深く、彼らのことを知りなさい』とかなんとか。だからまあとりあえずスキルレベルを上げようかと思ったんだが、さて、どうやってとなってな」
「んー……。よし、トレインするか!」
「トレイン?」
トールの提案にアザレアが首をかしげる。シロウもゲーム内では聞いたことの無い単語だった。
「モンスタートレインのことね。モンスターからターゲットを貰うだけ貰って走り回るのよ。後ろに大量のモンスターを引き連れて走るから電車ってこと」
「ちなみにそのターゲットを他のプレイヤーに押し付けてモンスターにキルさせるMPK、モンスタープレイヤーキルなんてのもある」
「で、トレインしてきたのを俺が精霊術でまとめてなぎ払えばいいのか。だいたいわかったが、そんなことできるフィールドはあるのか? 少なくとも他にプレイヤーがいないことが条件になるだろ?」
「適正レベルが俺らのレベルよりちょい高いが、いいところがある」
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街では晴れ渡っていた青空が分厚い雲に遮られ陰鬱として、枯れ木の枝にとまった真っ黒な烏が鳴いている。足元はべしゃりとぬかるんだ泥地が多くを占め、石畳の道や倒れた石柱などがたまに見える。
「死者の沼地。フィールド全体はぬかるんでいて動きが阻害されるようになっている。出てくるモンスターは主に屍人や動く骨、奥の方に行くと物理無効の霊体も出てくるから視覚的にも厄介度的にも人気のない場所らしい。まあ物理無効って言っても街の教会でここに関するクエスト受けると物理無効を無視できるようになる聖水をパーティ人数分だけくれるんだが」
「ああ、うん。これはちょっと遠慮したいわ……」
リリィがうんざりとした様子で靴の泥を落としながら言った。アザレアはローブの裾に泥が跳ねたことが気になるようであまり良い顔をしていない。
「人気がないのはわかったけど、他のプレイヤーがいるとかはどうやって判別するんだ?」
「まあ見てろ。【拡声】。『えー、申し訳ありません! シャウトさせていただきます! これから死者の沼地1のフィールドでトレインをしたいのですがここを今狩場にしているプレイヤーはいますか!? もしもいるようでしたら沼地フィールド1にいるトールに10分以内に【通話】をお願いします! 10分経ったらトレインを開始します!』」
トールの口元に円形の中に拡声と書かれた図が表示され、それを通して声が大きく響き渡る。
「なにそれすげえ」
「共通システム魔法の【拡声】だよ。同じエリア内にいる全プレイヤーに呼びかけることができる。これで誰からも【通話】が来なけれりゃトレインしてもいいはずだ。ちなみにこれは安全地帯じゃなけりゃ効果の弱いタゲ取りになるから使うときは気をつけるようにな」
「で、トレイン引っ張る役はもちろんアンタよね?」
「まあ1回目は言いだしっぺだし俺がやるさ……。だが2回目はリリィにやってもらうからなぁいででででで!」
トールがビシィと効果音が聞こえそうな勢いと大げさな身振りでリリィを指差した。すぐさまその指をリリィに掴まれて折られそうになっているが、いつものじゃれあいなのでシロウは無視することにした。
「私は~?」
「アザレアはシロウと一緒にいてくれ。MP回復とか頼むだろうし、待ってる間にシロウを使ってスキル上げしてくれればいいから」
「俺たちはどこで待ってればいいんだ?」
「このフィールドは沼地なんて名前がついているが元々は奥のエリアにある神殿へ続く舗装された道だったという設定らしい。だから今俺たちがいる安全地帯のような石畳の場所が所々に残っている。ここから見えるあの建物は3方を囲われてるみたいだからまずはそこを掃除。そんでもってそこをトレインの終点とする。それでは行動開始!」
トールが指差した50メートル程先にポツンと背の低い壁が見えた。シロウたちは知る由も無いが元は簡単な祭事を行う小神殿であったが、朽ち果て崩れ、その姿は見る影も無い無残な物となっていた。
道中はリリィが先頭で警戒しながら先導し、戦闘を起こさず建物に着くことができた。崩れた壁の影から中を覗くと2体のゾンビがふらふらと何をするでもなくうろついていた。ゾンビの動きはゆっくりとしたものでどこを見ているのかもわからない。
リリィは3人に目配せをし、草原で拾って荷物に死蔵されていた小石を自分たちとは反対にある壁へと投げつけて音を立たせた。
ギョロリと2体のゾンビは音の発生源へと体ごと視線を合わせゆっくりと歩いていく。その様子を見てリリィとトールが影から飛び出し背後から襲い掛かる。
「【強 打】」
斜めに振り下ろされたトールの槌がゾンビの上半身にめり込み、ゴキリと不快な音を立てながら潰されて光の粒子へと変わっていった。感触は木材よりも硬く、岩よりは脆い様なものだった。とはいえトールは木材や岩をハンマーで殴ったことなどないのでただの想像でしかないが、まあ大体はこんなものだろうという感じである。
「【双月・乱】」
双剣スキルの多くは絶え間ない連続攻撃を基本とする。リリィが今使用したスキルもそうだ。
2振りの剣が弧を描き四肢を斬り離し胴を3分割にし最後には首を刎ねた。崩れ落ちた体と頭部が光へと変わっていく様子を見てシロウとアザレアは周囲への警戒をしながら建物へと入っていった。
ぐるっと見回りをして襲ってきそうなモンスターがいないのを確認し、4人は一時の休憩をする。
「よし、クリア。奇襲でダメ上がってるとはいえそんなに強い感じはしなかったね」
「だけど腐っても俺らの適正レベルよりかは上だからな。気をつけるに越したことは無い。それじゃあ行ってくるさ」
「お父さん、お土産は何かな?」
「……骨付き肉かな」
その肉はおそらく腐っているだろうな、とシロウはひとり呟いた。
「ところでゾンビに噛まれてたら焼いてもいいわよね?」
「許可しよう」
「感染とかねえから! やめろよ!? フリじゃないからな!?」
「あの、先程の腐っても、というのはやはりゾンビに掛けた小粋なジョークというものなのでしょうか」
「やめろ! 過ぎた物を解説するんじゃない!」
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「よし、【戦吼】」
ゴールとなる建物から十分離れたところで辺りを見回し、崩れかけた柱の上にリリィが暇そうに立っているのを確認して、トールはターゲット引き寄せスキルを使用する。効果範囲内に入っていたゾンビとスケルトンが一斉にトールに首を向け、次の瞬間には泥を跳ねさせながら走り出した。
そうして走り回りながら3回ほど戦吼を使い、フィールドに存在する全てのモンスターたちを引き連れたかのようになってようやく満足したかのようにゴールへ向かって走り出す。
「これだけ集めればいいだろ。後は逃げ切れるかってところだなっ! それじゃあ追ってこいよ! このウスノロどもめ!」
ガシャリ、バチャリと不快な音を立てながら追ってくる存在を振り返りつつ、時々立ち止まって戦吼を使い自分へのターゲットを外れないようにする。そして移動速度がまちまちのモンスターの足並みを揃えるために先頭集団に攻撃を行って後方の、移動速度が遅い連中が追いつくまでの時間を稼ぐ。
ぬかるむ泥の足場はトールの体力を容赦なく削り取り、ともすれば何度かゾンビたちに追いつかれそうになる。その度にリリィが遠距離攻撃をしてモンスターの行動を阻害する。
「はい、走って走って!」
リリィの激励を横から受けながらそれらを振り切りシロウたちが待つ建物へと飛び込む。
「シロウ!」
「アザレアさん、足止め頼む!」
「はい! 【泥土陣】」
陣術師は陣を描いてその内部に影響をもたらす術を行使することができる。その効果は多岐にわたり、相手の移動阻害や味方の攻撃力の上昇などの支援から、直接的、間接的な敵への攻撃など様々である。
モンスターの群れの足元に突如泥の沼が現れ、範囲内にいたゾンビやスケルトンたちが膝まで沈んでゆく。先頭集団が動けなくなったことで壁となりその後ろのモンスターたちは乗り越えるようにもがき進んでくる。
「【旋嵐】」
「たーまやー」
「かーぎやー」
竜巻によって泥沼でもがいていたモンスターたちは巻き上げられ、空中で光の粒子へと変わっていく。それを見たアザレアとリリィののんきな声が響き、モンスターたちの影は残らず綺麗さっぱりと消えていった。
「おお……。精霊術のスキルレベルが上がった……」
ステータスを開いたシロウが驚いている。スキルレベルがプレイヤーレベルよりも低く、大きく離れている場合ボーナス経験値が入るようになっているのでその分もあるのだろうが、今回は1回術を使用しただけでもスキルレベルが上がったというわけである。
「スキルレベルが5になるまではやろうか。あと1、2回でしょ?」
「ああ、悪いけど頼むよ。たぶん1回で済むから」
「よし、じゃあ行ってくるね」
「今度は俺が阻害役だな」
言うが早いか、リリィとトールは軽やかな足取りで駆け出していった。
「シロウ君はこっちでMP回復ね。清らかなる風よ、皆の心を癒したまえ【清風陣】」
柔らかな青い光がシロウを包む。清風陣はMPの自然回復量と速度を高める効果があるスキルだ。リリィは魔法剣士の弱点であるMPの燃費の悪さをこのスキルを使ってもらうことによって補っている。
目を瞑ってMPが回復するのを待っていると背後から何かが落ちたような硬い音がした。バッとシロウが後ろを振り向くがボロボロになった壁があるだけだ。小石が転がっているからもしかしたらひとりでに崩れたのかもしれない。
「どうかした?」
「……いや、なんでもない」
「はい、お待ち!」
意識を戻すともうリリィたちが戻ってきていた。先程と同じようにアザレアの術でモンスターたちは泥の中である。慌てて詠唱を始めてなんとか先頭が泥から抜け出す前に術を放つ。
「どう?」
「ああ、スキルレベル5になったわ。……なんだこりゃ? 旋嵐無くなったぞ。なんかよくわからんこと書いてあるし」
スキルの確認をすると確かに旋嵐が無くなっている。その代わりに書いてあるのは1文だけ。
『――精霊術は本来、人が扱うものではない』
「いやそんなもん使わせんなよ」
もっともである。シロウはぼやきながら開発の意図を考えてみるが特に思いつくこともなかったので諦めることにした。
「待った、なんか揺れてないか?」
「地震……? 雨が降ったり霧が出たりするのは知ってるけど地震なんて実装されてたっけ?」
気付いたのはハンマーを地面に下ろし、その柄に体を預けて休憩していたトールだった。唐突な地響き。徐々に大きく強くなっていくそれに紛れるように、いや、違う――。
「全員、武器を構えろ! 来るぞぉ!」
「へ?」
いち早く気付いたのはシロウとトール。突然の地震に呆然としているリリィの腕をトールが引っ張り、シロウとアザレアの後を追って建物から外へ出る。
多くの土砂を巻き上げながら地中から現れる巨体。翼を広げ、四足を踏み鳴らし、遠雷の如き咆哮が大地を震わす。それの肉体は腐り落ちながら再生し、また腐り落ちる。落ちた肉体は毒の沼を作り出し、地面を腐食させていく。
――巨躯の持ち主の名は、ドラゴンゾンビ。幻想の、そして災厄の象徴の、その成れの果てであった。
――『クエストが開始されました:【精霊喰い】を打倒せよ』