31、 花火 -2-
花火大会は、夏の終わりにある。
「一緒に行こうよ」
週末にひとしきり弓を打った時、メグさんに誘われた。
「誰かと行く?」
先約、あるの? メグさんは探るように俺の目を見つめる。
「ないない」
俺はそれに、ブンブンと頭を振り倒す。
「じゃ、行こ」
電車1本乗り換えて、県境方面へ向けて15分ほど行った所。
この辺りで一番の花火大会へ。
「うん」
俺はもう、素直にただただ頷くしかできない。
顔は……どんな顔してたか、まったくわからない。
花火大会。
社会人1年目。
入社から半年足らず。
……花火大会。
「ボンヤリすんな」
来る花火大会に思いをはせていると、先輩に叩かれる。二階堂さんだ。
入社からずっと俺はこの人の指導の下で働いている。取引先に行くのも何をするのもいつも一緒。
正直、最初は無理だと思った。きっと仕事続かないと思った。二階堂さんって人はそれはそれはもう……豪快な人で。
「バッカ野郎ッ!! 何やってんだ、タコ!!」
同僚が怒鳴られているのを何度も見た。そんな光景を目の当たりにした直後に、
「喜多川ァ!! タバコ買ってこい!!」
なんて叫ばれたら、もう、ダッシュするしか他にない。
俺の置かれた状況は、完全に体育会系だった。
だけどこの二階堂さんって人は、怖いだけの人じゃなかった。
入社して間もなかった頃、取引先周りの途中で「ちょっと待ってろ」と言われた事があった。
何だろう? と思ってたら、二階堂さんは傍にあった花屋に飛び込んで行った。
興味本位で覗きこんでいるうちに、二階堂さんは戻ってきて。バッチリ目が合った俺に、バツ悪そうに頬を描いた。
「結婚記念日だから」
「え?」
「花だよ。悪いか。毎年やってんだよ」
「……」
「いいか喜多川。あと3件だ。今日は定時で帰らなきゃならない。しっかりついて来い」
「――はい」
怒ると怖いけれども、それだけじゃない大先輩。
「俺も、奥さんできたらマネします」
その時目の前に浮かんだ人は、たった1人だった。
◇
花火大会の日。
俺は朝からソワソワした。
待ち合わせは夕方だ。でも、前日から落ち着かなかった。
「あんた、今日は早いわね。会社は休みよね?」
「あー……ちょっと、ジョギング行ってこようかなって」
兄貴はその日、仕事でいなかった。
メグさんは、兄貴に俺の事聞いてもはっきりしない・わからないって言ってたけれども。俺だって兄貴の事聞かれても何とも答えられない。
ゲーム系の会社に入ったらしい……って事だけ。
実際に何かに携わったのか、部署だとか言われても困る。
男兄弟はそんなもんかもしれない。そして最近は特に、兄貴とは滅多に口を利かなかった。
会話が減ったのは……大学に入った頃からだ。兄貴が社会人になった頃から。
兄貴の事は嫌いじゃなかった。
でも。
……少し、トゲになってた。
引っかかる人。
いや、そんな風に思う必要はないんだ。だってメグさんとは何ともないんだから。何もなかったんだから。
兄と妹みたいだってメグさんも言ってたし。
――楽観的にそう結論付けて。
今日の花火大会に誘ってもらったのは自分だしと。
……今日こそは、言おうと思った。
今日の花火大会、今度こそ。ずっとずっと言えなかった思いを言葉にしようって。
好きですって。
ずっとずっと、好きだったって。
……言おうって。
そう思った。
――待ち合わせの駅。待ち合わせより時間より随分早めに家を出た。
1分1秒も待たせたくなかった。
メグさんも、時間より早く来て。
その姿を見て……俺は、そのまま固まってしまった。
「何よ」
「あ……え」
「変?」
浴衣だった。
まさか、浴衣だなんて。そりゃ、駅に向かう女子のほとんどが浴衣姿だったけど。
まさか……メグさんの浴衣が見えるなんて。
俺は、死ぬかもしれないと思った。
「おかしい?」
「いやっ、全然っ」
髪、結い上げてて。紺の生地に蝶が踊ってる。とにかくよく似合ってて。
色っぽい。
「……」
見とれちまう。
やべ、釣り合わないかもしんない。そう思った。
とりあえず俺は照れ隠しに頬を掻いてみた。メグさんが頬を膨らませて俺を睨んでいるのに気付いて、改めてこう答えた。
「きれい」
「……え?」
「メグさん、今日……すげ、きれいだなって」
「……」
メグさんは驚いた顔した。そんで、目をそらす。
「今日は、って、いつもはブスで悪ぅございました」
「いつも、だけど」
今日は特別。
花火見る前から、もう決定的に。
花火も敵わない。この人の前ではかすむ。
「……慣れないから。浴衣。下駄だし。転ぶかも」
メグさんが照れてる。かわいい。
「じゃ、はい」
そう言って俺は、手を差し出した。メグさんは不思議そうにその手と俺を交互に見た。
俺はクスっと笑って、その手を握った。
「行こう」
転んでも、支えるから。
繋いだ手の感触。
温かかった。
電車も混雑。
降りてからはもっともっと混雑。
さすがに地元では有名な花火大会。
「雑誌に載ってたよ、ここの花火大会。全国ランキングにも入ってたよ」
おっと、地元どころか全国規模で有名な花火大会だったか。
「そっか……混むわけだ」
「瞬君、来た事ある?」
「んー……会場まで来たのは久しぶりかなぁ。昔家族で来て以来かな」
大学の頃サークルで鑑賞兼ねた合コン企画があったけど、パスしたし。その他はバイトしてたし。
「メグさんは?」
「去年は……来たかな」
微妙な感じの声に、俺は思わず「兄貴と?」と聞こうとしてやめた。
「足元、気を付けてね」
「うん、ありがと」
「暑いな……浴衣、大丈夫?」
メグさんはにっこり笑って、「暑い」と言った。
人に押し出されるように駅を出ると、街並みが広がっている。通りには露店がいくつもあってモクモクと色んな匂いが漂っていた。
花火は川沿いで行われる。駅から川までは直線距離だった。1つ橋を渡った向こうにある。
「どこで見ようか」
「川まで行ってみようか」
小さい頃親と見に行った時、川に集まった大量の人の中で迷子になって泣き喚いた記憶がある。
今日もきっと大混雑だ。少しゾッとした。
まだ日は明るい。花火開始の時間まで2時間ほどある。
「何か飲む? 氷食う?」
「んー……じゃ、飲み物がいい」
「待ってて。買ってくる」
「一緒に行くよ。はぐれると困っちゃう」
道に売ってるジュースを購入。氷水から引き揚げられたペットボトルは、ギンギンに冷えてそうだ。
「はい、可愛い彼女」
ジュース屋の兄ちゃんは、ニヤっと笑ってメグさんにお茶を手渡しした。改めて言われなくてもわかってるって。
川までゆっくり歩いていく。道は浴衣の品評会みたいに普段着の女子を探す方が難しい状態だった。
そして川に着いて、俺たちは悲鳴を上げた。
開始2時間前にして、すんごい場所取り。
「あそこ、貴賓席って書いてあるよ」
「前売りチケットお持ちの方はこちらから、って……何、鑑賞券みたいなの売ってたの?」
すごいな。ちょっと馬鹿にしてた。
川辺の自由席は、もうほぼ満席のような状態。満室、満員御礼というか乗車率200%くらいな。
通りに2人で立ってたら、係員がやってきて「立ち止まらないでください」と注意してくる。
どうしようか、ってちょっと途方に暮れてたら。
「こっち行こ」
メグさんが俺を引っ張った。
「どこ?」
「んとね、こっち」
川を下っていく。
「こっちにね、公園があったから」
人と逆流しつつ、歩いて行く。
しばらく行くと畑が見えてきた。
その中を横切って行く。と、広場が見えてきた。屋台も幾つか出てる。
俺たちはその辺りに腰を下ろす事にした。
花火まで1時間半。
「何か食う?」
人はいるけれども、川沿いほどではない。川沿いは騒がしくて、声も聞き取れないくらいだったけれども、ここなら大丈夫そう。
俺は屋台で焼きそばやら適当に見繕って買ってきた。
「お金、出すよ」
「いいよ。どうぞ」
「でも、」
「社会人になりましたから。ご遠慮なく」
ニッと笑って見せた。
そしたらメグさんはちょっと笑って。
「何か……瞬君って、大人になったよね」
「は? 大人?」
「うん」
大人……?
「そう?」
「うん、落ち着いたっていうか」
「はは……そうかな」
そんな事、初めて言われたや。親にはむしろ、もっと落ち着けって言われるのに。
「そうだよ」
メグさんが目を細めて言った。
空は茜に染まり始めていた。メグさんもその色に染まっていく。
赤の光に映し出される姿と、描かれる影。
光はメグさんを美しく、そして影はそこに何か吸い込まれるような寂しさを映し出す。
刹那的に。
光と影は、世界を、そして俺たちの心を捕らえて行く。
「……全然」
俺はハハっと笑って目をそらした。
「瞬君は仕事、何してるの?」
「営業だよ。メグさんは?」
――それから俺たちは、夜までの時間を言葉で過ごした。
空を見て、お互いを見て、夜になってく周りの景色を見て。
「少し風が冷たいね」
「夏も終わりだね」
花火大会は、俺にとっては終わりの印。夏が行く。その最後の輝き。
メグさんといたら、時間はあっという間だった。
もうすぐ、花火の時間。
皆、そろそろ息をひそめ始める。
「こんな日に仕事なんてね」
「ん?」
「ユキ兄ちゃんだよ。仕事だって言ってなかった?」
「あー……うん。朝一番で出て行ったよ」
今日はまだ、兄貴に会ってない。
浮かれてた俺は、メグさんから出たその名前に上の空で答える。
花火まだかな。
花火見て……それから。
どこで言おう。どこで……。
――あなたの事が好きですと。頭の中では繰り返し連呼して。
もう、どこか、伝わってる気分にもなってきたけれども。
違うんだ、本当はまだ、何も伝わっちゃいない。
……でも本当は気づいてほしい。言わなくたって気づいてほしい。俺はこんなに、こんなにもあなたの事が……。
ずっと、見てきたんだ。
ずっと、追いかけてたんだ。
あなたの笑顔に惹かれた。
あなたの眼差しに惹かれた。強さに惹かれた。
弓を射る横顔と。
プレッシャーに涙する姿。
挫折もあった。弾かれた瞬間もあったよ。
でも、あなたは乗り越える。
強く笑ってる。強く振る舞ってる。
でも……俺は、メグさんの弱さを知ってる。
誰よりも知ってると、勝手に自負してるんだ。
言えなかった瞬間と、言葉を飲み込んだ瞬間。回り道をいっぱいしたけれども。
でも。
でも、もう一度会って、やっぱり俺は思ったんだ。
……好きなんだ。
ごめん……好きなんだ。
だから。
――ドンと、天に音は響いた。
その場にいたすべての人間が一斉にその音に目を引き寄せられた。
空いっぱいの光。
間近で見ると、こんなにすごいのかよ。
遠くで見るのと全然違う……空に広がった光の粒。
その粒が曲線描いて落ちてくる様は、まるで降り注ぐ光の雨のようだった。
空が広いと、でかいと、初めて思った。
天が覆ってる。
「うわ……」
「すご……」
2発、3発、連続して花火は舞い上がり、空から降ってくる。
とてつもなく壮大に。
――あの日の花火は、目に焼き付いたよ。
俺がアホ面で空を見上げていたその時に。
メグさんが……泣き出したから。
「メグさん? どうしたの?」
また1つ、花火が上がる音がする。
ヒュルヒュル音を立てて、天に向かって登ってく。
どこまで行ったら弾けるの?
そこで、花を咲かせるために。
「メグさん?」
……俯いてしまったメグさんに、俺は焦った。
やばい、何か悲しませる事したかもしれない。
「ごめん、気に障る事言った?」
メグさんが首を横に振る。
俺は迷って……その肩を抱こうとした。
「どした? 俺、」
「……違うの」
ん?
何が? 俺はメグさんの顔を覗き込む。
「メグさん?」
目が合う。
メグさんが俺の目に少し怯えた顔をする。
でも、そらさず見てくる。
何? 俺はここにいるよ。
「瞬君……」
「手、貸して」
「え……」
「ほら」
ぎゅっと、握る。
何が君を悲しめるの?
何だろうが、俺が守るよ。
もう誓うよ、この空に。
この、光の花の中で俺は。
「メグさん」
「瞬君……」
ああ……そういや〝あの時〟メグさんは、こうして手を握っててくれたなって思った。
小学生の、〝あの時〟。
震えてる俺を、メグさんは。
……いや、2人で。支え合うように。
「瞬君……」
「ん?」
「……」
「……」
「……」
「……メグさん、俺……………」
出かかった言葉より。
あなたは、そう言ったね。泣きながら。
「結婚、してって言われたの………………」
「………」
「この前ユキ兄ちゃんに……俺と結婚してって……」
――花火が、鳴ってる。
胸に、響く音。
ズン、て。
「付き合ってもないのに、いきなりそんな事言うの、変だって言ったけど」
「……」
「私……」
「……」
「……」
「……そ、か……」
花火、また鳴る。
歓声が上がる。
でも俺の視界をすり抜ける。
すごい花火なのに。
きれいなのに。
「兄貴が、好き?」
ドン、て。
「……」
メグさんは答えなかった。
「ユキ兄ちゃんは……お兄ちゃんとしか……」
ズン、て。
「でも……」
息が。
「……あの人は……寂しい人だから……」
「……」
「……」
「……」
――1発ごとに、夏が終わっていく。
終わっていくんだ。
すべての事象が。
いつかくる破滅に向かって進んでる。
一瞬しかないんだ、今という時は。
「そか……」
俺は23年、学校行って何を学んだんだろう。何にも言葉が出てこなかった。
そういうの、教えてくれよ。
どう言ったら、俺のこの時の気持ちは伝わるよ?
――もっと上手に。
生き方を、教えてくれよ――。




