21、 2人の夜 -1-
「寒くない?」
俺は聞いた。
メグさんは笑った。
「大丈夫」
「ごめんね」
「……もう、本当に、心配かけて」
「面目ない」
「もういい。元気になったら、【花・きく凛】のケーキセット」
「もっといい所で何かごちする」
心配かけたから。
「……うん」
どっちでもいいの、とメグさんの顔は言っていた。
「無事で、良かった」
俺はハハハと笑って、「簡単には死なないよ」と言った。
「俺は、死なないから」
強く、目に力を込める。
院内は消灯してる。視線が届いたかわからないけれども。
俺はじっと、彼女を見た。
彼女はそっと視線を外して、少しはにかんだ。
――父さんと母さんは帰った。
「このバカをよろしく」
「バカがこれ以上バカをしないように見ててくれ」
「わかりました」
どんだけ皆、俺をバカだと思ってるんだろう?
……否定はできんけど。畜生。
「個室なんて、ラッキーだね」
と、メグさんは言った。
「空きがなかったんだってさ」
「明日検査だって?」
「うん。でも多分大丈夫だろうって」
「……びっくりしたよ、最初に連絡来た時」
「母さんも……こんな夜中に、メグさんに連絡しなくてもいいのに」
「連絡、してくれて良かった。なかったらむしろ悲しい」
「そう?」
「うん」
……そうか……。
俺は鼻の頭を掻いた。
……静かだ。
息遣いまで、聞こえそうなくらい。病院は静まり返っていた。
鼻息に気をつける。……そうすると余計、息が苦しくなってくる。
闇の中。
2人切りの夜。
「……」
病院なんだけど。心臓が跳ねた。
ドクン、ドクンと。脈打ってるのを感じる。
……まだ俺の心臓は確かに動いていると感じる。
「前にもあったね、」
「……ん?」
「こんなふうに、二人になった事」
「……」
黙り込んだ。
沈黙が占める。
……あった。あれは、高校2年の時だった…………。
苦い。
あの日の思い出は……苦い。
でも……そっと目を閉じる。
――手を伸ばせばあった。
俺とメグさんは今よりももっと自由で。
自由……違うか。
ただ純粋にいられた。あれはそんな、最後の時間だった。
◇
俺の高校生活は、ひたすら、弓道だった。
打った。そして走った。
中学の頃も大概体力づくりはさせられたけれども。
高校のそれは比じゃなかった。
腕が一層太くなった。
背も伸びた。兄貴ほどとは言わないけれども、もう、チビだとは言わせない。
……朝練やって授業受けて、放課後も部活。
そんな毎日を繰り返した。
辛い日もあったけれども、苦ではなかった。
そこにメグさんがいたから。
「もー、相変わらずだなぁ、瞬君は」
俺がへばるとすぐに笑ってそう背中を叩いてくれる。
「男の子でしょーが」
「男の子だけど、メグさんには負ける」
「セ・ン・パ・イ。学校ではそう呼ぶの!」
……俺達の関係は、仲のいい姉弟みたいな。
ただ俺は、ずっとメグさんを見続けて。
そして……たまに苛々した。
――映画の約束。
忘れてた……そうだ。あの後俺は一生懸命謝って、事情説明して、許してもらったけれども。
許されない事も、あった。
現実と。
……運命に。
「あ、ユキ兄ちゃん」
「メグちゃん、元気?」
兄貴はバイトに来ると、必ず弓道場へ顔を出す。
メグさんは必ずそれに笑顔で答える。
それは、その前も同じだったけれども。
前以上に……胸が騒いだ。
苛ついた、あの日見送ったメグさんの背中が目にちらついて。
自分自身に。
――夏の総体は、地区で惜しくも入賞を逃した。
「来年こそ全国大会へ」
夏の大会で多くの先輩は引退して行く。
2年生が主になって築かれていく新しいチーム。
その中心になっていたのが、中学と同様、やはりメグさんだった。
男子の先輩も顔負け。
メグさんには誰もが一目を置いていた。
中学の頃は、その姿を見るのが嬉しかった。誇らしかった。
でも高校になって。
……少しだけ、違う感情が芽生えた。
自分でも良く分からなかった。
兄貴を見ると苛々する。兄貴に笑うメグさんも嫌だ。
そして自分の事も苛々する。
よく分からない。
……無口で何考えているか分からない、気分屋の俺。
ただまっすぐに見つめられるのは。弓を構え的に向かって射る瞬間。
……だから俺は打った。
打って、打って、打って。
明け暮れた。
高校2年になった。
メグさんは3年生。
メグさんは弓道部の副キャプテンになった。
でも実際に実権を握っていたのはメグさん。キャプテンになった男子の先輩は、いつもメグさんに指示をされているような感じだった。
――その日、着信に気付いたのは風呂から出た後だった。
「電話鳴ってたぞ」
風呂から出て、すぐに兄貴に言われた。携帯は部屋に置いてきた。誰だろう? と俺は階段を上がってった。
その日母さんはいなかった。社員旅行で温泉だったと思う。
母さんがいないのをいい事に、父さんはスーパーで豪遊してきた。誰かの誕生日かと思えるほどのご馳走だった。男3人、無茶苦茶にして食べた。
「あ」
着信、メグさんからだった。
慌ててかけ直す。まだ20時だから、遅くはないよな。
呼び出し音聞いている間は緊張した。唇が乾いた。
『もしもしー』
「あ、メグさん。連絡くれた? 俺、風呂入ってて」
しどろもどろになっちまう。
『うん。あのねー』
「うん?」
『今……何してる?』
「上がったばっかだから。とりあえず水でも飲もうかと」
『うんー……ね、あのねー』
歯切れ悪いなと思った。
「どうかしたの?」
『美味しいジュースと、お菓子あるよ』
「?」
『ケーキもあるの』
「……そうなんだ?」
『ごちするから』
「へ?」
『大至急来て』
「――は?」
ブチッ。
ツーツーツー。
……以上終わり。
何、今の?
俺はひと時その場で固まり。
トボトボと、1階へ降りてった。
父さんはビール片手にナイター見てる。
兄貴は部屋に戻ったみたい。どうせまた、俺の知らない英語のような本を眺めてる。
俺は……。
「……」
大至急?
……来て?
メグさんの、家???
「ゴクっ」
水、コップじゃなくて手で飲む。
――その瞬間、ふと俺の頭にある光景が蘇った。
「あ」
まさか、何かあった?
――あの時みたいに。
大至急つってた。まさか――。
「どうした瞬介」
風呂上り、バタバタと2階へ上がって着替えて降りてきた俺の姿を見て、父さんはキョトンとした。
「ちょっと出る」
「こんな時間にか?」
「と、……友達に、呼ばれて」
悪友・堺を理由にした。堺がどうしてもって言うから、ちょっと出るとか。何とかかんとか。
別に、正直に言えばいいのに。
メグさんの事は父さんだって知ってる。家族ぐるみの付き合いだ。
なのに。
「行ってくる」
言えなかった。
……何となく。
自転車飛ばした。
メグさんの家は駅にしたら1駅分。
自転車で飛ばして、10分くらい。
その間、俺の頭には悪い事しか浮かばなかった。
まさかまた……まさか、まさか……。
息切らして、それは眩暈がするほどで。
「メグさんッ!!」
その剣幕に、むしろメグさんの方が呆気に取られた。
「どしたの?」
「だ、だって、大至急って………」
「ああ……ははっ、うん。そう、大至急」
理由は。
「何としてでも捕まえて。やっつけて」
……ゴキブリ。
「今日お母さんいないからっ!! 誰もやっつけてくれる人いないもん!!」
「……」
「お願いっ!! でないと今日は眠れない!!!」
「……どこで見たって?」
「台所。今完全密封してあるから」
「……」
ガラス戸で完全に締め切られてる魔窟(台所)へ。
俺は、半ば背中を押されるようにして放り込まれた。
……うちもゴキ退治は主に父さんか母さんの仕事だった。
生涯、初めて戦う事になったのは。この日、この場所だった。
「助かったよ、瞬君」
倒した。
成功報酬に、ケーキが出た。
いちごが無茶苦茶乗ったケーキだった。メグさんはいちごが大好きだ。
部活の皆で帰りに喫茶店に寄る事もある。主に高校の傍にある【花・きく凛】。メグさんは必ずいちごのケーキを選んでいた。
「晩御飯食べた?」
「うん。ピザとか寿司とか」
「ご馳走じゃん」
「父さんは満足して、今ビール飲んでる」
うちのお母さんとメグさんのお母さんは相変わらず同じ所に勤めていた。
だから、一緒に温泉旅行へ。
「いいなぁー、ご馳走」
だから、メグさんは今夜は家に1人だった。
1人。
だから、今、この空間にはメグさんと俺の2人だけ。
「……」
ゴキブリ騒動でゴタゴタして、肝心な事にたった今気付いた。気付いた途端に心臓がバクつき始めた。
「お菓子もあるよ。何食べる?」
ケーキとお菓子と、メグさんと。
子供の俺は、きっと浦島太郎が行った竜宮城はこういう感じだったんだろうと思った。
「今日、夜1人だよ私」
「そ、そうかー」
口が、思わぬ事を勝手に口にした。
「う、家に泊まりに来る? 1人じゃ寂しくない?」
メグさんが家に来る? 一体どこで寝るの?
想像するだけで、俺はもう、バクバク。
「色々持って行くのが面倒だからいい」
けれども、一蹴を受けた。
「持っていく物?」
「着替えとか、洗顔とか、色々」
「洗顔……俺が、貸してあげるよ」
「えー、微妙」
うーん………確かに、メグさんに貸せるようないい物使ってない、俺……。母さんが適当に買ってきた、無添加の洗顔用固形石鹸……。しかも父さんも同じの使ってる……。
兄貴はどうしてるんだろ? あの兄貴がそういうのに頓着があるとは思えない。歯磨き粉で顔も一緒に洗っているかもしれない。
「ねぇっ、あのさっ」
メグさんが身を乗り出してきた。
「今日さ、泊まってかない?」
「と」
と、とまっ…………。
「ね? 私のいちご、1個あげるから」
と、つまんで俺の口元へ。
「ほら、あーん」
……俺は。
一気に。
ゆでダコに変身して。
一瞬、心臓が爆発して吹っ飛んでってしまったような。そんな感触に襲われた。
「ね? そこにいる?」
「う、うん」
「覗かないでよっ」
「のっ、覗かないっ」
「絶対よ」
「うんっ」
「でもどっか行ってもだめよっ」
「うんうんっ」
……どうしてこんな事になったんだろう……。俺はひたすら考えた。
メグさんの家に泊まる事になった。
風呂に入るから、外で見張っててくれと言われた。
何からかは、わからない。
……オバケとか、そういうもんかもしれない。
俺もオバケは大嫌い。
でも、メグさんの風呂場を覗くってんなら。
……オバケだろうが、ぶちのめす。
俺は歯を食いしばった。そうだ。俺は護衛だ。そのためにここにいるんだ。
だけど。
ザバーンとか、バシャンとか、シャコシャコとか。メグさんがお風呂の中で奏でる音が聞こえてくると。
「ダメだ……」
いかん、待て俺。不動心だ。そうだ、俺は弓道家だ。不動心こそ我が真髄。
弓を構えるポーズをする。的を想像するんだっ!
ザバーン……
「瞬くーん?」
エコーのかかったメグさんの声。
「いるー?」
「う、うん」
「覗いてないよねー?」
……覗いたら俺は。
きっとその場で、自爆する。
「不動心だっ」
精神統一。
心頭滅却っ!
……俺は組んだこともない座禅を組み。
何だかわからんが、神に祈り続けるように、手を合わせた。
「ナンミョーホーレンゲッキョー、ナンミョーホーレンゲッキョー」
喜多川家は無信心者の集まりだった。
そして俺は、ガキだった。




