序章
こんにちは、はじめまして。こちらの話は王道ファンタジーの世界をもとにしたダークファンタジーになります。
だいたい一~二日に一話ずつ更新していきます。
この世は力で出来ている。
優も子供の頃はまだ正義という存在を信じていた。正義が悪を倒す。勇者が魔王を倒す、王道ファンタジーのように。
しかし、どうだろうか。歴史は勝者が刻み、強者が弱者を強いてきた。
それはたとえば学校だ。暴力を悪だと教え、知力の高さが全てと教える場所。もちろん、そこで学ぶ知力というのは他人を利用する手段でもあるが。
それはたとえば軍隊だ。圧倒的な暴力を是とし、考える事を悪だと教える。そこで学ぶのは順々な利用されるための生き方だ。
この世は力でできている。――それは自然界の生態ピラミッドのように。
一冊の懐かしい本を手に羽山 優はそんな事を考えていた。
そこは一軒家、彼の家だ。住宅街に建てられているそれは、しかし、周りの家よりも一回り、ふいや、二周り大きな庭を有していた。家もそれに見合って少々大きい。二階建てのその家の二階に彼の部屋はある。彼の部屋は一言で言えばシックだ。シック(粋)な家具や絨毯が部屋の不自然な隙間をつくらぬように配置されている。たとえばそう、床に敷かれたペルシャ絨毯、メダリオンが特徴的なそれは一室に使用するのは少々豪華に見える。たとえば、そう優が座っているのはHALOというブランドのプロフェッサーシリーズだ。アンティークソファのそれは、少し皺のよった茶色の皮が特徴的だ。部屋を見渡せば同じように絢爛豪華であるが、少し古風な品々が揃っている。
優と硝子の机を挟んで対面のソファには艶やかな黒髪が特徴的の女性が座っている。
「んん、懐かしいわねぇ。」
女性は両手で開いている革表紙の本を机に置くと小さく伸びをした。
濃紅色をしたその本の表紙にはローマ数字の『Ⅰ』としか書かれていない。
優も現在、女性と同様に、濃紅色の表紙の本を手に開いている。彼の本の表紙には『Ⅲ』と書かれていた。
それらは本棚から取り出したのだろうか優の部屋の本棚には不自然な隙間が空いた段がある。その本棚には彼らが呼んでいる本と同様の表紙をした書物があと五つほどある。それは連続した数字だ。彼らが持っている『Ⅰ』、『Ⅲ』。本棚にしまわれた『Ⅱ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ、Ⅶ』。
二人とも一度読んだ事がある本だった。
当初読んだのは年端も行かない頃だったか、と優は過去を懐旧する。
優の目の前の女性、姉の葉月が古本屋で『Ⅰ』から『Ⅲ』までを買ってきたのが始まりだった。
表紙にタイトルもないその本。しかし、それゆえに葉月と優の好奇心をくすぐったのだった。当時漢字を読むことができなかった優は姉の葉月に読んでもらっていた。
本の内容は――なんてことはない、勇者が魔王を倒す王道ストーリーだった。
勇者フィリウスソリス、日輪の神に寵愛されし処女、月の神の片割れを討たんと旅を始める。
それが濃紅色の本の『Ⅰ』の冒頭だ。
『Ⅲ』までの内容ではフィリウスソリスが日輪の神に会い拡散の剣を授かっている所で終わっている。
優は子供の頃はこの内容で嬉々としたものだった。悪は滅びるべきだと本気で信じていた。
濃紅色の本には世界観の説明もなければ断片的な場面しか書かれていない。まるで聖書のようだ。それがフィリウスソリスの視点の事もあれば、月の神の片割れ、メンシスの視点の事もある。
小説とすれば駄作だろう。最も、作者も書かれていない正体不明の本に文句を言う方がおかしいと思い優は気にしていなかった。
そこから葉月と優はこの本の続きを探していった。フィリピンで『Ⅵ』を見つける事もあれば、イギリスの寺院で『Ⅳ』を見つけることあった。
『Ⅵ』まで集まった時は既に高等学校を卒業する年となっていた。
優は大学には通わなかった。親の事業を継ぐと決めていたからだ。
優は片親だった。父親の顔しかしらない。父、源蔵は厳格な人物だった。世界各国のマナーを叩き込まれ小さい頃から俺の跡はお前が継ぐんだ、と耳がタコになるほど優は聞かされてきた。一世一代で巨万の富を築いた父、源蔵を尊敬こそすれ、その跡を継ぐことを嫌がる事など優は一度すらなかった。
そうして十八から二年、父の元で貿易について学んできた。何が何処に売れるのか、何を仕入れたら何処に売れるか。それは優が徹底的に叩き込まれてきた知識だ。
そして二十歳の現在、若年にして病を患った源蔵の代わりに優が会社を継いでいた。親の七光りや、若造等と称されているが、今のところ失敗という失敗はしてこなかった。
幾ばくの時が流れただろうか、本というものは時間を忘れさせる。優が振り子時計をみれば既に一九時だ。
『Ⅵ』を読み終えた優はそれを机の上に置いた。『Ⅴ』を読んでいる葉月が次に読むだろうと予想したためだ。
プロフェッサーシリーズから立ち上がり、本棚を優は目指す。そこから濃紅の本、『Ⅶ』を取り出す。
最終巻と思われる『Ⅶ』は一週間前、庭に投げ込まれていた物だった。不気味さを感じたが、尚更読むべきだと確信し今こうしている。
優は『Ⅶ』を手に取り、それを抱え再びソファに戻る。革表紙に手をかけたとき、目の前から、あっ、という嘆息を耳にする。
「なにかな?」
「それは一緒に読みましょうよ、直ぐ読んじゃうから待ってて!」
今年で二十五歳だというのに姉は子供っぽい、そのことに優は溜息をつく。
だから、お相手が見つからないのだ、等という優の文句が聞こえてきそうであった。
優は『Ⅶ』を机に置くと空のティーカップが視界に映る。数刻前から置かれているせいか、黒ずんだ跡がコップの底の縁に見える。
姉と自らの二つのティーカップを手に取り、優はソファから立ち上がる。
「葉月姉さん、コーヒーでいいかな?」
「ええ、かまいませんよ。」
教養は悪くないのだが、と呟き優は廊下に出て行く。階段を下り、台所の流しにティーカップを置く。洗うのは後でいいか、と一人呟き、新しい物を頭上の棚を開き、取り出した。今度は膝を折り、足元の棚からコーヒー豆を取りだす。優はロブスタ種が好きだが、葉月は飲み始める頃からアラビカ種のブルボンしか飲まない。
袋の中を見ると既にブラジル豆が少ない。後で買いに行かなくてはと頭の端で考え、ブラジル豆とロブスタ種のインドネシア豆を道具で取る。
焙煎からしなくてはいけない。優は慣れた手つきで豆を別々に焙煎しはじめた。
しかし、思考は珈琲の事ではなく、別の事を考えはじめる。
いつからだったろうか、勇者や魔王がくだらないと感じはじめたのは。
正義と名乗るのは虚飾の言葉で本意は人を掌握であると知ったのは何時からだっただろうか。
奇麗事などを妄言と切り捨て始めたのは、そう、高校を卒業してからだった。殴られ蹴られた心は既に理想を無くした。もしも自分が後世に言葉を残すとなったら間違いなくこう残すだろう『正義を求めるならば力を求めよ』と。
既に粉砕も終わりあとは珈琲を入れるだけだ。流石にウォータードリップで入れている時間などない。ペーパードリップで珈琲をいれていく。
優は珈琲がはいったティーカップを両手に持ち部屋へともどっていった。
優はアラビカ種の珈琲を葉月の前に置き、ロブスタ種を片手に仕事机に向う。今日の書類の片付けは終わっているが、貿易に関する情報を集めるためだった。横目にみれば葉月は『Ⅵ』の半ばまで読んでいるようだった。
電源を入れ、ノートパソコンを立ち上げる。しかし、なぜだろうか、OSが読み込まれない。優が眉を寄せノートパソコンを凝視していると、真っ暗な画面に文字が浮かび上がる。何処の言葉だろうかアルファベットで表記されている。しかし、優は意味が理解できるような気がした、その文字は『起きろ』と書かれているのだ。
一週間前に続き、自分は呪われているのかと、優は目頭を押さえる。
その時丁度葉月が『Ⅵ』を机に置くところだった。
「読み終えたのか?」優は葉月に視線を向けると珈琲を指差す「珈琲はそれだ。」
「ありがとう」葉月は珈琲を手に取った「まだ途中だけれど、Ⅵは一回読みましたもの。思い出しましたわ。『Ⅶ』を読みましょう。」
それもそうか、と優は頷き、立ち上がる。
再び葉月の対面へと座ると、机の上で本を開こうとする。すると、葉月は立ち上がり優の方へとよってきた。
「机の上じゃ読みにくいわ。膝の上に乗せて頂戴。」
優は溜息をつきつつ、自らの太ももをトントンと二回叩いた。此処に座れという意味だ。
それを理解した葉月は上品にティーカップを傾けつつ優の太ももに座る。
「それじゃあ葉月姉さん本とって。」
葉月の上半身が邪魔で本を取れない優は机の本を指差す。
葉月はなにもいわずに片手で本を取ると優に手渡した。
これでは恋人同士みたいではないか、とふたたび深いため息をつきつつ優は本を開いた。
冒頭はこうだ。
――「さぁ、来いフィリウスソリス!」
その言葉に何故か優は哀愁を覚える。鮮明に脳裏には場面が浮かび上がった。
その場面では肩に青い炎を浮かべ、背中に後光のような輪を背負っている優が勇者フィリウスソリスに剣を向けている。勇者は黒髪の美しい女性だ。
優は葉月がもたれかかって来た重さを感じ、脳裏に浮かんだ光景が霧散した。
なんだったんだ、今のは。優は驚きを隠せない。自分が悪の王だ、などと豪語する年はとうの昔にすぎたはずだ。
「ねぇ、次。」
葉月は一ページ目を読み終え、優の耳元で催促をする。
優は、驚きを顔に浮かべぬようにしながらページを捲る。ページは白紙だ。
「なんなんだこれは。」
不可解に思い、優は白紙のページを凝視してしまう。
葉月もまた不可解に思いつつもページを捲ろうとしたとき、問題は起こった。白紙かと思われたページにはノートパソコンと同じ意味不明な文字が現れたのだ。
『決着をつけるときだ、フィリウスソリス』
優は無意識にそれが読めていた。
「なにこれ」熱した物を触ったかのようにすばやく葉月は手を引く「きゃっ!」
一瞬にして葉月の姿は優の視界から消えた。まるで最初からいなかったように。
「葉月!」
優は姉の名前を叫ぶも、返事はない。優は立ち上がろうとした。が、まるで世界が歪んでいるかのように視界の物体は線を失っていく。それはすべての色をごちゃ混ぜにしたようだ。
優が次に感じたのが重力が消えた感覚だった。その途端、視界の色も消える。
状況を理解しようと思考を加速させようとするが、無駄だった。意識は何かに引かれるように深淵に落ちていく。
優は消え行く意識の中、闇を手で掻いた。最後に脳裏に浮かんだのは目に涙を浮かべた馬鹿な勇者の姿だった。