22、 2人の夜 -2-
風呂上りのメグさん。
……風呂上りの母さんとはワケが違う。
湯気とか、においとか。
そんなもん見せ付けられて。
俺は、もう、とりあえず正視なんかできない。
逃げたい。むしろもう逃げたい。
「いいお風呂でございましたわ……」
ほくほくとした赤ら顔。
どうすりゃいいんだ一体?
「瞬君も入る?」
「お、俺はっ、さっき、入った」
「自転車、汗かかなかった?」
「だ、だいじょ、ぶ」
ダメだ、刺激が強すぎる……。
俺は「テレビ、見ていい?」と逃げた。
「ドライヤー使うけどいい?」
「うん」
どうせ、何も耳に入らないから。
何が起こっても、大丈夫……。
どうしてこんな事になったのかと、何回も何回も自問自答をする。
パジャマのメグさん。
「ねぇ、覚えてる? 瞬君よく泊まりにきたよねー?」
アハハと笑われても。
「私のパジャマ着てさ。一緒のベットで寝たの」
話が違うってば。
今それ言われてもさ。
困るってば。
「そ、そうだっけ」
「そうだよー。私も瞬君の家に泊まりに行ったけどさ。瞬君が来る方が多かったかなぁ」
困るってば。
「今日も一緒に寝る? 同じベット」
困るってば、もう。
「……からかってるよね?」
「何が?」
クスクス笑ってるじゃんか。
「いいじゃん。一緒に寝よ?」
そんな事できるくぁぁぁぁっぁぁ!!!!
むしろ腹が立った。むしろムカついた。そんで心臓が破裂しそうだった。
「俺、その辺で雑魚寝する」
俺はガキだけど。
でも男だ。
もう……男だ。
そんでメグさんは。もう、〝メグちゃん〟じゃないんだ。
わかってないんだ。
……俺の、本当は、俺が、どんな奴か。
ドキドキしてるんだ。
メグさんの姿とか、視線に。
いっつも、いっつも。
……ああ、風呂上りの唇が、赤い………。
「!!」
俺は慌てて視線を背けた。いかん!! 俺の目、いかん。ちくしょ、この前堺が見せ付けてきた某写真集が目に浮かぶ。
この目、引っこ抜いてしまいたい。
「瞬君がここで寝るなら、私もここで寝る」
「ベットで寝なよ」
「いや」
「何で、」
「だってっ」
……。
「だってそれじゃ……意味ないもん」
……え。
何が、って声、出ない。
メグさん、赤くなって俯いた。
俺は硬直した。
「あのっ……瞬君、ごめんね……」
「な、何がっ……」
「あたし……」
「……」
「……1人、怖い………」
「……え?」
「ご、ごめんねっ。あは、私、1人、夜、ちょっと怖くて。あははっ、ね、情けないとか思うでしょ? うん。そう思うの。でもね」
怖いの、とメグさんは言った。
「夜、怖いの」
「……」
「ごめん……今日、一緒に、寝てくれないかな……」
「……」
「傍にいて、くれないかな……」
あの日の背中が蘇った。映画館、兄貴の後ろをついていくメグさんの、少し寂しそうな背中。
そして。
……小学生の時の思い出が。
「……うん」
「本当に?」
「……うん」
「良かった」
笑った。
花みたいだった。
こんな綺麗なもん、この世にない。
俺はそう思った。
「ごめんね、床で」
「ん」
メグさんの部屋、久しぶりに入った。
いいにおいがした。
……他は覚えてない。
ただもう、胸がいっぱいで。
「オバケが出たら、やっつけてね」
「わかった」
「絶対よ」
「ん」
……今日は眠れる気がしなかった。
暗い部屋、狭い部屋。2人切り。
メグさんがそこに寝てる。
息が荒くなる。抑えるために深呼吸を繰り返す。
繰り返しても繰り返しても、鼓動は鎮まってくれない。
もう、何も考えられない。
大人でいたい。
でも俺は子供で。
……何かのすべがわからない。でももがきたい衝動。
ただ苦しい。
押さえつけてる。
メグさんは知らない、俺の鼓動の奥の奥。
「寝ちゃった?」
「まだ」
「ね……瞬君ってさ、好きな人、いるの?」
「……」
「もしかして、あやめちゃん?」
「……は? 何で相川?」
「仲良しじゃん。小学校から一緒よね?」
「勘弁して」
「じゃ、誰?」
「……」
誰って……。
鼓動が。
打ち付けて。
ああ、と俺は一瞬息を吐いた。
「俺は……」
言うか。
ここで。
言うか。
ここで。
言う機会は。
今までも、あったけど。
けど、俺は。
……逃げてきて。
でも俺は。
……今ほど俺は。
胸苦しくて。
こんな衝動。
もう、……言ってしまいたい。
あなたが好きだと。
あなたがずっと好きだったと。
ずっと見てた、ずっと想ってた。
……好きですと。
言いたくて。言いたくて。言いたくて。言いたくて。
……でも。
「瞬君?」
俺は。
……高校2年の俺は。
決定的なこの瞬間で。
弓を、放てなかった。
「寝ちゃった?」
………。
「寝ちゃった、か……」
……好きです。
心の中で叫んだ。
でもそれは音にならなかった。
番える事ない弓は。
弾いても、打てない。
愚かな、ただの空音。
◇
――あの日の思い出は、ほろ苦い。
少し苦笑して、気持ちが沈む。
言えてたら、何か変わったかなと。
……そう思える瞬間はいくらでもあったよ。
でも俺はそれをせず、結局メグさんは兄貴の嫁さんの選択を選んだ。
ああ、俺は、どこまでも不器用で。
そのくせ、何を求めてるんだろうな。
「……」
ベットの脇、メグさんの寝息が聞こえてくる。
俺はそっと半身を起こした。
「メグさん……」
――罰が下る。いつか。
俺はメグさんに何も言えなかった。なのに俺はあの日思った。
ウエディングドレスのメグさんを見て。
何で俺じゃないんだろうなって。
そして。
もし兄貴がいなかったら……って。
俺は最低だ。
嘘でも思っちゃいけなかった。
あれは悪魔がしでかした、ささやかなイタズラか?
だとすれば俺は、悪魔に魂を喰われる。いつか必ず。
「……ごめん」
俺とメグさん、思えばいつも謝ってばっかだな。
傷つけないように、微妙な距離ばっかり守ってる。
ごめん、ごめんて。
……寝顔、こっち向いてる。
あどけない顔。
無防備すぎるよ。
そっと髪を撫でた。
流れてく。白いシーツに。
「……」
兄貴がいなくなって、俺はこの1年、メグさんと過ごして。
守りたいとか、そんな事思ってたけど。
……本当は許されるのか?
兄貴の最後の世界を見たいとか、そんなの……本当は。
メグさんと時間過ごしたい、口実じゃないかよ。
俺は最低だ。
「……」
俺はそっと……唇に触れた。
指で、なぞる。
抱いてしまいたい。
でも……。
あの頃とは違う。歯止る衝動がある……。
涙が伝った。
何かわからんけど。
泣けてきた。
……そして俺は気がつかなかった。その時、メグさんの閉じた瞼からも涙が流れた事に。
「……ごめん」
ごめん。
ごめん………………。
いつでも言える。そう思ってた。
想いは伝わる。そう思ってた。
でもそうじゃなかった。
重なる瞬間は、それほど多くはない。
そしてその瞬間を逃がした結果の悔恨は。
……きっと生涯残る……胸に突き立ったままの、錆びたような矢。




